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中編ファンタジー 【ドードー鳥、見つけた】(2)

阿佐野桂子



龍が神様だったころ

 日が昇った草原は朝霧が光っていて、まるで緑の宝石箱だ。空を飛ぶ虫達の軽く快い羽音や、地を這う虫達の密やかな足音が聞える。
 夜通し咲き続けていた花達は朝露で眠気を払い、これから咲こうとしている花達はその同じ朝露の冷たさにはっとして目を覚ます。
 草原から潅木の林、さらに喬木の森に視線を伸ばせば、朝の身繕いを終えた活発な小鳥達が木から木へ飛び交う姿が見える。甲高い叫び声から愛らしい囁きまで聞えて来そうだ。
 今日の一日の天気を知りたいならば小鳥達に聞くよりも飛ぶ虫達に聞いた方が確実だ。小鳥達は概ね軽薄で悪戯好きだから、くすくす笑いながらてんでんばらばらの嘘を教え、そのくせ飛び立つ時は一斉に去ってしまう。
 虫達の方は融通のきかぬ顔で正しい天気を教えてくれる。彼等は雨になりそうな時は枝や葉の下に隠れて、決して飛び立とうとはしない。
 小さな獣達は今日の始まりを喜んで急いで寝床から起き上がる。天気の日にはこれから引越しを始めるように忙しそうだし、雨の日には引越し荷物を解いているように、これまた忙しそうだ。
 晴れの日も雨の日も彼等は楽しみ方を知っている。どこへでも現われ、何にでも顔を突っ込み、お節介で能天気な連中だ。
 一番寝坊なのは体の大きな獣達だ。うっかり朝早く目が覚めてしまっても彼等は決して跳び起きたりはしない。低血圧でもないのに起きるのが辛そうで、それはつまり体の大きさと睡眠時間は比例するのだ、と考えているからだ。
 体が大きい分だけ血液の循環にも時間がかかり、多分恐ろしくゆっくりなので、脳味噌に辿り着くまで停滞している。彼等は一日中ぼうっとしている。
 草原も森も池も沼も土も海も、生き物で溢れている。一つとして同じものはなく、ひとつとして無駄がない。自然が長い年月をかけ、心を込めて作り上げた。
 もし人間が現存する近種のものを捏ねて、例えばオーロックスに似た牛を再現出来たとしても、それは似て非なるもの、オーロックスとは全然別個のものだ。
 一度地上から姿を消してしまったら、彼女の堂々たる黒褐色の体、躍動する筋肉の動き、立派な長い角、固くて丈夫な蹄、柔和な瞳は永遠に失われてしまう。
 そして彼女を失うことは、彼女の踏みしめていた大地や呼吸していた風や、咽喉を潤していた水、瞳が見詰めていた山や森や空も失われて二度と戻っては来ない、ということだ。彼女を育んでいた自然も彼女と共に死んでしまう。
 ドードー鳥には大好きなものが沢山ある。彼は世界一の欲張りで、しかも何一つ失いたくない。姿も形も生活も違う沢山の生き物がいるから愉快なのだ。もし生きているのは自分だけだとしたらどんなに寂しいことだろう。彼は残念という気持を知っているが、それに比べたら人間は驚く程無欲なのだろう。

