イッセイ三宅を発見したのはヴォーグの編集長だった
<ショウファー2>
私は、ショウファー。高級リムジンの雇われドライバーだ。
2008年、ヴォーグの編集長アナ・ウインターを、雑誌のプロモーションで送迎した。
ちなみに、会社からの彼女のプロフィール[1949年11月3日さそり座、ヴォーグUSA編集長(現・親会社コンデナスト役員)、英国王室よりデイムの称号授与、起床6:00就寝22:15、パーティは20分で退席、昼食はスモークサーモンとスクランブルエッグ(以外は食べない)、常用のサングラスは、度付きのレンズを目立たせないため、毛皮ファッションで動物愛護協会と対立、アライグマの死体をレストラン食卓に投げ込まれる]例によって、トリビアな情報
担当した2008年は、彼女が出版した雑誌が次々と廃刊に追い込まれ、そろそろ引退かと噂されていた頃でもある。
(あれから10年以上経過し、彼女との機密保持期間を過ぎたので記す)
アナ・ウインターにとっては、数少ない友人で、モデルで、中学同級生の、アナベル・ホーディンと久しぶりに再会。私が運転するリモで話し込んでいた。
「自伝の映画のタイトルが、”悪魔”ってどうよ。いまだに、二日酔いの気分だわ」
「それにしても、プラダを着て、映画のプレミアショウに出席したあなたは立派」
アナベルが続けて「でも、メリル・ストリープは、『原作通り最強・最悪の悪魔では、映画にならない。(彼女の解釈で)自分にも他人にも厳しいリーダーを演じた』と、どこかに書いてあった」
「でも、私はフィクションじゃない」アナは、モヒートを飲みながら言った。
ちなみに、彼女の年収は、200万ドル(2億円超)。・ショウファー付きのメルセデスベンツ・マイバッハ貸与を含むフリンジ・ベネフィットは・年間20万ドルのショッピング支出補償・欧州ファッションショウ期間中のココシャネル・スーツ提供・NYグリーニッチビレッジのタウンハウス購入のための160万ドルの無利子ローン等。
きょうのアナは、いつもの無口ではない「あなたも知っているように、私は、高校中退。私のすべては、このハンディを取り戻すための戦いだったと言ってもいいわ」
「高校退学のとき、校長と”ドレスコード”で戦っていたわよね。そこまで、ファッションのこだわりを捨てないなんて、凄いと思った」
「何社もクビになったけど、理由はいつも過激すぎる」
「実際、アナは、オフィスではどうなの?」
「部下とは距離をおく。絶対に親しくしない」
「どうして?」
「厳しくして100%の結果を引き出す。それと、クビにしやすくするため。能力のない部下のために、私のキャリアを棒にふりたくない」
「私の直属スタッフは、下のスタッフの提案が気に入らないときは”これをアナにプレしろと言うの?”と言って拒否してるみたい」
「私が、ヴォーグの廊下で派手に転んだとき、フロアが水を打ったような静寂、横を通りかかった男性社員がそのまま通り過ぎて、拍手とため息。”アナは、他人に弱みを見せないから、手を差し伸べても無視されたよ、だから正解”ということらしい」
「アナは、”爆弾ウインター”と、業界で呼ばれているの知ってるでしょ」
「爆弾だからできたこともある。あなたも知っているジョン・ガリアーノをクリスチャン・ディオールに採用させたり、トム・ブラウンをブルックス・ブラザースに売り込んだり、無名だったイッセイ三宅を見いだしたり。マーク・ジェイコブスが予算不足で困っていたので、ドナルド・トランプにホテルの会場を提供するように頼み込んだり、爆弾も大変よ」
アナの最高の戦いは、1988年11月号のヴォーグだった。
若手のピーター・リンドバーグが撮影。今までのヴォーグのルールをすべて破った。モデルは、今までのように目線が正面を見てない、むしろ目が閉じてる、ヘアが顔にかぶってる、ヘラヘラ笑ってる、お腹がぽっこり。最悪。
カメラマンが、没にした写真だった(これ以降、カメラマンの事前選択禁止。撮影カットは全て提出を命じられた)。
ヴォーグのモデルが最初に着た50ドルのジーンズ。そして、クリスチャン・ラクロアの1万ドルの宝飾ジャケット。ヴォーグの口うるさい読者も想像もしなかったストリートファッションだった。
アナがこの写真を見たとき、今までとは違う風を感じた。
とても自然な、これからの”リアル・ウーマン”がいると思った。
数日後、印刷会社から電話が入った「送られた表紙写真、間違ってませんか?」という確認だった。これぞ、待っていた世間の反応だった。もちろん、上司の元・編集長の承諾なしでやった。
新大陸を発見した冒険者アン・ウインターに、敬意を覚えながら、ビバリーヒルズ・ホテルのエントランスに、リムジンを滑り込ませた。