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休学日記。#久々


今日はひさびさに晴れた。2週間ぶりとかかな。ひさしぶりに太陽が出ているから今が、ずっと待ち侘びた光合成のチャンスなんだけど、でもわたしの体は必要最低限しか動こうとしない。久しぶりに見る太陽に照らされた海はきっと綺麗だし、あと1週間しかない海辺での生活だから1秒でも長く海を眺めていたいとも思うけれど、体は言うことを聞かない。
月曜日から金曜日、毎日7時に起きて9時から17時まで、慣れない環境で、お給料も支払われないという状況の中で懸命に働くということが、思っている以上に心を消耗させる活動だったことに、今のわたしは気づいてしまっている。土曜日である今日は、いくら外の天気がよかろうとすべての活動をやめてただただ重力に従って平日動いた体を休ませることだけしかできない。平日はお昼も自分で作ったお弁当を持って行って晩ご飯も欠かさず自炊をしているけれど、今日はそんな当たり前にできていたことも一切できない。「世の社会人はこんなの普通で、もっとしんどい働き方の人もいるんだぞ!」という意見は、今のわたしには全く響かない。しんどいことというのは、その人、その時、それぞれに存在する。そこに比較は存在してはいけない。

こんな感じで、働くことと生きることだけを必死にこなしていたら、気づけばこの町にいられるのも残り1週間になってしまった。そもそも自分が来たくて、自分から会社にアポを取って、自分の願望でこの町に来たというのに、この3週間はなんだか修行のような日々だった。


修行の始まりは、思えば1ヶ月前、前住んでいた耶馬溪町から福岡に帰ってきた時だったと思う。3ヶ月間、完全に自分の家だった場所から荷物を全て持って帰ってくるということはそれなりに家が荒れることになる。そんな簡単なことも想像できていなかったわたしは、久しぶりに帰ってきた自分の家の乱れ具合に、すべてを投げ出したくなっていた。でも次の町に行くまでのタイムリミットは1週間、さらに福岡で友達と会う約束も詰め詰めにしてしまっていたから、なにも整えることができず家の中も体も心もぐちゃぐちゃな状態だった。南大隅町がどんな町なのかもわからない、働く場所がどんな環境なのかもわからない、不安な思いも爆発しそうになりながら、でも行きたいと自分が思って決めたんだからワクワクしなさい!と自分の心に自分でムチを打つようにして1週間を過ごし、なんとかかんとか福岡を出発した。自分の車で、ひとりで運転しながら鹿児島まで向かう旅だったから、道中は自分の好きな音楽だけをかけて楽しんだ。それでも本音では新しい場所には行かず穏やかに安心できる場所に留まっていたかった時期だったと思う。

出発してしまったからにはもう到着しか目指すものはなく、途中で阿蘇近辺に寄り道しながら鹿児島市内に着いて、ずっと会いたかった友達のところで3日間くらい休憩をした。市内ではとにかくわたしのエネルギーをチャージすることを考えてくれる優しすぎる友達に恵まれて、元気を取り戻した。そして最南端の町南大隅町に向かって出発した。

人生で初めて、家族も友達も会える距離には誰もいない、完全に1人での生活が始まった。1ヶ月くらい誰にも会えなくったってやっていけるでしょ、と自分のサバイバル的な部分を過信していたわたしは南大隅生活2日目にして完全に心が折れた。世の中を騒がせているウイルスのおかげさまで、会社が用意してくれるはずだったお家も3軒ほど受け入れ拒否をされてしまったらしく、なんとか見つけてくれた民宿で1ヶ月間1人で住むことになった。会社がどうにかして用意してくれた場所だし、こんな状況の中でも受け入れてくれたことには感謝しないといけない。だから悪く言うのは本当によくないんだけど、住む環境としては良いとは言えない環境で、みるみるわたしの心は疲れていった。「そんな贅沢言うな、感謝しなさい」という自分と「ここで生活していくのは正直きつい」という自分がずっと喧嘩していて、その状態がとにかく苦しい日々だった。今でもこの感情がないと言ったら嘘にはなるけれど、人間どんな環境であろうと「慣れ」という機能は存在しているらしく、その機能を存分に駆使して今に至る。自分にとって「心地よい」と感じられる空間で衣食住を整えられるかどうか、というのはかなり私の精神状態を左右する。そのことを改めてひしひしと思い知ることができた。