 日は既に地平線を離れて森の上に差し掛かっていた。徐々に温められて行く土が柔らかに香っている。
 夜行性の生き物達はもうそれぞれの寝床で小さな寝息をたてているだろうし、遊び過ぎて帰りが遅れてうろたえている頓馬な連中もきっといるに違いない。
「ねえ、話をしてよ」
 ドードー鳥は眩しい光に目を細めながら言った。
「まだ君が世界で一番強かった頃の話。毎日が冒険と戦いの日々だった頃の話だよ」
 争いや冒険とは縁遠かったドードー鳥の世界に比べたら段違いに劇的な毎日だったのだろう、と思うと胸がときめいて来る。
 まるで自分が勇敢な戦士になったみたいに胸を膨らませた小さな鳥の姿に、龍は自尊心をくすぐられて微笑んだ。忘れ去られる以前の彼なら、確かにドードー鳥が羨む程強かった。選ばれし者だけが彼に話かけるのを許されていた。
「人間はね、神様を信じているのですよ」
 龍は考え考え話し始めた。
「今はどうだかわからないけど、少なくとも私が彼等の世界にいた頃は信じていたみたいですよ。人間の塊があちこちにあって、皮膚の色の違いとか、喋り方の違いとか、主食にする物の違いとかで幾つもの塊に分れて暮していたのです。私から見れば、二歩足で歩く猿よりは背筋のぴんとした、皮膚に毛のない同じ生き物なのですが、人間はもっと細かい事に拘っていて、拘り過ぎた為でしょうか、年中喧嘩していましたっけ。それで、神様って何ですって? ちょっと待って下さいね」
 龍はゆっくりと体を伸ばした。とぐろを巻いている姿勢は見栄えがするが、当の龍にとっては緊張状態なのだ。尻尾の先が痺れていては話に身が入らない。尻尾を十回ぱたぱた振ってやっと痺れが取れた。
「神様は都合の良いものなのです。分らない事があれば全部神様のせいです。全知全能で、太陽や月や生き物も創れるのですよ。人間の塊ごとに神様がいて、優しいものもいれば怒りっぽいのもいます。同じ様でいて少しずつ違うんですね」
 待てよ、とドードー鳥は考えた。沢山の神様がいてそれぞれ太陽や月を創ったのなら、もっと幾つもの太陽があっていい筈だ。しかし太陽も月もたった一つ。おかしいではないか。
 龍がくっくっと笑った。勿論ドードー鳥の考えなどお見通しなのだ。
「私には人間の塊がどれも同じにしか見えないみたいに、神様も一杯いるようで、本当は同じものなのではないでしょうか。きっと同じものを沢山に考えているのですよ。なぜって、違いはほんの些細な点ですからね」
 へえ、とまだ腑に落ちない感じの声が返って来た。この辺を納得させるのは非常に難しい。拘れば拘る程こんがらがって来る。
 龍は構わず続けた。
「さて、それはともかく、人間は神様がいると信じていました。優しい神様、怒りっぽい神様、意地悪くて嫉妬深い神様と、まあそれは色々で、外見だって様々です。実のところ、私を神様だと考えていた塊もいたくらいです」
「じゃあ、その話をしてよ。君が神様だった頃の話さ」
 やっと話の進行に追いついたドードー鳥が催促した。そうか、ピンク色は神様の色だったのか、と思うと不思議にいい色に見えて来る。
「ところがね、人間は悪魔も信じているのですよ」
 と龍が意味深長な目付きをした。
 神様の話を聞かせて貰えると思ったら、今度は悪魔の話だ。頭が混乱した。
 済まない、と思うが龍にはこんな話しか出来ないのだ。一生懸命に自分を知って貰おうとするとドードー鳥を混乱させてしまう。
「悪魔って、何?」
 目をぱちくりさせながら尋ねたが、ドードー鳥は龍が心配する程退屈な話とは思っていなかった。これは物語の始まりなのだ。長い長い物語だとしても付き合う時間はたっぷりある。

