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長編ホラー【続・幽霊のかえる場所】 第四章

阿佐野桂子


  

第四章

白色水干姿の宝子

 今年の誕生日祝いは宝子ちゃんがお山に行く前日に行われた。これから修行に行く子に服はないでしょう、と麻利亜さんが言うので宝子ちゃんが母親名義で利用しているネット・バンクにお金を振り込んだ。これならお山に行っても使える筈だ。
 賀茂さんのお願いを快く引き受けてくれた銀嶺ことお銀さんはこれから大口真神に出仕する宝子ちゃんの為に白い水干を用意してくれた。お銀さんが大急ぎで手縫いしてくれたものだ。
 水干を着た宝子ちゃんはお人形さんみたいに可愛かった。親馬鹿の賀茂さんとミツミネが感無量で涙を拭っている。ミツミネと賀茂さんでも泣くんだ、と思うとこちらの涙腺まで緩くなる。
「良く三歳を迎えられた、と大口真神様もお喜びだ。今まで神使いと人間の間で子を生す例はあったが、死産であったり生まれても育たなかったりと残念な事が多かった。無事三歳を迎え一年お山で過ごせばもう安心だ。ミツミネ、良かったね。私も子が欲しいよ」
 お銀さんはこれから一年アパートで過ごさなくてはならないので人間に化けていた。中身は若いだろうに中年の家政婦さんみたいな格好をしている。どこからか派遣された家政婦さんの設定だろうか。
「お銀おばさま、おかあしゃまのお願いを聞いてくれて有難うございます。一年お世話になります」水干姿の宝子ちゃんが丁寧に三つ指をついて挨拶した。賀茂さんより大人だ。
「おお、いい子だ。さすが仲間内でナンバー・ツーのミツミネの子だけあるね。一年など我等からすればあっと言う間だ。気楽にご飯を食べて待っているよ」
 既に食べる気充分だ。謙信が顔を引き攣らせている。しかし、ミツミネがナンバー・ツーとは驚いた。実力主義なのか年功序列なのかは不明だ。
 次の日、宝子ちゃんの霊体は他の狼の迎えでノート・パソコンを持ってお山へ行った。残された実体は宝子ちゃんそのものだが、声を掛けても返事はしない。体は温かくて血も流れているが思考はしない。
 つまり、空ろ。こんな状態を狙われたら体は簡単に乗っ取られる。お銀さんはこれから一年、そんな宝子ちゃんの守役だ。あずみんが使っていない六畳一間を居場所と決めて結界を張った。
「おばさん、ここ、私の部屋よ。勝手に結界を張らないでくる?」とひと悶着あったが、「どうせ使ってないじゃないの」の一言で決着が付いた。
 龍が本体のあずみんも奥の六畳はこれで禁足地だ。もともと小さな龍のあずみん一人に三室は広すぎる。
 私の部屋は絶対覗かないでよ、と反抗期の女子学生みたいな言葉を吐いて折れた。プライドの高いあずみんもお銀さんとはバトルを繰り広げたくはないようだ。
 そして次の朝、僕が寝ている部屋まで米が炊ける匂いと謙信があずみんと口喧嘩をしながらお菜を作っている音が聞こえて来た。お銀さんは家政婦に化けているくせに手伝う気はない。食べる専門だ。エプロンが涎掛けに化すのは時間の問題だ。
「おお、米が炊ける匂いはいい匂いだね。今日は魚の煮付けに豆腐の味噌汁、ホウレン草の胡麻和えに……。この中で香ばしい香を立てているのは何だ?」
「鳥の丸焼きです。中に色々な物が詰まっておりますよ」
「そうか、楽しみだね。保子はまだ起きて来ないのか」
 保子様が起きるのはいつもお昼頃です、霊力をチャージするには食べて寝るのが一番だそうです、私達と違って保子様は人間ですからね、と謙信が答えている。
 僕は半分夢の中で会話を聞いている。朝から外野が賑やかだ。そう言えば、このアパートの二階では人間と呼ばれるのは賀茂さん一人だ。謙信もあずみんもお銀さんもミツミネも僕も人外だ。それでも食費代だけは異常に高い。
 保子様の分は別に取ってありますから、お銀様は気になさらずに先にお食べ下さい、と謙信が声を掛けた。宝子ちゃんの霊体はお山にいるが、実体は人間並みの栄養が必要らしい。
 何で私の事務所が食堂になるのだ、とミツミネが文句を言っている声も聞えたが、お銀さんが宝子ちゃんを連れて行くと抗議の声が止んだ。育メン狼はせっせと我が子の口にご飯を押し込んでいるに違いない。
 それからしばらくの間、静かになった。あずみんとお銀さんが超人的なスピードで総てを胃に送り込んでいるのだろう。謙信は料理を作りながらつまみ食いをしているから既に満腹、ミツミネは気が向いた時しか食べない。
「宝子が成人するまで肉食はしない、と大口真神様に誓ったそうだが、本当に実行しているとはね。宝子が無事三歳まで育ったのも願掛けのお陰かも知れないね。腹は空かないのかい?」
「慣れれば何ということもない。成人するまでの二十年など我等にとっては二日くらいではないか。かえって身内が清清しいくらいだ。お銀殿もやってみたらどうだ」
「子が出来ればそういう気になるかも知れないね。でも私は今の所、好いた相手もいないし、子もいない。ミツミネ、どこぞに私に相応しい相手はいないか」
 お銀さんがミツミネに婚活を迫っている声を聞きながら僕はまた眠りについた。このアパートにいる限り僕はずっと睡眠不足だが、それを補って有り余る程の不思議を体験出来る。
 『三峯探偵社』はお役所仕事と合わせて暮れと正月休みに入った。電話は留守電になっている。『世界文献社』はがつがつしない二流出版社だから合計一週間休業だ。
 この際、寝貯めをしておこうかと考えていたら麻利亜さんが恨めしそうな顔をしているのでどこか連れて行ってやらなければならない雰囲気だ。
 そういえば「美ら海水族館」に行きたいと言っているのを思い出し、『バイオ・ハザード』傘下の旅行社の東京本店に電話をして急遽沖縄行きの飛行機の座席を確保して貰った。冬は他の吸血鬼も沖縄に行きたがるらしい。
 二枚買って一席空は不自然なので購入した航空券は一枚だ。麻利亜さんは僕の膝の上に座る予定だ。幽霊は重さがないからこういう時は便利だ。
 飛行機が苦手な僕は賀茂さんから護符を一枚買った。消費税別で五千円だ。飛不動のお守り付だと一万円。賀茂さんの顧客は旅行する時は必ず護符を貰いに来る。霊験あらたかと評判がいい。そりゃそうでしょうとも。
 一方、ミツミネファミリーは大晦日にミツミネとお銀さんが交代で『三峯神社』に参拝に出掛けた。宝子ちゃんは沢山の狼に混じってきゃっきゃっとお山を韋駄天走りしていたそうだ。霊体だけだから幽霊と同じで体も軽い、のか?
「大口真神様とは直接お会い出来なかったようだが、白狼殿からは良く来た、とお言葉を頂いたそうだ」
 宝子ちゃんが助さんと格さんと呼んでいた狼だ。ミツミネ達より零位が高い狼で、お山を駆け巡ったりはせずにいつも大口真神の傍に控えている。
 『湯倉神社』の神兎からは生鮭十匹、『九頭龍社』からはイノシシ一頭が届き、お返しに何を送ったらいいか頭を悩ませているらしい。議員秘書的役割がお仕事の主たるものだ。
「『三峯神社』オリジナルショップの狼のぬいぐるみはどう? 麻利亜さんが一つ買って、って騒いでいたよ。『三峯神社』ドロップスも白い狼の顔が書かれていて可愛いし。神社の名前がでーんと描いてある欧風煎餅とか。後は」
 観光土産ではないのだぞ、と怖い顔で僕の提言をミツミネが遮った。
「じゃあ、言わせて貰うけど、神様同士で盆暮れの付け届けするのか? 送られたら送り返さなくちゃいけないのか? あそこへはイノシシを送ったけど何も返して来ない、何てぐちぐち言うのか? 神様はそんなに心が狭いのか? 堅苦しく考えないで有り難く頂戴しておけばいいじゃないか。僕が戸隠に行った時のお土産をミツミネは『湯倉神社』に届けさせたけど、お返しが欲しくて送ったのか」
「………」
 後にも先にも、僕がミツミネを言い負かした唯一の瞬間だ。
 宝子から年賀のメールが届いている、見るか、とミツミネは話を逸らして来た。パソコンを開いて見ると真っ白け。でも霊感持ちには大きな狼の背中に乗った宝子ちゃんがピースサインをしている姿がはっきり見えた。

