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短編ホラー【ここで遭ったが百年目】


阿佐野桂子


昌美の夢

 新宿の裏道で友人二人と一緒に姓名判断の易者に見て貰ったのが始まりだった。
 一人は漫画家としてデビューしており、もう一人はフラワー・アレジメントの学校で助手をしている。
 二人とも順調に行けば前途洋洋で、特に漫画家の子は、まだ二十歳なのにファンからは先生と呼ばれている。
 その中で一般事務職、夜は清掃のアルバイトをしている昌美は一番地味だ。
 但し、どういう訳かいつも切れ者に見える雰囲気を醸し出しているようで、有望株の二人を差し置いて一匹狼で名を残す、と易者に言われた。
 一体、何で名を残すのだろう。 普通なら名を残すのは良い意味で使われるのだろうが、稀代の殺人鬼もある意味歴史に名を残す。
 一年後、昌美と同姓同名の女が保険金目当てで我が子を殺した。これだって黒歴史の中に名を残したことになる。
 名を残すがお金には縁がなく、食べる分くらいなら何とか、それで八十以上は軽く生きるね、と老齢の易者は御託宣をさらさらと紙に書いて新宿易道会会長と書かれた朱印をぺたりと押して渡してくれた。
「八十以上生きて、しかも食べる分だけしかお金が入って来ないって、ド貧乏な老後ってこと? ああ嫌だ、なるべく早く死のう」
「残念でした、八十以上にならないと死ねない、って言われたじゃないさ」
 昌美と二人はそれぞれの鑑定書なる物を眺めたが達筆過ぎて読めない。朱印だけが存在感をアピールしている。
「ちょっとお、易道会会長だって。そんなに権威があるおじさんなの?」
「姓名判断ってもさあ、結婚して姓が変わったらどうなるのよ」
「さあねえ、やっぱり運命変わるんじゃないの。でもあの易者、この鑑定が間違っていたら文句を言いに来てもいいって言ってたよね」
「言ってたけど、あたし達が歳とった頃にはあのおじさん、とっくの昔に死んでるから文句のつけようがないじゃない」
「だいたいさ、まだ結婚してない女子相手に姓名判断しても仕方ないよね。結婚したら普通は姓が変わるんだから」
「じゃ、改姓してからまた見て貰わなくちゃ駄目じゃん」
 と三人はお互いの鑑定書を回し読みしてケチをつけた。結局何回読んでも文字が解読出来ない。
 しかし神社や夜店で引く御神籤以外での占いはこれが初めてで、少々高いとは思っても話題としてはこれ程面白い物はない。
 それ以降昌美は小さな机の上に手相だの易断だの四柱推命だのと書かれた灯りを見るとついつい試したくなる。
 占って貰う方も場数を踏むと易者のお手並み拝見、の気分だ。単に後腐れのない誰かと喋りたいだけかも知れない。
 当るも八卦、当らぬも八卦と言われるが、親兄弟に縁がない、とはどの占い師にも言われている。昌美は養護施設出だからこれだけは当っている。親兄弟の顔も知らない。
 こちらからは何も喋っていないのにそう言われるということは孤児は孤児らしい分かりやすい人相風体をしているものなのだろうか。
 その割には昌美が二十歳で既に既婚者だとは見抜けない。結婚は、と聞くと二十五歳と占い、「十八の時にもう結婚しちゃってますけど」と言うと露骨に鼻白む。
 未婚か既婚か、指輪をしていなくても当てるのが占い師というものでしょうが、と言われればいい気はしないだろう。この辺りで占い師とのバトルにもつれ込む。
 他に客のいなさそうなお茶を挽いている感じの占い師を選んで見て貰うのだが、このもう結婚してます、の下りで大概の占い師は見る見るやる気をなくす。
 普通の女子であれば最大の関心事である恋愛・結婚相談をクリアして今更何の相談かと思うのかも知れない。そこがまず占い師側の先入観だ。
「ははあ、お一人で寂しいので早く結婚したんですね」と勝手にフォローして来る。お一人で寂しいからではなく、男が転がり込んで来ただけなんですが。来る者拒ますの主義ですから。
 場所と時間の差はあれ、数件の占い師巡りをして人生絵巻を紐解いて貰ったが、アパートの部屋に帰って寝てしまえば忘れてしまうような御託宣ばかりだ。
 昌美が本当に知りたいのは過去だ。未来なんてどうでもいい。結局は人間みな等しく死ぬのだから「いつか死にます」で確定じゃないか、と思う。しかし過去は違う。
 そもそも母なる人物はなぜ昌美を生んだのか。戸籍を見ると父の名は空欄になっている。
これって日本国では処女懐胎を認めているのだろうか。
 実際は男が認知を拒否したから、あるいは交渉が多すぎて特定出来なかったから、という理由だろうが、なぜ生んだ?
 乳児院から孤児院へと移行したのだからまさか子供が好きで生んだ、とは言えまい。どうせなら堕胎してくれれば浮世の波に曝されなくても済んだ筈。それとも子供を荒波に曝すのが楽しくて生んだのか。もしそうであれば悪意の満艦飾だ。
 こういう生まれながらのペシミストみたいな相談相手を迎えた占い師は、七面倒なやつに面倒な問答に引き込まれ、即答できない問題を生徒に聞かれた教師のように逃げをうつ。
 教師なら「その問題、明日でいいかしら」と言えるが、後ろに次の客が待っているわけでもないのに占い師はさっさと切り上げようとする。
 まあ、なぜ生まれて来たのか、なんて根源的かつ無意味な質問に答えるのは守備範囲外だろうけどね、と聞いた本人も思っているのだが。
 鬼束ちひろの「月光」、古くは菊池章子の「星の流れに」が胸の中でヘビロテしている生活なんてまるでティラノサウルスを被って歩いているようなものだ。重くて疲れてすぐに噛み付きたくなる。
 

