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中編ファンタジー 【ドードー鳥、見つけた】(4)

阿佐野桂子




溺れるドードー鳥

 もし運良くオオウミガラスが通り掛からなかったら、ドードー鳥は永久に海の底で自分の愚かさ加減を反省する破目になっていただろう。魚が跳ねたのはオオウミガラスとステラーカイギュウがこの海域を通行中だったからだ。
「まさか海の中であんたに会うとはね」
 とオオウミガラスが軽口を叩いたが、助け上げられたドードー鳥は砂浜に寝かされて虫の息で、軽口に返事をするどころではなかった。たっぷり海水を飲んだので怒ったフグのように脹れている。
「まず海水を吐かせて」
 ステラーカイギュウが落ち着いた声で指示を与えた。
「そうそう、それから体を擦って温めてやるんじゃ」
 言われてオーロックスとリョコウバトが一生懸命にドードー鳥の体を擦った。リョコウバトは大粒の涙をこぼしている。なに、気絶しているけど大丈夫さ、とオオウミガラスが請合った。
 心臓は元気に動いているし、呼吸も段々楽になって来ている。溺れていたのはほんのちょっとの間だ。オオウミガラスがすぐ傍まで来ていたので命拾いした。
「やっぱり泳ぐのは無理なんだねえ……」
 オオウミガラスが呟いた。ぐったりしているドードー鳥を見れば、どう考えたって無理だと分る。やっぱりねえ、とまた言いかけたが止めた。
 今それを言うのは酷だと気が付いた。オーロックスの目がそれ以上言わないで、と彼に訴えていた。龍はまだ前足を広げ、腰を屈めたまま海の中に立ち竦んでいる。
「心配しなさんな、マーサ、それにオーロックスも。いつも冷静なお前さんまでがうろたえ騒げばマーサが余計泣きますぞ」
 ステラーカイギュウがオーロックスに声を掛けた。確かにもう心配はいらないようだ。ドードー鳥の胸に耳を当てて力強い心臓の鼓動を確認したオーロックスはかすかに笑みを浮かべて頷き返した。
 愁嘆場の苦手なオオウミガラスは二、三歩下がってから体を起こした。化石化したように動かない龍の目玉にちらっと視線を走らせた。
 泳ぎを教える役目が自分でなくて本当に良かった、と思った。助け出す立場だったら冷静でいられるが、これが教える側で、しかも溺れさせてしまったなら慌てふためいてとても冷静ではいられなかっただろう。
 ステーラーカイギュウの言う通り、間もなくドードー鳥はぱっちり目を開けてリョコウバトを喜ばせた。オーロックスもこれで一安心だ。
「やっと気が付きましたな。ほれご覧、心配いらないと言ったじゃろう。オオウミガラスが素早く行動してくれましたからな。なに、恥ずかしい? こんなときには恥ずかしいも何もないものですぞ」
 とは言うもののやっぱり恥ずかしいから跳び起きようとして、オーロックスに前足に押し止められた。ぴったり寄り添ってくれているリョコウバトの体は温かく、ステラーカイギュウの太い声は優しかった。
 こういう時は一層甘えたくなるものだ。ドードー鳥はまたぐったりして自分より小さいリョコウバトの体にもたれ掛かった。
 泳ぐのは諦めよう、と思った。欲張っても碌なことはない。飛べるようになるだけで充分だ。波の音が聞こえたが、今度は誘う声には聞えなかった。
 おっほん、とステラーカイギュウが咳払いをした。お説教かしらん、と思ってドードー鳥は身を竦めた。泳ぐのは諦めたのにまたお説教を聴かされるとなると益々辛い。辛いけれど愚かなことをしたのは自分だから、と覚悟を決めたが、どうやらステラーカイギュウは分ってくれているみたいだった。
「まあ、そのまま、寝たままで聞いておくれ。ほらほら、そんな風に目をしょぼしょぼしなさるな。泳ごうたって泳げないのは自分が一番良く分かっただろうからとやかく言うつもりはないのさ、そうじゃろう? オオウミガラスから話は聞いている。あんたは島の外に随分と興味がおありのようじゃから、ひとつその話をしようと思うのさ」
 ドードー鳥が急いで首を縦に振ったのでステラーカイギュウは皺だらけの体に更に皺を寄せて頷いた。
 波打ち際まで乗り上げた彼はとてつもなく大きな芋虫みたいに見える。胴回りの一番太い所は六m、体長は十mという芋虫だ。
 絶滅したのは公式には一七六八年、ダーウィンが『種の起源』を発表し、生命は皆もともとは兄弟なのだ、と教えてくれた約百年も前にこの世界から姿を消してしまった海獣だ。これが夜目遠目で人間には人魚に見えたらしい。
 彼の話はドードー鳥の好奇心を大いに満足させるものだった。島から外に向かう潮流が確かに存在する。彼は外海を回遊し、その結果情報を得ている。
「もしかしてわしの仲間が生き残ってやしないかと……。ごくたまにそんな噂が出るので行ってみるんじゃが、なに、いつも空しい夢さ」
 ステラーカイギュウは自嘲気味に鼻を鳴らした。彼のように体の大きな生き物が人目につかずに暮して行ける筈がないのだから、生き残っているならとうに巡り会っているだろう。
 巡り会えぬのは生存していないからだ、とステラーカイギュウにも分っている。もしかして、と信じる。いや、信じたい気持だけが彼を外界へと駆り立てている。厳しい北の海だからこそまだ人の目を逃れてひっそりと生き延びているのではないか。
「うろうろした挙句、かえって漁船に銛でも打ち込まれたら大変だ、止めた方がいい、と彼は言ってくれるんじゃがね」
 ステラーカイギュウが鼻面をオオウミガラスに向けた。
「そうですよ、標本にされるのがオチです」
 オオウミガラスが無表情で答えた。
 それはそうだけど、何か冷たいな、とドードー鳥は思った。オオウミガラスときたら、はっきりし過ぎて身も蓋もないことを言う。しかし大方の意見は言葉の違いこそあれ、彼と同じだ。