安曇改め苅野あずみ

 僕が宝子ちゃんの実写版『もののけ姫』メールを見たのは時間を戻すと沖縄旅行から帰ってからだ。
 僕の荷物はウエスト・ポーチ一つだけ。見掛けは気楽な一人旅だ。ウエスト・ポーチに貼ってある御札のせいか飛行機内の空気はクリーンだし、機体も揺れなかった。霊感持ちもおらず、麻利亜さんに気付く人間はいなかった。
 空港に着くとすぐさまレンタカーを借りて「美ら海水族館」に直行。麻利亜さんが巨大水槽に右斜め四十五度で入ろうとするのを何とか阻止した。ジンベイザメだって幽霊に乗られたくはないだろう。
 沖縄の神社仏閣、聖地と呼ばれる場所には近付かなかった。また変なモノに憑かれては困る。傍を通る時には頭の上の蠅を払うようにぶんぶんと何回も腕を回した。
 沖縄は昔は琉球王国と呼ばれる独立国家だった。大和とは違う独特な文化が色濃く残っている。女性霊能者と呼んでいいのかどうか、ノロさんは庶民の相談相手として日常に溶け込んでいる。
 僕は二回、ノロさんと思われる女性に「あなたは……」と声を掛けられた。幽霊を連れ歩いてどうしたの、と見るに見かねて声を掛けてくれたのだ。しかし、ウエスト・ポーチに貼ってある御札を見るとすぐに納得の表情を浮かべた。
 賀茂さんは霊能者同士は直接顔を合わせなくても御札をみれば実力が分かる、と言っていたが、ノロさんも御札だけで僕と賀茂さん、更に賀茂さんのバック・ボーンまで了解したみたいだ。
「危うい、と思って声を掛けたけど、幽霊を妻にしているとはね。あなたも普通の人間ではないね。しかも狼と兎と龍に縁があるとは。とんだお節介だった」ノロさんはにこやかに笑って僕の傍を離れた。沖縄、恐るべし。
 沖縄の海は同じ日本とは思えない程綺麗だった。船底の一部が透明になっていて船の中から海の中を観察するツアーにも参加したが、ディズニーのアニメみたいにカラフルな魚が泳いでいる。
 こんな美しい島が太平洋戦争末期の激戦地だったとは悲しい話だ。本当はそういう激戦地跡を慰霊の為に訪れるべきなのだろうが、霊感持ちの僕と麻利亜さんは敢えて行かなかった。皆、死にたくはなかっただろう。
 沖縄の人は沖縄以外の人々をヤマトンチュと呼ぶ。ヤマトンチュは未だに沖縄を自分達の捨石にしている。頭の上を毎日米軍機が爆音を響かせて飛んでいるなんて、僕なら御免だ。原発がないだけマシか。
 お土産にはカラフルな魚をクール宅配便で送った。地味な色をした魚しか見てこなかった道産子の謙信は上手く調理出来るだろうか。ま、早い話、魚料理は煮るか焼くか刺身しかないだろうけどね。
 と言う訳で、僕と麻利亜さんがアパートに戻った時、謙信は届いたカラフルな魚を冷凍庫に放り込んだ後、事務所のパソコンを前に沖縄の魚料理を検索中だった。
 熱帯魚って食べられるんですか、エンゼルフィッシュとかネオンテトラを食べるようなもんでしょう、とぶつくさ言いながらメモを取っている。
 エンゼルフィッシュが食べられるかどうか知らないが、送った魚は市場で売られていた魚だ。真っ青だろうが派手な縞々だろうが食用魚だ。ホッケの方が良かったのに、と言われても、沖縄の海にはホッケは泳いでいない。
 松が開けるとつくもさんが同胞を連れてアパートにやって来た。つくもさんは以前のように高校の国語教師風な地味なスーツ姿だ。もう一頭(一匹?)はヘビメタロックのボーカリストのように黒ずくめで頭はつんつんに立っていて、十本の指にはすべてシルバーの指輪が光っている。首には双龍をデザインしたネックレス、腰にはウォレット・チェーン。耳にはブラックスピネルのピアス。全体的に装飾過多だ。
 昼に賀茂さんが起き出して来て、全員で昼食を取っている最中だ。安曇、元気でいるか、とつくもさんが声を掛けた。熱帯魚、いや、沖縄の焼き魚を丸齧りしている姿をみれば一目で元気と分かる筈だ。
 丼飯を食べていた賀茂さんが、謙信、お食事の用意を、と謙信に指示を出した。
 いや、構わぬ、とつくもさんが一応遠慮したが、目が輝いている。こちらも食べる気満々だ。
 少々お待ちください、と謙信が台所へ消えた後、これは我の長兄じゃ、とヘビメタ男を紹介した。残り九十八の龍がいる中でいきなり長兄登場とは驚きだ。
「長兄の名はだいきと言う。大きな輝きと書くだいきじゃ。親神様のお腹の袋から一番先に出た。故に我等の長兄的存在だ。本当の名は教えられない。教えても人間には正しく発音出来ないだろうがな」
 だいきさんはつくもさんと一緒にミツミネの対面のソファーに腰を下ろした。ソファーが重さに耐えかねたようにみしりと音を立てた。実体は相当大きな龍に違いない。
 しかしだ、龍って、タツノオトシゴみたいにお腹の袋から生まれて来るの? 爬虫類系だから卵から孵化するのかと思っていた。
 古書では龍は二つの卵を生む。一頭は龍に、もう一頭はなんたら言う亀になると書いてあったが。
 そうそう、本は『本草綱目』、亀さんの名は「吉兆」だ。この亀さんも一般の亀とは違って龍の仲間だから亀龍と呼ばれる。龍の卵が孵化する場面を見た人間はいないだろうからどうでもいいけど。
 ミツミネは静かにだいきさんを見詰めている。ライダースーツとヘビメタ。一気に事務所が暴力団風、或いは芸能プロダクション風になった。
「黄龍殿、お目に掛かれて光栄だ。親神様はご機嫌麗しくお過ごしか」と先にミツミネが口を開いた。様じゃなくて殿だから実力伯仲なのだろう。
「親父? 親父は食っちゃ寝の繰り返しだ。昨日シカを一頭丸呑みしたから、今日は寝ておるよ」
 だいきさんはさらりと物騒な事を言っている。丸呑みされたシカが可哀相だ。神様の一日は人間の一日と同じなのだろうか。
「親父はぐうたらなくせに我等に対する束縛がきつくてなあ。今日は一日寝ているから末っ子の安曇が世話になっている場所を見ておきたくて抜け出して来たのだ。こう言っては何だが、随分と質素な暮らし向きのようではないか。我がここを煌びやかに作り変えてやってもいいぞ」
 いや、ここは人間界であるからして、とミツミネが断りを入れた。ぼろアパートを勝手に億ションに作りかえられても困る。家主の小林課長は喜ぶかも知れないが、一階の住人が驚いて逃げ出すに違いない。
 僅かな緊張状態の中、賀茂さんとお銀さんは黙々と食べ続けている。交互に宝子ちゃんにも食べさせている。二人とも大物だ。
「三人ともいい食べっぷりだな。今、そこの空ろに飯を食べさせているのがミツミネ殿の妻か。妻が二人いるとは羨ましい」
「兄上、妻は人間の方じゃ。もう一人はお銀殿と申す狼だ。そこの空ろ、宝子の守役をしている。宝子の本体はお山で修行中と聞いている」
 ほう? とだいきさんは三人を興味深げに眺めた。龍の目には人間の霊能者と狼とハーフ・ゴッドはどのように映っているのだろう。
「うむ、いずれも捨て難い美形揃いだ。お銀殿は人間の歳で言えば二十五、六か。宝子も成長したら美しい女子になるだろうな。妻は三十二、三か。ミツミネ殿、お銀殿を嫁に貰えぬか」
 途端にお銀さんがぶっと吹いた。婚活中で子供が欲しいお銀さんではあるが、まさかここで結婚話が出るとは想像もしていなかったに違いない。
 わ、私を嫁にと、か、とお銀さんがうろたえている所に謙信が大皿に盛った魚と炊き立てのご飯を運んで来た。だいきさんとつくもさんの注意は一気にそちらにそれた。
「おお、つくもが言っていたように神兎殿の使いの作る飯は匂いからして美味そうだ」
「私共が既に手をつけた料理を差し上げるのは失礼かと思いまして、謙信に新しく作って貰いました。だいき様、つくも様、さあ、どうぞ」
 賀茂さんはすぐに渾名を付けたがるが、さすがに霊能者として礼は尽くしている。安曇は預かり子なのであずみんでいいのだろう。
 だいきさんとつくもさんは、成り行きやいかに、と見詰めている僕と麻利亜さんはまったく無視で、賀茂さんが丼に盛ったご飯をもりもり食べ始めた。
 焼き魚の腹には何か他の物も詰まっているらしく、ちょっと箸を付けた跡は丸呑みだ。謙信が台所と事務所を三回往復してやっと食事は打ち止めになった。
「本来ならばもっと食えるのだが、人間の体になると胃袋も人間サイズになってしまうようだな。しかし力が付いたぞ。謙信とやらご苦労であった」
 どう致しまして、と答えた謙信は今更大食漢には驚かない。家計の心配をしているのは僕くらいなものだ。麻利亜さんは幽霊だから家計には無関係だ。兎だの狼だの龍だのが出入りする状況を楽しんでいる。
 生まれてから四千年の龍に特別な茶は必要なかろうと賀茂さんは普通のお茶を出した。
お茶は普通ランクだが、水は『杉の爺』がペット・ボトルに詰めて送ってくれた霊水だ。謙信が炊く米が美味いのもこの霊水のお陰だろう。
 だいきさんとつくもさんは熱いお茶をずっずっと啜った。さすがに兄妹だけあって仕草が似ている。
「それでミツミネ殿の妻女よ、四月から安曇を人間の学校へ行かせるつもりでいるらしいが、行き先は決まっているのか」
 お銀さんへ求愛最中だったのはころっと忘れた口振りだ。これ以上だいきさんに目を付けられないようにお銀さんは宝子ちゃんを連れて自室に退散した。
「あずみんの得意なものはなんですか? 好きこそものの上手なれと申しますからね」と賀茂さんが尋ねた。
「私の得意は食べる事と綺麗に着飾る事だ」
 あずみんが偉そうにそっくり返った。それは、多分、女子なら誰でも好きだ。
「では食べる事と着飾る事のどちらが好きですか?」賀茂さんがあずみんを見る目が笑っている。
「それは……、腹が空いていたら着飾っていても楽しくない。食べる事だね。謙信の作る料理は美味いしね」
「まさかこれから先ずっと謙信と一緒にいるつもりではないでしょう? 一度自分が作る立場になってみてはどうでしょうね。あずみんが旨い食事を用意したら九十九の兄姉様達が喜ぶだろう。親神様も当然お喜びになる」
 お父上が喜ばれる。このフレーズがあずみんの心を揺さぶった。プライドは高いが甘ったれのあずみんは親神様の秘蔵っ子だ。純金の鱗と一緒に末っ子をここに預けている。
「お父上や兄姉様達が喜んでくれれれば私も嬉しい。しかし、謙信と同じは嫌だ」
 謙信は神兎の使い、あずみんは九頭龍の分霊。格が違うと言いたげだ。では菓子作りはどう、と賀茂さん。謙信は料理は上手いが菓子は「白い恋人」だの「ロイズの生チョコ」だのお取り寄せで済ましている。
「謙信は田舎料理は得意だけど、菓子作りは苦手みたいだ。菓子作りをする人間をパティシエと呼ぶそうだね。安曇パティシエ、うん、格好いい。お父上は甘い物がお好きだしね」
「ではあずみん、製菓学校へ通うのはどうかしらね。あずみん手作りの菓子を差し上げたら親神様が泣いてお喜びになる」
 あすみんはすっかりその気になった。謙信への対抗心からパティシエ修行へ誘導する賀茂さんをつくもさんとだいきさんは詐欺師を見るような目で見ている。
 誘導して落す所へ落すのが霊能者の十八番だ。霊能力を使わなくても口八丁で落せる相手もいる。但し、本物の詐欺師のように損はさせない。
「あずみんがその気なら入学願書を取り寄せましょう。当然ながら人間の高校へは行っていないよね。今から人間としての偽の戸籍が必要だけど、それはミツミネと私が上手くやります。人間としての名前は何がいい?」
 それは勿論、九頭龍安曇だね、とあずみんがそっくり返ったら「生々し過ぎる」とつくもさんから文句が出た。それは事情を知っているからで、生々し過ぎるより珍名過ぎる。
「じゃあ、九頭」「それでは屑と同じ発音じゃ」「九龍」「クーロンと呼ばれたいのか?」「長野安曇」「そのまんまじゃ」「じゃあ、何がいいのよ!」とあずみんが切れた。
 まあまあ、とだいきさんが割って入った。この時点であずみんが製菓学校へ進学するのは既成事実となっている。
 どうせ仮の名だ、言い争うこともあるまい。「かりのあずみ」でよかろう、と本気なんだかジョークなんだか分からない名を提案した。
「かりのあずみ? 苅野あずみでよろしいですか」
 三頭がこっくり頷いたので人間世界でのあずみんの名は「苅野あずみ」に決まった。紙に書いてみると意外と可愛い。ちなみに、謙信は「湯川謙信」だそうだ。初めて聞いた。
 だいきさんとつくもさんが帰った後、今まで重みに耐えていたソファーが崩壊した。うーむ、加重トン単位だからな、とミツミネは驚いていない。二階の床が落ちなかったのが不思議なくらいだ。
 謙信はすぐさま旭川家具に電話を入れた。ちなみに旭川家具という名の会社があるのではなく、旭川近隣の家具メーカーの総称だ。家具イコール旭川は道産子ならではの思考回路だ。普通なら都内で幾つかの家具屋を巡れれば用は足りる。
 創作家具の店に電話した謙信はとにかく丈夫なソファーを、と念を押しまくり、「ウチのソファーですぐ壊れる物何てありません」と嫌味を言われていたが、家具店の人もまさか龍が座るとは思っていない筈だ。
「謙信、幾ら丈夫なソファーを注文したって無駄よ。石のソファーでもないともたないと思うよ。次に来る時にはもっと身軽になって貰うか空中浮遊して貰うとか」と賀茂さんがソファーの残骸を見て溜息を付いた。
 賀茂さんの場合、ソファーの買い替えが惜しいのではなく、残骸整理が面倒なのだ。ミツミネは賀茂さんに言われる前に片づけを始めた。何たってここは女性上位だ。

