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長編ホラー【続・幽霊のかえる場所】 第一章

阿佐野桂子

   

第一章


『三峯探偵社』

 僕は五百年以上生きている吸血鬼で、現在は吸血鬼集団が運営する『バイオ・ハザード』社日本支部傘下の『世界文献社』でオカルト雑誌の編集者をしている経緯は以前述べた。
 僕等は常に目立たないようにひっそりと生きている。故に、傘下の企業も常に二流三流を目指している。上層部には吸血鬼の仲間が納まっているが、他の社員は普通の人間だ。
 人間は寿命が尽きれば死んでしまうが僕等は歳を取らない。ただそれでは疑われるので外見だけは年齢相応に取り繕い、適当な所で定年退職するか病死した振りを装って他の傘下企業に転職する。
 なにしろ二流三流が目標だから社風もおっとりとしていてどこかのブラック企業とは大違いだ。残業もなく九時五時勤務の人間は大いに感謝しているに違いない。
 僕の肩書きは副編集長で、勤務時間は午後四時から終電直前まで。夏場は午後四時でも太陽が沈むのが遅いからたっぷりとUVカットのクリームを塗ってから出社する。伝説の吸血鬼は太陽光に当ると灰になると言われているが、実際は灰になったりはしない。ただ日光アレルギーで皮膚炎を発症するからクリームは欠かせない。
 現在製薬会社に勤務している元同僚の高橋がいる研究室では難病と呼ばれる病気治療の研究とともに日光アレルギー対策の薬の開発も進められている。
「一度飲んだらずっと皮膚炎とおさらばできる薬だぞ。今のところ治験中だが、これが完成すれば日中でも安心して出掛けられる。人間の世界でも飲む日焼け止めが発売されているが、主な成分はニュートロックスサンやメロングリソディン、ファーンブロック、クコの実エキスなんかで今はサプリ扱いなんだ。実質効果があればサプリでも構わないんだけど、毎日飲むってのが面倒でね。将来ここよりも日光量が少ない星に移住できればいいが、今のところは必要って訳さ」
 飲む日焼け止めサプリに美肌効果があると聞いて麻利亜さんがぐっと身を乗り出した。
 僕ら吸血鬼がそれらしい歳の取り方に苦労しているのとは違って幽霊の彼女は永遠に若いままだ。今更老化防止も美肌もあるまいと思うが、女性は幽霊になっても美容には興味津々だ。
「そ・れ・っ・て・お・た・か・い・の?」と例の如くまどろっこしい話し方で僕に尋ねてきたが、この場合は無視。高橋は僕の嫁さんが幽霊だとは知らない。
 僕が隣の椅子に向かってどうだろうね、多分高価なんじゃないかな、でも君はサプリなんか飲まなくても充分綺麗だ、などと歯の浮きそうな返事ができるわけがない。
 僕と麻利亜さんが小林課長所有の部屋に移ってから丁度一年。その間、高橋は月に一度の割合で九州から上京して僕のもとを訪れるが、未だに幽霊の嫁さんがいる、とは言っていない。
 僕が一度幽霊になって戻って来た事情を知っているからこの世には幽霊なるものが存在しているのは知っているだろう。しかし実体を取り戻した僕が霊感持ちの吸血鬼になった経緯までは知らされていない筈だ。
 それに高橋は霊感がない。この異常に幽霊密度が高いアパートで何も感じないのは鈍感極まる。幽霊の嫁を貰った、と教えてやってもいいが、見えないし声も聞えないなら紹介してやっても無駄だろう。「貞子」みたいな人騒がせな怨念系の幽霊を想像されても困る。
 ひとしきり研究の進捗状況を語った高橋は「おまえの嫁さんはまた買物か?」と毎度同じフレーズを口にした。麻利亜さんが高橋に向かってアッカンベーをしている。
「ところで、いつもここに来る度に気になってしょうがないんだが『三峯探偵社』ってなんだ?」
 僕と麻利亜さんは二階の北東の角部屋にいる。一日中日当たりが悪くて薄ら寒い、まさに理想的な家相の部屋だ。隣、つまり北西は今のところ空き部屋で、廊下を挟んだ日当たりの良い南西、南東の二部屋は賀茂さんが借りている。南東の部屋は賀茂さんの私室で、南西の裏鬼門の部屋が『三峯探偵社』だ。
 一階の四室は普通の人間が普通に居住している。休日にベランダでBBQをしようとするような非常識な人間はいない。小林課長が言うには全員がO型の血液の持ち主だそうだ。
 賀茂さんの私室とは言ったが、賀茂さんが里見八犬伝みたいに神使いの子を身篭ってから世間的には三峯剛の妻となったので、今は三峯保子と呼ぶのが正しいのだが、僕の中では賀茂さんは永遠に賀茂さんだ。
 賀茂さんもさすがに『三峯神社』の名を頂くのは恐れ多いと思っているらしく私室にしている部屋の扉には『賀茂流霊能者協会』と書いた名刺が呪符みたいに張り付けてある。
 僕ならこちらの名刺に興味を引かれるが、高橋は『三峯探偵社』に関心があるらしい。「さあ、出入りが少ない事務所だから何をしているのか分からないな」と僕は惚けた。
 アウトロー吸血鬼を退治した破邪の巫女と『三峯神社』の神使いの狼が探偵社を開業しているなんて、口が裂けても言えない。
「今時探偵社を名乗るのはダサい。何とか興信所とか何とかリサーチならまだマシだがな。それにこんな古いアパートに入居しているのが怪しい。依頼者の秘密を掴んで揺する悪徳探偵の」
 そのダサい探偵社から地鳴りのような唸り声が聞えたような気がしたので、僕は慌てて高橋の言葉を遮った。
「電話帳の職業欄やWebサイトでも探偵社を名乗っているところは幾らでもあるよ。イメージ先行で悪徳と決め付けるのはどうかな。『三峯探偵社』、分かりやすくていい名じゃないか。ハッピー興信所とかニコニコ・リサーチの方が却って怪しい」
「ニコニコ・リサーチだと? おまえのネーミングのセンスはどうなってるんだ。せめてだな」
 それからお節介にも高橋は『三峯探偵社』に替わるセンスの良いネーミングを幾つか考え出して帰って行ったが、僕にはその名前を提案する気がさらさらないことだけは明言できる。