昌美の夢の夢


 昌美は新宿にも飽きて横浜をぶらつくようになった。同じ同年の戸籍上の夫とは別居と同居の繰り返しで先は見えている。映画に行く時以外はほぼ別行動だ。
 やつは上京した大学生で大学に通い始めて二年もしたら東京の女にも慣れ、かつもっといい女が幾らでもいることに気が付いたらしい。
 だから横浜へは一人で行った。今や聞きたい未来があるとしたら、一度離婚した後にまた再婚出来ますか、だ。
 夕方、ジャズ喫茶で生演奏を聞いた後に関内の路地をうろついていると占い師を見つけた。お決まりの小ぶりな机の上に四角い行灯が乗っていて『夢見屋』と書かれた文字が浮き上がっている。ゆめみや? 占いじゃなくて小物のアクセリーでも売っているのだろうか?
 薄暗い中で目を懲らして見てみると机の上には大学ノートが数冊。アクセサリーを売っているのではなさそうだ。で、店主(?)は見た目三十台半ばの普通の青年だ。
 チノパンに鹿の子のポロシャツのいでたちで顔は太った猫顔、体型も小太り、背も低い。背丈と見料が反比例しなければいいけど、と財布の心配をしながらそのお兄さんの前に移動した。暇そうだ。
「えーっと、あの、『夢見屋』って占いですかね? 姓名判断とかの」
「そう、占いなの。姓名判断とは違うけど」
 昌美をカモと感じた青年が椅子に座るようにと勧めて来た。まずは心配を払拭するために見料を聞くと三千円。妥当だろう。
「三千円って高い? でも僕の話を聞けば高くないって思う筈だけど?」
 何だか面倒臭いやつみたいだ。七面倒な性分の昌美が思うのだから本当だ。自信満々でしかも押し付けがましそう。しかし既に椅子に座ってしまった。仕方なく、夢見屋ってなんですか、と聞く。
「そこなんだよね」と青年思わせ振りな返事が返って来た。
「普通は生年月日や名前や手相を見るじゃない。ついでに筮竹をじゃらじゃらやって。でも僕の場合はその人が見る夢を聞いてその人の過去を教えてあげるわけ。夢って無意識の願望やら反省やらを頭の中で整理しているわけだからさ、当人のことは当人の夢を分析すれば分るじゃない?」
 じゃない?と来たか。あんたはフロイトかユングか。どうりで大学ノートなんか持っているわけだ。
「へえ、ひょっとしたら占いじゃなくて心理分析とか?」
「じゃなくて、過去って言ったじゃない。簡単に言えば前世、そのまた前、森羅万象が煮凝ってあなたの魂が今までどんな転変をして来たかーー」
「あ、ちょっと待ってくれる? 現在でも未来でもない前世を教えてくれるって意味?」
 現在は自分が良く知っているし、未来はもう聞き飽きた。残るは過去。でもこの人の言う過去は昌美が生れてきた経緯ではなく、転生の歴史らしい。
 そんなことを知ってどうなるのだろう。エジプトの王女様や公爵夫人だったとしても、現世では吹けば飛ぶような非正規雇用だ。
 この人、オカルト入ってやしないか? あるいはそこらのサブカル宗教の勧誘とか。だとしたらちょっと御免だ。勧誘されて三千円払うのはお断りだ。しかし占い師は既に営業モードに入っている。
「あのさ、同じ夢を何回も繰り返して見るって事あるでしょ? 僕も同じ夢を見続ける事があるんだけど、それにはそれなりの意味があるんだよね。いつも繰り返して見る夢には前世の記憶が潜んでいたりするんだ。普通は今日一日の記憶の整理とか言われるけど、それだけじゃ解釈できない夢がある。かく言う僕はいつも非業の死を遂げる夢なんだけど」
 あれまあ、それはまたお気の毒。夢の中でも非業の死を遂げるのは悔しいものなのだろうか。昌美の夢はその反対で殺す夢を繰り返し見る。現実に殺したり、殺したい相手がいるわけではないから記憶の整理とは言い難いいのではないか。
 夢の話は聞き手にとってはあまり面白くないらしい。実際に起きたことなら親身になれても、昨日犬に咬まれた夢を見ちゃってさあ、と言われても共感は出来にくい。
「で、一番鮮明な夢は?」と夢見屋。