『三峯探偵社』の日常

 宝子ちゃんがお山に出仕したのが十二月二十四日。地球温暖化でも山は寒い。賀茂さんは体調を気遣っていたが、霊体だけとなった宝子ちゃんは水干に草鞋履きの姿の写真を何枚も送って来た。
 狼のおじさま達もおばさま達も群れの子は大事に育てる。夜は狼達に囲まれて寝れば暖かい。自作の暗号みたいなブログも更新中だ。狼の群れに育てられた少女の話で、ファンはファンタジー小説だと思っている。
 暗号が解読出来ないミツミネと賀茂さんはただ眺めているだけだが、手書きのイラストからだけでも楽しげな雰囲気は伝わって来て、ブログのチェックを欠かさない。二人揃って頬を緩めている姿はまさに親馬鹿だ。
 その親馬鹿二人はまたまた超法規的手段であずみんの戸籍を作り上げた。御丁寧に母子手帳まで偽造した。政府は国勢調査なるものを実施したりマイナンバーを発行しているが、信憑性が疑われる。
 あずみんは「苅野あずみ」として四月から製菓学校へ通い始めた。まず自分の履歴をしっかり覚えさせ、何日か謙信が付き添って電車の乗り方を教えた。電車の編成を見て、あら、兄上みたい、と感想を漏らしたそうだ。
 『三奉神社』の四月八日の大祭から帰って来た途端、ミツミネは「甘い」と鼻をすんすんさせた。あずみんは製菓学校の匂いをそのまま持ち帰っていて、僕にもその匂いが分かる。
 それより、宝子は、と賀茂さんが尋ねると「神妙に末席に控えていたが、一段と大きくなったようだ」とミツミネは頬を緩めている。四ヶ月で一段と大きくなる訳がないが、親の欲目というやつだ。
 その宝子ちゃんの実体の守役であるお銀さんはミツミネが留守の間、六畳に籠って謙信に食事を運ばせていた。結界の中は漆黒の闇で、お銀さんの手だけがにゅっと伸びてくるのは肝が冷える光景で、と謙信が僕の好奇心に応えてくれた。確かに不気味だ。
 無理矢理入ろうとするとクマ除けの電気柵でびりっとやられるようなものですから、興味本位で覗かないように、とあずみんに念を押した。
「ふん、誰が覗くもんか。それに私はクマ除けの電気柵何て怖くないよぅ、だ。それくらいの力はある」とあずみんが強気の発言をした。この二人は仲がいいのか悪いのか微妙だ。
「宝子がしっかりお勤めしていればそれでいい。ミツミネ、あんたがいない間、留守電をチェックしていたんだけど」賀茂さんが営業モードでミツミネを見た。
「何か面倒な事か」
「面倒といえば面倒だね。胡散臭い団体に入信して家出をしてしまった娘を探して、出来るなら連れ戻して欲しい、との要望だからね。その団体は一人の主を戴いて山中を移動生活している。現在は山梨にいる。日本列島が標高千mまで沈むとかで千mラインを車のキャラバンを組んでうろうろしている。始めの頃は山道で野宿していたから近所の住民が気持悪がって警察に通報して揉めていたみたいだけど、今はキャンプ場を渡り歩いている」
 どうやら既に情報は入手済みだ。
「日本列島が千mラインまで沈むって、根拠はどこから来てるの。地殻変動とか? 千m以下が水没したら人間が住む場所はかなり狭くなるよね」、と僕。
「根拠などない」と賀茂さんが一刀両断した。
「その主は心臓を患っていて、悲観的になっている。自分だけ死ぬのは業腹だから他の大勢を巻き込みたいだけだろうね。メンバーはその人物を天眼老師様と呼んでいるが、教祖でもなければ予言者でもない、ただの捻くれた爺様だ。その爺様が死ねば大したブレインのいない集団はちりぢりになるだろう。放っておいてもいいのだけど、一度そういう集団に取り込まれた人間はまた他の怪しげな団体に入りたがる。そこが面倒なんだなあ。洗脳は解けたけど、また他に洗脳されちゃった、とかね」
 某カルト教団に属していた人を牧師さんが洗脳から解き放った例があるが、カルト集団からキリスト教へと洗脳しただけだ、という批判もある。ナザレのイエス様も当時はカルト集団の主みたいなものだ。
「じゃあ、居場所だけ教えてお金貰えば?」
 お銀さんが口を挟んだ。お気楽な正論だ。うーん、と何事か考えている風情の賀茂さん。
「一人娘だから両親は心を痛めている。居場所を教えて、はいさよなら、はないな。ミツミネ、相手の両親に暇な時に事務所まで来るように電話してくれる?」
 な、何で私が、と抵抗したミツミネだが、あんたの声は深くていい声だからね、相手が安心する、と言われると機嫌良く受話器を手に取った。これでこれからの電話番はミツミネに決まり。保子は亭主の使い方を良く知っているね、とお銀さんが笑った。

家出娘連れ戻し案件

 電話をすると両親はいつも暇なのか、一時間後にはタクシーで事務所に素っ飛んで来た
三浦夫妻。歳は共に六十歳。娘は十九歳で、不妊治療を受けてやっと授かった一人娘だ。
 基本情報も居場所もすでに把握済みだが、僕はいつものように『調査依頼書』を提示して記入して貰った。紙一枚でも事務所への信用度が違って来る。
「娘は、桃香、十九歳です。大学へ入学してそうそう『希望の鈴』というボランティア活動をしているサークルに入会しました。ところがボランティア活動というのは表向きで、
桃香の持ち帰ったパンフレットには怪しげな教義が並んでいて」
「お父様、それは教義ではありません。世迷言と言います」と賀茂さんが訂正を入れた。
「は? もうパンフレットをご覧になりましたか。そうです、私達が読めば世迷言です。これから日本は天災に見舞われて海抜千mまで沈んでしまうのだそうです。確かに日本の国土は火山が多く、地震も多発しています。神戸や東北の地震のように悲惨な震災もありましたし、巨大地震が起きる、と科学者も警告しています。しかし、それは天眼老師とやらが今更言う事ではありません。ましてや、いつ起こるか分からない天災を恐れて山中を彷徨ってどうするのでしょう。我が娘ながら呆れて物が言えません」
「では娘さんは大学には通っていらしゃらないんですね?」
「一度帰ってきた時に話し合って休学届けを出させました」
 父親が喋っている間、母親は下を向いて結婚指輪をくるくる回していた。娘が帰って来なくなって九ヶ月、指輪が緩くなるくらい痩せたみたいだ。
「桃香さんは宗教とかオカルトに興味をお持ちでしたか」と賀茂さんの質問は続く。
 いいえ、ウチは普通のお宅と同じ様に御葬式の時にお坊さんが来るくらいで、普段はお付き合いはありません。父が無くなった時にお坊さんはどうするのだ、と親戚が騒いで宗派が分かった次第でして、と三浦氏。
 都会の人のお寺の付き合いはこんなものだろう。江戸時代の区役所的役割を果たしていたお寺もとっくにその役目を終えた。ネットでお坊さん宅配便が利用されるくらい寺とは無縁になりつつある。
「ただ、魔女やら巫女やら戦士やら聖剣などが登場するファンタジー・ゲームなどをやっていたみたいですが、それがオカルトと直接結びつくとは思えません。ゲームは飽くまでゲームで、それを現実と混同する程娘は愚かではないとおもいますが」
 確かに、と賀茂さんは頷いた。
「わが社では人探しに関しては実績があります。桃香さんが今どこにいてどのような生活をしているか、これについては一週間頂ければ満足頂ける報告をお約束します。しかし今回は桃香さんの奪還をご希望ですね。これについてはもう一週間頂きたいのですが、よろしいでしょうか」
 普通カルトからの洗脳には宗教学者や正統派と言われている宗教者が半年とか一年がかりで逆洗脳をするらしいのだが、賀茂さんはどんな手段を取るつもりなのか。僕は賀茂さんの顔を注視した。
 短気な賀茂さんが都合二週間も掛けて桃香さんを説得しるとは思えない。ああいえばぽかり、こういえばぽかりと殴りかねない。思考を読み取った賀茂さんが僕を睨んで来た。
 ほらね、やっぱり賀茂さんは怖い。今は髪を撫で付けてちびまるこちゃんみたいに見えるが、天眼老師とは比べようがない霊能者なのだ。
 では、基本調査料に連れ戻し費用、プラス諸経費が掛かります、と例の如くの説明があって三浦夫妻は席を立った。百万でも二百万でも娘を取り戻せるなら払う気でいる。
「賀茂さん、二週間何て安請け合いしちゃっていいの? お嬢ちゃんはもう九ヶ月も集団の中にいるんだろう? がちがちの信者なんじゃない?」
 ノー・プロブレム、と賀茂さんはうわの空で答えた。すでに何か手段を考えている様子だ。
「桃香ちゃんは過保護に育てられた一人っ子だ。あの星が欲しい、と言えば星を取りに行きかねない両親に育てられけど、初めて集団に属してカルチャー・ショックを受けているだけよ。快い束縛ってところかな。山の中で野宿、ってのも新鮮なんだろうね。当人は長いキャンプ生活を楽しんでいるような気持でいるんだろう。それに天眼老師とやらは千m以下にいる人々は天災で亡びると言っているけど、教義と呼べるものはそれだけだしね。自分が死ぬまで回りでちやほやしてくれる人が欲しいだけだ。教祖と呼ぶには力不足、教団と呼ぶには軟弱。ただの放浪好きな集団に過ぎない」
 どれ、おおばばさまとばばさまの連れて来た幽霊さんから適任者を見つけるとしようか、と賀茂さんは私室に戻った。受け子役の青年に自衛隊出身の霊を憑けたように、また霊を憑けるつもりだ。
 十分後に戻って来た賀茂さんは適任者を見つけ、既に桃香さんに霊を飛ばした後だった。幽霊さんは桃香さんの説得に成功すれば行くべき所へ行き、桃香さんは帰るべき所に帰る。 幽霊さんは生前、世界浄化の為には人を殺しても構わないと主張していたカルト教団の信者だった人物だ。
 実際、教団内で粛清が行われ、それで命を落とした人物だ。教団は犯罪者集団として解体され、当然ながら現在本人は深く反省している。
「おおばばさまとばばさまが元の教団本部の前に立っていたのを連れて来たんだって。根が真面目だから、殺されても悪霊にはならずに自己反省に明け暮れていたんだそうだ。桃香ちゃんに派遣するには惜しい人材だけど、両親の憔悴した様子を見ると拗らせない内に家に戻してやった方がいいかと思ってね。本人も乗り気だし」
 人材だの本人だの賀茂さんは平気で口にしているが、これは幽霊の事だ。幽霊さんは喜んで任務を引き受けたらしい。
 人類の救済を謳いながら人殺しを容認する宗教は全部嘘っぱちさ、と賀茂さんはいつになく強い語気で締め括った。未だに人類は神の名の下に争い、人を殺し続けている。これから先もそれは変わらない。

