佐賀町エキジビット・スペース 1983-2000 現代美術の定点観測
2020年9月12日(土)から12月13日(日)まで、群馬県立近代美術館では「佐賀町エキジビット・スペース 1983-2000 現代美術の定点観測」が開催されている。
1983年、東京都江東区佐賀にあった食糧ビルディング(食糧ビル)内に自主運営のアートスペースとして創設された佐賀町エキジビット・スペースは美術館でも商業画廊でもないもう一つの美術現場を提唱し、発表の場を求めるアーティストに寄り沿う姿勢を打ち出す実験的な展示空間として、美術、デザイン、ファッション、建築、写真といった従来のジャンルを超えた、日本初の「オルタナティブ・スペース」として海外からも注目される存在となった。[1]
2000年12月に幕を下ろすまで、佐賀町エキジビット・スペースでは106回の展覧会がおこなわれ、関わった国内外のアーティストは400人以上にのぼる。本展は佐賀町エキジビット・スペースのこれまでの活動を振り返る展覧会である。
本展のポスターデザイン(TOP画像)は、打ち合わせの中で主宰の小池一子による佐賀町エキジビット・スペースから連想されるカタカナ語の走り書きを元に、デザイナーの菊池敦己の手によって制作されたという。
本展は展覧会アーカイブ、作品展示、資料展示の3つに分かれている。
最初の展示室には、中央に佐賀町エキジビット・スペースの建築模型、壁面にこれまで開催されてきた展覧会のアーカイブとして、会場風景が展示されている。
佐賀町エキジビット・スペース設立の経緯は、当時都心での運営が経済基盤的に無理だと判断した小池が、アラナ・ハイス(Alanna Heiss)が創立したニューヨークのクイーンズ地区にある非営利団体の美術施設であるPS1を参考に、東京周辺の地域の倉庫や工場などに絞り込み会場を探す中[2]、当時小池のもとにいた小柳敦子(現ギャラリスト)が偶然食糧ビルに出会ったことから始まる。[3]
食糧ビルは1927年竣工、渡辺虎一によって設計された。一階部分にはアーチが連なる回廊を備え、中庭もある。佐賀町エキジビット・スペースは1983年にビルの3階部分を改装して作られた。
展覧会写真は1つの企画に対して1点のモノクロ写真と開催情報が記されている。 展示スペースとして割かれている面積は少ないが非常に濃密な空間だ。写真一点一点が貴重であり、佐賀町エキジビット・スペースを知るためのヒントが詰め込まれている。
そして一番大きな展示室に佐賀町エキジビット・スペースで企画された展示の中から現在でも展示可能な条件を満たす作品を展示している。小池は「17年間の表現活動のすべてを再確認し、展覧会に再構成することは不可能に近い」[4]としながらも、この展示は劇作家リリアン・ヘルマンの自伝書のタイトルでもある『ペンティメント』の意味に集約されるという。「絵画の表面を後世の筆が何度も塗りこめたとしても、必ずや出現する何か、苦い思い出も含めてそれは出生時のイメージ、フォルム、そしてストロークに現れ出てくる何かである。」[5]
中央に見える立体は戸村浩によるオープニング・エキジビション「1st with TOM」で展示された作品群。戸村が考察する数学的な諸定義を造形したものだ。会場の食糧ビルに因んで種子を主題とした。オープニングパーティには友情出演として鈴木昭男が名を連ねる。春日山部屋の三力士による鏡割りも行われた。
1990年2月13日から3月16日まで開催された森村泰昌「美術史の娘」では美術史上の絵画作品をベースとして12点が展示された。その中からの3点。額装された写真の上に人間の足首から下のオブジェが立てられ、足首の切り口には羽毛が付けられた《踏み絵》はピンク色のライトで照らされている。
第二展示室に入ってすぐの右手には、1986年9月2日から27日まで開催された岡部昌生「STRIKE-STRUCK-STROKE」展の、佐賀町エキジビット・スペースの床を30日間かけてフロッタージュした大作が展示されている。当時は床に展示された。佐賀町エキジビット・スペースのアーカイブを展示するという意味では、一番見合った作品かもしれない。