 まず捕獲して殺し、それから世紀の大発見だ、と叫ぶのが人間というものだ。解剖して分類した上でないと納得しない。そんな所へのこのこ出て行くのは狂気の沙汰だ、というのがオオウミガラスの意見だ。
「海は変わった……」
 ステラーカイギュウは体が萎んでしまうくらいの大きな溜息をついた。海も陸も空も変わってしまったのだ。何もかもが、だ。
「どんな風に変ってしまったのでしょうか?」
 オーロックスがドードー鳥に代って尋ねてくれた。もじもじと尻尾を動かしていたのが分ったらしい。それに彼女だって知りたいと思う。
 百年、二百年経てばどんな所も少しは変化する。自然は生きているのだから、湖であった所が湖でなくなり、川は流れを変え、山さえ時には姿を変える。
 変化はごく当たり前のことだ。これに対処出来なかった者は暫時滅びて行くだろう。遥か昔から生き物達は少しずつ変って行く自然を受け入れて来た。
 自然と共に変化し、乗り遅れたならば新しい種族に席を譲って来た。変化は即ち地球上に生きる者達の宿命でもある。しかしステラーカイギュウの重々しい溜息はもっと悪い変化を暗示している。
「わしなぞもう古いのかも知れんが……」
 ステラーカイギュウは小さな目を細くした。申し訳程度の目は巨大の皺に埋もれて一つの点みたいに見えた。
「人間の話では、陸というものもじっとしていないそうで、一年に何㎜とか何㎝とか動いておるそうじゃよ。元は一つの大きな陸だったのが少しずつ離れ、ある所ではぶつかり重なり合って、今わし等の知っているような形の陸地になったと言うんじゃな。まあ、それも気が遠くなる程の時間が掛かっているんじゃから、ほれ、たった今足の下が動いたように目を回さんでもよろしい」
 ドードー鳥もオーロックスも少なからずほっと胸を撫で下ろした。自分達の寿命を遥かに越えた時間の単位で起こることなのだ。
「それはまあいいとして、問題はここ百年くらいのことじゃよ」
 まず海に鉤って言えば、とステラーカイギュウは言葉を続けた。海の汚いことと言ったら、これはもう気持が悪くなる。突然海が黒く臭くなり、べったりと体に貼り付いて来る。辺り一面魚の死骸だ。運悪く着水した水鳥は飛び立てない。
 底に潜ると今迄見たこともないようなおかしな物が沢山投げ捨てられていて、近付くと吐き気がすることすらある。それらは人間の作ったものの残骸だ。
 陸に近い海は特に汚れている。魚さえ棲んでいない。いたとしても背骨の曲がったやつ、目のないやつ、頭が二つあるやつ。これは魚と呼べるのだろうか。お化けヒトデが這い回る泥の海。陸はまるで野火の燃え盛った後のようだ。赤い土と灰色の空、そして酸っぱい空気。
「わしはもう年なのだろうよ。そういうものには耐えられんのじゃ」
 ステラーカイギュウは繰り返した。変化のスピードについて行けない。体が悲鳴を上げる。何とかついて行こうとすれば生き物達はどんどん醜くなる。
「しかし醜いと思うのはわしの偏見かも知れんと思う。頭が二つの魚の方が多くなればそっとの方が正統で、一つの頭の魚の方が醜いと言われるかも知れんからね」
「それは違いますよ」
 ステラーカイギュウの重々しい諦観にオオウミガラスが口を挟んだ。
「自然のすることと、人間のすることをごっちゃにしてはいけませんよ」
 どうやらドードー鳥そっちのけの議論が始まったようだ。オーロックスもリョコウバトも、勿論喜んで聞き役に回った。
「第一に、自然は、多分なんの考えもないのでしょうけど、少なくとも自分のしたことの後始末くらいはきちんとしますよ」
 オオウミガラスが利口そうな目を輝かせて言った。自然は清潔好きで無駄を嫌う。そこに生きている者達も綺麗好きだ・贅沢はしないし、すべてが巡り巡って無駄がない。
「第二に、自然はのんびり屋です。決して急ぎませんよ」
 地球に生命が誕生する以前、そして以後の気の遠くなる程の歳月を思えば、自然は呆れるくらい気が長い。
「第三にはね、これは私の考えだけど、自然は多分多様性を好むのだと思うのですよ」
 結果論かも知れないが、とオオウミガラスは付け加えた。いつもドードー鳥と喋っている時とは顔つきばかりか口調まで違っている。
「ははあ、それで、おまえさんは人間をどう思っているのかね」
 ステラーカイギュウが尋ねた。
「まずですね、人間は後始末をしませんね」
 オオウミガラスの言い分では、人間は先の事を考えもせずに行動して、行動の後に出た拙い物、汚い物はみな垂れ流しにする。
 海に捨てたり土の中に埋めてみたりするが、人間が作った自然でない物は自然の中でも異物だから消化出来ない。また欲張りだから無駄が多い。多過ぎる無駄は自然の自浄作用をもってしても片付けられない。
「それに欲張りの上に短気だから、あっと言う間に山を削り海を埋め立ててしまいますよ。そこに棲んでいた生き物達はどこへ行ったらいいのでしょう。そう簡単に住み替え出来るものではありません。どこもかしこも人間の棲家で、あっちへ行け、と言われても行くところなんぞありはしませんよ。で考えたのだけど、人間は自分達だけ良ければいいと思っているのだ、とね。他の生き物達を、多分嫌いなんですよ。自分達の食糧になる数種の魚、獣、草さえあれば、他の生き物がどうなろうと考えてはいないんです。合成の食糧だけでやって行けるようになれば、それさえ必要としなくなるでしょう」
「そうかも知れんな」
 ステラーカイギュウが頷いた。ドードー鳥も同じ意見だ。人間が他の生き物達のことを考えるのは、自分達にとって有用か無用かでしかないように思う。
 人間にとっては人間以外の生き物達は人間に奉仕する為に存在している。食糧としてでなければ彼等の目や耳を楽しませる為、即ち愛玩用だ。
「そんなお話、聞いたことがあるわ。人間を造った者がこう言うの。彼等に海の魚と天の飛ぶ生き物と家畜と地の上を動くあらゆる生き物を服従させよう……だったかしら」