ルポライターは幽霊

 二週間後、霊は桃香さんを連れて『三峯探偵社』に戻って来た。元経理マンだった霊は教団内部の不正な金の流れの濡れ衣を着せられて粛清された。それでも最後まで教祖を信じていたそうだが、教祖は何もしてくれなかった。
 元経理マンの霊は大口を開けて昼飯を掻き込んでいる賀茂さんとお銀さんと、宝子ちゃんにご飯を食べさせているミツミネの前で頭を下げ、安堵の表情を浮かべながら、消えた。よっ、と手を上げて見送る賀茂さん。行くべき所へ旅立ったのだろう。
「始めまして、桃香ちゃん。山の中ではお腹が空いていたでしょう。粗食は頭の中をクリアにしてくれるけど、あんたはまだ若い。沢山食べて体を強くしなくちゃね。謙信〜、桃香ちゃんの分を持って来てくれる?」
 はいはい、御用意してありますよ、と謙信がお盆の上に乗せた昼食を運んで来た。今回は軽く天麩羅蕎麦だ。蕎麦は九頭龍社からの届け物だ。
 だいきさんかつくもさんが気を使ったに違いない。但し、尋常な量ではなく、ここしばらく三食蕎麦がメインのメニューが続いている。蕎麦なら幌加内から取り寄せ致しましたものを、と道産子の謙信が対抗意識をむき出しにしている。
 あ、あの、おじさんが消えてしまったんですけど。ついさっきまで一緒だったのにどこへ行ってしまったんでしょう、と桃香ちゃんが不安げに事務所の中を見回している。
「おじひゃんか、おじひゃんは一足ひゃきに旅立った」賀茂さんが蕎麦で口を一杯にしながら答えた。「まあ、ソヒャーに座ってけんひんが作った蕎麦を食べなひゃい。はなひはそれからだ」相変わらす食う事優先の賀茂さん。
 は、はあ、と皆の気配に押されて箸を取る桃香さん。お腹がすいていたようで天麩羅蕎麦普通の人間一食分を完食した。
 やあ、食った食った、謙信の料理はいつも美味しいね、と賛美の声を聞きながら謙信が食器を持って退席した。夕食後にはおおばばさま&ばばさまと一緒に大衆演劇の小屋に芝居を見に行く予定で機嫌がいい。
 さーて、と、と賀茂さんが桃香さんに顔を向けるとお銀さんは宝子ちゃんを連れて自室に戻って行った。お銀さんは宝子ちゃんの守役であって、探偵業とは関係がない。
「さっきまで一緒にいたおじさんは実は幽霊でね、生前、さる教団で経理をしていたけど、濡れ衣を着せられて殺された人だ。桃香ちゃんがいずれそうならないように助けに行ってくれたんだよ」
「ゆ、幽霊って、あの……、本当の幽霊ですか?」
「幽霊に本当も嘘もないと思うけど。天眼老師様はおじさんの正体を見破れなかっただろう? あの爺様は余命を宣告されている人物でね、死ぬ前に注目を集めてちやほやされだけだったんだよね。千m水没する何てのも嘘だ。ただの思い付きよ。目が覚めた? 野宿が好きなら大学へ戻ってからそういうサークルに入りなさい。最近野外キャンプが好きな連中が増えているらしいじゃないの」
 そういう問題か、と勝手に飛躍する賀茂さんの言葉に突っ込みを入れたかったが、僕は黙っていた。キャンプ好きだから集団に加わったのではあるまい。
 大体こういう集団はやけにフレンドリーでお人よしが多い。そこに属していると楽なのだ。その中心たる天眼老師が悪い人である筈がない、と思い込む。
「天眼老師は奇跡でも見せてくれたか?」と賀茂さんの追及は続く。
「私が両親が歳を取ってからの子で、不妊治療を受けてやっと生まれて来た子だね、と言い当てました」
 ふふっと賀茂さんが笑った。
「そんな情報は桃香ちゃんが誰かに喋ったのを又聞きしたからだね。友人に連れられてナントカ道場とか研修会に行くと趣味やら兄弟の数まで当てられる。それで大方の人は騙されるけど、その友人が予め幹部か教祖様にぺらぺら喋っていたからだ。情報を制する者は世界を制す、だよね。だからペンタゴンが」
 話が脱線し始めた所で桃香ちゃんが「あの、私に親切にしてくれたおじさんは本当に幽霊だったんですか」と最初の質問に戻った。天眼老師より今は幽霊の方が気になる。あっさり「あれは幽霊」と言われて気にならない人間はいない。
 また話を戻すのか、と賀茂さんの声が少し険しくなった。いい人なんだけど、短気が欠点。
「あそこの廃墟には幽霊が出る、とか自殺の名所には幽霊がてぐすね引いて待ち受けていると言いながらわざわざビデオカメラを回しながら見物に行くくせに幽霊の存在を否定するのか」
「私は胆試しはしません」
「それは結構。幽霊にも根性が悪い奴もいるからね。君子危うきに近寄らず、だ。桃香ちゃんの前に姿を現したのは親切な幽霊だ。さる教団の……、えい、また振り出しに戻ってしまったじゃないか。これからご両親が迎えに来る。その時幽霊おじさんに説得された、と言うのも変だから、そうだね、怪しげな集団に潜入したルポ・ライター、って設定にしておこうか。で、ルポ・ライターはまだ仕事があるので疾風の如く立ち去った、と。はい、ルポ・ライター、ルポ・ライターと三回唱えて」
 ルポ・ライター? ルポ・ライター、ルポ・ライター! と三回唱えた桃香ちゃんは賀茂さんの洗脳完了。始めからそういう設定にしておけばいいのにね、と麻利亜さんが僕に耳打ちしたのを地獄耳で聞きつけた賀茂さんがアーモンド形の目で睨み付けてきた。麻利亜さんが急いで僕の後ろに隠れた。
 ミツミネは事務所では重石として存在しているだけで殆ど口を開かない。沸点が低い妻の話をどんな気持ちで聞いているんだろう。まあ、暴走する前に止めてはくれるだろうけど?
 午後二時、桃香ちゃんの両親がまたタクシーで素っ飛んで来た。突っ放してしまう親もいるが、両親は違った。なにしろ苦労して生んだ一人っ子だ。「桃香ぁ」「お母さん、お父さん、心配かけて御免ねぇ」の感動の再会だ。
「ルポ・ライターのおじさんが連れ戻してくれたの」と模範回答。
 ルポ・ライターのおじさん? 父親が賀茂さんに説明を求めた。
「そこの社員の田中が出版社関係者に顔が効きまして。丁度あの集団に潜入しているライターがいたので救出を頼みました。その人物は自分が教祖になれるくらい宗教通でしてね。子供騙しの天眼老師程度なら簡単に論破します」
 はあ、そうですか、と三浦氏は一瞬複雑な表情を浮かべた。子供騙し程度の集団に娘が取り込まれてしまったのが情けないのだろう。賀茂さんはいつも一言多い。
「では、後程請求書をお送りしますので、ご納得頂いたらお振込みをお願いします」これまた定番の科白だ。振込みをしない依頼人がいたら幽霊の一体でも憑けて催促するだろうが、今まで『三峯探偵社』の調査に納得しなかった人物は皆無だ。
「さて、今回は殆ど幽霊さんの仕事だった。私は二週間蕎麦メニューを食べていただけだからね。請求金額は百万円だけど、基本料金と諸経費だけ頂いて、後は幽霊さんに回すとするか。ミツミネ、それでいいよね」
 勿論、とミツミネが低音ボイスで答えた。妻がいいよね、と言ったらそれでいいのだ。しかし、もう死んでいる人物にお金を回しても使い道があるまい。
「黄泉の国に渡るには六文銭しか持って行けないそうだ。まさに死人に金は必要ないね。でもあの人は生前自分が信者を勧誘していたのをひどく後悔していた。後悔の念が少しでも残っていたらアチラでも居心地が悪いだろうね。被害者団体とやらがあるそうだから、そちらに匿名で寄付をするつもりだ。被害者から見れば少なくても、この際額は関係ない。あの人の心も幾ら楽になるだろう。次に生まれて来る時はどんな人になるかな。本物のルポ・ライターだったりして?」
 次とは言っても二百年後か三百年後か、と賀茂さんは呟いた。その時、賀茂さんはこの世にはいない。見届け役は僕だ。二、三百年後の世界はどうなっているのだろう。

大食漢達の饗宴

 『三峯探偵社』が無難な依頼を幾つもこなして稼いでいる間、あずみんは意外と熱心に製菓学校へ通っていた。あずみんの部屋はつくもさんが大幅に改築して、六畳一間は小学校の調理室に変貌した。霊道を通る霊たちが甘い香りに誘われて覗きに行くが全員青い顔をして出て来る。一体、何を作っているのだ。
 最初に試食させられたのが、多分誰が作っても失敗はしないであろうと思われるクッキーだった。
 星だのハートだのに形抜きされたクッキーを山ほど焼いたあずみんは事務所のロー・テーブルの上にどんと置いた。バケツに入れて持って来るとはどういうセンスだ。
「保子さん、美味しいクッキーが焼けたよ。食べてみてよ。宝子ちゃんにもあげるからね。はい、アーンして」
 あずみんはミツミネが止める間もなく宝子ちゃんの口にクッキーを押し込んだ。どれ、私も頂くかな、と賀茂さんは僕等が不審の目で見詰める中、星型クッキーを口にした。
 ゆっくり咀嚼した後、「うん、意外と美味しい」と次のクッキーに手を伸ばす。
「皆、何を警戒しているのさ。食べてみなさい、美味しいから」と言われてお銀さんと謙信が手を伸ばした。食べても物の味が分からない僕は遠慮した。
 『バイオ・ハザード』社が血液ガムの他に血液味クッキーとか血液ラーメンを販売してくれればいいんだけどね。遊び心のある研究員が既に開発しているのかも知れないが、まだ僕の処までは回って来ない。
「美味しいには美味しいが、ちょっと変わった味だね。あずみん、隠し味は何ですか?」
 賀茂さんがクッキーをごっそり手に取った。気に入ったみたいだ。「隠し味ってのは普通は秘密だよ。でも教えてあげる。蝙蝠の羽にイモリの黒焼き、それに鳩の心臓」
 このレシピ、賀茂さんが以前アウトロー吸血鬼の世話をしていたおばさんに飲ませた睡眠薬に似ている。あの時は鳩の心臓ではなくてチョウセンアサガオとか言っていなかったっけ。大丈夫か?
「鳩の心臓は公園で調達した。謙信、肉は後で丸焼きにしてくれない? 料理はあんたの担当でしょう」
 ふーん、鳩の心臓ね、と賀茂さんがもぐもぐしながら感心したような声を上げた。
「蝙蝠の羽とイモリの黒焼きまでは如何なものかと思ったけど、成る程、鳩の心臓か。それが微妙な味わいになってるんだね」
 僕には賀茂さんの味覚が激狂いしているとしか思えなかったが、謙信とお銀さんもせっせと手を伸ばしている。この面子、元々おかしいが、本当におかしい。人三化け七とはこの事か。
 大食漢の連中によって怪しいクッキーを入れたバケツはすぐに空になった。製菓学校ではどんな教育をしているのだ。製菓学校ではなく魔女の学校に通っているとしか思えない。
「学校で教えてくれるレシピだと何か物足りないんだよね。だからこれは私独自のレシピ」とあずみんがそっくり返った。製菓学校は魔女の学校ではなく、真っ当なお菓子作りを教えているって事ね。安心した。
 夕飯は当然の如く鳩の丸焼きだった。若い女の子が公園で鳩を追い回して首を捻っている姿を想像すると慄然とせざるを得ない。
 同じ公園で何回も鳩を捕ったら駄目だよ、と謙信が注意しているが、そんな問題ではないでしょうが。誰かお巡りさんを呼んであずみんを捕まえて下さい!
 あずみんは好評だったクッキーを『九頭龍社』に献上した。姉上のつくもさんと長兄のだいきさんが空を飛んで来てあずみんを褒め上げた。親神様はいたく感激されたそうだ。
「世界広しと言えどパティシエを目指す龍はおまえだけじゃ。ミツミネ殿に預けて間違いはなかった、と仰っている。我も嬉しい。ミツミネ殿、これからも宜しく頼む。これは土産じゃ」
 つくもさんが大口を開けて吐き出したのはまだぴちぴち跳ねている鯉が百匹。飛行途中、どこかの庭園で飼われていた鯉を失敬して来たのだそうだ。謙信が急いで盥に鯉を回収した。バケツとか盥とか、ここの連中はデリカシーに欠ける。
 普通、錦鯉何て食べようと思う人間はいないが、カラフルだろうが何だろうが鯉は鯉。もう、本当にお巡りさん呼ぶよ? 信じてくれるかどうか疑問だけど。
 時々空から魚やカエルが降って来て人間を驚かしているが、原因はこいつ等のせいかも知れない。オカルト・マニア垂涎のUFOも実は飛行中の龍だったりして。
 つくもさんとだいきさんは次の日の朝まで粘って鯉の煮付けの朝食を食べてから帰った。今回ソファーは崩壊しなかった。人間界の適正な重量を認識してくれたのだろう。ミツミネもさすがに龍が来る度にソファーの残骸を片付けるのは嫌だろうしね。
「あずみん、これから九頭龍社様にお菓子を送っても返礼は無用、とお伝えしなさい。人間の世界のようにあれを上げたからこれを、とやっていたら切りがない。手ぶらで来て頂いて結構ですよ」
 昼から置き出して来た賀茂さんは鯉の煮付けで丼飯を食べながらあずみんに声を掛けた。あずみんは今日は休校日で、謙信に言われて事務所の拭き掃除をしている。
「手ぶらで? 保子さんは勘違いをしている。姉上も兄上も謙信が作る料理が食べたかっただけだよ。いつもは生で齧るけど、煮付けた鯉もまた格別だって」
 あ、そう……、と賀茂さんが少し肩を落としたように見えた。自分が食べたかったから持ち込んだ。ただそれだけ。神様らしいと言えば神様らしい考えだ。人間の埒外にある。
 ミツミネ一家は宝子ちゃんがお山で修行中なので今年はどこへも出掛けない。僕と麻利亜さんは五月の連休中にどこへ行くか思案中だった。なるべくなら神社仏閣の近くは避けたい。これ以上神様の輪を広げるのは避けたい。しかし日本はどこへ行っても神社仏閣だらけだ。
 ミツミネが教えてくれたが、名の知れぬ小社に意外と強力な神様が住んでいて、そういう神様は気難しい方なのだそうだ。そんな事を言われたら危なっかしくてどこへも行けなくなる。
 『バイオ・ハザード』社傘下の旅行店に「神様がいない場所を探してくれ」とリクエストしても変な奴、と思われるのが関の山だ。賀茂さんに相談すると、「では、神除けの御札を売って進ぜよう」とセールスされた。
 値段は普通の御札は税込み五千円だが、こちらは何と十万円。魔除けの御札なら知っているが、神除けの御札があるとは初耳だ。
「シュールストレミングというスウェーデンのニシンを塩漬けの缶詰を知ってるかな。クサヤの約七・五倍の臭いがする食べ物だ。その強烈な臭気から更に十倍の臭気を閉じ込めた御札があるんだよね。金庫の中に厳重に密閉して置いてある。これを持っていればどんな神様も近付いて来ては下さらない。悪霊は喜んで来るみたいだけどね。一枚買うか?」
 とーんでも御座いません、そんな物いりません、と僕は即答した。神様は寄り付かないけど悪霊は来る。しかもシュールストレミングの十倍の臭いですと? そんな臭いを振り撒きながら歩いていたらどうなるか。考えてみただけで眩暈がする。
「何でそんな御札を持っているんですか。あ、金庫を開けようとしないで下さいよ。僕を殺す気ですか」
 不老不死の吸血鬼が何を恐れる、と賀茂さんは不思議そうな顔で僕を見た。まったく常識のない霊能者は困る。
 日頃の付き合いを考慮に入れて半額の五万円にしてあげよう、と売りつけられそうになったが、タダでも嫌だ。
 僕と麻利亜さんはさんざん考えた末、神仏とは縁がなさそうな大阪のUSJに行くことにした。さすがに中に神社や寺はないだろう。
 大阪は鈴木愛恋との思い出の地でもある。アウトロー吸血鬼との子を身籠った鈴木愛恋は生まれて来る子の為に日本からジュネーブに発った。
 愛恋からは一年に一回、賀茂さん宛に絵葉書が届く。賀茂さんが「絵葉書を寄越さなかったら殺す」と脅したからでもあるが、『バイオ・ハザード』社の庇護を受けて無事に子供を生めた感謝の気持が文面から読み取れる。
 生まれた子供は元気で暮しているかしら、と葉書を見せて貰った麻利亜さんが心配している。雑な賀茂さんでも宝子ちゃんの為には自分が出来る事は全てやってあげている。スイスにいる吸血鬼の仲間も愛恋のバック・アップしてくれている。何も心配ない。