1993年4月から約1ヶ月間開催された「00-Collaboration 詩と美術」展は小池や竹下都と共に詩人の芦田みゆき、建畠晢が中心となって企画された。展示されている《Golem No.64:火に溶ける盲いた裸の•••》、《Golem No.65:ここでは瞳は季節の環よりも•••》はそこで田野倉康一がメイン会場とは別のアネックス(食糧ビル1階の佐賀町bis)でキュレーションを担当したうちの一つ、黒川弘毅と守中高明のコラボレーション作品だ。黒川のブロンズ彫刻に守中の詩が彫られている。
現在は東京国立近代美術館に所蔵されている日高理恵子《樹を見上げて Ⅶ》は1999年5月21日から6月12日にかけて「日高理恵子展」で展示された。日本画出身の日高が、身体感覚の確認・復権という問題意識で、樹を見上げて描き続けてきた作品だ。
このようにメインフロアではそれぞれの作家が区分けされて展示されている。アーカイブ写真を見ると、佐賀町エキジビット・スペースの細長い空間を上手く利用した企画も多く見受けられる。
次の部屋には廣瀬智央の赤く巨大なペルシャ絨毯の作品《マーレ・ロッソ(ノット・ホール)》1点のみが展示されている。アーカイブ写真では会場いっぱいに並べられた絨毯に靴を脱いで何人かが座っている。当時と一番近い状態で展示されていると言えるだろう。
最後にチケットや会場で配られた冊子を含む資料がショーケース内に並べられてある。
展覧会パンフレット群
このようなカタログやリーフレットは会場運営に対する力の入れようや、当時の作家たちの動向を知るための貴重な資料となる。手に取ることは出来なかったが、もしデジタルデータとしてアーカイブが公開されれば、より多くの人々が佐賀町エキジビット・スペースへの深い理解を得る事ができるだろう。
「佐賀町」という地名は現存する地名ではない。1969年の新住居表示施行により現在は佐賀として存続している地域のかつての名称で、佐賀一丁目と二丁目で構成される東京都江東区の地名である。スペースを設立する際、「食糧ビルの来歴を調査するなかで地域と地名の変遷を知り、明治時代から長く町民に使われてきた名前を復活させる」と共に、アートサイドだけに生きる町名として会場名に採用された。[6]
佐賀町エキジビット・スペースで展示されたという共通点を持つ作品群を一堂に集める事で、17年間の歴史の一部に触れる事ができる展覧会だ。
[1]プレスリリースより http://mmag.pref.gunma.jp/press/image/202003.pdf
[2]小池一子「ペンティメント──生まれ出たものたち」、『佐賀町エキジビット・スペース 1983-2000現代美術の定点観測』p.14
[3]谷内克聡「楽園ゲーム あるいは、佐賀町エキジビット・スペースの系譜」、『佐賀町エキジビット・スペース 1983-2000現代美術の定点観測』p.309
[4]小池一子「ペンティメント──生まれ出たものたち」、『佐賀町エキジビット・スペース 1983-2000現代美術の定点観測』p.16
[5]小池一子「ペンティメント──生まれ出たものたち」、『佐賀町エキジビット・スペース 1983-2000現代美術の定点観測』p.17
[6]小池一子「ペンティメント──生まれ出たものたち」、『佐賀町エキジビット・スペース 1983-2000現代美術の定点観測』p.15
参考資料
『佐賀町エキジビット・スペース 1983-2000 現代美術の定点観測』、佐賀町アーカイブ・HeHe、HeHe/ヒヒ、2020
展覧会情報
「佐賀町エキジビット・スペース 1983-2000 現代美術の定点観測」
出品作家:戸村浩/ジェリー・カミタキ/端聡/駒形克哉/ みねおあやまぐち/岡部昌生/野又穫/ 剣持和夫/吉澤美香/大竹伸朗/ シェラ・キーリー/杉本博司/元慶煥/ 森村泰昌/堂本右美/滝口和男/ ヨルク・ガイスマール/黒川弘毅/倉智久美子/ 立花文穂/オノデラユキ/白井美穂/ 岡村桂三郎/廣瀬智央/日高理恵子
会場:群馬県立近代美術館 〒370-1293 群馬県高崎市綿貫町992-1 群馬の森公園内
会期:2020年09月12日 - 2020年12月13日(入館は午後4時30分まで)【休館日】毎週月曜日(祝日の場合はその翌日)
入場料:一般830円、大学生・高校生410円、中学生以下・障害者手帳提示とその介護者1名 無料
電話番号:027-346-5560
FAX:027-346-4064
企画協力:株式会社キチン、佐賀町アーカイブ、特定非営利活動法人 AMP
協力:ギャラリー小柳、銀一株式会社
レビューとレポート第19号(2020年12月)