居住環境はなかなか整わないながらも、平日は毎日仕事に出向いた。職場は優しい方たちばかりで、働きやすい環境だった。最初の1週間は同年代の子達が研修に来ていて楽しく過ごせたし、綺麗な夕焼けと満点の星空が毎日寂しさで潰れそうになる心を癒してくれた。仕事そのものにはストレスはなく、勉強になることがたくさんあった。それでも1週目の終わりあたりから立て続けに襲ってくる台風と大雨で、宿に戻ると不安と孤独の毎日だった。結局今日まで2週間くらい雨が続いて、ひどい時は雷と雨音で眠れないし、近くの山に雷が落ちる大きな音で夜中に目を覚ますこともあった。

途中4日間設けられたお盆休みには鹿児島市内に逃げ出した。急な連絡だったのに温かく迎え入れてくれる友達がいてくれて、本当に救われた。しあわせだった。話を聞いてもらうだけで軽くなった。ずっと「こんなことでキツイとか言ってはいけない、お世話になっている身でしんどいなんて言うべきではない」と自分に言い聞かせていたけど、その友達は「きつかったね、絶対無理はダメだよ」って言ってただただ受け入れてくれた。それがほしかったんだなあ〜と思えた。無意識のうちに自分で自分を否定して苦しめていたことに気づけた。気づかせてくれてありがとう。

しあわせすぎたお盆休みが終わって、働くことと生きることだけを考える1週間が始まった。相変わらず大雨は続いて、休みがしあわせだったからと言って南大隅町に帰ってきてから心に余裕ができるわけでもなく、働いてご飯を食べてお風呂に入って寝ることだけでいっぱいいっぱいだった。ひとり生活でも楽しもうと、趣味のカメラや刺繍、大好きな雑誌も持ってきたのに、なにひとつ楽しめる余裕なんてなかった。趣味というのは、ある程度生活の基盤が整っていて心にもゆとりがある状態じゃないと惹かれないんだな、ということを知った。

畳みかけるように(という表現が合っているのかわからないけど)一昨日さらに悲しいことも起きてしまって、たくさん泣いた。帰る場所を奪われた悲しみと大切な人たちが心配でたまらない寂しさと自分は何もできないという無力さが急に襲ってきた。Twitterで流れてくる「人生楽しんだもん勝ち」とか「しあわせに過ごそう」とか「ポジティブに生きよう」とかそういう言葉を見たくもないくらいには心が荒んでいたし、誰かの思考に触れても正論をぶつけられている気がして受け入れられない自分もいた。唯一救いだったのは、小説の中の世界が自分の世界よりも残酷だったことくらいだった。読んでいる最中は周りが見えなくなるくらい小説の世界に入り込んでしまうタイプだから、逆に自分の現実世界が幸せな世界だと思えた。それから小説という、現実を忘れられる場所の存在が救いだった。小説に救われながらなんとか1週間を乗り切って今日がやってきた。週末は何をしようかな。幸い今は隣町に友達が一時的に住んでるから一緒に遊んでもらえる。よかった。今はなるべく1人でいたくない。いっぱい笑えたらいいなあ。


そんな感じで過ごしてきた南大隅町での生活。今日と明日が南大隅町での最後の週末で、やっと晴れて、気分も少し上がった。
今ならこの1ヶ月の感情たちを言葉にできるかもしれないと思って殴り書きしました。読んでいて不快な気持ちにさせてしまっていたらごめんなさい。それでもこれが今のわたしのリアルです。備忘録です。でもいつかこの苦しさを忘れたくなったら消すかもしれません。

読んでくれてありがとうございました。🌿


p.s. あんなに毎日書いていたnoteを突然書かなくなったこと、特に大きな理由はありません。なんか書く気分になれなくなった、という感じです。そして復活がこんな感じですみません。もともと気持ちが落ちてる時にnote開きがちなので。笑

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