 連休中のUSJは予想通りうんざりするくらい混んでいた。これだけ人がいると霊感持ちの人間が二、三人はいる。楽しいレジャー・ランドでぎょっとした視線を感じたが、お互い何事もなかったようにシカトで乗り切った。
 麻利亜さんのお出掛け着は淡い緑色の半袖ロング・ワンピースに濃い緑色のカーディガン。帽子には同じ濃い緑色のリボンが付いている。
 どれも出発前に一緒に買物に行って、麻利亜さんが着られるように賀茂さんにお焚上げして貰ったものだ。晴れ女らしく、連休中はずっといい天気だった。
 二泊したホテルも普通の対応で、幽霊社員も自縛霊もいなかった。全体的に見れば楽しい連休を過ごした。
 僕があと十歳若ければついでに色々な所へ足を伸ばしたんだろうけど、現在四十ちょい過ぎの年齢設定で、しかも見た目は一人だからUSJに連チャンで三回も行けば充分だ。アパートに帰るとなぜかほっとした。
 アパートに戻って二日後、大阪土産のたこ焼きセット百人分が宅配便で届いた。大阪では一家に一台たこ焼き器があると聞いているが、本当だろうか。
 たこ焼きセットはたこ焼き専用の小麦粉とパック入りの鰹節とソースで、たこ焼き器は別売りだ。箱を開けているとつくもさんが茹でダコを両手にぶら下げて現れた。神様は地獄耳だ。
 現われるやいなや、謙信とあずみんを呼んで他の具材を買いにやらせた。何で私が龍の使いをしなければならないのです? と謙信は渋い顔をしたが、「我一人で食べるのではない。宝子も食べるではないか」と言われて納得。
 探偵事務所には相応しくないたこ焼き器がセットされた。つくもさんが来るなら業務用を買うべきだったな、と反省したが、もう遅い。普通、百十人分だって店員が目を剥く量だ。
 謙信とあずみんは買物から帰ると急いで支度を始めた。始めは賀茂さんが焼いていたが、あまりの不器用さを見かねたミツミネが交代した。見た目は屋台のたこ焼きを売るテキヤさんみたいだ。
「これ、つくも殿、それはまだ焼けていないぞ」
「では早く焼け。その手付きは何じゃ」
「ミツミネ殿、これにはタコは入っていないよ。謙信、わざとか」
「いえ、お銀様、ちゃんと均等に入れてますって」
「姉上ばかり食べて、私の分がない。姉上の意地悪!」
「何じゃと。おまえはさきからタコをつまみ食いしておるではないか」
「つまみ食いしているのは謙信も同じだ」
「ミツミネ、宝子の分はちゃんと確保しておいてよね」
 皆自分勝手に喋って煩い。おまけに「謙信、ご飯はある?」と賀茂さん。炭水化物に炭水化物を追加する気でいる。
 酢飯にしたご飯に天カスと小エビと紅ショウガとタコと錦糸玉子を混ぜて、そのままの勢いで夕飯に突入した。
「姉上、タコが足らないよ。もっと持って来れば良かったのに」
「しょうがないではないか。川から海へ下った三十一番目の兄上を覚えておろう? ここへ来る途中に寄ってみたのだが、今日は小さなタコ十匹しかないと言うのでな。次に来る時はイルカでも用意して貰うか」
「イルカってオオサンショウウオより美味しいの?」
 姉妹揃って環境保護団体の反撃を食らいそうな話をしているし、また来るつもりでいる。
 どうぞ、その兄上がイルカなんぞ持たせませんように、と祈りながら僕は連休明けの会社に出社した。神様は悪食だ。吸血鬼の方がスマートに思えて来る。