ある日の調査依頼人

 ここのアパートはフローリングの六畳二間に四畳半が一間、キッチン、トイレ、浴室が完備している。古いが住み心地のいい場所だ。ただ道を挟んだ東側が墓地で、北東から南西へ霊道が通っているのが難点だ。
 賀茂さんが言うには「霊道」とはそのものずばり霊の通り道だそうで、幸い一階は霊道からは外れている。
 小林課長がなんでこんな剣呑な場所にアパートを建ててしまったのか分らないが、霊感のない者はえてして安易な選択をする。僕達が入居するまで二階は間借り人が定着しない、空き部屋率の高いアパートだった。
 家賃を値引きしてまで僕と賀茂さんを入居させたのは親切心だけではなさそうだ。僕は霊感持ちで嫁は幽霊、賀茂さんは霊能者だ。変事が起きても引越しはしない、と踏んでのことだろう。
 現在南西は『三峯探偵社』が入っているので霊道は逸れて北東から入った霊は廊下を直進してそのまま壁に消えて行く。神使いが陣取っている場所を抜け道にしようとする胆の太い霊はいない。
 霊道は開いたり閉じたりしているらしいが、僕達が入居した時は丁度霊道が開いている時期だったらしい。僕は北東の隅からぞろぞろ現われる霊をひたすら無視し続けた。霊感があっても対処能力がなければシカトしかない。
 霊道が通っているだけではなく、賀茂さんの母親と祖母が霊能力者の幽霊だからあちこちで霊を拾って来る。このアパートが異常に霊密度が高いのはその為だ。
 賀茂さんとミツミネの間に生れた宝子ちゃんは洋風に言うとハーフ・ゴッドだから霊がいるのは当たり前と思っている。それどころか幽霊を相手に遊んでいる。心霊界のエリートだ。『三峯神社』からは三歳になったら一年間出仕するように言われている。
「三歳で一年間も親元を離れるのって、酷じゃないか?」
「三つ子の魂百までって言うからね。それに本人はフォグワーツの魔法学校へ行くみたいに思っているらしいし、あちらに行けば他の神使いが面倒を見てくれるって話だから、いいんじゃない?」
 賀茂さんは僕の心配を他所に幽霊達の体を突き抜けて超高速はいはいをしている我が子を頼もしげに眺めている。僕は子育ての経験がないから分らないが、生後一ヶ月の赤ん坊がはいはいをしていいものだろうか。
 現在賀茂さんは本当に困った人だけしか相手にしない。強欲な兄の正樹がプロデューズしていた時と比べれば収入は一桁も二桁も低い。
 それで子持となったミツミネが始めたのが『三峯探偵社』だ。私室でのミツミネは以前と同じ芝犬の姿だが、世間的には身長百九十㎝の大男でライダー・スーツにサングラスという強持てな姿をしている。
 電話予約でやって来た客はまずその偉容に圧倒される。高橋が言っていたようにどう見たってヤバイ探偵だ。下手に個人情報をだらだらと漏らしたらそれこそ恐喝のネタにされそうな雰囲気だ。
 一応助手は賀茂さんだが、こちらも背間からずれているからお茶出しもしない。運が良ければペットボトルのお茶ぐらいは出るが、基本、放置だ。
 そこに駆り出されるのが僕だ。幽霊の時は睡眠さえ必要なかったが、実体を取り戻してから昼間は睡眠の時間と決まっている。殆ど電源OFF状態のところを無理矢理スマホで起こされる。電源を切っていても、充電を忘れていても繋がってしまうのが脅威だ。
「田中っち、ミツミネの所にお客様だよ。ちょっと起きて手伝ってくれないかな」
 「くれないかな」とは言っているがこれは完全に命令だ。年を経れば消滅してしまうらしい麻利亜さんの霊体強化をタダでして貰っているし、吸血鬼を一瞬で灰にしてしまう強力なアイテムを持っている。ご機嫌を損ねたら二人とも消されかねない。
「田中っちの勤務に差し支えないように四時前には切り上げるからさ」と言われても充分に勤務妨害だ。「はいはい」としか言えない僕は永遠に賀茂さんの下僕なのだろうか。
 僕は数多の幽霊がぎゅうぎゅう詰めの廊下を「霊なんて見えません。これっぽっちも感じません」を装ってミツミネの事務所に到着。
 勿論麻利亜さんも一緒だ。幽霊達は一瞬おや?と麻利亜さんを見るが、執着霊と分かると放っておいてくれる。浮遊霊と執着霊では霊界でもジャンルが別らしい。中には僕が麻利亜さんを殺した、と勘違いしている幽霊がいるかも知れない。
 心外だが、麻利亜さんの白いロングドレスは自殺した時の様子を再現したまま血塗れなので、僕が殺した、と思われても仕方がないところではある。
 コンコンとドアを叩いて『三峯探偵社』に入ると大男とちびまるこちゃんと客が連れて来た二体の幽霊がローテーブルを挟んだソファーで対峙していた。
 客は今にも逃げ出しそうな態勢だ。僕は『三峯探偵社』にはいない筈の幽霊を見て思わすオッと声を上げそうになった。しかし見えている事に気付かれたくないのでここでもシカトを通す。
「あ、ウチの田中が参りました。実際に調査するのは田中ですので、詳しいお話を伺わせていただけますか」
 ウチの田中って、何だよ、と反抗的な気持を押し殺して茶の用意をする。茶葉は静岡の『山住神社』から『三峯神社』に送られ、それを下賜されたものだ。普通の人間がめったに飲める代物ではない。
 客は四十代の中堅サラリーマン風。量販店で購入したであろうスーツを着ている。茶を客の前に置いて、お話を伺いましょう、と僕は言ったが、実はもう用件も答えも賀茂さんとミツミネにはお見通しだ。
 優秀な占い師は「黙って座ればぴたりと当たる」そうだが、霊能者と神使いが揃っていれば電話をした時点で調査などしなくても用件は済んだも同じだ。
 しかしここで用件も聞かないうちに即断即決となると客は信用しないだろう。第一調査料が頂けない。少なくとも一週間くらいは引き伸ばして料金を稼がなくてはならない。
 既に用件も答えも知っている二人(実は一人と一頭)の前で僕は精一杯の演技をしなくてはならない立場だ。
「お名前と住所と連絡先を記入していただけますか」と『調査依頼書』を客に提示して記入して貰う。客からすれば強持てのミツミネより僕の方がすっと安心できる相手だろう。
 客が用紙に記入している間、僕の頭の中に賀茂さんの思念が割り込んで来た。用件は人捜し、尋ね人は中学生時代の学友で現在は沖縄に住んでいる。既に結婚していて子供が二人。旦那はスキューバ・ダイビングの店を経営している。彼女の方は彼の事は殆ど忘れている。そして村崎氏自身は……。なるほど。「で、村崎様、今回はどのような御依頼でしょうか」と僕は記入済みの調査票を受け取って尋ねた。麻利亜さんが横から『調査依頼書』を覗き込んでいる。僕は二体の幽霊の方が気になる。
 陰気は感じられないから村崎氏に害をなす幽霊ではなさそうだ。むしろ村崎氏を心配している?
「実はですね」と話し始めた村崎氏。賀茂さんのレクチャーどおり人捜しだ。
「中学生時代の同級生だった生田真美さんの居場所を捜して欲しいんです。いえ、会いたいとまでは言いません。今どうしているか知りたいだけです。できればどんな姿をしているか写真か動画を」
 賀茂さんが宙を見詰めている。現在業務用パソコンに動画ダウンロード中。仕事は既に完了だが、ここで「はい、これです」と動画を見せる訳にはいかない。
「これが中学生時代の彼女の写真です」と村崎氏が紙袋から取り出したのは卒業アルバム、略して卒アルだ。現在では学級別、部活別DVDが付属している所もあるらしい。何だか頭の中にユーミンの歌が響いて来た。
「三年A組の集合写真のこの人が生田真美さんです。学級委員をやっていて頭のいい人でした。クラスの男子の半分は生田さんに憧れていました。中学時代の同級生が集まった同窓会で一回会えたんですけど、それ以後はさっぱりでして」
 その生田さんは大学を卒業した後、商社でOL勤めをし、夏休みに沖縄旅行に行った時に旦那と知り合い、現在は今井姓を名乗っている。
「と言う事は高校時代までの住所はお分かりということですね? 他のお友達からの情報はありませんか」
「大学へ進学したって話は聞きましたが、住所までは。彼女の父親は転勤族で、三年に一度くらいは転勤してましたからね。高校時代は甲府にいてそこの学校を卒業した、と聞いています。彼女のことですから、多分大学まで進学したのではないかと思いますが」
 ああ、××大学の英文科ね、と僕は思わず口にしそうになった。既にこちらはすべての情報を掴んでいる。悪いけど、村崎氏の情報も、だ。
「個人情報は保護されていますから共通のお友達でもない限り消息を探るのは無理でしょう。我が社は勿論、村崎様のご要望にお応えできますが、だからと言ってすべてのご依頼を受ける事はありません。こう言っては何ですが、ストーカー行為をする為に探偵社を利用するお客様もいらっしゃる訳でして。一応理由を聞かせて頂けますか」
 これは客に対する枕詞みたいなものだ。賀茂さんがさっさと生田さんの現在をダウンロードしたのは村崎氏がストーカーではないからだ。
「理由ですか。ただ懐かしいからじゃ駄目ですか?」
 ストーカーという言葉を聞いた村崎氏は顔を強張らせた。多分、どこの探偵に頼んでもホイホイと情報が上がって来ると思っていたのだろう。確かに普通の探偵社ならそうかも知れない。しかし、ウチは違う。
 ウチと思った瞬間、ミツミネがニヤッとしたのが見えた。探偵助手確定か? いつもいいように使われる自分自身に僕はがっかりした。
「懐かしい、そうですね、人間、何かあった時、ふと思うものです。幼稚園の時の星組さんのあの子はどうしているだろう、小学校の時に好きだった子は何をしているだろうか、とね。中には借金の申し込みをしたくて級友に当る人もいます。まあ、そう怒らないでくれませんか。村崎様の場合はわざわざ調査費を払ってまで生田さんを捜すのですから借金を申し込むのではない事は確かです。少なからぬ調査費を払って生田さんと連絡を取ってもお金を貸してくれる保証はゼロですからね。ストーカーの件も可能性はゼロでしょう。ストーカーは独特の雰囲気を発しているものですからね」
 あ、当たり前じゃないですか、と村崎氏は激怒寸前の顔で席を立とうとした。二体の幽霊まで険しい顔で僕を睨んでいる。恐ろしや。
 ミツミネと賀茂さんは静観の構えだ。ミステリーには安楽椅子探偵のジャンルがあるが、ここはそれ以上だ。聞き取りなんて必要ないと思っているのだろうが、だからと言って僕を助手扱いするのは迷惑だ。僕には本業がある。
「失礼な事を申し上げているのは承知しています。しかし世の中物騒な時代になりまして、探偵社も慎重にならざるを得ない事を御了承頂きたいのです。これから人を殺しに行こうと思っている方に相手の住所を教える訳にはいきませんからね」
 と言いながら探偵社の心得を語る自分自身にうんざりしていた。しかし、DV夫に元妻の転居先の住所を教えてしまう公務員もいるくらいだから、探偵社とて注意をしなくてはならない。
「気を悪くなさらないで、お茶でも召し上がってください。調査はお引き受けします。最後に分かっている住所を教えて頂けますか」
 村崎氏はストンとソファーに腰を下ろして温くなった茶をズズッと啜った。神から下賜された茶だ。飲めば一ヶ月は気分良く暮せる筈だ。
 色々と例えは悪かったかもしれないが、『三峯探偵社』は堅実がモットーなのだ。そこに親身という文字が加わるかどうかは賀茂さん次第だ。
 村崎孝雄四十六歳。独身。両親は不幸な事故で二十二年前に亡くなっている。僕が見ているのは先に亡くなった両親の幽霊だ。息子が心配で未だに行くべき所へは行けていない。
 そして当人は癌で余命三ヶ月。サラリーマンの格好をしているが既に会社は退職して終活の最中だ。大学時代の友には既に会って心の中で別れを告げている。
 生きている間に顔を見ておきたい相手は後一人。それが中学校時代の初恋の人、生田真美さんだ。村崎氏は目立たない少年だったから生田さんは覚えていない可能性が高い。
 当然ながら借金目当てでもストーカーでも殺人予備軍でもない。純粋に昔を懐かしむ、それだけだ。僕にも会いたい人はいるが、全員鬼籍に入っている。
 本当は必要ないが、三年A組の卒アルの写真をコピーしてから村崎氏に返却した。普通の探偵なら巻末の住所録から足跡を辿って行くのだろうか。そこら辺は僕には分からない。
「調査結果は一週間後になりますが、よろしいでしょうか」
 僕が聞くと村崎氏は微妙な顔つきになった。ここに来るまで余命の半月は終活に費やしている。残り二ヶ月半のうちの一週間は貴重な時間だろう。幽霊二体も僕を睨むのはやめて心配そうな顔をしている。
 賀茂さんとミツミネは見事に気配を消しているが、同じ幽霊仲間の麻利亜さんが床上十㎝をふわふわ移動しているのにも気が付かないくらい、二体の幽霊は息子の体が心配なのだ。
 しかし、今飲んだ茶で体調は幾らか緩和されている。当人の寿命までは伸ばせないが、少なくとも一ヶ月は痛みもなく過ごせる筈だ。痛みさえなければ人間は意外と持ち堪えるものだ。
「一週間ですか。今どこに住んでいるのかも分からないのですから仕方ありませんね。それで着手金はいかがほど……」
「いえ、当社は成功報酬制ですので着手金は頂きません。調査報告に納得いかれましたら請求書に記載されている口座に振り込んで頂ければ結構です」
 現金主義の賀茂さんもミツミネの仕事に関してはしぶしぶ銀行口座を開設している。お陰で確定申告の時は無駄な労力を、と文句たらたらだが、一家を構えて無収入とは言えないだろう。
 僕だって『バイオ・ハザード』社を通して政府への上納金を払っている。住民税は仕方ないとして、年金、健康保険、介護保険は僕にはまるで関係ないが、それでも払っている。「生かさぬように、殺さぬように」の時代の年貢を払うよりはまだマシか。
 来た時より顔色が良くなった村崎氏と二体の幽霊が事務所を退出した後、賀茂さんから説明を受けた麻利亜さんは寿命を伸ばしてあげられないものかしら、と気にしているが、それは無理だ。神使いであるミツミネさえ人の寿命は左右できない。偉大な宗教家だって人間である限り死ぬ時は死ぬのだ。
 それから一週間後、村崎氏は本当に余命を宣告された人かと思うほど元気そうな顔色で再び『三峯探偵社』に姿を現した。『三峯神社』下賜の茶の効き目は素晴らしい。それでもやはり前回よりは痩せている。二体の幽霊まで痩せて見える。
「一週間のうちに大分お痩せになったようですが、どこかお体の具合でも?」
 今日もスマホで呼び出された僕は開口一番尋ねた。癌で死ぬ人間に今更だが、それほど村崎氏は激痩せしている。
「いえ、ちょっと……。あの、炭水化物ダイエットご存知ですか。こちらに伺う前からそのダイエットに取り組んでいまして、八十キロあった体重が六十まで落ちました。昔着ていた服が着られるのは嬉しいですね」
 村崎氏はしょうもない嘘をついた。自力で終活をしている人間だ。変に同情されたくないのだろうが、幾ら何でも二十キロもそんなに急に体重を落したら異常でしょうが。
「田中さん、村崎さんにお茶を」と賀茂さんが指示を出した。どうやら賀茂さんの親切心が発動したようだ。僕はお茶汲みOLではないが、素直に指示に従った。
「先週こちらに伺った時に頂いたお茶、美味しかったです。痛みも和らいだ様な気が」と言って村崎氏は言葉を止めた。これ以上喋ったら体調不良を申告しているようなものだ。
「それで、早速ですが、生田さんは現在……」
「保子、デスクの上のノート・パソコンを持って来なさい」
 ミツミネが初めて口を開いた。
「現在生田さんは東京には住んでいませんでした。現住所は沖縄県ですな。こちらの田中が現地まで行って動画を撮影して来ました」
 ミツミネ、さりげなく出張費を請求していやしないか。本当は『三峯探偵社』の誰一人出張などしていない。
 もうすぐ死ぬ人間から架空出張費まで請求するのは普通なら気が引けるが、もうすぐ死ぬんだからこれ以上金は必要ないだろう、とも言える。
「高校生以後の情報が少なくて難しい調査でしたが、結果はご覧の通りです」
 ミツミネが動画を再生し始めた。
「現在は沖縄在住。今井さんという方と結婚して高一と高三の二人の子供がいます。旦那となられた方はスキューバ・ダイビングの店を経営しておられますな。夫婦仲はまあまあ、といったところでしょうか」
 動画は一家揃ってダイビングに興じている姿を捉えている。海が透き通って美しい。『美ら海水族館』に行きたいわ、と麻利亜さんが口を挟んで賀茂さんに睨まれている。
「その、夫婦仲はまあまあ、とはどういう意味で?」
 動画を見ながら村崎氏が質問。
「まあまあ、というのは普通、という事です。何年も一緒にいればたまには大喧嘩をして離婚などを考えたりしますが、有耶無耶になって結婚生活が続いて行くと、まあ、そんな普通の家庭ですな」
 はあ、なるほど、と頷きながら村崎氏の目は生田さんの姿を追っていた。次のカットはダイビング・ショップの店先で海を眺めている生田さんのアップ。
「確かに真美さんですね。彼女、ちっとも変わっていない。中学校の時は色白でしたが、今は日に焼けて健康そうだ。背丈も僕が知っている時よりだいぶ伸びたかな」
 もうすぐ死ぬ自分と対比してか、村崎氏の目が潤んでいる。
「DVDに焼いてお渡しできますが、どうします?」とミツミネ。また諸経費を上乗せするつもりか? しかし村崎氏はやんわりと拒否した。
「今の生田さんの姿を見られただけで充分です。DVDなど頂くと未練が残りそうな気がします。僕は未練など残したくありません。その為に調査をお願いしたんです。一つお願いがあるのですが、この動画、ここで気の済むまで見せて頂けないでしょうか」
「私達は席を外しますから何回でもご覧ください。未練を残さぬようにね。人間、亡くなる時は未練が少ない程早くあの世へ行けるものです」と賀茂さん。
 は? と村崎氏がパソコン画面から顔を上げたが、僕等はそれに答えずに事務所を出た。一時間後にミツミネが覗いたらもう村崎氏の姿も二体の幽霊もいなかったそうだ。
 調査費の請求書を送ると即座に入金が確認できた。調査基本料が二十万、プラス諸経費十万円。いやにざっくりした価格だが、だからと言って特別高い価格ではない。
 麻利亜さんは村崎氏が吸血鬼だったら死なずに済んだのに、と言うが、吸血鬼とて病気になる。何百年も病を抱えたまま生きるのは辛い。
 そいう場合はさっさと休眠状態に入ってしまい、未来の医学に期待する。『バイオ・ハザード』社の地下には未だに何体かの同類がその時を待って休眠している。
「高橋も一時結核で休眠している時があったんだ。ストレプトマイシンが登場する前は結核は死病だったからね。でも今は新薬のお陰で入院が必要な患者でも2、3ヶ月で退院して通院しながら治療を受けられるようになった。高橋が難病の治療薬の研究に一生懸命なのはそういう経験からじゃないかな」
 吸血鬼も結構大変、と麻利亜さんが呟いた。そう、幽霊でいた方がずっといいかも知れない。ただし、余程の怨念でも抱えていない限り、段々希薄になってしまうらしいが。
 村崎氏から入金があって二ヶ月くらい経った頃、賀茂さんが村崎氏の死亡を伝えて来た。「最後は緩和ケア病棟で過ごしたみたいだね。遺体は直葬で遺骨は両親の為に買った永代供養のロッカー式のお墓に眠ってる。残ったお金は病院に寄付したみたい。一人で死んで寂しくなかったかって? 大丈夫、最後も先に亡くなった両親の幽霊がずっと付き添っていたからね。三人揃って無事行くところへ行ったわよ。この世に未練なく逝った人の魂は余計な所に引っ掛からずにスウッと逝くから手が掛からなくていいよね」
 ドライな物言いだが、そうですか、両親の幽霊まで纏めて面倒を見てあげたんですか。賀茂さんグッド・ジョブ。一見がさつに見えてもアフター・ケアを忘れない。ミツミネが賀茂さんから離れない理由はこの辺にあるのだろう。