昌美の夢の中の殺人

「三つあるんだけどね。子供の頃よく見ていた夢はどこかの断崖から兵隊さんが投身自殺する夢でね。本当は死にたくないけど、敗戦続きで捕虜になるくらいなら死ね、って風潮の時かな。舞台は小さな島のどこか。その兵隊さん、飛び降りる寸前に私を見て4から始まる数字を言うんだよね。小学生の頃はその数字を覚えていたけど、今は忘れた。多分太平洋戦争の映像を見たからだと思うけど」
「ああ、そういう風に自己解釈するの止めてくれない? あなたが実際にその場にいたのかも知れないじゃない」
「実際にいたって、戦後何年経ってると思ってんですか。年齢的に合わないでしょうが」
「いや、そんな事ないよ、生まれ変われば。で、多分舞台はバンザイクリフ。一九四四年の出来事だね。自決者一万人と言われている。で、何で4から始まる数字忘れちゃったの? 非常に大切なメッセージだろうに」
 夢見屋は急に苛立った口調で言った。何か問題でもあるのだろうか。忘れてしまったのだから仕方がない。確かに夢を見た後は何かのメッセージかと頭を捻ったものだが。それに生まれ変われば、って何んだ?
「はいはい、忘れて申し訳ないですがね。次の夢、いい? これは自分で思うには多分戦国時代かなんか。城が落ちて幼い弟の手を引いて自害する場所を捜しているのね。小袖を着ていたからお姫様ではないみたい。でも自害しなくちゃならない立場らしくてね、掴まれば殺されるんだから。悲しみで胸が張り裂けそう、ってこういう事か、ってしみじみ実感させられる夢でね。年代的には六百年前になるのかな。関が原の戦いじゃなくて、もう少し前の群雄割拠の時代かなあ多分。その後自害したと思うけど。多分テレビで見た時代劇の影響だと思うけど、これもあんたの言う前世?」
「幼い弟、って言ったよね。弟は自分では自害出来ないだろうから、まずあなたが弟を殺したーー」
「そこまでは記憶、じゃなかった、夢は見てないけど。あれ、なに怒ってるんですか。たかが夢でしょうが、夢」
「夢、夢言わなくても分ってるって。でも弟にとっては姉に殺されたも同じだろ?」
 夢の中の昌美が弟殺しをしなくても弟は敵将に殺されている筈だ。掴まって逆さ磔の刑になるよりマシだろう。
 夢の中での弟殺しまで指摘しなくてもいいのではないか? それに明らかに口調変わっている。なに、この夢見屋。と言うか、太った猫みたいな男。感情移入し過ぎだ。
「で、三つ目の夢は?」
 太った猫が毛を逆立てている。猫に怒られるとは世も末だ。
「はいはい、弟殺して悪うございました。てか、死に場所を探してる夢なんだけど。三つ目はもっとあんたを怒らせる夢かもね。あたしの周りを刑事がこそこそ嗅ぎまわってるのよ。どうやらあたし、誰かを殺したらしいんだわ。と言うか、殺して埋めたのは自分でも分ってるんだけど、誰をどう殺したのか不明。刑事があちこち探り回っているのがはらはらどきどきものでね、本当に人を殺した人は毎日が世界最速ジェットコースターな日々なんじゃないかと思えるような。だから現実では絶対にあたしは殺人は出来ない。でもさ、毎日毎日殺人事件があって、人を殺す事に何の躊躇も感じない人もいるんだろうね」
 極めて道徳的かつ社会的発言をしたつもりなのだが、夢見屋は昌美を苛々した様子で睨み付けている。なんだ、この怒りモードに満ちた状況は。
 初めて会った男に睨まれる筋合いは、絶対ない。ただ夢の話をしただけだ。しかも夢見屋相手に。まさか輪廻転生の過程で本当に人を殺したなんて考えているのではないだろうか。
 それなら証拠を示せ、だ。証拠なんて都合良く出て来っこない。どこにも昌美の夢の客観的証人は存在しない。なぜならあくまで「私の夢」だからだ。

