パート5 1/8 デボリューション理論
今回の要点とまとめ
・国家安全保障会議の進化の歴史を追うことで、権限委譲計画の骨組みに迫ることができる
・1947年に国家安全保障会議(NSC)が設立されて以来、全ての大統領がそれに関する指令を出してきた
・1998年には、大規模な重要設備保護(CIP)が制定された
・2002年には、国土安全保障法が署名され、米国国土安全保障省が設立された
・2003年国土安全保障に関する大統領指令により、重要設備と重要資源(CI/KR)の保護活動を国全体で統一することを目的とした、国家設備保護計画(NIPP)が策定された
・国家設備保護計画(NIPP)は、公共部門の政府調整評議会(GCC)と民間部門の部門協調協議会(SCC)の間でパートナーシップを構築する構造になっている
・これらの計画は、官民の連携を深めた
・国家設備保護計画(NIPP)の目標は、緊急事態発生時の国の備え、適時対応、迅速な復興を強化することにより、より安全、より安心、より強靭な米国を構築すること
1947年以降、アメリカ政府は重要な設備を保護し、非常時に行動を起こせるような仕組みを作り上げてきた。
その歴史は込み入っており、一つ一つ解き明かすことで、どのような流れで権限委譲計画に至ったかを知ることができる。
ここからがオリジナルの記事の翻訳になります
重要設備
ハリー・トルーマン大統領は、1947年に国家安全保障会議(NSC)を創設しました。
設立以来、すべての大統領が何らかの形で国家安全保障に関する指令を出してきました。
国家安全保障に関する指令は、通常、国家安全保障会議と行政府の高官のみに向けられ、外交・軍事政策の指針を示しています。
ビル・クリントンが1998年5月に出した大統領令PDD-63では、大規模な重要設備保護(CIP)を始めました。
大統領令PDD-63では、重要設備保護に関する国家戦略の策定が義務付けられた。
9月11日の同時多発テロを受けて、重要設備保護の定義や運用方法に多くの変化が起こりました。
2001年10月26日に署名された愛国者法(Patriot Act)では、重要設備の定義が以下のように示されました。
翌年(2002年11月25日)、国土安全保障法が署名され、米国国土安全保障省が設立されました。
2003年、ジョージ・W・ブッシュ大統領は、大統領令PDD-63に代わる国土安全保障大統領指令7(HSPD-7)に署名し、重要設備の特定と優先順位付けに関する米国の国家政策を確立しました。
国土安全保障大統領指令7では、重要設備と重要資源(CI/KR)の保護活動を国全体で統一することを目的とした国家設備保護計画(NIPP)が策定されました。
国家設備保護計画の目標は、重要な設備と重要な資源を保護し、回復力を確保することである。
緊急時に実際に実行する計画ではないが、官民の連携を深めるための仕組みとしては有効であった。
国家設備保護計画(NIPP)は、公共部門の政府調整評議会(GCC)と民間部門の部門協調協議会(SCC)の間でパートナーシップを構築する構造になっています。
ここでもう一度強調したいのは、部門協調協議会は民間企業であるということです。
これが国家設備保護計画(fas.org)です。
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