『三峯探偵社』の調査能力

『三峯探偵社』は基本的には浮気調査はしない。「一度決めた相手がいるのに他に心を移すなど考えられん。けっ!」とか言って相手にしないのだ。狼は番の相手が死ぬまで一夫一婦制だし、育メンだから人間の不倫など興味がないのだ。
 『三峯探偵社』は「人探し」では実績をあげている。反対の言い方をすれば賀茂さんとミツミネにマークされたらどう足掻いても逃げられないと同義だ。これは犯罪者にとっては脅威だろう。
 例の如く叩き起された僕は慌てて黒のコンタクトレンズを目に入れて事務所に急行した。別に視力が云々ではなく、吸血鬼である証、赤い目を隠すためだ。
 今は金色やブルーのカラー・コンタクトを入れている連中もいるが、アラフォーの僕が赤い瞳をしていたら不自然だ。同類達も睡眠時以外はコンタクト・レンズを使用している。
 幽霊達を掻き分けて事務所に入るとパソコンが置いてある事務机に賀茂さんが突っ伏していた。早速依頼の件に関してトリップ中だ。実体はここに置いたまま、魂をどこかに飛ばしているのだろう。
 僕が飛行機に乗っている時はCAの姿で、『バイオ・ハザード』社に現われた時の賀茂さんはスーツ姿だった。制服効果と言うべきか、あの時の賀茂さんはきりっとして見えたものだ。
 ロー・テーブルの上には写真が数枚広げられている。十代後半と思われる娘さんがVサインをしている単独写真、友達との集合写真だ。異星人がこの写真を見たら、地球人は全員指が二本と思うだろう。
 ミツミネの魂も現在ここにはいない。事務机の上のプリンターが起動して僕には御馴染みの御札を印刷し、御札はそのまま空に消えた。
 依頼人はプリンターの音に一瞬びくっとしたが印刷物が消えた事までは気付いていない。ミツミネも同行し、御札が必要となれば考えられるのは幽霊絡みか。嫌な予感がする。
「あ、あの、人探しをお願いしたのですが、そこの事務員さんは急に寝てしまうし、探偵さんは死んだみたいに動かないし、あのあの、これってどういう状況でしょうか」
 依頼人が不安になるのもむべなるかな、だ。麻利亜さんは呑気に漂っているが、アチラでは非常事態発生と思われる。
「御心配はいりません。あそこで寝ている女子事務員は睡眠障害を患っていて、時々寝落ちしてしまうのですよ。探偵のミツミネは、ああ見えても現在解決策について熟慮中です。助手のわたくしが改めてお話を伺いますがよろしいでしょうか」
 かなり苦しい嘘だが、初めてまともな人物が出て来たので客も少しは安心したようだ。今回はアチラで奮戦中の賀茂さんからの情報がないので僕が質問するしかない。
「電話でもお話しましたが、姪を探して頂きたいんです。二年前に失踪してから一度も連絡が取れません。失礼とは思いますが、彼女の両親は他の探偵社にも依頼していますが、お金が掛かるばかりで一向に埒が明きません。本当に調査してくれているのか疑いたくなるほどです。で、私の独断で人探しには実績があると評判のこちらに伺いました」
「成る程。どちらの探偵社にご依頼されたのか分かりませんが、中には調査をしているふりだけで費用を請求する悪徳業者もおりますからね。当社にお任せ頂ければ一週間で必ず見つけて差し上げますよ。それで、失踪されたのは何時頃ですか?」
 回を重ねる度にセールス・トークが上手くなる。本当に探偵助手になった気分だ。
「行方不明になったのは二年前の八月の十一日でした。姪は東京の大学へ進学しまして、学業とアルバイトに励んでいました」
 わざわざ東京と言うくらいだから出身地は別の場所だろう。賀茂さんがいないと基本情報さえ分らないのがもどかしい。
「ご実家の住所はどちらでしょうか」と聞くと北海道、と答えが返って来た。小樽出身の麻利亜さんがふわりと僕の隣に座った。
「姪の名は戸田はるかです。遥か彼方の遥かに香るという字を書いて遥香と呼びます。姉夫婦は函館に住んでいますが、私共夫婦は荻窪のマンションに住んでいまして、上京した遥香を預かっていました。ウチにも同じ年頃の娘が一人おりましてね、姉妹のように仲良しでした。夏休みには二人して函館に行く計画をたてていたようです。実際、新幹線の予約も取って、八月の十一日の夕方にはバイトを終えて新幹線のホームで合流する事になっていました」
「ところが遥香さんは現れなかった」
「ええ、そうなんです。娘は何度もスマホで連絡を取ろうとしましたが、繋がる事はありませんでした。気が変わって先の新幹線に乗ってしまったのかと思って実家に連絡しましたが、まだ来ていない、と。十二日の朝になってから、これは何かあったのではないか、と双方で大騒ぎになりまして……」
「それから二年も経ってしまったんですね。ここにお出でになるからには既に交友関係はすべて当たられているのでしょうね。最後にバイト先を出た時の様子はいかがでした?」
「ファスト・フード店で三時間のバイトでしたが、当日はバイトが終ったらその足で新幹線に乗る、と言っていたようです。実際バイト終わりには大きめな紙袋を持って出たそうです」
 当然警察には届けを出してある。監視カメラの映像を確認したら駅の改札口で紙袋を持った遥香さんらしい人物が二人の男と話をしている姿が残っていた。それが遥香さんらしき人物の最後の映像だ。
 東京で一日うろうろしていたら二百回は監視カメラに映ってしまうそうだが、東京中の監視カメラを全部調べるのは無理だ。
 僕の貧弱な推理力では男二人が遥香さんを拉致した、としか考えられない。女子を監禁して最後はコンクリート詰めにしてしまった陰惨な事件が頭を過ぎった。
 事件となるとも迂闊には手を出せない。警察は往々にして第一発見者を容疑者の第一候補にしてしまうからだ。
 もし遥香さんが死亡しているなら既に賀茂さんは遺体を発見しているだろう。しかし警察に行って「死体を発見しちゃったんですけど」とは言えない。
 地中に埋められているならなお更だ。「あなた、どうしてここに遺体が埋まっているのが分かったんですか」と聞かれる。「霊能力者ですから分かります」何て言葉を警察は信じない。
「私達夫婦もパンフレットを作って最後に遥香が目撃された駅で目撃情報を呼びかけましたが、手掛りはありませんでした。二年も経つと人々の記憶なんて風化してしまいますからね。実際、私自身、二年前に駅でちらりと見掛けた女の子の記憶を尋ねられても答えられるものではありません。激しく言い争っていた、とかなら覚えているかも知れませんが」
 戸田氏の声は淡々としていた。既にあちこちで同じ話を繰り返しているからだろう。印象の薄い、どこにでもいるホワイト・カラーの中年男だ。
 姪がどこかで生きているという期待ともう死んでいるかもしれないという絶望が半々。実家の両親は憔悴しきっているに違いない。
 賀茂さんとミツミネの魂が帰って来る気配がないので、僕は戸田氏に『調査依頼書』を渡して必要事項を記入して貰い、今回はこのまま帰って貰うしかない。
「一週間後に連絡させて頂きます。当社の調査能力は群を抜いていますからご安心ください。ついでに老婆心で申し上げれば、他の探偵社との契約はお止めになった方がよろしいでしょう。一週間探しても結果が出ないのであればそれ以上探しても無駄です」
 一週間どころか、現在何らかの結論は出ている筈だ。
 はあ、と戸田氏は半信半疑の溜息をついた。今までさんざん他所に当って分からなかった姪の行方を一蹴間で探す、と豪語する探偵助手に不信を抱いたのかも知れないが、他の探偵社に払う費用を節約して欲しい、ただそれだけだ。
「では、一週間後に連絡お待ちしています。あの、姪の写真は……」
「今度いらっしゃる時までお預かりします」
 では、と言って僕は戸田氏を送り出した。幽霊がぎっしりの廊下を抜けて階段を降りて行った戸田氏には霊感はなさそうだった。