 リョコウバトは人間の大人が人間の子供にそう話して聞かせていたのを思い出した。動物園の檻の中で色々な事を学んだのだ。
「人間を造ったもの、じゃと?」
 とステラーカイギュウ。
「ええ、カミサマって言うのよ、多分」
 リョコウバトは自信なさそうに答えた。人間の会話で頻繁に登場するのがカミサマだが、今ひとつはっきりしない存在なのだ。
 カミサマだって? ドードー鳥はびっくりした。神様って、龍じゃなかったのかしらん。龍が人間を造ったのだろうか。いや、待てよ。何だか頭が混乱して来た。
「そのカミサマというのは、自然の学名かなんか?」
 オオウミガラスが興味を轢かれて尋ねた。ドードー鳥だってラプト・ククラトゥスという学名が付いているから、それとおなじものと思ったのだ。
 リョコウバトはちょっと考えていたが、学名ではないようだ、と答えた。そもそも別個の物で、自然もカミサマが造ったのだ。オオウミガラスはたちまち興味を失ったようだ。彼にとっては人間の都合で考え出されたとしか思えない物には関心がない。
「さて、人間と自然はこんなにも性質の違う物なのですよ」
 オオウミガラスは話を続けた。
「人間が自然を壊す。それを自然が繕って行く。始めの頃はまだ自然の力の方が勝っていたかも知れません。しかし段々人間の破壊力の方が大きくなる。自然には有り得ない物まで作るのだから、とうてい自然の手に負えなくなるのですよ。その自然の繕いから漏れてしまったのが奇形の魚達なのだと私は思います。総て人間がやったことなのですよ。そしてね、醜い者はやっぱり醜いのです。あなたの偏見なんかじゃありませんよ。頭が二つある方がおかしいんです」
「人間と自然は対立するものだ、とあんたは言っておるようじゃが、人間とて自然の中で暮しておるし、それに、カミサマとやらが特別に造ったのではなくて、わし等と同じ先祖から出た生き物だと言う話もあるぞ。ここ二百年くらいの間に出て来た話じゃがね。もしそうであれば、奴等とて自然と対立しては生きていられまい?」
「ええ、多分ね」
 皮肉な口振りでオオウミガラスが答えた。
「でも彼等は強かですから生き延びるかも知れませんね。姿形を変えて」
「どんな形じゃね?」
「そうですね、やっぱり頭が二つになったり手足がなくなったり、背骨が曲がったりするのでしょうか。ああ、そう言えば人間の究極の願望は脳だけ永遠に生き続けることらしいですよ」
 オオウミガラスはどこか楽しげだった。外観は変らなくても体の中が変るかも知れない。例えば深刻な病気を抱える、遺伝子の欠損、不妊……。
「奇形のお魚を醜いと言うのは可哀そうだわ。そんなの、差別よ」
 リョコウバトが抗議した。多分奇形の魚自身不便を感じているだろうし、好きでなった訳ではない。
 正常と異常はパーセンテージの問題だ。いつでも逆転の可能性をはらんでいる。しかもオオウミガラスが言ったように自然が多様性を好み変化を容認するなら異常な生き物は有り得ないではないか。
「そういう方向へ持って行かれると困るな」
 涙ぐんでいるリョコウバトに対してオオウミガラスは飽くまで冷静に言った。
「じゃあ醜いと言う言い方は撤回するよ。差別するつもりじゃないのだからね。でも君、小さい所ばかり突いてそれで終ってしまうよ。もっと大事なことを考えて欲しいんだ。つまり、そういう異常な生き物が生まれて来るようになった原因の方なんだ」
 現に存在する生き物達が未来では異常と呼ばれるかも知れない、その可能性は充分あるようだが、とオオウミガラスは付け加えるのも忘れなかった。
 生き物達は汚い空、汚い海、汚い陸では生きていられない。それとも生きて行けるのか。汚い自然に適合した生き物だけが萎びた地球の上で行き続けるのだろうか。オオウミガラスにとっては最大の疑問だった。
「マーサは気持の優しい子じゃ。奇形だから、醜いからといって爪弾きされたら可哀そうだと思ったのじゃよ」
 ステラーカイギュウが執り成した。
「しかしね、マーサ、生まれて初めて二つの頭だの背骨の曲がった魚だのを見た時、わしは心底ぎょっとした。ずっとそんな魚を見て育ったのなら特別驚きもせんだろうが、なにしろわしは年寄りじゃ。頭も古い。魚の頭は一つで背骨は真っ直ぐだと思い込んでいたのじゃよ。だからやつ等を見てぎょっとする気持を抑えられないし、恐ろしい事が起きていると思ってしまうんじゃよ」
「それが正しい感じ方ですよ。私だって頭を二つも持ちたくないですしね」
 オオウミガラスが頷いてみせた。
「同情するのはいいけど、問題から目を逸らしてはいけないんです」
 いったい何が問題なのだろう。ドードー鳥には皆目見当がつかなかった。リョコウバトとて同じだ。上目使いになったまま黙り込んでしまった。
 それはつまり地球の汚染なのだ、とステラーカイギュウが言った。代わったのは良い方向ではなく、悪い方向なのだ。
「死の海……、さて、どんな海を思い浮かべるかね?」
「生き物のいない海、生き物の棲めない海?」
 ドードー鳥が代表で答えた。
「左様、さっきオオウミガラスが言っていた自浄作用を失ってしまった海じゃよ。では、死の空、死の陸とは?」
 答える気になれなかった。スタラーカイギュウは海も空も陸も死んでしまったと言いたいのだろうか。
「死とはこの世から消えてなくなる、それだけじゃ。しかし死よりもっと悪い物がある。数十年、数百年、数億年かかっても消えてなくならない邪悪な物が今、増えているのじゃよ。生命にとってもっとも危険で避けなくてはならない物じゃ。色もなく、味もなく、臭いもなく、形もない。そのくせ手を触れれば即座に命を失う。ほんの短い時間遠くで眺めているだけで体の中に入り込んで来て、じわじわと命を奪っていくのじゃ。即死した方がずっと幸せだったと思うような酷い死に方をするんじゃよ。それが今、地球のあちこちで増殖を開始しているという訳さ」