夢見屋の夢

 三つともアン・ハッピーな内容だが、物語性のない嫌な夢ならもっとある。真っ暗な空間でブランコを漕いでいて落下して行く夢。これはいつも冷や汗が出る程ぎよっとして目が覚める。
 怪獣らしき物に追い駆けられ、どこをどう逃げても怪獣が追い駆けて来て、あわや、のところでこれまた目が覚める。
 心理学的には「不安」を表すのではなかったか。まさか原始人時代にサーベルタイガーとかマンモスに襲われた、とか言うつもりだろうか。 ベタ過ぎて笑ってしまう。
「あのさ」という昌美の声と夢見屋の声が重なった。あ、お先にどうぞ。何か言ったら更に怒り増幅状態は避けたい。だいたいお怒りをかう原因が分らないでいるのだが。
「僕が夢見屋をしている理由、分る?」
「……」
 知りませんよ、そんなこと。趣味じゃないですか? 趣味で一日一人三千円、客が毎日二人来たとして2×3000で六千円、三十日で十八万円でしょう。元手なしで月十八万円稼げたらいい商売と言える。三人来れば二十七万円。いいじゃないですか。羨ましいです。
 中にはお茶を引く日もあるだろうけど、非正規雇用の事務員よりは稼いでいそうな気がする。そうだ、あんたはあたしよりはお金持ちの可能性がある。
 夢見屋商売で妻子を養っているとするなら心もとない額かも知れないが、それなら妻だってパートかなんかするだろう。この男の妻がスーパーのレジ打ちをしている姿が目に浮かんだ。
 いや待てよ、妻はどこぞの堅い会社の正規職員で定期収入があり、旦那の方が趣味で夢見屋をしている、とかもあり得る。そうならば客が来ても来なくてもいい、という恵まれた環境だ。定年もリストラもない。
 昌美がほんの数秒の間に目の前の男の収入を概算したのは大学生の夫の実家からの仕送りとバイト代がかなりの割合で生活費の足しになっているからだ。これがなくなると厳しい。だからと言って引き止める気は更々ないのだが。
 夢見屋の男は昌美の頭が一瞬であれ、どこか違う方へワープしているのを感じたようだ。
失礼にもチッと舌打ちが聞えた。
「なに考えてんだか知らないけど、僕が夢見屋を始めたのは食うためだけじゃない。ここで会ったが百年目、って言葉知ってる? その百年目を待ってたってわけ。時代劇の仇討ちの科白みたいだけど、百年どころか、いや六百年、あんたに会える日を待っていたからだよって、言っている意味分かる?」
 はあ? 六百年……。
「六百年というと、あたしが弟と自害した夢を見た頃だよね。それがあんたに関係あるの?」
「大いにあるね」と夢見屋。
「ワン・ツー・スリー揃っちゃったんだから」
「ワン・ツー・スリー?」確かに三つ話したが。
 夢見屋はすっと手を伸ばすと机越しに昌美の腕を掴んだ。
 この状況は何だ。いきなり初対面の、しかも女子の腕を掴むとは。ひょっとしてナンパ? それにしては容赦のない握り方だ。さっきの言葉ではないが、まさに「ここで会ったが百年目」の宿敵を捕まえたような。
「ちょっと、客の腕を掴むのやめてくれない。これでも一応は女子だからセクハラじゃない。離さないなら110に電話するかもよ」
 片手でポケットの中の携帯に触れた。
「まあ、僕の話を聞いてよ」夢見屋は握力を弱めたが腕を離さない。
「僕の話聞いてよ、ってあたしは客よ。何であんたの話を聞かなきゃいけないのよ」
「何でか。それは僕があんたの弟だったから」
 弟だったから。なに、それ? 昌美は夢見屋の握力が弱くなったのをこれ幸いと腕を引き抜いた。
「弟? 言っちゃ悪いけど自害する予定の時の弟はまだ幼かった。今のあんたが幾つか知らないけど、あたしよりは年上でしょうが。年上の弟なんて有り得ないでしょうよ」
「そういう年齢上の齟齬は関係ないの。あんたより先に死んだんだしね」
「………」
 開いた口が塞がらないとはこのことか。
「これがOne。次に時代は大正。あんたは僕を殺して埋めた」
「ちょい、待ち。その時あたしは女だったの、それとも男?」
「男か女かも覚えてないのかね? 考えてみれば分かるじゃないか。ひと一人を埋めるには女の力じゃ無理だからね」
「共犯者がいた、とか」
「いや、あんた一人だった」
「じゃ、ど、動機はなにさ。まさかサイコパスなんて言わないよね?」
「サイコパスじゃないけど、酒乱だったな。いつも酒臭かった」
「あたし、全然お酒飲めないけど」
「それは関係ないね。その時は酒乱だった。
それでカフェの女給を誘い出して殺して埋めた。遺体は未だに見つかっていない。所謂死体なき殺人ってやつだから刑事があんたの動行を窺うわけだよね」
「だ、だから動機は?」
「さあ、殺された本人には分からないことだよ。あんたなら知ってるだろう? これがTwo」
 と言われても知っているわけがない。夢の中では殺した事実だけは厳然としてそこにあるが、誰を何で殺したか、凶器だって思い出せない。だって、夢だもの、夢。
 えーっと、そのカフェの女給さんに惚れていたけど拒否されたから、とか? お金目当てとか暴行目当てではないような気がする。ただし、相手は昌美にとって死んでくれた方が有り難い人物で、彼だか彼女だかが消えてくれるのを願っていたフシはある。
「その次は太平洋戦争中。僕はバンザイクリフで投身自殺した。その時あんたにメッセージを残した。でも生き残ったあんたはそれを忘れた。とっても大事なことだったのに。だから僕は未だに海へ落下し続けている。これがThree。ね、あんたは充分悪いやつだろう。そう思わない?」