肋骨にひっかかっていたお守り

 賀茂さんとミツミネが帰って来たのはそれから十分くらい経ってからだ。賀茂さんは戦闘服のジャージ姿で、ミツミネは柴犬だった。その霊体がするりと実体に重なった。
「やれやれ、今回はちょっと面倒だった」と早速賀茂さんが愚痴り始めた。「御札一枚五千円として十枚使ったから諸経費に五万円上乗せしなくちゃ」だそうだ。兄の正樹が仕切っていた時は御札一枚十万円だったのが今は五千円。プリンターで作成した御札が五千円。高いのか安いのか分らないが、霊験あらたかなのは確かだ。
「なんで御札が必要だったんだ?」と恐る恐る聞くと「そりゃあもう、悪霊関係だからね」と賀茂さんがさらっと怖ろしい言葉を口にした。
「戸田遥香さんの居場所はここで電話を受けた時から分かってたんだけど、回りに悪霊が群れていて、まずそいつ等を退治する方が先でね」
「回りに悪霊……。それって、どういう状況なの?」
「遥香ちゃんの御遺体は秩父の山奥に埋められていてね、早く発見して欲しいって念を発していたんだよね。その念をキャッチした性格の悪い霊が集って自分達の領域に引っ張り込もうとしていたんだよね。ねえ、ミツミネ、そうだよね」
 ミツミネが「うむ」と頷いた。
「普通ならそういう邪悪な霊に取り込まれちゃって自分も悪霊化しちゃうんだけど、遥香ちゃんは違った。生前はいい子だったんだろうね。それに母親が渡してくれた函館の『湯倉神社』のお守りを持っていたからそれが遥香ちゃんの魂を守っていてくれたみたいだね。もう白骨化しちゃったけど、肋骨の辺りにお守りが引っ掛かっていた」
 やっぱり遥香さんは既にこの世の人ではなかった。自分自身を土中埋葬する訳はないから他殺だ。
「そういう事で悪霊退治に少しばかり時間が掛かってね。遺体はミツミネが掘り起こしてくれたんだけど、さて、これから先どうするかが問題でねえ。山奥の土を掘ったら白骨が出てきました、じゃ済まないよね」
 遺体第一発見者のジレンマってやつですね。まさか林道を逸れて気紛れに土を掘ってみたら人骨が出て来ました、とは言えない。
「で、賀茂さんはどうしたんですか」
 そこだよね、と賀茂さんは髪を掻き毟った。フケがパソコンのキーボードに散った。げっ、これからキーボードを触る時はウエット・ティッシュで拭いてからにしよう。
「暇そうな神使いに事後処理を頼もうかと思ったんだけど、まず人間に化けて貰わなくちゃならないし、色々事情を聞かれるだろうから、その人間が実在する人間でなくちゃおかしいよね。それにまた最初の疑問に戻っちゃうし。なんで林道を歩いていて、土を掘ってみようと思ったんですか、ってね」
 暇そうな神使いなど『三峯神社』にはいないぞ、とミツミネが訂正を入れたが、無視された。神使いと言えども婦唱夫随か。現場で同じ様なやり取りをしていたに違いない。
「それで、ここはやはり本物の人間に見つけて貰うのが一番、って事になって。明日、さる部署の公務員とその妻が急に現場付近をハイキングしたくなっちゃうのよ。その夫婦が第一発見者ってことね」
 はあ? 急にハイキングをしたくなったって? 何だ、それ。
「その公務員とはどんな人物なんだ?」
「非番の警察官よ。夫婦でしかも旦那は警察官。一番疑われない人間でしょうが」
 それはそうだが、なぜ急にハイキング? 都合が良過ぎる気が。賀茂さんは人の心まで変えられるのか。
「人の心まで変えられないよ。私はただの霊能者だからね。さっき函館の『湯倉神社』のお守りの話をしたでしょう。可愛い兎の石像を撫でるとご加護が頂けるし、ユニークなお守りを頂ける神社でね。彼女は今もそこの氏子さんだから神様にちょいと事後処理をお願いしたのよ。氏子の骸がほったらかしになってますけど、どうしますか、って。氏子を守れなかったのは仕方ないとしても、骸くらいは拾ってあげたらいかが、って言ったら段取りをつけてくれたのよ」
 それって、『湯倉神社』の神を軽く脅迫してるんじゃないですか。神が自ら出張して来るのだろうか。
「まさかぁ。神様はいちいち動いたりはしないよ。警察官はもともと函館生まれでね、そのご縁。東京に来てからの初詣は明治神宮らしいけど、昔のよしみ、って言うか。神様は人間の世界には興味ないけど、非常事態だからね。非常事態でも何もしてくれないのが神様だけど、今回の事件には他に犠牲者もいることだし」
 そうそう、白骨死体の件で忘れていたが、遥香さんを殺した犯人がいる。その犯人、絶対絶対見つけてくださいね、と麻利亜さんが拳を握り締めた。同じ道民として許せないそうだ。
「それがさ、被害者は道民だけじゃなくて、もう二人殺されているみたいだね。都会に出て来たばかりの若い女の子を狙ったらしい。コーヒーやジュースに睡眠薬を入れて飲ませる昏睡強盗ならぬ昏睡殺人だね。目当ては現金。カード類には手を着けていない。使ったらすぐばれるからね」
「若い女の子は多額の現金何て持っていないんじゃないのか」
「田中っちの言う事は正しい。せいぜい一万円持っていればいい方だね。どうせ狙うなら年金を降ろしに来た高齢者を狙った方が効率的だね。ところが犯人には若い女の子ではなくてはならない理由があった。悪い男が女の子を昏睡させてついでにする事と言えば想像はつくでしょうが。女の子が昏睡から覚めなければ放置だけど、途中で気が付いたら殺してしまう。初めはお金目当てだったけど、途中で趣味の変更をしたようだね。いや、卑しい趣味の追加かな」
 ミツミネは賀茂さんが喋っている間、ずっと黙っていたが、その怒気は凄まじく、事務所の窓ガラスに一斉にひびが入り、廊下に溢れていた幽霊達もどこかへ消えた。
 犯人は分かっているんでしょう、同じ目に遭わせてください、と麻利亜さんが泣きながら賀茂さんに訴えた。麻利亜さんが泣く姿を初めて見た。僕だって体が震える程犯人が憎らしい。
「同じ目にって、麻利亜ちゃん、犯人を殺してしまえ、ってこと? 生憎だけど、私は人殺しはしないよ。奴等を呪ってやることはできるけど、現世での悪事は現世で償って貰うのが筋だね。それにさ、私が警察に行ってあいつとこいつが犯人です、と言っても信じてくれるかね。霊能力者の証言何て、無視されるに決まっている」
 じゃあじゃあ、犯人は死ぬまで捕まらなくて迷宮入りですか、と麻利亜さんが長い髪をホラー映画みたいに逆立てた。まあ、普段でも充分にホラーなんだけど。
「明日、予定通り遥香さんの死体が発見されて事件は動き出す。身元特定までは時間が掛かるけど、さてどうなるか、しばらく静観するしかないだろうね。それよりも田中っち、人探しの依頼はどうしよう。まさか、もう亡くなっています、とは言えないよねえ。依頼が『賀茂流霊能者協会』だったらまだ簡単だったかも知れないんだけど」
 今日は体が重い、とぶつくさ言いながら賀茂さんはさっさと私室に引き上げてしまった。宝子ちゃんが「おかあしゃま、今日はどこへ行ってたの」と聞いている声がした。生後一年の幼児がクリアな日本語を喋ってもいいものだろうか。

右手首の骨

 寝不足気味で出社すると同じオカルト専門誌の若い人間の同僚、若林君がさっそく話し掛けて来た。ホラー、オカルト好きの割には僕が幽霊の麻利亜さんを同行しているのにも気が付かない霊感ナシの人間だ。しかもかなりのビビリだ。
「田中さん、今日のワイドショー見ました? 秩父の林道で若い女性の白骨死体が発見されたそうじゃないですか。二日前にはストーカー殺人があったばかりですし、世の中物騒になりましたね」
「そうだね、電車のホームに立っているだけで突き落とされそうになったり、まったく物騒だ。毎日どこかで人が殺されている」
 僕は遥香さんの遺体が賀茂さんの筋書き通りに発見された事に幾分安堵した。僕は既に犯人の名前も顔も賀茂さんから教えて貰っているが、同僚の前ではそんな話はできない。
「秩父の白骨死体ですけど、ちょっと普通とは違っていて、神社のお守りと一緒に埋まっていたそうです。それともう一つ、右手首の骨がなかったそうですよ。何か、不気味ですよね」
 いや、そのお守りが遥香さんを悪霊から守っていた訳で、思ったが、ちょっと待てよ。右手首の骨がない、ってどうしてだ。賀茂さんからそんな話は聞いていない。
「お守りは北海道の『湯倉神社』って所のお守りだそうです。ネットで調べてみたらユニークなお守りを授けてくれる函館の神社のようで、警察は歯型と共にお守りとの関係も調べているみたいですよ。『湯倉神社』は女子に人気の『晴明神社』とは違って誰もが知っている神社じゃないですから、函館所縁の人じゃないかと考えているみたいです」
 はい、当たり。函館出身の戸田遥香さん、二十歳。歯形の照合と共にDNA鑑定が行われるのだろう。身元判明にはまだ少し時間が掛かる。それにしても、右手首の骨がないって、どういう事だ?
 警察官が発見する前に野生動物が持って行ってしまったのかも、と赤ペンを持って原稿をチェックしている僕の耳元で麻利亜さんが推論を述べた。
 秩父ならツキノワグマがいて遺骸を掘り起こして食い荒らす可能性はあるが、賀茂さんが言うには骨は綺麗に残っていたのだ。
 僕は今月のテーマ『人狼と月』で書かれたオカルト専門ライターの原稿にびしばし赤ペンを入れながら考えを巡らせた。ひょっとして、賀茂さん、何かした?
 九時五時勤務の若林君が帰ってから退社時まで僕は全ての原稿をチェックし、レイアウトに時間を費やした。今時、狼男何て、子供でも信じない。狼男になった、と信じ込んだ異常者が起こした殺人だ。
 いや待て、狼男なら僕のすぐ傍にいる。私室では柴犬、『三峯探偵社』ではサングラス姿の大男だ。しかし神使いは殺人などしない。
 「当たり前だろうが」と声が聞えた瞬間、僕のチノパンに何者かが噛み付いた。はいはい、本物の狼男はパンツの裾をぼろぼろにする程度です。