依頼人は稲荷神様の眷属、白緒殿

 『三峯探偵社』に厄介な依頼が舞い込んだのは東京が梅雨に入った頃だった。僕が一時頃に起きると二階全体がやけに静かだ。
 あずみんは学校だし、大食漢達の昼食が終ったからだろうが、数多いる幽霊達の気配がない。墓場から伸びている霊道はアパートを大きくそれ、賀茂さんの私室にいる幽霊達も静まり返っている。
 霊感持ちの吸血鬼としては麻利亜さんの幽霊だけ見えればいい。幽霊は特に何をする訳でもないし、夏は冷房代わりになって便利だが、いかんせん、シカトするには数が多過ぎる。
 お早う、と声を掛けながら事務所に入るとミツミネが苦り切った顔のまま僕を見た。一方賀茂さんは神妙な顔の割には唇にうっすら笑みを浮かべている。
「今入って来た男は誰じゃ」この口調、神様関係者に違いない。UFJには神様はいないと思っていたのだが、またどこからか神様を連れて来てしまったのだろうか。それにしてはタイム・ラグがあるし、賀茂さんも何も言わなかったけど。
「我が社の調査員の一人でございます」と賀茂さんが唇に微かな笑みを浮かべながら答えている。正確に言えば調査員ではないのだが、今訂正する雰囲気ではない。
 僕こそ聞きたい、この細身のナイス・ミドルはどこの神様? 白いパーカにジーンズとラフな格好だがブランド品に違いない。
 僕は事務机の上の書類棚から『調査依頼書』を取り出そうとしたがミツミネに止められた。いよいよもって不可解。ミツミネと賀茂さんがソファーに座っているので僕は事務椅子に腰を下ろした。
「こちらは稲荷神様の眷属、白緒殿だ。関西は伏見稲荷様、関東は王子稲荷様の管轄であることは知っているな」
 ミツミネがナイス・ミドルの正体を教えてくれたが、管轄がある何て初めて聞いた。白緒さんは、じゃあ、王子稲荷の眷属の狐か。お稲荷様の社は多い。どこぞの社のボス狐なのだろう。
「『三峯神社』の大口真神殿の眷属が探偵社をしているのは斯界では有名じゃ。人探しが専門と聞いておる。故に今日は人探しを頼みに参った。そこの男、『調査依頼書』とやらをこちらに寄越せ。何枚でも書いてやるぞ」
 賀茂さんが僕を見て微かに首を横に振った。神相手に依頼書はいらないらしい。確定申告の時に出せる書類ではない事は確かだ。
「白緒殿はつい最近、連れ合いを亡くされたそうでな。次の妻になる女子を探してくれ、とのご希望だ。人探しには違いないが、ここは結婚相談所ではないからな。ネットの結婚相談所に登録されては如何、と勧めていたところだ」
「ネットの結婚相談所にはもう登録してある。SNSで知り会った女子共と合コンもやった。百人近くの女子と会ったが我の女子とは出会えずにいる」
 随分積極的な神だ。奥様が亡くなられたのはいつごろでしょうか、と賀茂さんが尋ねると、そうさな、人間界では徳川家康と石田三成が角を突き合わせていた頃であったかな、と白緒さん。
 お相手は百姓の娘で、白緒さんはその娘の住んでいた集落に祀られていた稲荷神で、娘に一目惚れした白緒さんは同じ百姓として婿入りし、真面目に、ひたすら真面目に働いて家を大農家にした。
「ははあ、稲荷神様はそもそも豊作の神。その眷属たる白緒殿が婿に入ったなら家も富みましょうな」とミツミネが頷いている。
 つい最近とは豊臣秀吉の末の頃、ってか。僕も時々時代感覚が分からなくなる時があるからこれからも言葉には気を付けよう。百年くらいしか生きられない人間と一緒に暮らすには結構気を使うものだ。
「その娘と一緒になったのは娘が十六の時であった。人から見ればおかしな男と見えたようだが、おかよは我を好いてくれてな、我の正体を知ってからもそれは変わらなかった。子を生す事なく三十六で亡くなったが、善き女子であったな。我はおかよが亡くなって一年後におかよの弟に総てを譲って家を出た。それからはずっと社で寂しい一人暮らしじゃ。またおかよに会いたいのう」
 おかよさんは二百年前に一度転生したが、白緒さんが駆けつけた時は既に他界した後だった。そろそろまた転成する筈、と白緒さんは結婚相談所やSNSでおかよさん待ちをしている。ただの婚活とは違う。
「それ程思って下さればおかよさんも幸せでしょう。いつごろ、どこでお生まれになるか白緒様はお分かりになりますか」
「さあ、しかとは分かりかねる。しかし最近気がそわそわするのでな。おかよが転生したのではないかと思う。我を見れば気が付く筈じゃ」
「見つけたおかよさんが既に老婆であっても構いませんか?」
 構わぬ、と意外と純情な稲荷神はきっぱりと答えた。老婆なら短い間でも死ぬまで世話をしてやろうぞ。そしてまた転生を待つ。
「では、私の力の及ぶ限りお探しいたしましょう。白緒様が仰るようにここは探偵社でございますからね。一番初めにおかよさんに出逢った頃の似顔絵を描いて頂けますか。転生しても面影はあるものです」
 田中っち、と呼ばれて、僕は白緒さんに紙とボールペンを渡した。白緒さんはしばらく考えていたが一気に似顔絵を完成させた。
 輪郭はソラマメ。それに点が二つは多分目で、くの字は鼻、横向きの小皿みたいなのは口だろう。本当にこんな顔をしているのか、それとも幼稚園児並みに絵が下手なのか。
「では白緒様、二十日間の猶予をいただけますか。さすがに転生を繰り返している人間を探すには時間が掛かります。この絵の他におかよさんの特徴はございますか」
 うむ、項に黒子があったな、と白緒さんは懐かしげに目を細めた。一度目の転生の時にも黒子があったとおかよを知る人から聞いている。見目形は変わっていても項の黒子が目印じゃ。
「項の黒子、ですか。分かりました、では二十日後にまたお出で下さい。白緒様の感が正しく、既に転生しているなら必ず見つけて差し上げます」
 おお、頼むぞ、と言い残して白緒さんは消えた。こんなへんてこりんな似顔絵と項の黒子だけを頼りに転生しているかどうかも分からぬ人間をどうやって探すつもりなのだろうか。ミツミネも珍しく心配気な顔をしている。
 さてと、と腰を上げた賀茂さんはスキャナーで似顔絵を取り込むと「おかよ」「首に黒子」と書き込んだ御札を大量に印刷し始めた。ご丁寧にWANTEDとも書いてある。
「この御札を各都道府県に飛ばしておかよさんを探す。御札が戻って来ればおかよさんの居所が判明するという仕組みだ。今までやった事ないけど、何とかなるんじゃないの」
「今までやった事がない? それでいいのか、保子? 私の仲間達と九頭龍社の面々に協力して貰ったらどうだ」
「事を大きくしたくないんだよね、それに神様は人間の都合で動いては下さらない。ましてや人間の女子を探して下さるとは思えないな。まあ、まず十日、御札が戻って来るかどうか待ってみようよ」
 賀茂さんは言葉どおり十日待った。目には見えない御札が日本中をとび回っている図を想像すると改めて賀茂さんの霊能力の高さに感動する。ステルス型ドローンを幾つも飛ばしているようなものだろう。それも霊力で、だ。
 宝子ちゃんの守役のお銀さんにはステルス型ドローンが見えている。秩父の上空を通過して日本海に向かって飛んでいったよ、何事か、と問いはしたが、事情を話しても「ほう、稲荷殿がな」と言ったきり、それ以上の関心は示してくれなかった。賀茂さんが言うように神関係の方々は動いてはくれない。
 結局無為に時間ばかり経ち、御札は一枚も戻っては来なかった。どうするのだ、保子、おかよはまだ転生していないのではないか、とミツミネ。冷静を装っているが、内心は困惑しているに違いない。
「いや、私は白緒様の勘を信じている。おかよさんは転生しているだろう。しかし日本にいるとは限らないな。ねえ、田中っち、ちょっと頼みがあるんだけど、小林課長に電話してくれないかな」
 はあ? 何で小林課長に電話しなくてはならないのだ。まさか、おかよさんが見つからなかったときの為の夜逃げでも考えているのだろうか。稲荷神の祟りは恐ろしい、と聞いている。
「あのさ、何で夜逃げしなくちゃならないのよ。稲荷神様の祟りだって? 自分で見付けられないのに人間の私が恨まれる筋合いはない。それより小林課長に電話だ。ほれ、早く」
 急かされた僕は元上司、今は家主の小林課長に電話した。『二千一年宇宙の旅』の保留音が流れた後に小林課長が電話に出た。古墳時代の見た目僕より若い吸血鬼だ。課長が出ると賀茂さんは僕から電話を引っ手繰った。それなら自分で直接掛けろ、ちゅうの。
「はい、小林です。ああ、賀茂さん? お元気そうで何よりです。は? 挨拶はいいから頼まれてくれと? それは賀茂さんの仰る通り『バイオ・ハザード』社は世界的企業で……。調査部を通じて世界中にWANTEDですか」
 賀茂さんは受話器を持ったままパソコンを操作している。どうやら「バイオ・ハザード」社のネットワークを使う気だ。日本にいないのなら世界中から探す。成る程ね。って、おかよさんは外人さんに転生してるってこと?
「今からこばちゃんのパソコンに画像を送るから、それを調査部に流してくれないかな。調査部はワールド・ワイドに活躍しているんでしょう? 人探しはお手の物だよね」
「秀吉が政権を握っていた頃の百姓の娘ですか? 二回目の転生先を見つけろ、と。そりゃまた難題ですなあ。あ、画像が届きました。これは……」と小林課長が息を呑んだ気配がした。ソラマメに目鼻、の絵では誰だって驚く。
 転生前の名はおかよ、項に黒子があるそうだ、と賀茂さんが決定的証拠を突きつけるように告げたが、オカメの画像の方がまだマシだ。暫しの沈黙が流れた。僕なら即、断わる。
「うーむ。我が『バイオ・ハザード』社の調査部は優秀です。他ならぬ賀茂さんのご依頼ですからお引き受け致しましょう。これを世界中の調査部にばら撒けば宜しいのですな。但し、あまり期待しないで下さい」
 おや、小林課長、引き受けちゃったよ。まあ、画像をばら撒くくらいなら大した仕事ではないが。
「元は日本人の女子だから、マサイ族やイヌイットに転生しているとは考え難い。日本人の海外駐在員の家庭をターゲットにしてくれればいいよ」
「それ程にして女子を探す理由が分かりませんが、賀茂さんが探しているならそれなりの理由があるのでしょう。早速調査部に回しておきましょう。海外駐在員の家庭ですね。それだけで調査範囲はぐっと縮まります」
 例の如く、じゃあね、で電話が切れた。調査部に渡りを付けられるとは、賀茂さんが以前指摘していたように案外大物なのだろう。こうして便宜をはかってくれる分、神関係の方々より吸血鬼の方が親切だ。

尋ね人はイギリス在住の6歳の女の子

 それから八日後、小林課長から電話が入った。イギリスに駐在中の某社員夫婦の娘が「それっぽい」らしい。画像が送られて来たが、項に黒子、顔は驚くなかれ、ソラマメ顔だ。
 画像を見た賀茂さんはよっしゃ!とガッツ・ポーズ。凡人が見ただけでは分らないが白緒さんのタグが付いているらしい。歳は六歳。夫婦は来年、日本に帰国予定だ。
「こばちゃん、確かにこの子だよ。『バイオ・ハザード』の調査部は大したもんだね。私が探しても見つからなかった子を探してくれた。このお礼はどうやって返そうか」
「いえ、礼など必要ありませんよ。山口を助けて戴いておりますからね。是非と仰るならこの先、悪霊に憑かれた同類がいたらお祓いをお願いします。今の所、霊感はあっても霊能力を盛った吸血鬼はおりせんのでね」
 なんだ、礼はいらない、と言いながら悪霊のお払いを頼んでいる。小林課長もなかなかのものだ。僕は『バイオ・ハザード』社の調査能力を誇らしく思った。まさにワールド・ワイドだ。
 そして約束の二十日後、ナイス・ミドルの白緒さんが再び『三峯探偵社』を訪れた。今回は白地に細い格子が入ったジャケットに黒のパンツ姿だ。本体はお狐さんだが、メンズ・ファッション雑誌でも見て時代に合わせているのだろう。
 ソファーに腰をおろすなり「ご苦労であったな」と賀茂さんを労った。
「おまえの御札が日本全国を飛びまわっているのを我も見ておった。さすがに代々霊能者の家系だ。しかし御札は一枚も帰って来なかったようじゃな。おかよはまだ転生しておらぬのか。気がそわそわするのは我の気の迷いか」
 いいえ、白緒様の気の迷いではありません、と真面目な顔で賀茂さんが答えた。
「おかよさんは既に転生されていました。私の放った御札が帰って来なかったのは、おかよさんが日本には居られなかったからです」
 な、何と、おかよは外国にいるのか、と白緒さんが身を乗り出した。日本のお狐さんが海外にまで出張出来るのかどうか疑問だ。海外には他の見知らぬ神々がいて、単身乗り込めば最悪四面楚歌だ。
「いえ、御心配なく。現在は駐在員の日本人夫婦の子としてイギリスに住んでおりますが、来年帰国します。現在六歳。華世という名です。はなよ、と呼ばれていますが、かよ、とも読めますね。この画像をご覧下さい。白緒様にはすぐにおかよさんとお分かり頂けるでしょう」
 パソコンの画像を見た白緒さんはおお、と声を上げた。「かよ」だろうが「はなよ」だろうが自分のタグが付いているのだから間違ったりはしない。
「間違いなく、おかよだ。幼き日、我の社の周りで遊んでいた時の姿そのままじゃ。相変わらず可愛いのう」白緒さんは満面に喜色を浮かべている。
 可愛い発言には異議ありだが、人、いや、神好きずきだから僕は黙っていた。ミツミネだって賀茂さんが美人に見えている。ちびまるこちゃんも見る相手によっては美人なのだ。
「御札でも見つからなかったおかよをいかなる手段で見つけたのだ」
「それは秘密でございます、白緒様。ただ、沢山の人達の協力があったから、と申しておきます。それより白緒様、華世さんをお迎えする準備をなさっては如何ですか。帰国した後、両親は横浜に住む予定です」
「そうじゃな、華世と再会するには我もそれなりの歳となり、それなりの環境が必要だ。どれ、今から横浜に居を構えるとするか」
 気が急いている白緒さんは礼も述べずに消えた。賀茂さんに言わせれば神様とはこんなものらしい。あくまで自己中。
 で、白緒さんはどうするつもりなのかね、と聞くと、
「そうだね、十歳くらいの子供に化けて華世さんの家の一軒隣の家のお坊ちゃまにでもなるんじゃないの? 白緒様ぐらいの力があればどんな設定も可能だからね。それで年頃になったら華世さんを嫁に貰い受ける。華世さんも以前の夫を忘れてはいないだろうからね、これで目出度し目出度し。華世さんの寿命が尽きるまで仲良く添い遂げるでしょうね。でもまた白緒さんは華世さんを待たなくちゃならない。華世さんが田中っちみたいに不老不死の吸血鬼だったら良かったのにね」
 それはどうかな。永遠の愛何てあるのだろうか。華世さんが死んでしまうから愛しい。また会える日を数えて過ごすから楽しい。遠距離恋愛の恋人達のようにたまにしか会えないから想いが募る。そんなもんじゃないだろうか。
「保子、私もおまえをずっと待っている」
 今まで黙っていたミツミネが堂々とのろけた。女子にとっては最高の愛の告白だろう。しかし賀茂さんは「いや、待たなくていいよ」とあっさりとかわした。
「私は再び生まれて来ようとは思っていない。ミツミネがいて、宝子がいる今が最高だと常々思って暮しているからね。死んだらしばらくはおおばばさまやばばさまのように霊体としてこの世に留まって宝子を守るだろうけど、その仕事を終えたら吹く風のように、流れる川のように、何の思いもなく自然に帰りたい。だからミツミネ、私を待つな」
 狼は鼻が利く。吹く風や川の流れにも賀茂さんの気配を探そうと思えば可能だ。しかし、今が最高に幸せと言った賀茂さんは転生を望んでいない。ミツミネは叱られた犬のようにしゅんとした。
 僕と麻利亜さんはそっと事務所を出た。他人のラブ・シーンを目の前で見せられるくらい恥ずかしい事はない。でもやっぱりミツミネも白緒さんも審美眼、おかしくないか?
 それから白緒さんがどうなったのかは詳しく聞いていないが、町内の建設業の社長が急に思いついて空き地を買い取り、小さな社を建てて稲荷神を勧進したそうだ。当然、そこに納まったのは白緒さんだ。
 稲荷神の狐は普通凛々しいお顔をしているが、この社の石の狐はどう見ても笑っているようにしか見えなくて、『笑い稲荷』と呼ばれている。
「田中っち、稲荷様を勧進した建設会社は繁盛間違いなしだ。今のうちに株を買ったらどう?」と賀茂さんが本気なんだか冗談なんだか僕に株の購入を勧めてくれた。
 僕は金儲けには興味がないし、オカルト雑誌の編集者としては神様関係の投資は遠慮したい。都市伝説かも知れないが、稲荷神はお世話に手の掛かる神様と聞いている。儲けより祟りが怖い。
「相変わらず田中っちは慎重だね」と賀茂さんが僕をじっと見詰めた。アーモンド形の目は悪戯っ子のようだ。
「実は私も株を買おうとは思わない。神様をダシにして儲けるつもりは更々ない。大方の霊能者も私と同じ考えだろうね」
 やれやれ、結局、冗談話か。小心者の僕をからかうのは止めにして欲しいものだ。