夢の中の転生

 夢見屋は自分の座っているパイプ椅子を後ろにずらした。行灯の明かりが届かずどんな表情をしているのかも分らない。演出過剰としか思えない。この、化け猫が。
「例えば白馬の王子様と結ばれる夢を見る、って言えばその王子様は前世のあんた? それとも白馬? 棚からぼた餅が落ちて来たらあんたはぼた餅? それとも棚? あんたの言っていることはみーんな後付解釈じゃない。
来る人来る人全員にそんなこと言ってるんでしょ」
「口の減らない人だなあ」夢見屋が暗闇からぼそっと言った。
「最初に言ったでしょ、僕の夢は非業の死を遂げる夢だって。城から逃げ出した姉に短刀で胸を突かれる夢、首を絞められてまだ息があるのに湿った土に埋められる夢、バンザイクリフで僕を見ていた女の夢。ただの一度も白馬の王子様になった夢はないよ」
「ま、まあ、あんたの容貌からすると白馬の王子は無理だろうけど」
「それ、皮肉のつもりかも知れないけど、容貌や性別なんて転生する時には変わっているもんだよ。ただ背負っているものはいつまでも付いてくるけど。それと雰囲気みたいなものもね。魂の雰囲気とでも言えばいいかな」
 生憎魂の雰囲気など昌美はこれっぽっちも感じないのだが。
「僕が夢見屋なんて始めたのは僕自身が繰り返して見る夢の原因を知りたかったからさ。その辺を歩いている一人一人追い掛けて行って話を聞いて歩くより蜘蛛みたいに網を張って待っていた方が効率がいいからね。これでも夢見を始めて十年になる。十年目の今晩、やっと悪夢の相手を見つけた。ここで会ったが百年目、って言いたくなる気持、あんたにだって分かるだろう?」
 分かるだろと言われても後出しじゃんけんではないか、という疑問は解決していない。予め三つの夢の内容を書き留めてあるなら少しは信じてあげるかも知れない。証拠を出せ、証拠を、だ。
「証拠を見せろ、って感じの顔だね」
 夢見屋は誰が見ても不満顔の昌美に数冊ある大学ノートの一冊を投げて寄越した。