白ウサギの謙信

 退社後、しばらく川沿いの道を散歩した。気が付かなかったが桜が満開だった。北海道では五月の連休中が丁度花見のシーズンで、ソメイヨシノより色の濃い山桜を愛でながらジンギスカンを食べるのが定番だそうだ。
 そんな話を麻利亜さんから聞きながら歩いていると大きな白いネズミが僕等の前を横切った。白いネズミとは珍しい。どこかの家のペットが逃げ出して来たのだろうか。
 麻利亜さんがネズミ!と声を上げると白いネズミが一瞬動きを止めて僕達を睨んだように見えた。ネズミにしては耳が長い。ウサギだね、あれは。しかし何でウサギが道路を横断しているのだ。
 次の日僕は吸血鬼にしては早起きして、『三峯探偵社』の事務所に押し掛けた。相変わらずミツミネはソファーにどっかり腰を下ろしているが賀茂さんの姿が見当たらない。
「保子は私室にいる。霊体は昨晩から仕込みに出掛け、今は宝子と一緒に寝ている」
 尋ねる前からミツミネがドスの利いた声で答えた。
「仕込みって、何を?」
「おまえもネット・ニュースぐらいは見ただろう。秩父で片手の骨がない遺骸が見つかったとな。その片手を持ち出したのは保子だ。勿論、被害者当人の承諾は得ている。おおばばさまとばばさまがこうしてはどうかと言っている夢を見たそうだ。犯人は二人組みで車を利用して悪事を重ねている。奴等がコンビに入った時を狙ってダッシュ・ボードにビニール袋に詰めた遥香の手首の骨を置き、ついでに使用済みの脱法ドラッグを撒いて来たそうだ。脱法ドラッグは独特の臭いがするそうだな。警察の職質に遭ったらその場で御用となる」
 ミツミネが言う「ばばさま」とは賀茂さんの母だ。祖母の事は「おおばばさま」と呼んでいる。宝子ちゃんが生まれた時からそう名称変更している。
 賀茂さんの祖母と母は優秀な霊能者だが、今は亡くなっている。亡くなってはいるが陰ながら賀茂さんをサポートしている。
 同じ霊体なのに賀茂さんは祖母と母とは直接話ができない。他の幽霊とは話せるのに肉親の霊体とは駄目、とはどういう仕組みになっているのか、僕には霊界の仕組みはよく分らない。自分の経験からすると守護霊のようなモノだろうか。
 何はともあれ、二人の霊の考えは脱法ドラッグ所持で車の中を捜索され、骨も発見されるという筋書きか。成る程ね。でもそう簡単に警察が職質してくれるものだろうか。
「真夜中に路駐している不審車両があったら警官という人種は声を掛けたくなるそうではないか。『警察二十四時』とかいうテレビ番組が好きなばばさまの提案だ。現に仕込みが功を奏して午前二時に犯人は捕まった。まだ昏睡殺人の犯人とは断定されていないが、時間の問題であろうよ。普通の人間は人骨など持っておらんからな。自供によって他の二人の骨も近々見つかる予定だ」
 親御さんの嘆きはいかばかりか、と麻利亜さんがマイクを持った芸能レポーターみたいに嘆息したが、自分の御両親だって娘が自殺したんだから嘆いているだろうに。
「ええい、煩い!」突然探偵社のドアが開いて宝子ちゃんを抱いた賀茂さんが姿を現した。寝起きの爆発頭だ。
「あんた達の声で部屋中の幽霊があーだーこーだ言い始めて煩いっちゃありゃしない。宝子までテンション上がっちゃって寝てくれないし。ほれ、宝子、おとうしゃまに抱っこして貰いなさい」
 喜々として宝子ちゃんを受け取ったミツミネはたちまち狼の姿になると目を細めて我が子をぺろぺろと舐め始めた。
 傍から見ていると今から獲物を食べようとしているとしか見えないのだが、宝子ちゃんは擽ったそうにきゃっきゃっと声を上げてミツミネの髭を引っ張っている。多分、人間が見てはいけない光景だ。
「午後の六時に除霊の仕事が入っているから私はもう少し寝る。宝子がお腹がすいたって言ったら適当に何か食べさせておいて。あ、ミツミネ、この前みたいに骨付き鹿肉はまだ早いからね」
 ふわーっと欠伸をすると賀茂さんは私室に戻って行った。何か食べさせておいて、とはアバウトな。
「済みませんねえ、ミツミネさん。保子は霊能者としての仕事が忙しくて家庭的な事は一切できません。コンビニ弁当と駅弁が主食みたいなものでして、宝子にどんな食事を作ってやったらいいのか分からないのですよ。料理を教えてやらなかった私にも非がありますが」
 賀茂さんの後から付いて来たばばさまがミツミネに頭を下げた。そのばばさまも家事音痴っぽい。賀茂家の女に良妻を期待するのは無理そうだ。
 賀茂家は江戸中期に高知に移り住んで富裕農家となった。しかも娘は代々霊能力者だ。お姫様のように大事に育てられて来た。家事能力がないのも代々受け継がれている。
 しかしミツミネはそれも承知の上だろう。
「なに、心配は無用だ。おばばさまやばばさまが育った時のように家事をしてくれる者を雇えばよいだけだ」
 おい、と声を掛けたミツミネは急に空中に前足を伸ばして何かを掴んだ。現われたのは白いネズミ、ではなくて白いウサギだった。本来は声帯がないから鳴かない筈のウサギがキーと鳴いた。
 あら、モルモット? と飽くまでネズミ系に拘る麻利亜さん。一見ウサギっぽく見えてもモルモットはテンジクネズミ科でウサギはウサギ科だ。
 耳を見ればわかるでしょうが、と思ったが、絶滅危惧種のナキウサギは耳が短くて見ようによってはモルモットに見えなくもない。
「これ、離さぬか、苦しいではないか」声帯がない筈のウサギがミツミネの前足の中で体を捩っている。ウサギが喋る、それだけで普通のウサギではない事は確かだ。
「お前の姿は秩父でも見掛けたぞ。我が領域にまで足を踏み入れるとは失礼千万ではないか。『湯倉神社』の神兎殿の使いか」
 『湯倉神社』の名が出た途端にウサギが大人しくなった。神社にも神社のテリトリーがあるのだろうか。僕はテリトリーではなくネットワークだと勝手に解釈していたのだが。
「『湯倉神社』の神兎殿から氏子の魂の回収でも言いつけられたのか。魂は現在『三峯神社』お預かりとなっている。悪霊に集られたので禊が必要だ。禊が終ったらそちらに返す。神兎殿なら事情は分かっていると思うが、どうだ」
 ミツミネは前足を捻るとウサギを向かいのソファーに投げ落とした。雑な扱いからするとウサギはかなり下位のものらしいと見当はつく。
「あのね、おとうしゃま、ウサギさんは東京見物がしたかったのよ」と生後一年の宝子ちゃんがウサギさんの本意を無邪気にばらした。
 なるほど、やはりそうか、とミツミネ。
「神兎殿がいちいち氏子の為に使いを寄越すとは思えんからな。『湯倉神社』のお守りを依代として現われたか。東京見物だと? 不謹慎な奴だ。神兎殿、いや祭神に言いつけてやろうか」
 ひえっ、それは御勘弁を、とウサギが長い耳をぴたっと伏せてソファーの上で平身低頭した。神使いの狼と下っ端ウサギ。僕はスマホを自室に忘れて来た事を激しく後悔した。動画サイトにアップしたら話題騒然間違いなしだ。
「あのね、おじちゃま、おとうしゃまとウサギさんはスマホには写らないよ?」
 宝子ちゃんの指摘にミツミネとウサギさんが僕を睨んだ。はいはい、僕も不謹慎でした。そして十秒ほどの沈黙。ミツミネがにゃっと笑った。
「ところでウサギ、おまえの名は何と言う」
「いえ、まだ名を頂く程のものではありません」
「そうか、では私が名を付けてやろう」
 いえいえ、それは、とウサギが拒んだ。神霊界では名を付けられると永遠に名付けた者の僕となるのだそうだ。名前は呪でもある。
「いや、遠慮には及ばん。良い名を付けてやるぞ。それとも神兎殿におまえがこちらに来ていると知らせてやろうか。ウサギは大人しそうに見えて結構気が荒い、と聞いている」
 進退窮まったウサギはまたキーと鳴いた。これは人間界では脅迫と呼ばれる行為ではなかろうか。何となくミツミネの意図が透けて見えて来た。
「宝子、ウサギさんに名前を付けてやるが良いぞ。どんな名が良いかな」
「ピーターじゃ駄目?」
「アナウサギのピーターラビットか? 宝子、ここは一応日本でな、出来れば和風の名が相応しいと思うぞ」
 ミツミネのふさふさの尻尾で遊んでいた宝子ちゃんはしばらく考えでいたが、「じゃあ、謙信にする」と宣言した。
「家紋は竹に飛び雀だけど、上杉謙信は兎耳形兜を使ってたんだって。うさちゃんの兜って可愛い」と宝子ちゃん。一歳の子供が家紋とか兜とか、僕は頭を抱えたくなった。
 おお、いい名だ、とミツミネが賛同して、ウサギの名は謙信で決まり。と言う事はこの東京見物がしたかっただけのウサギはたった今、ミツミネの配下となった。
 あの、と謙信が情けない声を出した。
「わたくしめは神兎様にお仕えしております身でありまして、その」
 いや、構わん、とミツミネは謙信の言葉をばっさり遮った。
「ウサギは多産と聞いておる。一匹ぐらいいなくなっても神兎殿は気付かぬであろうよ。それでは早速我が元で修行に励むがいい。謙信は家事が得意か?」
「え、火事でございますか。火付けも火消しも不得手でございますが」
「その火事ではない。家の中をあれこれする家事だ」
「ああ、それならば神殿のお掃除とかお食事を整えたりとか致して参りました。こちらで家事をすれば宜しいのですか?」
 僕の予想通り、ミツミネはタダ働きしてくれるお手伝いさんを見事にゲットした。少しウサギさんが可哀相になった。やはり狼はずる賢い。
「うむ、家事を頼む。特に宝子の食事には気を使ってくれ。なに、ここで食事を必要とするのは宝子と我が妻の保子のみだ。そこにいるおばばさま、今は私室にいるおおばばさま、田中の嫁の麻利亜は人間の食事を必要としない。田中は外食専門だ。」
 で、ございましょうね、と謙信が幽霊の二人を見た。僕に関しては正体が分かりかねているようだが、わざわざ吸血鬼と名乗る必要はあるまい。あれこれ聞かれるのは面倒だ。
 ミツミネによって若い男子に変身させられた謙信は賀茂さんの私室で働く事になった。朝早く掃除、洗濯を済ませ、一日三回分の料理を手早く作り、後はレンジでチンしてください、とメモを残しておばばさま、おおばばさまと毎日出歩いている。念願の東京見物が出来て結構楽しそうだ。
 がさつなくせに意外と律儀な賀茂さんは『湯倉神社』の神兎に「しばらく謙信をお預かりします」云々の手紙を送ったが、返信はなかった。取り戻しに来る気配はないから、開いた口が塞がらないまま了承したのだろう。