吸血鬼の眠り

 梅雨が開けた途端に東京は灼熱サウナ状態になった。地球温暖化説が正しいのか、これから氷河期に入るのか正しいのか、どちらが正解なのか、室町時代より暑いのは確かだ。
 テレビでは熱中症の注意喚起が流れ、一階の人間達はクーラーを付けっ放しにしている。それに比べて二階は霊的な意味も含めて別世界だ。数多集う幽霊達が外気温を奪ってくれる。実に過ごしやすい。
 『世界文献社』の若いトップも吸血鬼だからビルの温度は二十六度、などとケチな事はせずに低めに設定している。
 女子社員は夏でも膝をブランケットで覆い、カーディガンを羽織っている。外に出ると気温差でくらっとするそうだ。夏の間だけこのビルで寝起きしたいわあ、と言う人もいる。
 クーラーが壊れて扇風機だけの若林君は僕が出社すると自分の部屋の状態を愚痴る。
「部屋の戸を開けた途端にむわっとして、いつも『地獄の黙示録』っていう言葉が浮かびますよ。四階の部屋だから網戸にして寝てるんですけど、何回も目が覚めちゃって。扇風機もずっと掛けっ放しにしていると体に悪いみたいっすよ。ボーナスが出たらクーラーを買い換えなくちゃ」
「ボーナスが出る頃にはクーラーは売り切れてるんじゃないの?」
「そうなんですよ。扇風機もやっと最後の一台って言うのをゲットしましたからね。扇風機もクーラーも争奪戦みたいですよ。そう言えばそろそろ納涼特集ですね。最近テレビで心霊番組やってないけど、どうしてでしょう」
 若林君は怖がりなのに無類の心霊好きだ。普通、納涼なら山奥の清涼な滝とか海中散歩とか、手近なところでは花火大会ではないのか。納涼イコール心霊の発想が単純過ぎる。
「今回の『日本の洞窟巡り』はどの程度まで仕上がってんの」と僕はビジネスライクに若林君の質問を聞き流した。日常的に幽霊や神霊に付き合わされている僕としては今更心霊番組を見ようとは思わない。
「ああ、洞窟ですね。後は最終チェックだけです。洞窟専門家がいる何て初耳でしたけど、大学の探検部とか地質学の専門家とか、結構いるんですね、穴好きな人が。色々教えて貰いましたよ。日本三大鍾乳洞の一つの龍泉洞やら最大規模の秋芳洞とか日原鍾乳洞とか、有名な所は観光地になってますけど。下田の竜宮窟の画像を見た時は宮崎駿の『紅の豚』を思い出しました」
 イルミナティやら幽霊よりマトモだ。第三次世界大戦が起こって日本が参戦したら今度は洞窟にでも身を潜めようか。
 最近はわざわざオカルト雑誌を買わなくてもネタは動画サイトに溢れている。若林君の好きな心霊もネットではいつでも閲覧出来る。
 見たことがあるが動画だな、と思いながらテレビを見ていると、ネットから拾って来た動画の寄せ集めだったりする。
 これではテレビ離れが進んでもおかしくない。虚実取り混ぜて、ありとあらゆる物がネットの中にはあるのだ。卒論をコピペで済ます学生の気持も分からぬでもない。
 公募のデザインも発表された途端にどこぞのデザインとそっくり、と槍玉に挙げられる。ネットの時代はオリジナリティ喪失の時代かも知れない。
 退社の時間が来て、ノー残業が信条の『世界文献社』の社員達がぞろぞろ帰り始めた。「ここに就職したら他の会社には勤められない」と言われる程、ゆる〜い社風だ。まあ、儲け主義ではないからね。
「先輩、退社時間ですけど、僕、寝不足なんで、会議室でしばらく寝かせて下さい。先輩が帰るの、終電前でしたよね。十一時頃、声を掛けてくれませんか」
 若林君はコンビニ弁当を持って立ち上がった。涼しい社屋で夕飯を食べ、英気を養う気だ。
「ああ、いいよ、寝冷えしないように気を付けてね」と僕は答えた。巡回中の守衛さんの幽霊に覗き込まれなきゃいいけど、霊感なしだから元気に爆睡出来るだろう。

 若林君を起こしてから、僕と麻利亜さんは最終電車でアパートに戻った。深夜になっても東京は熱気が籠っている。駅からアパートまでは徒歩二十分。アパートが古いのと、徒歩二十分、家賃が安い理由だ。それに僕の部屋からは広大な墓地が丸見えだ。
 普通は墓地が見えるアパートは敬遠されそうだが、静かだし、突然タワー・マンションが出現する心配がない。墓参の季節は風に乗って線香の香がするが、日時限定の風物詩みたいなものだ。
 それに比べたら神社の方が剣呑だ。一度だけ、途中にある神社に参拝したら「夜は静かにせよ」とお告げがあった。お怒りモードだったので、それ以来神社には参拝していない。
 アパートの一階はまだ煌々と灯りが灯っていたが、二階は泥沼みたいに静かだった。神様関係者は早寝早起きらしい。僕と麻利亜さんはイヤホンを使ってネット配信の映画を見て、それからベッドで眠りにつく。寝る必要のない麻利亜さんは最近ずっとネット・サーフィンをしているか電子書籍を読んでいる。
 午前四時ごろになると一番先に謙信が起き出して朝食の支度を始める。賀茂さんを起こさないように米を研ぐ音も静かだ。包丁を使う音、味噌汁の香。正しい日本の朝だ。
 六時頃になると謙信があずみんと結界の中にいるお銀さんと宝子ちゃんに朝食を届けに行く。この時刻になると二階も賑やかになって来る。
 なにしろ大食い揃いだから、やれご飯が足らないの、お菜が足らないのと騒いでいる。
「お銀様は仕方ないとしても、あずみんは自分の分くらいは取りに来なさい!」
「どうせお銀殿の所へ届けるのだから私の分も持って来てくれたっていいじゃないの」
「いーえ、そうは行きません。あずみんは修行中の身でしょうが。上げ膳据え膳とはいかないんですよ。お代わりくらい自分でよそりなさい! 食べ終わったら台所の片付け、部屋のお掃除です! これはあずみんが女子だからそうしろと言っているんじゃないのですよ」
 はいはい、とあずみんが不貞腐れた声で答えているのも今や日常の音となりつつある。
僕の睡眠は物凄く浅い。寝ているようで半覚醒状態だ。いつ心臓を狙われるかも知れない吸血鬼の眠りだ。
 室町時代、吸血鬼になる前、僕はまだ湿地帯だった東京に住んでいて、半農半漁の生活をしていた。いわゆる一般ピープルだ。
 朝は謙信と同じ様に早起きし、夜は日没前に雑穀の粥を食べて記憶を失う程深い眠りについたものだ。今となってはその時の深い眠りが懐かしい。