「しかもその元凶は人間ですよ」
 と、オオウミガラス。常日頃人間の目付きは邪視だと言っているくらいだから、実も蓋もない言い方をする。
 彼自身は島の外に行く気がないからステラーカイギュウの話から想像しているだけなのだが、自分の目で確かめなくてもそれくらいは分っている。
 増殖しつつあるのは棍棒や鉄砲よりずっと恐ろしい物だった。地球上の生き物を殺そうと思えば瞬時に全滅させられるし、やり方次第ではさんざんな苦しみの末にじわじわと死に至らせる芸当も出来る。目に見えないから襲われる側は無防備だし、防ぐ術がない。塵のようにどこへでも入り込んで体に異変を起こさせる。
「そいつらには名前が付いておってな。多追えばヨウ素一三一、これは甲状腺とやらに居座って八日経つと半分になる。短い方じゃな。ウラン二三三、肺に十六万二千年、これも半分になる年月じゃよ。プルトニウム二三九、卵巣に二万四千年、ご同様にやっとこれだけ掛かって半分に減るのじゃ。こんなのがかれこれ二百もあって体の中に居座る訳で、しかも呑気に昼寝を決め込んでいるのではない。寄生虫でもわしらは死ぬが、それよりももっと悪い。ドードー鳥さんや、あんたならこいつらを何と呼ぶかね?」

泳ぐのを諦めたが飛ぶのを諦めた訳ではない

 ドードー鳥は答えられなかった。棲家に戻ってからステラーカイギュウの言ったことを思い出しながら考えてみたのだが、やっぱり同じだ。見たことも聞いたこともない相手だ。
 他にコバルトだのセシウムだの、ウラン二三三だのラドン二二二だの呼ばれる仲間がいるらしい。まるで大昔に滅びた恐竜の名前だ。確か恐竜は何とかドンとかザウルスとか呼ばれている。
 恐竜という名からは体が大きくて凶暴なイメージしか浮かばないが、小さな気の弱いやつもいただろう。固茹で卵くらいの魂だって持っているだろう、とドードー鳥は想像する。
 ところがウランとかラドンとかは魂を持っていない。彼等は育てるのではなく制御するのだ。魂と持たぬ物を扱うには扱う側の魂が大切なのだ。
「人間の魂をどう思うかね?」
 これがステラーカイギュウの第二の質問だった。賢いオオウミガラスなら何と言うだろう。ドードー鳥の単純な頭では人間の魂何て分らなかった。
 これら二百もの放射性物質を管理することは重大な知識と労力と細心の注意が必要だ。万に一つのミスも許されない。もし一旦逃げ出された場合には呼び戻す手段がないからだ。
 死にたくなかったら息をせず、食物もとらずに地下深く身を潜めていることだ。但し、一代の寿命から比べれば永久と言って良いくらいの時間潜んでいる必要がある。地球の寿命と、潜んでいなければならない年月を秤に掛ける愚か者がいるだろうか。
 愚か者は悔いることが出来る。永久に後悔していられる。しかしたまたま愚か者と同じ時を生きて巻き添えを食った他の生き物達には何があるのだろう。愚か者を恨むしかない、では不運過ぎる。
 となれば人間が失策する前に他の生き物達は絶滅してしまった方が余程幸せだ。生き物達は不満で一杯だ。自分が生きている時代を最低だと言うのが癪だ。しかしそういった主観を抜いてもまだ有り余るほど、今は最悪の時なのだ、とステラーカイギュウは言ったように思う。
 そう言った時の彼は、博物館の隅で埃を被っている剥製みたいに空虚な目をしていた。やっぱり昔は良かった、それに比べたら今は、と若者相手にぼやく以上のものがあった。
 人間がそれ程まで、危険を犯してまで手に入れたいのはエネルギーだ。彼等が競って燃やし続けた石炭や石油は大気を汚している。立ち上がって手を伸ばせば取れる物まで自分で取ろうとしなくなったからだ。
 過食して動かなくなった人間は太り、太ると格好が悪いから他の力を借りて痩せようとする。自分で立ち上がって手を伸ばさない為に、他の所で二倍三倍のエネルギーが必要になるのだ。
 人間の世界は今や何でも電気で動く。犬だって電気で動くのだ。死んだら、それは電池が切れたからで、電池を入れ替えればまた動き出す。食べ物だって電気の通った箱から出て来る。
 大切な電気を作るのが発電所と呼ばれる建物だ。水を利用した水力発電や石炭を燃やす火力発電所はもう古くて力がないということにして、代って登場したのが新しい発電所、即ち二百種類もの目に見えない恐竜を生み出す所だ。
「世界中どこでも、いや、今のところは主に北半球に集中しておるようじゃが、こいつは水がないと話しにならんので海岸線や河岸に沿って並んでおる。危険はないというのが建前だからどこにあってもいいようなものの、どうも人間の少ない所を狙って建てられておるようじゃの。さて、そこさ、奇妙な魚達が棲んでいるというのは。魚だけじゃない、陸には普通の何倍もの大きさの葉をしたタンポポや、蕾の中にまた蕾のあるようなバラが咲いているそうじゃ。何とまあ、不吉で呪われた場所じゃろう! わしらはとっくの昔に死んでしまったのだから今更害も受けないだろうが、そうだとしても近付くのは御免じゃな」
 ステラーカイギュウは最後にそう言って恐ろしそうに身を竦めた。
 人間がどんな目に遭おうと、それを選択した人間の責任であり、好んで招いた結果だから死ぬなり病気になるがよい。スタラーカイギュウが悲憤慷慨するのはその他の生き物達の運命についてなのだ。
 ドードー鳥は正直言って彼の話の半分も理解出来なかった。多分恐竜よりは少しましな生卵頭だが、ちょっとした衝撃で割れてしまうし、容量に限りがある。難しいことは全部抜けてしまった。
「何だか良く分らないけど、でも怖いお話ね」
 リョコウバトの正直な感想だ。ステラーカイギュウだって本当はそれ程正確に理解しているのか怪しいものだ。頭の良さだけならやはり人間が一番だろう。