『賀茂流霊能者協会』案件

 謙信の一件は番外編であって、『三峯探偵社』が抱えた戸田氏の依頼は未だ解決していない。
 現在警察はまだ被害者の身元を特定していないのだ。いや、特定はしているのかも知れないがまだ発表していない。
「調査期間一週間って言っちゃったんでしょ。どうする、田中っち」
「どうするもこうするも、いつも調査期間は一週間と決まっているじゃないか。それに僕に情報を送ってくれなかった賀茂さんが悪い」
 僕には非難される謂れはない。依頼がある度にスマホで叩き起こされて時間外労働を強いられている。『三峯探偵社』は僕にとってはブラック企業だ。
「悪霊退治をしてたんだから仕方ないじゃない」と賀茂さんがぷっと膨れた。ミツミネが噛み付いて来るかと身構えたが今日のミツミネは大男モードで、しかも宝子ちゃんを抱っこしている。
「ばばさまとおおばばさまの夢は見たか? 二人の知恵を借りられれば良いがな」と宙を仰いでいる。『三峯神社』を含む秩父三社近くで起こった殺人事件に腹を立てているのは確かだが、人間界の事は最終的には人間界で解決するしかない。
「母が相談を受けている時に立ち会った事があるけど、尋ね人が亡くなっている時には真実を告げるのが躊躇われる、って言ってたっけ。そりゃそうよね、藁をも縋る気持で来ている人に『亡くなっています』は酷だもの。尋ね人が死んでくれていればいいな、って気持ちで来る人も中にはいるみたいだけどね」
 今回ばかりは遥香さんが殺される場面までDVDにして渡す訳にはいかない。思い出探しではないのだ。
「犯人は秩父に遥香さんを遺棄する前にガソリンスタンドに寄っていて、そこの防犯カメラに写っていたんだけど、二年前だからとっくに記録は消去されているし、ガソリンスタンドの人の記憶も曖昧だし。霊の世界では解決済みだけど、人間の世界での証明やら何やらは難しいもんだね。犯人が捕まっても刑が確定するまで何年も掛かるし」
 麻利亜さんと賀茂さんは大きな溜息をついた。遥香さんの口から語って貰えればいいのだが、探偵社が幽霊を持ち出したら評判はダダ下がりだ。
 そして依頼があった日から一週間後、戸田氏に僕等はギブアップした事を伝えなければならなかった。
 今日は函館から上京した両親も一緒だ。不吉な予感、とでも言うべきか。白骨死体と一緒に函館の『湯倉神社』のお守りが発見されたとなれば当然だろう。
 賀茂さんは母親を一見するとおや、と頭を傾げた。今回も渉外係りは僕だ。一年の間に色々依頼を受けたが、こんなにやりにくいのは初めてだ。
「戸田様、誠に申し上げにくいのですが、遥香さんの行方ですが」と言い掛けたのを母親が遮った。やつれてはいるが、グレーのスーツを着たしっかり者の印象だ。
 賀茂さんから仕入れた情報では遥香さんが小学校を卒業した後にスーパーで働いている。父親はサラリーマン。今更情報を貰っても困る。
「義兄がこちら様に依頼をしてくれたそうですが、私ね」とここで母親が声を詰まらせ、賀茂さんが眉間に皺を寄せた。
「テレビで若い女性の白骨死体が発見されたと報道されました。その日から遥香が夢の中に出てくるようになりまして、『御免なさい』って私に謝るんです。御免なさい、ってどういう事、と聞くと……」
 再び母親が声を詰まらせた。
「もう、警察から連絡がありましたか?」と僕に代わって賀茂さんが尋ねた。
「まだ発表はされていませんが、遥香に間違いなかろうか、と。こちら様に伺ってから警察に出向くつもりで夫婦揃って函館からやって来ました。多分、娘に間違いはないでしょう。夢に出て来るようになってからは確信しました。娘は失踪してから二年間、それはそれは寂しく恐ろしい思いをしていたそうです。しかし、こちら様が発見して下さり、しかも『三峯神社』という名の神社でお世話を頂いてからは魂が軽くなった、と申しているのです。夢の中の話ですけれど。私、頭が変になったのでしょうか」
「頭が変になってはいませんよ。お母様は多少霊感がおありなのです。では申し上げましょう、遥香さんの仰る通りです。秩父で発見された御遺体は遥香さんのもので、現在魂は禊の最中です。一年もすれば綺麗な魂で行くべき所へ行かれるでしょう。本来神社は死穢を嫌いますが、今回は『三峯探偵社』に御相談頂いたので特別サービスさせて頂きました。ご足労かとは思いますが、一度『三峯神社』に御参拝下さい。ひょっとしたら遥香さんの霊とお会いになれるかも知れません。また身元特定の一助となったお守りの、『湯倉神社』にも御参拝下さい。二年間、魂を守ってくださったのは神社のお守りですからね」
 あの、賀茂さん、特別サービスって、何ですか。神様もサービスありですか。僕が内心で突っ込みを入れると両親も戸田氏も同じ思いだったのだろう、何とも言えない微妙な顔をした。特に霊夢など信じていない男二人は誰がどう見ても懐疑的だ。
 探偵社に依頼したら魂だの霊だの言い出した。ついでに高価な壷でも持ちだして来るのではないか、と思っているに違いない。
「信じるか信じないかはお母様の判断にお任せします。ただ、嘘でない証拠として、これを機に犯人が捕まり、後二人の御遺体が発見される、と申しておきます。犯人はSNSで知り合った無職の若い男二人ですが、名は申し上げられません。被害者の家族がこの時点で犯人の名を知っているのは不自然ですからね」
 父親が不機嫌な顔で割って入った。
「かあさん、そろそろ引き上げないか。人の弱みに付け込んで霊だのやれ神社に参拝しろの、新興宗教の手口と一緒じゃないか」
 父親が怒るのはもっともだ。僕だって霊感持ちになる前は幽霊だの霊界だのの話は信じていなかった。これで今回はタダ働き確定だ。
「どうお考えになっても当社としては構いません。ただ、お母様、娘さんにお会いになりたかったら『三峯神社』には必ず行って下さい」
 ほれ、母さん、行くよ、と父親が母親を無理矢理ソファーから立たせた。
「おい、こちらにはもう金は払ってしまったのか?」
「いや、成功報酬とかいう話だったからまだだね」と戸田氏。完全に詐欺扱いだ。致し方ない、と言えば致し方ない。これは『賀茂流霊能者協会』で扱う事案だ。
 夫婦と依頼人はそのまま帰ってしまった。
「やれやれ、現時点では働き損の草臥れ儲けだね。でも真実は真実だ。あの母親は必ず『三峯神社』に行くし、遥香さんの霊に会える。どれ、今から請求書でも作っておくかな」
 賀茂さん作成の請求書の金額が振り込まれたのは半年後だった。請求額以上の金額が振り込まれ、母親からはお礼の手紙も来たらしい。陰惨な事件の全貌が明らかになった後だ。
「どれどれ、ふむふむ」と手紙を読む賀茂さんに僕と麻利亜さんは内容を教えてくれ、と頼んだ。母親は『三峯神社』に行ったか気になる。
「母親が是非、と言うので半信半疑ながら神社へ行ったそうだよ。その時は父親にも巫女さん姿で境内を掃除している遥香さんの姿が見えたみたいだね。遥香さんは両親が北海道に戻ったら養護施設の子を一人引き取って育ててくれ、と言ったそうだ。その子は遥香さんが果たせなかったイラストレーターになる夢を叶えてくれる子らしい。どんな子だ、と聞いたら一目見ればすぐ分かる、ってさ。遥香さんも魂のステージが上がったね。これで心置きなく行くべき所へ行けるよ」
 その行くべき所って、どんな所なんだろうと僕は夢想した。心臓に杭を打たれたら灰になるしかない僕等吸血鬼には行くべき所はあるのだろうか。

家族の風景

 賀茂さんの私室は劇的に綺麗になった。がさつな賀茂さんが脱ぎ散らかした服や宝子ちゃんの玩具やら本がそのままになっているので、カオス化していたのだが、謙信がマメに片付けてくれるので使用可能な床面積が広くなったのだ。
 加えて食生活も向上した。精神年齢は何歳なのか知りたくもないが、外見上一歳半の宝子ちゃんも栄養学的に適正な食事を口にできるようになった。こんな有能なハウス・キーパーなら僕だって欲しい。
 世間的に独身の僕の部屋はあまり汚れないが、時々掃除機をかけると幽霊まで吸い込んでしまうのが面倒だ。その度に大声で賀茂さんを呼んで引き摺りだして貰う。「おかあさーん、ゴキブリが〜」と叫んでいる子供と変わらない情けなさだ。
 御札を購入して掃除機に貼るように勧められたが、下手に触ると魂が抜けてしまうような強力な御札何て怖くて貼れない。
 結局掃除機は諦めて昔ながらの箒と塵取りで掃除をする。掃除機が使えるのは霊道が塞がっている時だけだ。洗濯は相変わらず週に一度コインランドリーを利用している。
「あのさ、賀茂さんの霊力で霊道を塞いでくれないかな」と頼んだら「いいじゃない、別に悪さをする霊もいないし」とあっさり却下された。確かに無害な霊達だが、霊が見える体質の者には鬱陶しい限りだ。
 賀茂さんは小柄で細身のくせにフード・ファイター並みの食欲で、謙信が作ってくれる食事以外にも相変わらずほかほか弁当やコンビニ弁当を買って食べている。食べては寝る。嘘か誠か、除霊作業は体力勝負なんだそうだ。
 その間、祖母や母の霊や部屋にいる数多の霊が宝子ちゃんと遊んでくれているから良いものの、育児も不得手と来ている。活発に活動するようになってからは育メン狼のミツミネが探偵事務所で宝子ちゃんの面倒を見ている。
 『三峯探偵社』は今や知る人ぞ知る、人探しでは定評のある探偵社だ。依頼は絶えないがすべてを引き受ける事はない。遥香さんの時のように死体発掘という結末は面倒だし、第一、後味が悪い。
 故に基本的にはまだ生きているか、「普通に死んだ」人の調査しかしない。いや、調査自体しない。電話で話を聞いた途端に賀茂さんとミツミネには尋ね人の情報がリアルタイムで分かってしまうのだから普通の探偵社のような調査は必要ない。
 いつものように僕を呼びつけて「調査依頼書」を書かせ、一週間後においでくださいと言うだけだ。必要とあれば賀茂さんがキャッチした映像をDVDにして渡す。
 僕が事務室に呼ばれるのは、いかにも足を使って調査をしているように装う為と、客あしらいが苦手な霊能者と狼の代わりに依頼者の話を聞く為だ。いや、既に情報は持っているのだから聞くふりをする為だ。