再会

「ノートの一番始めのページを見てくれよ。そこに僕の夢が書いてある。あ、他のページは開くなよ。後は今までのお客さんの夢の話を書きとめてあるからさ。覗いたらプライバシーの侵害になるよ」
 プライバシーの侵害と言われても昌美には特定の仕様がないではないか。もう、腹の立つ。
 昌美は嫌味たらしく大学ノートを後ろの方からぱらぱらと捲り、最初のページまで辿り着いた。ノートはおおかた埋まっているが、並んでいるのは単語ばかりだ。
 ちらっと見えた文字は「トンネル」「河」「お花畑」———。この相談者は臨死体験でもしたのか、な単語だ。こんな夢を何回も見るなら、誰かに相談したくなる気持も分かる。
 「好物件」「引越し」「幽霊」「繰り返し」、これはTVの心霊特番か。好物件だと思って引越したら訳有り物件だった。で、また引っ越したらそこも幽霊付き物件でと、とことん賃貸物件に運がない夢だ。どこにも居場所がない、と感じている人の夢か。
 夢見屋の字は国語教師の字のように端正だった。他の学校の国語教師の字を見たことはないが、国語教師たるもの、ミミズののたくり文字を板書きしていたら恥だろう。
「へえ、字、綺麗じゃん」と一応褒めておく。
 そして問題の一頁目。「落城」「自害」「姉」の文字。次に「殺される」「埋められる」「発見されず」。その次は「サイパン・バンザイクリフ」「投身自殺」「見ていた女」とある。
 書かれた日付は十年前だ。これだけ見るとミステリー小説のアイデアを書き出したみたいだが、昌美の夢と妙に附合している。
「ははあ、成る程ね。でも、六百年前からいきなり大正になって、それから太平洋戦争までがやけに短くない? これだとお互い短命で、しかもあっという間に転生してることになるじゃない。何だかおかしくない?」
「転生の法則があるとしても、それは僕には知り得ないことだな」
 それはご尤も。昌美だって知らない。
 大体、夢が附合しているから何だ。偶然という言葉だってある。いい加減頭が痛くなって来た。閑談に持ち込んでもいい頃だ。
「ちょっと聞いていいかな。あんた、お嫁さんいるの? いてもおかしくない歳だよね」
「嫁、いるよ」と夢見屋が暗がりからまた猫顔を現した。
「子供もいるし。この近くのマンションで暮してんの。マンションと言っても2Kのちっちゃいマンションだけど。子供はまだ保育園だから、朝送って行くのは僕の役目」
 家庭生活円満の口調だ。こういう小さな幸せ家族の話を聞くといつもいらいらする。孤児の僻みと言うなら言え、だ。
 家庭崩壊しろ。子供、死ね。昌美は密かに呪った。何だかこいつが普通の家庭生活を送るのが許せないような気がする。
「そういうあんたは?」と夢見屋。
「一人だけど。両親もいないし」