 その人間が完全に理解していないことなどドードー鳥達に分る筈がない。分らぬ物は利用しない。分らぬ物を分らぬまま利用するのが人間だ。
 オーロックスの背中に乗って帰る途中も、棲家に戻って熱っぽい体を休めた時も、ドードー鳥の心の中を占めていたのは「世界は変わった」というステラーカイギュウの言葉だった。
 マスカリン諸島も変わってしまったのだろうか。緑の森は跡形もなく、地は荒れ、泥の海には二つ頭の魚が泳いでいるのだろうか。そんな馬鹿な、マスカリン諸島に限って、とドードー鳥は思った。
 彼の島はいつだって緑豊かな島、美しい楽園だ。朝には羽虫が飛び交う音、小鳥達の囀り、獣達の起き出す気配。オレンジ色の夕暮れ、煌く波。存在を脅かす天敵はいない。
 そして夜ともなれば夜行性の生き物達のひめやかな足音がする。この島、今彼が多くの絶滅した生き物達と共有しているこの島と同じ、平和で美しく、歌声に満ちた島である筈だ。
 それを、変ってしまった、と言うのだろうか。もう一度、たった一度でいい、再びマスカリン諸島をこの目でみたい。ドードー鳥の思いは一層強くなった。
 変ってしまったって? そんな馬鹿な。マスカリン諸島は変りっこないじゃないか。どうしてもこの目で確かめたい。
 しかし自分は泳げない。悔しいけどそれは実証済みだ。泳げなければ島から出るのは不可能だが、また波に攫われて死にそうになるのは真平御免だった。溺れるのは何て苦しいのだろう。思い出すだけで体がぞくぞくする。
 そくぞくしたついでに龍のことを思い出した。彼の存在をすっかり忘れてしまっていた。隠れようもない大きな体が渚に立ち尽くしていたのを覚えているが、それがいつの間にか消えてしまったのだ。
 あんな巨体が消える何て、どうなっているのだろう。走り去る足音も、翼が風を切る音もしなかった。土に潜ったのでは、と思ったが、龍が土に潜るとモグラと呼ばれて卑しまれる、だから土には潜らない、と言っていたから違うだろう。
 となると海だ。水蛇のように音も立てずにするすると泳いで行ったのだろうか。一声掛けてくれればいいのに、水臭いやつだ。
 ドードー鳥はくしゃんと音をたててくしゃみをした。透明な鼻水が飛び散った。やがてその鼻水は黄色い粘液状になり、どうやら本格的に風邪をひいてしまったようだ。
 鼻が詰まって域が苦しい。嘴を半開きにしたままぜえぜえと息をする。咽喉も痛いし頭全体が割れそうだ。関節が痛んで何をするにも億劫だ。つまり典型的な風邪の症状だ。
 ははあ、風邪だな、と納得していれば良いのだが、なにしろ今迄風邪をひいた経験がないのでこれは一大事と思う。
 思うから余計熱が上がる。潤んだ目で辺りを見回すと無数の粒子が振って来るのが見えた。アメーバーのようにくるくる移動している。
 目で追っていると気が遠くなりそうだ。急いで目を閉じると今度は体がすっと下に落ちて行く。落ちながら回っているのだ。どっちにしても気持が悪い。
 ドードー鳥が水死しそうになったという噂を聞きつけたクアッガとヒース・ヘンがさっそく覗きにやって来た。一つからかってやろうと思ったのだ。
 ドードー鳥は何をやってもドジで間抜けな鳥なのだ。泳ぐのに加えて飛ぶつもりでいるというのだから大笑いだ。
 と言う訳で半分にやにやしながらやって来たのだが、ドードー鳥はげっそりやつれて目もうつろ、マスカリン諸島が、と訳が分らぬうわ言を繰り返してした。
 あんまり苦しそうなので笑うのは不謹慎だ、とさすがのクアッガも気付いてオーロックスを呼びに走った。ヒース・ヘンはリョコウバトを連れて来る。三日三晩高熱が続いて大騒ぎになったが、その時も龍は現われなかった。いったい龍はどこへ消えてしまったのだろう。
「ねえ、ドラゴンはどうしてお見舞いに来ないのかしら?」
 竜を紳士だと表いるリョコウバトは彼が姿を見せないのが心外だった。
「だってもともとドードー鳥さんが風邪をひいたのはドラゴンのせいよ」
 言いたくないことまでつい口にしてしまう。それもこれもドードー鳥の症状が心配だからで、言わば八つ当たりだ。
「マーサ……」
 オーロックスが低い声で制した。ドードー鳥も辛いかも知れないが、龍も辛いだろうと思う。任せて下さい、と胸を叩いたのだ。それが自分自身の手で助けられなかった。
 偶然オオウミガラスとステラーカイギュウが通り掛からなかったらどうなっていたのか、考えるだけで冷や汗が出る。加えて病気だ。
 龍のしょんぼりした姿を思い出した。ステラーカイギュウの話も耳に入らぬかのように渚に立ち竦んでいた哀れな姿だ。だから来たくても来れないのだろう、と推察する。オーロックスはドードー鳥と同じくらい、いや、それ以上に龍が気掛かりだった。
 大汗をかき、体中の毒気が全部抜けてしまったように感じる頃、ドードー鳥はやっと寝床から起き上がった。くしゃんくしゃんとくしゃみをしてから何と五日目だった。
 少しふらつくけれど体が軽くなって当人はいい気分だ。リョコウバトとオーロックスの目の前を行ったり来たりしてみせて二匹を喜ばせた。
 泳ぐのは諦めたが飛ぶのまで諦めた訳ではないから、体が軽くなった分都合がいいかしらん、と呑気なことを考えている。その時点でも龍は行き方知れずだった。

ドードー鳥は死んだりはしない

 ドードー鳥が元気になったとなるとクアッガの関心もまた祭りの方に移ったようだ。
「よう、水鳥さん! うまく泳いでるかい?」
 などとからかいの言葉を掛けるのだが、当のドードー鳥が赤面してもじもじしている間にもうどこかへ駆けて行ってしまう。
「気にしちゃ駄目よ。何も考えていないくせに口だけは達者なんだから」
 とオーロックスが慰めてくれた。でもこれから先ずっと言われそうだ。
 草原を抜けるのに二日掛かった。オーロックスの足で二日だから、ドードー鳥が自分の足で歩いたら何日掛かることやら、だ。