首を竦める龍の姉妹

 朝の騒動が終るとあずみんが学校へ行く気配がする。学校の人間の女友達に感化され、最近は服装も派手目だ。
 つくもさんに服をねだり、ねだられたつくもさんがどこからかごっそり服を持って来た。僕の推測では衣料品スーパーから失敬した物だ。六畳の半分が服で埋っている。
 それを掘り起こして今日着て行く服を決めている。「人間の女子は面倒だね」と言っているが、服選びにかなりの時間を費やしているから楽しんでいるのだろう。
 賀茂さんからお小遣いを貰ってアクセサリーを買ったり、ファスト・フード店に寄り道したり、普通の女の子の生活を満喫している。
 とは言っても人間とは違うし、プライドだけはやけに高いから時々摩擦が生じる。そのひとつが「あんたが盗んだんじゃないの事件」だ。
 僕も人間に混じって暮しているから分かるが、人間の集団には必ずと言っていいくらい盗癖を有する人がいる。ロッカーからバッグがなくなった、お財布が消えた云々だ。
 製菓学校のロッカーでバッグがなくなった。簡単な鍵はついているが当日鍵を掛け忘れた女子学生がいた。
 帰りにロッカーを開けたらバッグが見当たらない。スマホと財布はポケットに入れていたので中には女の子らしい小物しか入っていなかったが、盗難は盗難だ。
 そのバッグはシャネルやエルメスといった高級品ではないが、現在女の子の間では人気のあるブランド品らしい。
 あ、それ知ってる、とファッションに詳しい麻利亜さんが言うのだから本当なのだろう。値段設定はちょいお高めだが、某人気タレントが持っていたのを理由にヒット商品になった。中でも白が人気だ。
 その白のバッグがなくなった、と大騒ぎ。女子学生達はわいわい騒ぎ、男子学生はそれを遠巻きに眺めているの図。ありがちな場面だ。
 その騒ぎには加わらず、二日後に白いバッグを手に登校したあずみんに疑惑が集中した。
「ちょっと、苅野さん、あなた、それいつ買ったの? バッグが盗まれた日の前には持ってなかったわよね」
「これは私がおばさんに買って貰ったの。一ヵ月も前に予約しておいたのが、昨日届いたんだよ」
「一ヵ月前に予約? 白はね、半年前に予約しなくちゃ手に入らないわよ。ねえ、そうよね?」と幾つかある女子派閥のボスが皆の同意を求め、「そうよ。簡単には手に入らないんだから。ちょっとバッグを見せてよ」「何であんた達に私の物を見せなくちゃいけないのよ」と口論にまで発展した。
 普通の女の子の振りをしていてもどこかずれているし、同じ菓子を作っても一味違ったスパイスで先生を唸らせているあずみんへの嫉妬が一気に噴出した。
「おやまあ、あずみんが欲しそうにしてたからちょっと細工をして早めに手に入るようにしたのに、とんだ災難でしたね」
 人間に化けるのも忘れ、小龍の姿で事務所の中を飛び回っているあずみんを賀茂さんは蚊を叩く手付きで捕まえるとソファーに投げ下ろした。あずみんがぐえっと妙な声を上げた。
 当然、庇護者であるつくもさんも降臨している。あずみんは涙を浮かべながらつくもさんの膝によじ登った。つくもさんが無表情なのが却って怖い。
「安曇を盗人扱いした女子はどこにおる。なに、どこに住んでいるのか分からぬと? では明日我が一緒に行って成敗してくれよう」
 成敗って、何ですか。この世から抹殺してしまう気でしょうか。龍を怒らせたらどなるか、多分、考えたくもない結末だ。
「つくも様、成敗するならバッグを盗んだ学生の方でしょう。他の連中はあずみんが自分の工夫で皆より美味しい菓子を作るのを妬んでいて、ここぞとばかりに突付いてみたくなっただけでしょう。出る杭は打たれる、と申しますからね。それに全員があずみんを疑っているのではありません。それどころか、多分、犯人の目星はついていると思われます」
「では、その犯人とやらを教えよ。我が成敗」
 つくも様、と賀茂さんがやんわりと遮った。
「盗癖のある人間は一度や二度では納まりません。その内尻尾を現わして噂になり、学校を止めざるを得ない状態になるでしょう。心の病に罹っている人間としてお見逃し下さいませんか」
「うむ、安曇への疑いが晴れるなら許してやってもよい。しかし学校を止めるだけでは緩くないか」
「そういう人間はどこへ行ってもまた同じ事を繰り返します。噂はついて回り、誰もその人を信用しなくなります」
「誰にも信用されないとは寂しい事じゃな。我ら兄弟はお互いを信用し、信頼し合っている」
「その人がどこかの段階でカウンセリングを受けられると良いのですが」溜息混じりの賀茂さんは既に犯人が分かっているのだろう。
「おまえは我らとは違った力を持っていると聞いている。その人間がカウンセリングとやらを受けられるようにしてやったらどうじゃ」
 成敗だのと息巻いていたくせに、簡単にタダ働きを勧めてくるつくもさん。
「つくも様がそう仰るなら手段を講じておきましょう。あずみん、嘘泣きは止めて姉上の膝から降りなさい。明日からまた堂々と白いバッグで学校へ行けばいいのです。それより姉上に先日作ったオリジナルの菓子を差し上げたらどうです? あずみんの菓子は美味しいからね」
 嘘泣きを見破られた小龍はバッタみたいにぴょんと跳ねていつもの色黒で背が低いあずみんに戻った。
「姉上、学校の先生も誉めてくれた焼き菓子だよ。私が考えた特製のクリームを付けて食べると更に美味しい。持って来るから待っててね」今泣いたカラスがもう笑った、状態のあずみんとニッコリ笑うつくもさん。神様系は単純だ。

 その二は「地黒にしてはチョッ黒過ぎるんじゃないの事件」。他愛のない話だが、女の子にとっては重大事。少し前に「やまんば」と呼ばれたチョコレート色の肌をした集団がいたが、今は美白の時代だ。
 曰く、しみ、そばかすが出来る。肌が老化する。皮膚癌になる。ビタミンD生成は一日日光を十五分浴びれば充分だ。
 女性が(と言うより世間が)美白を目指してくれるようになってから僕等吸血鬼もその恩恵を受けている。春先からUVカット製品が店頭に並んでいる。
 事の始めは「苅野さん、あなた日サロとか行ってんの?」という質問だ。
「ひさろ……。それはなに?」
 あずみんの頭の中では全国の神名を記した神名帳が捲られたが「ひさろ神」は見当たらなかった。
「やだ、日焼けサロンの事じゃない。苅野さんって、肌が黒いからてっきり日サロで焼いてるのかと思って。へえ、地黒なの? お父さんかお母さんのどちらかが黒人とかのハーフ? タレントでそういう人いるよね。ハーフだけど日本育ちで英語喋れないのが売りの人」
 言った本人に悪気があったのかどうか知らないが、言われたあずみんは「なにさ、あの人。人間のハーフか、だって。そんなこと、あるか!」とご機嫌斜めになった。
 あずみんの機嫌が悪くなると当然の如くつくもさんがやって来る。その速さからすると常にアパートの上空にいるのか、隣の墓地に居を構えているのか、と疑いたくなるくらいだ。
「我が妹を侮辱するとは、どこのどいつじゃ。二度と口が利けないように沼の底に沈めてくれるわ」と相変わらず物騒な事を平気で言う。今まで何人沼の底に沈めたのだろう。
「あずみん、人間と混じって暮らして行くには色々我慢しなくてはならない事が沢山あるものです。いちいち怒っていたらきりがない。短気を直すのも修行のうち。軽く流せばいいじゃないですか」
 短気な賀茂さんが短気なあずみんを諭している。傍から見ていると説得力ゼロだ。
「軽く受け流すって、どんな風に?」
「マイケル・ジャクソンの隠し子かもね〜、とか」
「まいけるじゃくそん、って誰よ」
「アメリカの有名なシンガーですよ。もう亡くなったけどね。オバマ元大統領の隠し子の方がもっと受けるかもね」
「なぜ隠し子ばかりなのだ。ひょっとしてミツミネに隠し子でもおるのか」
「私には隠し子などいないぞ」
「そうとも限らぬであろうが。狼は子沢山と聞いておる」
「九頭龍社様のように百匹もいるか!」
 つくもさんとミツミネが参戦して会話はどんどん不毛になりつつある。賀茂さんが隠し子などと言うからいけないのだ。
「えい、煩い奴らだ。例えば、の話じゃないか。ちょっとからかわれたくらいで脹れるな、と言っているのだ!」
 賀茂さんの短気が発動した。狼と龍を相手に「奴ら」呼ばわりをしているが、迫力に押された狼と龍は気付かずに口を噤んだ。
「だいき様は黄龍、つくも様は白龍、あずみんは黒龍とお見受けする。黒龍のあずみんが色黒の女子であっても不思議はないでしょうが。黒龍としてのプライドがあるなら人間の戯言など、ひらりひらりと身をかわせばよろしいのです」
「だ、そうだ。安曇。大体、おまえは末っ子故に甘やかされて辛抱が足らぬ。その足らぬ分、身の丈も足らぬのじゃ。器が小さければ幾ら食べても身にならぬぞ」
 いつもはよしよし、と頭を撫でてくれるつくもさんが諌めたのであずみんは本気でめそめそし始めた。
「ま、まいけるとやらの隠し子と言えばいいのか?」
「例えば、と保子が言っているではないか。聞き分けのない子じゃ。それで常々言っているようにふらんすに留学など出来ぬぞ」
 ミツミネ殿、安曇は本科と専科を終えたらふらんすに留学したいそうじゃ、とミツミネに向き直った。フランスに留学? と賀茂さんとミツミネが同時に声を上げた。
「ふむ、初耳か。安曇が言うには菓子作りの学校では本科が一年、専科が半年あって、成績優秀で卒業すれば学校がふらんすに留学させてくれるそうじゃ。ふらんすの学校と提携していると、安曇、そうであったな」
「渡航費は自腹だけど、授業料は免除だって。ねえ、私頑張るから、フランスに行っていいでしょう? 先生たちは才能がある、って言ってくれてるし、きっと優秀生徒に選ばれるよ」
 この家の決定権を握っているのは誰かを良く知っているあずみんが賀茂さんを潤んだ目で見た。ちびっ子龍はいつもこの手で親神様と兄弟達を籠絡しているに違いない。
「フランス留学、ですか。それもいいでしょう。でもあずみんの名付け親は宝子でしたよね。宝子にはもう相談したのですか。宝子が駄目と言えばフランスには行けませんよ?」
 宝子ちゃんだって美味しいお菓子が食べたいだろうし、意地悪なんか言わないよ、とあずみんが断言した。
 宝子ちゃんは見た目は幼児だが詰まっている中身が違う。あずみんがフランスに行きたいと訴えれば「いいよ」と答えるに決まっている。
「フランス留学の件は親神様もご承知か」とミツミネ。フランス留学のショックから覚めて現実的な心配を始めたのだ。末っ子を猫可愛がりしている親神様が我が子をフランスまで行かせるだろうか。
 問題はそこじゃ、とつくもさんが溜息交じりの気弱な声を出した。
「パティシエになるのには反対なさらなかったが、それは飽くまで父上の目が届く範囲での前提があるからじゃ。しかしふらんすとなるとな。西洋では東洋と違って火を吹く龍がいると聞いている」
「それは伝説でしょう?」と僕は思わず口を挟んだ。どういう理由か西洋の龍は火炎放射器にみたいにぼわっと火を吹く。それに比べると東洋の龍は水神様だ。
「そこの男、伝説と言うか。伝説とは不確かな事を指すのであろう。我は存在せぬ不確かなものか」
「いえ、つくも様は存在しております。今日もかちっとしたスーツ姿がお似合いです」
「世辞はよいからいつものように黙っておれ。幽霊を妻としているとは奇特な男じゃ。なぜ幽霊と一緒におるのじゃ?」
 つくもさんの目の瞬膜がぱちりと音を立てて開閉した。それ以上追求されたくない僕はまた聞き役に戻った。あずみんが色黒でからかわれた話から今はフランス留学へと変わっている。
「ま、とにかく父上は安曇の留学についてはあれこれ心配なさっていて、他の神様との碁打ちでも気が散って負け続けだとお嘆きだ。さて、どうしたら良いものやら」
「あずみんは学校へ通ってまだ半年足らずです。その内、気が変わるかも知れませんよ」
 気は変わらないよ、と即、あずみんが言い返した。「私は一度決めたら必ずやる。これまでもそうして来た。ねえ、姉上?」
 おまえは頑固だからな、それを知っているから父上も心配なさっているのだ、とつくもさんがあずみんの頬を優しく突付いた。
「あずみんが決めたならあずみん自身が父上に直接談判すればよいのです。専科は半年ですか? では専科を卒業するまでに父上としっかり話し合いをなさい。本気度を見せるならフランス語の勉強でも始めたらどうです?」
 フランス語ぉ、と今度はあずみんが瞬膜をぱちりとさせた。翻訳機でよくね?
「翻訳機? 何言ってんだか。日常会話ではなく専門的な用語が飛び交うのだろう? 菓子業界専門用語翻訳機があるのか?」
 さあ……、とあずみんがそっぽを向いた。
「そんな甘い考えなら留学など止めなさい!」
 賀茂さんがテーブルをばんと叩き、今まで人間如きに怒られた経験皆無の姉妹はソファーの上で身を竦めた。怒られ慣れしているミツミネは平然としている。
「人間世界を甘く見るんじゃないよ。霊力云々の問題ではない。人間には人間のルールがあるんだからね」
 御免なさい、とあずみんが呟いた。人間に謝るのも初めてに違いない。
「本当にこれからも菓子作りを続け、フランスに留学する気があるなら私も一肌脱ぐつもりでいます。フランス人夫婦が経営している洋菓子店があります。私が子供からの知り合いで、日本語は未だ得意ではない。学校から帰ったらそこにバイトをしに行きなさい。フランス本場の菓子作りとフランス語が同時に学べる。行く気はありますか?」
 あのでも、そうするとご飯を食べる時間が、とあずみんがもにょもにょ言って身を縮めた。再びのテーブル叩きを恐れたのだろう。
 賀茂さんはテーブルの上に身を乗り出した。
「今まで謙信があずみんに食事をさせなかった事がありましたか?」「ないです」「じゃあこれからも食事の心配はない。謙信に感謝するんですよ」「はい……」と答えるあずみんを残してつくもさんはいつの間にか姿を消していた。

第五章(最終章)へ続く


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