白猫のカメリア

 今回の依頼者は十一歳の少女で、しかも探すのは猫。少女の母親は彼女が八歳の時に病死していて、現在父親は再婚しており、新しいお母さんと三人で暮している。父親は忙しい商社マンで、新しいお母さんは三十七歳で現在妊娠二十週目だ。
 父親と母親の個人情報何てこの際、関係ないでしょうが、と思ったが、頭の中に無理矢理ダウンロードされるから致し方ない。
 それにしても人探し専門の探偵社が猫探しとは驚いた。今はスマホ検索をすれば犬猫探しの専門業者が何件かヒットする。
 普通ならそちらに依頼する。十歳の少女だって探偵社が猫探しを受けるかどうかぐらいは判断できるだろうに何故だ。こちらから電話をするように仕向けたのよ、と賀茂さんののほほんとした声が頭の中で聞えた。のほほんとした声の割には緊急案件らしい。
 少女がミツミネに抱かれた宝子ちゃんをじっと見ている。
「おじさん、赤ちゃんってやっぱり可愛い?」と少女に聞かれてミツミネがウオッ?と地声を挙げた。
 おじさん、と呼ばれたのがショックだったのか、急な質問に途惑ったのか、どちらかだ。
 僕は調査依頼書を取り出して少女に住所と名前、連絡先を記入して貰った。不破愛理ちゃん十一歳。現住所は東京の練馬区だ。連絡先は自宅の電話番号。十一歳の割には小柄で極端に痩せている。
 普段猫探しはしていないんだけど、どうしてウチに? と聞くと何となく、という返事が返って来た。その「何となく」にすでに賀茂さんの意思が働いている訳だ。
「じゃあ、猫ちゃんの特徴を教えてくれる? 子猫ちゃんかな、それとも大人の猫?」
「白くて大きな大人の猫です。名前はカメリア。普段はカメって呼んでるけど。まだ前のおかあさんが生きてた頃に拾ったんです。ずっと家の中で飼ってたんだけど、二週間前にいなくなっちゃったの。愛理が学校へ行っている間に今のおかあさんが洗濯物を干そうしてベランダを開けっぱなしにしていたんだって。その隙に外に出ちゃったって言ってた」
 お約束通りと言うべきか、愛理ちゃんの背後には生みの母の幽霊が憑き添っている。その幽霊が眉を顰めている。
「田中っち、あんたの唯一の特技を生かしてしばらく愛理ちゃんを眠らせてくれない? 直接後のおかあさんと話したいから」
 僕等吸血鬼は小説のように蝙蝠になって空を飛んだり、馬鹿力で鉄の扉を蹴破ったりはしない。今まで生き延びて来たのは短時間なら人間を眠らせる事ができる能力があるからだ。
 唯一の特技、と嫌味っぽい言い方に一瞬むっとしたが、ここは賀茂さんに従うべきだろう。僕がコンタクトレンズを外して見詰めると愛理ちゃんはソファーに腰掛けたまま電源OFFで動かなくなった。
 守護霊化した母親が恐ろしいものを見たように僕に視線を送って来た。一瞬で見た者を石に変えるメドューサとでも思ったのだろうか。僕達は生憎石像には興味がない。
「不破のぞみさん、愛理さんは少しの間眠っているだけですから心配しないで下さいね。田中っちは吸血鬼ですけど、愛理さんの血を吸ったりはしません」
 おいおい、ここで僕の正体をバラスのか。不破のぞみさんが余計混乱するだろうに。吸血鬼の存在はトップ・シークレットだ。あちこちで喋られたら困る。なに、守護霊相手なら問題ない? ああ、そうですか。まったく、賀茂さんときたら……。
「あ、あの、あなたには私が見えるのですか?」のぞみさんが基本的な質問をした。今まで霊感持ちの人間に会ったことがないのだろう。そこら中に霊感持ちがいたら却って面妖だが。
「見えていますよ。生前好きだったグリーンに小花模様のワンピースを着てますね。ここにいる全員があなたの姿を見ています。ミツミネは神使い、田中っちは霊感持ちの吸血鬼、その横にいるのが田中っちのお嫁さんで執着霊の麻利亜さん、そして私は霊能者です」
 神使いだの霊感持ちの吸血鬼だの、余計な情報をぶっこむな、と言いたい。自分が霊能者であると告げるだけで充分だ。
「はあ、成る程、田中っちのお嫁さんは私と同類ですね」のぞみさんは僕の名が田中っちだと思ったみたいだ。心外である。
「あのね、同類でも守護霊を執着霊はちょっと違っていてね」と賀茂さんが余計な方向へ行こうとしたのでミツミネが咳払いをした。膝の上の宝子ちゃんがミツミネそっくりの黒豆みたいな目でのぞみさんの霊を注視している。五体ばらばらの血塗れの霊でなくて良かった。
「のぞみさんに伺いたいんだけど、新しいおかあさんってどんな人?」
「そうですねえ、嫉妬と思われるのは嫌なんですけど、裏表のある人じゃないかしら。夫と一緒の時は愛理を可愛がってくれるけど、愛理と二人だけの時は口もきいてくれません。夫が出張した日はお食事もなし。お腹が空いた愛理が冷蔵庫を開けて何か食べようとすると怒ります。何とかしてあげたいんですけど、私にはどうしてやる事もできません」
「はーん、つまり継子イジメね?」とストレートな賀茂さん。
「結婚直後は本当の子供のように可愛がってくれたんですよ。でもお腹に赤ちゃんができてから、佐織さんは変りました。妊娠中は気持が不安定になる事もありますから、それで愛理に当ってしまうのかな、とも思いましたが。最近は服で隠れて見えない部分を抓る事まで始めました。さっき私を守護霊と仰いましたね。守護霊なら愛理を守ってやれる筈なのに、私はただ見ているだけしかできないんです」
「旦那さんはあなたが病気で入院している頃から佐織さんとお付き合いがあったのは知ってる?」
 全員が注目しているなか、のぞみさんの顔が一瞬死人みたいに蒼ざめた。実際もう死んでいるのだが。
「他に女性がいるかも知れないとは感じていましたが、それが佐織さんだと?」
「そう、二人はあなたが死ぬのを待っていたんだよね。あなたが死んだので佐織さんを堂々と家に入れる事ができた。その時の旦那さんは男の勝手な思い込みで佐織さんが愛理ちゃんの面倒を見てくれるものと思っていたみたいだね。最初は佐織さんも自制していたけど、自分の子供が生まれるとなると前妻の子の愛理ちゃんが目障りで仕方なくなって来た。おまけに彼女は猫嫌いでね。洗濯物を干す時に逃げた、は嘘。愛理ちゃんを悲しませる為にわざと逃がしたんだよね。その猫、カメちゃんだっけ、田中っちの部屋で保護してあるから安心して」
 そうなのだ、僕の部屋には今、大きな白猫が一匹いてベッドを占領している。猫のトイレだのドライフードだのをペット・ショップに買いに行かされた。
 猫と霊は親和性があるらしく麻利亜さんはカメの出現を喜んでいるが、実際に面倒を見ているのは僕だ。
「総合して考えるに、佐織さんは意地の悪い女性だ。これから自分の子が生まれたら愛理ちゃんに対するネグレクトはもっと激しくなるだろうね。のぞみさんはどうする?」
「どうする、と言われましても。いっそ愛理を連れて行こうかと……」と言ったのぞみさんが顔をくしゃくしゃにして泣き出した。
 霊になると単純な想いだけの存在になる、と以前賀茂さんから聞かされた。単純な存在となったのぞみさんは子供みたいに泣いている。と、ここで賀茂さんの教育的指導。
「馬鹿な事を考えるんじゃないよ。それこそ佐織さんの思う壺じゃないさ。子供と親は別人格だ。あんたが死んでも愛理ちゃんにはまだ始まったばかりの人生がある。それを取り上げちゃいけないね。とにかく、あの女から愛理ちゃんを引き離すべきだ。伯父さんとかとか伯母さんとか、親戚はいないの?」
「ううっ…、私は、ひっく…、一人っ子なんで、親戚は…うえっ、いません」
「御両親は健在な筈だけど?」
「ああ、両親は、ううっ…、いますが、ひっく…」
「えい、煩い。いい歳をした大人が手放しで泣くな!」
 賀茂さんがのぞみさんの足に蹴りをいれたので、びっくりしたのぞみさんがひっく、の後で泣き止んだ。霊に蹴りを入れるなんて短気な賀茂さんらしい。口調まで変わっている。
「いいか、重要な決断の時に背中を押してやるのも守護霊の勤めだ。調べさせて貰ったけど、あんたの両親はあんたが病床にいた頃、愛理ちゃんを引き取る、と言ったじゃないか。その時、なぜ両親に託さなかった?」
「両親がいるのは長崎です。急に環境が変わるのは良くない、と夫が強固に言い張りまして。男手でも子供は育てられると」
 ひっく、とまた泣きそうになったのぞみさんは慌てて両手で口を塞いだ。さっきの蹴りが余程痛かったのだろう。霊をびびらせる賀茂さんは凄い。単に乱暴者なのかも知れないが。
「しかし結果として不倫相手を後妻にして、愛理ちゃんの事は後妻任せだ。これから一緒に長崎まで行ってやるから両親に事情を説明しろ。ミツミネ、そろそろ愛理ちゃんが目を覚ます頃だね。田中っちと二人で適当に話し相手をしてやってくれないかな」
 婦唱夫随の育メン大男はすぐに頷いた。とっくに二人の間ではストーリーが出来上がっているのだろう。あれ、地震? と思った瞬間に賀茂さんの霊体とのぞみさんの姿が消えた。実体の方はミツミネの傍に座っている。座ってはいるが今話し掛けても答えはないだろう、と推察される。
「あのさ、ミツミネ。賀茂さんはどういう方法で解決するつもりでいるんだ」
「おそらく、児童保護関係のと名乗るのだろうな。お宅のお孫さんにネグレクトの疑いがあります、と言うつもりだろう」
「しかし、急に行って信用して貰えるものか」
「なに、心配ない。両親の記憶を改竄してもう半年前から何回も電話している事になっている」
 記憶の改竄ですと? そんな事ができるのも恐ろしい。まさか僕の記憶まで改竄されていやしまいな、と疑心暗鬼に陥る僕。
「おまえの記憶など我々には興味がない」とミツミネが面倒臭そうに答えた。
 それからしばし、と言っても三十分くらいか。僕とミツミネは目を覚ました愛理ちゃんの話に付き合った。愛理ちゃんの時間は停止していたからカメリアことカメがベランダから外へ出た、からスタートだ。
 適当に相槌を打って話を聞いている間に謙信が盆を持って入ってきた。お茶を入れて愛理ちゃんの前に置く。
「おおばばさまとばばさまからお嬢さんにお茶を差し上げるよう言われました。魂が疲れている、と仰っています。ついでに今朝作ったカレーライスもお持ちしましたよ。それにお嬢さんの好きなプリンとイチゴもね。お宅ではコンビニのお握りだけだったでしょう?」
 普通なら何でそんな事知ってるの、だが、お腹が空いている愛理ちゃんはスプーンを持つと物凄い勢いで食べ始めた。賀茂さんといい勝負の食べっぷりだ。
「おじさん、このカレーライス美味しいね」と誉められた謙信がぴょんと跳ねた。ミツミネ同様、おじさんと言われたのがショックだったのか。残念ながら十一歳の少女から見れば年上の男は皆おじさんだ。
 私もこの子から見ればおばさんかしら、と麻利亜さんが僕の耳元で囁いた。いえいえ、綺麗なお姉さんですよ、と僕は心の中で答えた。永遠に歳を取らない麻利亜さんをお嫁さんに貰った僕は幸せ者です。
 うふふ、と麻利亜さんが満足そうに笑った。幽霊って、やはり単純だ。単純故に怒らせると怖い。
 愛理ちゃんがカレーライスを食べ、プリンを片付け、お茶を飲み、イチゴに手を伸ばした頃、賀茂さんの霊体と母親が戻って来た。
「おや、謙信は気が利くねえ。私の分は残ってる?」が帰還後の第一声だった。東京から長崎を往復するのに莫大なエネルギーを消費したんだそうだ。往復一万キロカロリー。マジですか。そりゃあ大食漢にもなるわな、と納得。
 のぞみさんの霊はまた泣いたみたいだ。守護霊が守護する相手を置いて浮遊霊みたいに長崎まで行けた理由はさて置き、久し振りに両親の姿を見て懐かしさのあまり泣いたのだろう。
 謙信は愛理ちゃんが食べ終わった食器を盆に載せると事務所から素早く姿を消した。賀茂さんの為にこれから米五合を炊く支度がある。『不思議の国のアリス』に出てくるウサギも米炊きで忙しかった……、って事はないな。
「愛理ちゃん、長崎のお祖父ちゃんとお祖母ちゃんは好き?」と賀茂さんが尋ねた。
 うん、好きだよ、と愛理ちゃんが答えた。のぞみさんが元気な頃は一年に一度は帰省していたが、新しいおかあさんが来てからは会っていない。
「そっかぁ、それは良かった。良いお知らせがあるよ。一週間後にお祖父ちゃんとお祖母ちゃんが迎えに来てくれる。愛理ちゃんは一緒に行きなさい。今度は長崎で暮らすんだよ。新しいおかあさんはこれから赤ちゃんを生んで忙しくなるからね。話は全部ついているから心配はいらないよ」
「お祖父ちゃんとお祖母ちゃんが迎えに来てくれるの? 新しいおかあさんは赤ちゃんが生まれたら愛理はお姉ちゃんになるんだからオムツを換えたりミルクを上げたりしてね、って言ってたけど」
 それは新しいおかあさんの仕事でしょ、と賀茂さんは少し声を尖らせた。ずぼらな賀茂さんもオムツ換えと授乳くらいはこなした。お風呂に入れるのはミツミネだったけど。
 佐織さんは子供が生まれたら乳児の世話を愛理ちゃんに押し付けるつもりだ。育メンでないおとうさんは我が子をお風呂に入れる発想はないから、赤ちゃんの湯浴みも愛理ちゃんにやらせる気でいる。
 先妻の子には満足に食事も与えず、我が子の面倒を見させようとは、情のない人間だ。僕も長崎行きには賛成だ。農奴じゃあるまいし。
「おばちゃん、長崎に行くのは分かったけど、カメはどうなったの。カメを探して欲しいんだけど」
 おばちゃん発言に賀茂さんの片頬がぴくりと動いた。三十過ぎて子持なら子供から見たら充分おばさんだと気付いていない。
「ああ、ニャンコね。忘れてないよぉ」
 一瞬事務所がひんやりした。ミツミネは巻き込まれないようにそっぽを向いている。
「一週間後にまたここに来てくれるかな。お祖母ちゃんとお祖父ちゃんも迎えに来てくれるからね。その時までニャンコもちゃんと探しておいてあげる」
「絶対に?」
「そう、絶対にだよ。それよりか、愛理ちゃんは新しいお母さんがご飯を作ってくれなくて、冷蔵庫に食べられる物がない時、外で買物できるお金は持ってる?」
 お小遣い貰ってないもの、と愛理ちゃんが答えた。
「そっかあ。じゃあ、一万円あげるからお腹が空いたら学校から帰る途中にお店で食べるかコンビニで何か買って食べなさい。新しいおかあさんには内緒だよ」
 愛理ちゃんはお金をくれると言うおばさんをじっと見詰めた。背後にいるのぞみさんとはあまり似ていないが、目だけはそっくりだ。
 子供心にも初めて会った人にお金をあげる、と言われて途惑っている。
「あ、あげるんじゃなくて、お祖母ちゃんとお祖父ちゃんからお小遣いを渡してくれって頼まれてるの。好きな物を買って食べなさい、って」
 今日始めて探偵社にやって来た愛理ちゃんが不審に思うのは無理もない。猫探しの依頼に来たら、お祖母ちゃんとお祖父ちゃんのいる長崎へ行けの、お小遣いだの。
 大体、いつ長崎の話をしたっけ、と考えている。ここの探偵社の人達は変だ。ひょっとして誘拐されちゃうかも、と愛理ちゃんが警戒モードに入りそうになった時に、のぞみさんがそっと背中を撫でた。
 落ち着いて、愛理。ここの人達の言う通りにして、とのぞみさんは声を掛けた。当然ながら愛理ちゃんに母親の声は聞えないが、警戒心がゼロになったのは確かだ。単にお小遣いが貰えるなら何でもいいや、と思ったのかも知れない。
 愛理ちゃんがのぞみさんの霊と一緒に事務所を出た後、さて、と賀茂さんが腰を上げた。
「次ぎは父親の番だ。愛理ちゃんを長崎に行かせる気にさせなくちゃね。佐織さんより父親に働きかける方が楽だろう。明日の夜あたり霊夢でも見せてやるかな。近い将来、愛理ちゃんにナイフで刺される夢はどうかな。怯えて愛理ちゃんを手放す気になる」
 やれやれ、霊夢ってそれですか、と僕と麻利亜さんは同時に溜息をついた。
「それとものぞみさんの霊でも出して恨み言を言わせようか。二、三日物凄い形相で恨めしや、とやれば精神的に追い詰められて」
「おかあしゃま、ナイフでグサリの夢がいいです」と宝子ちゃんが二択の一方を選択した。
「宝子もそう思う? そうよね、どうせ夢なんだもん、インパクトのある方がいいよね。宝子は賢い」
 この母にして、この子ありだ。ミツミネとしては苦笑いするしかあるまい。
「それで、佐織のほうはどうする」
 宝子ちゃんの頭をくりくり撫でながらミツミネが尋ねた。この場合は天罰とか?
「そうだねえ、不倫にネグレクト、人倫に悖ると言いたい所だけど、私達は仕置き人じゃないし、その権利もない。そもそも父親が変な見栄を張って愛理ちゃんを佐織さんに育てさせようとしたのが間違いだったんだ。自分の子が生まれたら優しくなれるようにと期待するくらいだね。後はどうなろうと知らないよ。将来佐織さんの子供が家出をして探してくれ、とウチに依頼があったら探してやらないでもないけど」
 愛理ちゃんは長崎に行って幸せになれるでしょうか、と麻利亜さんが心配そうに尋ねた。
「孫は目の中に入れても痛くないほど可愛い、と世間では言うじゃないか。実際、おおばばさまもばばさまも宝子を目の中に入れて遊んでやっているよ。心配ない」
 僕としてはおおばばさまとばばさまが宝子ちゃんを目の中に入れている方が余程心配だ。それって超常現象でしょうが。まあ、この家族自体が超常現象だけど。
 僕の部屋でカメリアことカメがにゃあ、と鳴く声が聞えた。一週間後にはペット・キャリーを買ってやらねばならないらしい。