 オーロックスの背中に乗って楽ちんを決め込んでいるのだが、お尻に背骨がごつごつ当って痛いしバランスを保つのが難しく、考えていたより結構大変だった。
 リョコウバトのように彼女の立派な角に止まっていられれば良いのだが、陸を歩く鳥の足は枝を握るのが不得手だ。なるべく面積の広い肩の部分に座って足を踏ん張っている。
「やっと草原を抜けたわね。ほら、道が段々登りになった。これからはずっと山道よ」
 成る程、今迄目の前にそびえていた山の全様が見えなくなったから、いよいよその山を登り始めたのだ。
 丈の高い草が姿を消し、丈の低い草と潅木が現われ始めた。空気がひんやりして来たし、空も見えなくなる。コホンと咳払いをしてみたが、響く割には遠くまで届かない感じだ。
 嵐や寿命で倒れた木の周りはそこだけぽっかり抜けて空が見え、幾条もの帯になった陽光が直接天から降り注いでいる。そのスッポット・ライトの中にまた新しい木が成長して来る。
「珍しい物ばかりでしょう?」
 オーロックスが声を掛けた。ドードー鳥は先程からずっと目をきょろきょろさせていた。
「こんな山の中まで来たのは初めてでしょうから、驚くのは無理ないわね。山の下と上では生えている木も違うし、住んでいる生き物も違うのよ。まるで別世界でしょう?」
「ええ、本当ですね」
 とドードー鳥は答えた。山の奥まで来ると花達もめっきり数が減って目立たぬ存在だ。そのくせ群生しているとはっとする程美しい。薄暗い森の中の白い花は光輝く蝶の羽根だ。紫色だって負けてはいない。これはたった一輪でも目を惹きつける。
「段々高くなるにつれて花や木の種類も変って行くのよ。だからね、反対に、生えている花や木の種類から自分がいる場所がどの辺りの高さか分るってことなの。そろそろ龍の棲んでいる沼の近くだと思うのだけど」
 あてもなくやって来たのではなく、龍を尋ねてやって来た。あれっきり龍は姿を現していない。
「きっと物凄く後悔していて出て来れないのだと思うわ。それじゃ可哀相じゃない? いっそこっちから迎えに行ってあげましょうよ」
 とオーロックスが心配し出し、ドードー鳥を誘って龍を迎えに来たところだ。
 ドードー鳥だって勿論龍に会いたくてたまらなかった。溺れたのは自分が悪いからで龍のせいなどではないのだ。謝るのは自分の方だ。
 オーロックスは梢の先で物珍しそうに見下ろしていた小鳥に龍の棲家を訪ねた。いたずらそうな活発な鳥だ。色は地味でじっとしていれば見過ごしてしまいそうだ。
「そこの木を左に行ったら今度は右に回って。ツタの沢山絡んだ木があるわ。その木から南の方を透かして見ると沼が見えるわよ。大きな緑色の沼だからすぐ分ると思うわ。ところであなた方、ここいらでは見掛けない方達ね。お名前は何て言うの?」
「私はオーロックス、ヨーロッパの森林に住んでいた野生のウシよ。こちらはドードー鳥、マスカリン諸島に住んでいたの。あなたと同じ仲間」
「ああ、あのドードー鳥ね」
 小鳥が意味有り気に頷いた。あの、なんて括弧付きで言われるとドードー鳥は顔から火が出そうだった。
「龍は今いるかしら?」
 オーロックスはそこだけ聞えぬ振りをして尋ねた。
「いるわよ。今もいるし、もうずっといるわ。潜ったまま出て来ないの。時々泡だけぷくぷく浮いて来るけど、あとはしんとしたきりよ。仲間外れにされていた時みたいに。せっかく仲間に入れたのに、どうしちゃたのかしらね。私が思うに」
「あ、どうもありがとう」
 オーロックスが慌てて礼を言った。喋り出したら止まらないような気がしたのだ。
 小鳥が見送る中を二匹は沼に向かった。教えてくれた通りの緑色の大きな沼だった。泡が間欠泉みたいに浮かんでいる。
 沼の回りにはシダの仲間が生い茂り、倒木が複雑に絡み合っていた。有史以来一度も水位の変化がないような静かで澱んだ水だ。臭いもどことなく生臭く感じられる。
 沼で溺れなくて良かったな、とドードー鳥は思った。こんな所に落ちたら体中が緑色に染まりそうだ。そうしたら今よりもっと格好悪いだろう。鳥達は四足獣よりすっと色彩感覚に優れているから、きっとあれこれ言うに決まっている。
 緑の沼に蛍光ピンク色の龍、これはなかなか珍妙だ。龍が想像上の生き物であるならば、彼の姿を想像した人間は随分と皮肉に満ちていたか、センスに欠けているかしたのだろう。もう少しましな想像をしてやるべきだった。
 最後の龍だからこそ畏敬と愛惜を込めて荘厳に飾り立て、この島に送ってやるべきだった。遊びに飽きたブリキの玩具を捨てるように捨ててはならなかった。
 しかしその龍も今は赤い龍だ。日向ぼっこの成果だ、とドードー鳥は信じていた。緑の黴だって消えたくらいだから、日向ぼっこは体にいいのだ。
 それなのにまた沼に潜りっ放しでは気の毒だった。もし怒っていて顔もみたくないのだとしたらどうしよう。ドードー鳥は不安になった。
 オーロックスは龍が後悔して出て来れないのだと思っているが、もしかしたらドードー鳥に腹を立てているのかも知れない。みっともないとか愚図だとか言われても我慢出来る。しかしお前なんか大嫌いだ、と言われたらどうしよう。泣くより他ないではないか。
 オーロックスが小さな白い花を千切って沼にそっと浮かべた。風が少しずつ花を沼の中心に運んで行った。そしてそれが約束であったかのように龍が沼の底から昇って来た。
 沼の水が音もなく二つに別れる先を見ると、何とまあ、赤い竜変じて焦げ茶の龍だ。それとももう一匹別の龍がいたのだろうか。
 鋭い鈍色の爪、煌く真珠色の歯、銀色に光る顎鬚。顎鬚なんて今までの龍にはなかった筈だ。唯一変らないのは金色の目だった。
「ドラゴン、迎えに来たわ。怒ってやしないわよね? ドードー鳥はそれを一番心配しているのよ。あなたに嫌われてしまったんじゃないかと。ねえ、ドラゴン、怒っていないと言ってあげてよ。そしてまた友達になってあげて」
