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#6 賛1以下に対して否9以上が予想される提案

かつて運動会(体育祭)は9月に行われるのが相場だったが、夏の暑さが尋常でなくなった影響からか最近は5月や10月に行われることが多いそうだ。
今(2020/10/9)ちょうど日本列島に台風14号が接近しており、ネット上ではその進路次第で運動会が開催されるかされないか、と一喜一憂の反応がみられている。
この季節、子供だった私にとって一番嫌いなシーズンだった。
そう、運動が苦手だった私は、運動会がなくなればいいと心底願っていた

中学生になってようやく人並みに運動ができるようになったが、それまではとにかく運動ができず、体育の授業が憂鬱で仕方なかった。
小学生男子にとって、彼の人気を左右するのは一にも二にもスポーツができるかどうかだ。将来の稼ぎや異性への誠実さ、テストの成績は評価項目に入らない。実にシビアな世界だ。たとえ他の科目で0点を取り続けても、体育の授業で活躍すればチャラになる。運動会で活躍しようものなら向こう1年間の名声が約束される。きわめて不公平な世界だが、不満を並べたところでそれが覆るわけでもなく、私は初秋の季節を毎年欝々と過ごしていた。
そうなると、体育が苦手な私が運動会自体に憎しみを抱くのは当然の帰結となる。そして運動へのアレルギーが和らいでいる今でも、運動会には良い感情を持っていない。

そこで提言してみたい。
これまでの常識が覆されている昨今、昨年までやっていたからというだけで漫然と運動会を開催するのはやめよう、と。

私が運動会を嫌っていたのは、運動会当日もそうだが、それまでの準備期間に最大の理由がある。
小学生の頃、運動会は毎年9月末に開催されていた。夏休みが終わると、9月2週目あたりから通例の時間割が変更され、徐々に体育の授業が増えていく。本番1週間前にもなると予行演習と題して丸1日運動会と同じスケジュールを過ごす。ただでさえ体育の授業に苦手意識がある私にとって、運動会はその日をやり過ごすことで解放されるイベントだったが、そのために延々と、しかも徐々に強度を上げながら練習を続けることは非常に強いストレッサーだった。
1か月弱にわたって練習と称して精神的にダメージを受け続け、その結果「晴れの舞台」の本番で一族郎党が見守る中最上のダメージを受けるイベント、それが運動会だった。
今から思い返すと、よくもまあ6年間登校拒否せず運動会で恥を忍んでいたものだと感じ入る。つらいことは逃げていいんだよ、という昨今の風潮が当時当たり前であったなら、私は迷わず運動会を休んでいただろう。もっとも、その後の評判がどうなるかは火を見るより明らかだが。

…さっそく反対意見が聞こえてくる。
運動が得意な子に輝く機会を用意すべきだ、という意見があるのは重々承知している。多種多様な生徒がそれぞれ得意なことで実力を発揮する場を設けて、自己肯定につなげようとする見解、実に非の打ち所がない。
では運動会廃止に代えて、この提案はどうか。

各「科目祭」を定期的に開催!

例えば11月末に算数祭(数学祭)を開催する。日曜日、丸1日朝から夕方まで算式、図形、文章題といろいろな問題をひたすら解き続ける。朝早くには開催を町中に告げる花火が打ち上がり、両親が各教室に詰めかけ我が子の勇姿をビデオカメラ(今ならスマホか)に収めようと場所取りに執念を燃やす。当然本番1週間前には予行演習をしっかりと済ませるし、本番までは平時の時間割を変更して算数の授業を少しずつ増やしていく特別編成だ。
ただこれだけでは算数が得意な子しか浮かばれない。ならば翌月は社会科祭だ。年が明ければ国語祭が待っている。
そうすることで、生徒それぞれに輝く機会が用意されるはずだが…?

学生の頃から周囲にこの持論を披露しているが、残念なことに、徹頭徹尾賛同してくれる者に未だ出会ったことはない。

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