 この際、現在赤の他人化してフェイドアウトしつつある夫は既に亡き人と同じだ。最初から存在しないし、今後も霞以下だ。まさか次の世で会うことはあるまいし、会うことなど望まない。
「両親がいない。それはちょっと複雑だな。ある日天から落ちて来たのか?」
「親がいる方が複雑でしょうが。どうでもいいけど、軽口叩くの止めてくれない」
「いや、あんたならそれもアリかなと思ってさ。悪い意味で浮世離れしてるから」
 悪い意味で浮世離れーーだと?
 昌美は自分が映画の中の超能力者でないことを痛切に残念に思った。超能力があればたった今、この男を空気のない宇宙空間に飛ばしてやるのに。
「あんたはこの先、ずっと一人だろうね」
「言われなくても他の占い師にそう言われておりますよ。一匹狼だって」
「狼? そんな聞こえのいいものじゃないよ。この世でも次の世でもずっと孤独で寂しい人生を送る、ってこと。いや、お願いだからそうして欲しい。間違っても金輪際、次の世で僕の前に現われないで欲しいんだ」
 何て毒々しい言い草だろう。それはこっちの科白だ。三十過ぎの妻子持ちの男がまだ二十歳になったばかりの女子に言う科白ではない。絶対ない。ポーカーフェイスのまま昌美は心の中でこのクソ偏執男、と罵声を浴びせた。
「お願いされる謂れはないんじゃない。そっちこそ何で弟なんかに生まれた? 何で女給なんかに生まれた? 何でバンザイクリフとやらでメッセージなんか送った? みーんなあんたの意志じゃない。いや、意志じゃなくて偶然かも知れないけど、何であたしの運命に絡んで来たのよ。そっちの勝手でしょ。過去はもう変えられないよ。あんたこそ次の世であたしに絡まないでよ」
 言っているうちに昌美は馬鹿馬鹿しくなって来た。たかが夢、夢占いのためにどうしてこんなに熱くならなくてはならないのか。
「おっ、そう来たか。多分そう言うだろうとは思ってたけど、予想通りで笑える。ただ、目の前に現われたのが小娘だったのが意外だったけどね。四十過ぎの草臥れたオバサンかな、と予想してたんだけど。いや、斬新だ。あんたはいつも僕の意表を突くな」
 夢見屋は可笑しそうに笑った。
 絶対、可笑しくない無理矢理の笑いだ、と昌美は思った。初対面の相手にこれだけ嫌われるのはどうしたって納得がいかないし、占い如きで不愉快になったのも初めてだ。
「念願の宿敵にも会えたことだし、今晩はもうこれにて閉店。お互い、二度と会いたくないって結論も出たことだしね。約束はちゃんと守ってよーー姉上」
「妾腹のくせに姉上って言うな、孫一!」と昌美は鋭く返した。
 夢見屋が見料三千円を受け取る手を止めた。あらら、たまたま思いついたことを言ってみただけなのにひょっとして、まさかのビンゴ?             

(了)

                 


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