 オーロックスは体色変化した龍を見て驚いたが、優しく声を掛けた。違う龍のようだが目を見れば分る。気が弱く、傷つきやすい心を映し出す目だ。
「ドラゴン、あの……」
 と言い掛けたドードー鳥の目の前に龍は前足を差し出した。握っているのは泥の塊だった。
「ドードー鳥さん……」
 龍は疲れ切った声で言った。ドードー鳥よりももっとげっそり痩せて声も震えていた。
「幾ら固く握り締めてもこの泥の塊は固まってくれないのです。昔のように力を取り戻してあなたを泳げるようにしてあげられたら、病気を治してあげたらと、私の腕が折れるくらい力一杯握り締めても、この憎たらしい泥の塊ときたら、金色の玉になってくれません……」
 龍は震え、空ろで悲しそうだった。前足の中の泥の塊はその間にも指の間から流れ落ちていた。
「ドードー鳥さん、ああ、私はそうしたらいいんでしょう。あなたは熱を出して寝込んでしまった、三日も高い熱が続いて死にそうだ、とステラーカイギュウが使いを寄越して知らせてくれました。それもこれも私のせいなのです。私があなたを溺れさせ、病気にさせてしまったのです。放って置いたらあなたは死んでしまうでしょう。でも私には何も出来ない。金色の玉があればあなたを水鳥に変えることも出来るし、金色の玉があれば死んだ者を生き返らすことだって出来るのに、今の私はその玉を持っていないのです。ああ、ドードー鳥さん、あなたが死んでしまったらどうしたらいいのでしょう!」
「落ち着いて、ドラゴン! ドードー鳥は死んだりしないわ。病気は治ったのよ。そして私と一緒にあなたを迎えに来たんじゃないの。ドードー鳥は謝りたいのよ。もう泳ぐ何て馬鹿なことは考えないって。あなたを悲しませるようなことはしないって」
 龍の空ろな目が微かに動いた。
「では、もう金色の玉は必要ないのですね? 私が頓馬でどうしようもなく無力でも、ドードー鳥さんは死なずに済むのですね?」
「ええ、勿論よ!」
 前足をだらりと下げて口をぽかんと開けた龍にオーロックスは力強く頷いてみせた。彼女の目に涙がきらりと光った。
「そうだよ、死ぬなんて、そんな縁起の悪い話があるもんか。いやだよ、勝手に殺しちゃ!」
 ドードー鳥は明るく叫んだ。精一杯明るい声を出さないとそのままわっと泣き出しそうだった。
 竜の空ろな目にぱっと光が射した。長い髭が伸びて来てドードー鳥の体に巻きついた。温かく震える髭だ。オーロックスはドードー鳥の尻を優しく押した。これ以上言葉は必要ないことを彼女は知っていた。

祭りの会議

 祭りの相談に浮かれているクアッガの前に晴れ晴れとした顔の龍が姿を現した時、クアッガは少しぎょっとしたようだった、
なにしろピンク色かと思ったら赤、赤と思ったら焦茶なのだ。ヒース・ヘンに耳打ちしていたのは多分、あいつはカメレオンか、などと言っていたのだ。
 脱皮や変態で色どころか形さえ変ってしまう生き物がいるのだからどうってことない筈なのに、体の大きな龍がやると目立ってしまう。しかも変色する度に貫禄が付いてくるのだから、クアッガの気に触る。思い切り鼻を鳴らして不満を表明する。
 しかし龍は前のように動揺しなかった。何たって自分を信じてくれる仲間がいる。一人ぼっちではないのだ。それにクアッガだって本当はいいやつなのだと思う。
 徹底的に嫌なやつだったらヒース・ヘンだって彼にくっついていやしないだろう。本当はきっと必死に隠しているけど、内心涙もろくて情に厚いやつなのだ。ただどういう訳か相性が悪くてきっかけが掴めないだけなのだ。龍は聞えないふりをした。
「ええ、諸君! 諸君に集まって頂いたのは外でもない、例の祭りの件です」
 龍の反応を覗っていたクアッガは当てが外れ、それならとやけに気取って放し始めた。
「前回は時間切れで散会しましたが、ステラーカイギュウの話ではいよいよ時が迫っているようであります。ええと、トキ、ライチョウ、アホウドリ、何とかヤマネコ、何とかコガネ等々であります」
 いかにもリーダー然とした口調で話し出したものの、しばらくするといつも通りのクアッガだ。今度は当面のライバルと思い定めたエゾオオカミにちらりと視線を送った。
「俺が無為無策だと考えているやつがいるかも知れないけど、とんでもないぜ。この前はまだ時間もたっぷりありそうだったし、第一あんまり素晴らし過ぎて発表するのが惜しかったのさ」
 一段と強い視線をエゾオオカミに送った後で滔滔と喋り出した。誇大修飾と自慢たらたらを取り払った要点は、草原の真ん中に大きな池をこしらえてやろうと言うのだ。
 トキ池とかライチョウ池とか名付けて記念とする。モリトン何とかコガネ池でも宜しい。長広舌が終ると共にどっとどよめきが挙がった。奇想天外この上なし、これに比べたら水鳥の水中集団舞踏などまさしく笑止千万、規模が小さい小さい。
「何でかと言うとね、生憎草原には水飲み場が少ないだろう? あってもけちな水溜りだからみんなだって不便を感じているだろうと思う。草原はみんなが集って来る場所だ。もっと居心地良くしなくちゃいけない。そこで大きな池を作る。しかも今度来るやつの名前をつけてやるんだから、これが一石二鳥さ」
 ヒース・ヘンが得々として言い添えた。どよめきの後に感動の溜息が怒った。まるで草原全体が賛同の溜息をもらしたようで、クアッガの思惑通りだった。
 在る物を利用する、これが生き物達のやり方だ。そのやり方からすれば百八十度の転換だった。自然の恵みを待つだけではなく、積極的に手を加える。
 刺激的な発想だった。水場を捜して歩くのではなく、水場を持って来るのだ。実現すれば素晴らしい快挙だった。
 そう、実現すれば、だ。やってやれないことはないが、時間が限られるとなれば考えてしまう。今日明日と言われれば無理だ。一年先だって怪しい。