小花を散らしたグリーンのワンピース

 一週間後、僕は結末を見届ける為に休暇を取った。オカルト誌も印刷所に回っていて、束の間の凪状態だ。副編集長ながら、オカルトの種が尽きないのには感心せざるを得ない。
 お昼頃に探偵事務所に顔を出すと愛理ちゃん一人が謙信手作りのハンバーグ・ライスを食べていた。同じ年頃の子と比べるとまだまだ痩せているが、気のせいか体に肉がついたように見える。
「今日は、愛理ちゃん。お祖母ちゃんとお祖父ちゃんは一緒じゃなかったの?」と聞くと「まだおうちでお父さんと話をしてます。お父さんは今日会社を休んでいて、私のよーいくひについて相談があるんだって」と答えた。
「養育費だって? 相変わらず見栄っぱりな父親だね。どうせ二、三ヶ月で仕送りを止めてしまうのに」
 賀茂さんのストレートな言葉に愛理ちゃんの顔が曇った。大人の事情は分からないが、やはり父親の悪口らしきものを聞くのは嫌なのだろう。
「保子、本当の事ばかり言うのも時と場合によるぞ」とミツミネが賀茂さんの口をチャックで閉じた。紛れもなく本物のチャックだ。僕は呆れ、愛理ちゃんはマジックだと思ったらしくケラケラ笑った。
 愛理ちゃん、こいつらは本当に漫画に出て来るような超能力者集団なんです、とばらしてしまいたい。
「田中っち、ニャンコを連れて来てくれない?」と口のチャックを開けて賀茂さんが僕を見た。はいはい、仰せの通りに、と僕は答えた。
 ついさっきまでニャンコをキャリーに入れるのに奮戦していたのだ。いざ捕まえてキャリーに押し込もうとしたら物凄い抵抗で、鍋島藩の猫の末裔じゃないかと疑ったくらいだ。
 キャリーの中でまだぎゃうぎゃう唸っているニャンコを持って来て、愛理ちゃんに渡した。これで本来の依頼の件は終了だ。猫探しの費用はいか程か。
「あ、この赤い首輪、本当にカメだ! おじさん、おばさん、有難う。それからね、この前貰った一万円なんだけど、六千二百三十八円余ったから返します。公園でほかほかのお弁当を食べたり、マクドナルドでバーガーを食べたりしたの。ご馳走さまでした」
 そんな、お釣りはいりませんよ、と答えるかと思っていたら、賀茂さんはちゃっかり残金を受け取って領収書を切った。
 愛理ちゃんの背後で守護霊ののぞみさんがくくくと笑った。ここは予想不能のワンダー・ランドだ。賀茂さんの口のチャックはもう消えている。
「さてと、今回の依頼もそろそろ終盤だ。お祖父ちゃんとお祖母ちゃんが迎えに来たよ。はい、百数えて」
 食事を終えた愛理ちゃんが百を数え終えた時、探偵事務所のドアがノックされた。
 愛理ちゃんの祖父母は部屋に足を踏み入れた途端に体を固くした。ソファーにどっかりと腰を下ろしているミツミネのどう見ても堅気には見えない姿に臆してしている。しかし孫の顔を見ると一気に緊張が弛んだ。
「田中っち、お二人にお茶を」と賀茂さんが僕に命令した。
 お茶の用意をしている間に謙信が空になった皿を持って引き上げた。ウサギさんは午後からおおばばさま、ばばあさまと一緒に歌舞伎見物だ。
 二人は霊体だから無料で入場できるし、謙信はどちらかの着物の袖に隠れてしまえば同じく無料。カルチャー・スクールにも無料参加で、あちこち顔を出していて忙しい。
 謙信はフラワー・アレンジメントのスクールが楽しみにしているが、時々花を食べてしまうのが難点だ。
「お父様との話しは済みましたか」と既に結果を知っている賀茂さんが祖父母に尋ねた。二人とも年金生活に入ったが、体力気力はまだ現役だ。賀茂さんの情報では二人とも愛理ちゃんを大学へ進学させてやるくらいの余裕はある。
「おやまあ、賀茂さんは探偵社の方でしたか」と二人は重要な齟齬に気付いた。長崎に来た時は児童相談所の職員とか名乗っていたような?
「はい、探偵社の社員です。愛理さんが猫探しの依頼に来られたので、ついでにご家族の事を伺いました。それでネグレクトの疑いがあるのでご相談に伺った次第です。新しいお母様は愛理さんを可愛いとは思っていらっしゃらないようですし、お父様は無関心。愛理さんの今後が決して良いものとは思えませんのでね。それで、お父様との話し合いは無事済みましたか」
 つらっとした顔で賀茂さんは再び同じ言葉を投げ掛けた。
「のぞみが亡くなった時にアレが何と言おうとも私どもが引き取るべきでした。のぞみが亡くなってすぐ再婚したのも愛理の為で、私どもには新しいお母さんは我が子のように世話をしてくれるし、愛理も懐いている、と申しておりました」
 自分の事が話題に上っている間、愛理ちゃんは下を向いていた。ひっく、と声がしたので泣いているのかと思ったら、しゃっくりだった。子供は意外と客観視しているものだ。
「あなたがいらっしゃった日からのぞみが夢に出て来まして、愛理を長崎で育ててやってくれ、と訴えるのですよ。こんな話、他の方に言っても信じてはくれませんが」
 いえ、信じます、と賀茂さんは言い切った。賀茂さんのやった事だから当たり前だ。
「それで、今回上京してアレと最終的な話を致しました。新しいおかあさんの佐織さんは現在妊娠中だそうで、子供二人の面倒を見るのは……、と言いましてね。アレもそれなら引き取ってくれ、と。養育費を払うと申していましたが、断りました。年金暮らしですが、生活に余裕がないわけではありませんから。アレとはあまり付き合いたくないのです」
 老夫婦の胸の中では父親は既にアレ扱いだ。のぞみさんが病床にいる頃、既に佐織さんと付き合っていた、と知らせたらアレがどういう名称に変わるのだろうか、と僕は色々なパターンを考えてみた。
 そう言う事情ですので、今日このまま愛理を連れて長崎に帰ります、とお祖父ちゃんはお茶で咽喉を湿らせた。お祖父ちゃんもお祖母ちゃんも実直そうな普通の人だ。
「愛理の荷物は宅配便で送ってくれるそうですので連れて帰っても問題はないでしょう。それでですが、こちら様にはいか程の費用をお払いしたらいいのでしょうか」
 うーん、と賀茂さんが腕を組んだ。猫の捜索料、プラス出張費、エトセトラ。高い費用を請求しそうだ。
「当社は良心的な探偵社です。基本調査費は二十万円です。しかし今回の依頼は猫探しですからね、諸経費なしの十万円で結構です」
 おおっ、と老夫婦には気付かれぬままに事務所内に安堵の気が満ちた。
 ついでに無料オプションをお付けしましょう、と賀茂さんは微笑んだ。笑った賀茂さんは可愛い。
「のぞみさんは今でも愛理さんの傍にいます。小花を散らしたグリーンのワンピース。ほら、見えるでしょう?」
 老夫婦の目には一瞬ではあるがのぞみさんの霊が見えた。見えた、としか思えないリアクションだ。
「のぞみさん、守護霊とは言っても総ての困難から子供を守ってやれる存在ではありません。ただ、これから愛理ちゃんが人生の岐路に立った時は正しいと思える方に背中を押してあげなさい。分かった?」
 のぞみさんが頷いた。これにて一件落着。老夫婦と愛理ちゃんと猫は東京を発った。

第二章へ続く


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