 人間がピラミッドを作り上げるのと同じくらい重労働だ。気儘に暮したい者達にとっては奴隷の足枷のように頂けない代物だ。
「どうやって池を作ろうと言うんだね。君の話ではとてつもなく大きな池だと言う。山の沢から水を引くって? 水がいつも綺麗なようにというのは分るが、難事業だよ。ウケだけを狙って実現不可能な事を言ってはいけないよ。それに、自然に手を加えるのには賛成出来ないな」
 エゾオオカミが言った。
「そうよ、そんな事は人間のする事だわ。一度自然に手を加えたらどんどん変って行ってしまうものよ。私達の住んでいた山や森を変えてしまった人間と同じ事をするつもりなの?」
 オーロックスも不快を隠さなかった。傾聴していた面々も池を掘る労力を思ってざわついたが、クアッガは一向に堪えない様子だ。
「難工事と言ったようだけど、そこが頭の使いようさ。ステラーカイギュウの話は皆にも伝わっていると思うけど、人間の世界にはあっと言う間に思いのままの大きな池を作れる爆弾とかいう物があるらしいじゃないか。鉄砲よりももっとすぎ凄い力があるそうだぜ。それを利用させて貰うのだ。ほんのちょっぴりでいいって言うんだから、それを少々失敬して来ようじゃないか」
「一体、誰がそんな物を取りに行くんだね」
 今度は心底呆れてエゾオオカミが唸った。
「確かにそんな話は聞いている。人間がとうとう自分の首を絞めるような物に手を出したのだ、と私は思っているがね。私は人間に味方する気は更々ないからそれについては何も言うべきことはないし、君の言ったりしようとしていることにも何も言うつもりはない。この島は皆の島だ。それぞれ好きなことを考え、好きなことをして暮していればいいと私は思っている。だから君だって何を考えようとも自由だ。しかし人間の真似をするのはどうかと思う。オーロックスの言う通りだ」
「おやおや、ステラーカイギュウの爺むさい考えが移ったらしい」
 クアッガが馬鹿にして鼻を鳴らした。
「外の世界が醜く汚く変ってしまって息が詰まりそうだ、奇形の魚だ放射能だ産業廃棄物だって、訳の分らない寝言を聞いてあんたのその鋭い牙まで鈍ってしまったんですかね。俺は外の世界がどうのこうの議論するつもりなんてないよ。ただちょっと便利な物を借りて来ようと言うだけだ」
 エゾオオカミの顔が険しくなった。こいつとは話がしにくいと持ったのかクアッガは視線を反らした。変ってその射程距離に入ったのがドードー鳥だ。さっきから嘴をあんぐり開けて見るからに間抜けそうだから、こっちの方がずっと話易い。
「出任せを言っているじゃないさ。ねえ?」
 いつになく親しげに頷いて見せたものだから、ドードー鳥はどぎまぎした。彼には事の是非などどうでも良かった。島の外へ行く、ただそれだけを聞いていたのだ。外の事は問題ではなかった。
「希望者を募りたいんだ」
 たまたま目が合っただけで始めからドードー鳥など眼中にないクアッガはさっさと視線を移して言った。
「希望者と言っても条件がある。まず泳げなくちゃいけない。どういう訳か分らないけど、島の外へ通じる道は海路だけらしい。となれば泳ぎの達者なやつに限られる。しかし魚では駄目だ。陸に上がる用もあるからな。さて、そういう条件を踏まえてなおかつ、胸に手を当てて考えてみてくれ。今まで自分は島で何をして来たか。仲間を困らせることばかりしやしなかっただろうか、ってね。今がいいチャンスだ。借りを一遍に返せるんだぜ。俺は考えたね。今までこの島で何をして来たかって。そりゃ迷惑を掛けるような事はしなかったつもりでいるが、為になる事も出来なかった。もし俺が泳げたらいの一番に名乗を上げて行くのになあ、とね」
「あなただって泳ごうと思えば泳げるわ。あなたが行ったら?」
 オーロックスは冷たく言ったが、クアッガは答えなかった。代わりに彼の目が捉えているのは龍の姿だった。自然に他の者の視線も龍に集中する。クアッガの思う壺だった。おまえが行け、と言っているのだ。
 ひそひそ囁く声がやがてハチの唸り声に変った。攻撃態勢に入ったハチのように一転に集中した。
 オーロックスはクアッガが喋り出す前に蹴飛ばしておけば良かった、と口惜しかった。単純な者達の心を操ることにかけたらクアッガはなかなか巧者だ。
 しかし感心している場合ではなかった。スペクタクルは心を魅了する。善悪を超えた魅力がある。三々五々連れ立って帰って行った者達の心の中にも心躍るスぺクタクルが植えつけられたのだろうか。
 オーロックスは再び龍の棲家を訪れたが肝心の龍は留守だった。クアッガの提案の魅力に抗し切れないならば、せめて龍の方を押さえておこうと思ったのだが行方が知れない。
 途中でまた前と同じ小鳥に出会った。彼女の話では山の中でも色めき立ち、龍が行くのか行かないのか、今では賭けをする者も出る始末だそうだ。
「私は賭けたりしないわよ。だって悪いことですもの」
 その小鳥は利口ぶって言った。
「でも、賭けるとしたら、絶対行く方かな。だってその方が面白いもの」
 それにね、と小鳥はオーロックスの角に止まって嘴を寄せた。
「龍は出掛けたきりなの。きっと島の外に行く準備をしているんだわ。私はそう思うの。だから賭けるとしたら絶対行く方よ」
 これを聞いてオーロックスはがっかりした。エゾオオカミと自分が主張したことなどまるで問題されていないのだ。
 自然が、と言おうとした。人間の真似をするな、と言おうとした。しかし言ったとてこの無邪気な鳥は聞いてくれないだろう。大方の者と同じ様に。
 こうなると龍の立場は厳しい。挑発に乗るな、と言っても無言の圧力がのしかかっている。それも愚かなクアッガのせいで、だ。オーロックスは力なく小鳥に頬笑み返し、太い溜息をついた。

(5)最終章へ続く


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