龍が悪魔だったころ

 長い長い話だった。龍の体から繰り出して来るのだし、天地開闢から始まるのだから、短い方がおかしいくらいだ。
 もし龍がミミズだったらとっくに干からびていただろうが、鱗の間から染み出す水分で彼の体は日射から守られている。
 ドードー鳥は文字通り寄らば大樹の陰、龍の陰だ。
「世の中の悪い事は全部悪魔のせいなんですよ」
 と龍が続けた。
「天災は言うに及ばず、人間の悪事も悪魔のせいなのです。そして神様と悪魔は人間を自分の陣地に引っ張って来ようといつも争っているのですよ。神様は全知全能ですが、悪魔だって負けてはいません。時として裏をかかれた神様が苦い思いをします」
 悪魔に負けてしまうなら全知全能の看板が泣く。良くは分からないが、多分神様は立派なものだろう、と見当をつけ始めていたドードー鳥はまごついた。
「私が考えるには、どうもね、神様と悪魔はそうやって遊んでいるのではないでしょうか。大雨を降らせ地震を起こし、山を壊し海を埋めたりと、そんな遊びが出来るのは、やっぱり全知全能のものの特権ですからね。それでね、私を悪魔だと考えている人間の塊もいたのですよ。私はそういう人間を片っ端から食ってやりましたっけ。なにしろ私は人間の考えるものになら何にでも化けられるのですからね」
 かつて龍は諸悪の王、恐るべき異端の象徴であり、禍々しい力だった。人間がどれ程彼の姿に恐れ戦いたことか。前足の一振りで人間の頭はザクロのように割れて消し飛び、不遜な夢の終わりを迎えた。
 善良であろうとなかろうと悪魔は容赦なしだ。無差別の殺戮こそ専売特許なのだ。血の臭いと肉の裂ける音、断末魔の叫び声だけが目的の総てだ。考えてみれば神様でいるよりずっと楽だ。
 見上げているドードー鳥には龍の形相が変わって行くのが良く分かった。長い口がぱっくり裂け、咽喉の奥がしゅうしゅう鳴っている、
 金色の目が血走って来て不吉な赤い月を思わせる。固く握り合わせた前足がぶるぶる震え始めた。それはまるでこれから襲って来る痙攣に必死に耐えている姿だ。
 ドードー鳥はぞっとして腰を浮かした。龍の恐ろしい面をすっかり忘れてしまっていた。
 空さえ急に暗くなったように思えた。風がどっと吹き込み、龍が大声で笑った。血の気が引くような笑い声だった。
 もし龍の目の前にいるのが人間だったらどうなっていたか分らないが、不気味な声で笑ったのも、いわば思い出し笑いだ。すっかり怯えている小さな鳥に気付いた彼は笑うのを止めた。
「あ、ごめんなさい。昔のことを思い出してつい笑ってしまったのですよ」
 再び空は明るくなり、龍の顔つきも穏やかになった。しかしドードー鳥は腰を浮かしたままだ。今にも取って食われそうな気がした。
「とんでもない! あなたを食べる何て、これっぽっちも考えてはいませんよ!」
 と龍は慌てて言った。その時のドードー鳥ときたらタンポポの綿毛のように震え、ちょっとした風でも逃げて行きそうだった。
「ほんと? でも、今の君の顔、とっても怖かったよ」
 ドードー鳥が弱弱しい声で抗議した。龍は今、悪魔になろうとしていた。そして悪魔が殺戮の王ならば相手を選ばぬものだ。ドードー鳥だけが例外であろう筈がないのだ、と思う。
「それは……、確かに馬や牛を飲んだりはしましたが」
 龍は困って目を伏せた。確かに馬や牛や鳥も飲んだが、何と言って良いのか、それがつまりお話なのだ。現実の龍は体ばかり大きくて気の弱い見掛け倒しの生き物なのだ。
「つまり、あなたが聞きたい、と言っていたお話なのです……」
 何だか分らないな、とドードー鳥は思った。空想の中の龍と目の前の龍はどこがどう違っているのか、または同じなのか、まるで分らない。
 神様でもあり悪魔でもあり、しかもそれが戦争している。二匹の蛇が尻尾に噛み付いて、お互いを飲み込んで行く様を見詰めているみたいだ。結末を知っているのは当の二匹の蛇だけだろう。
 複雑なことを考えるのは苦手だった。特に食われるかもしれない、と怯えながら考えるのはなお更だ。
 お話の中の龍に怯えるなんて子供だ。人間の中では残虐でも、目の前の彼は泣き虫で寂しがり屋なのだ。自分と同じだ。
 そう思うと恐怖が消えた。そもそも友達になりたくて来たのに、ちょっとばかり龍の顔つきが変わったからと言って逃げ出すのは失礼だ。
 おまけに話をせがんだのは自分だ。今度困ったのはドードー鳥の方だった。何と言って謝ったら良いのか、震えが止まった代わりに胸がどきどきする。もし龍が何か言ってくれなかったら彼の胸は後悔で張り裂けていただろう。
「もう悪魔の話は止めにしましょうね」
 察しの良い龍が優しい声で言った。
「神様でも悪魔でもなかった頃のお話をしましょう。その頃になると私も段々忘れられて、ちょっぴり寂しくなって来たのですけど、今考えてみれば、その頃の方が色々な物を見ることが出来た時期かも知れませんね」
「色々な物?」
「ええ、色々な物。人間が大きな船団を組んで海に乗り出して行って新しい土地を発見したり、火に変わる光を発見したり、鳥のように空を飛ぼうと考えて作り出した様々な滑稽な物、とか」
 龍が口を開いてくれたのでドードー鳥は嬉しかった。やっぱりいいやつなのだ。
 これがクアッガだったらつんとして行ってしまうだろう。いや、始めからお話などしてくれないに決まっている。シマウマが……、の話を除けたらゼロなのだ。
 竜ならばお話を沢山してくれそうだ。悪魔の話が出なければ再びぎょっとする事もあるまい。
 でも一つだけ聞いておきたい事があった。創造する神様と匹敵する程の破壊力を持つのが悪魔なら、そして龍が悪魔であったのなら人間を滅ぼしてしまえたのではないだろうか。ドードー鳥以外の者にとっても興味ある問題に違いない。
「ええ、まだ夜が本当に真っ暗だった頃ならばね」
 答えた龍の目の中に一瞬探るような色が浮かんだ。
「何でそんな事を知りたいのですか、ドードー鳥さん。私がずっと昔に人間を滅ぼしてしまえば良かった、と思っているのですか? 人間は全部いなくなってしまった方がいい、って皆が内心思っているように、あなたもそう思っているのですか?」
 首を傾げてドードー鳥を見詰めている。
 しかしこれは答えにくい質問だ。みんな内心の願望を口に出したことはなかった。一旦口に出したら自分が卑しくなりそうで怖かった。
「何で力を失ってしまったんだと思う?」
 ドードー鳥は質問をはぐらかした。卑怯だけれど今の質問には答えたくなかった。
「そうですねえ、多分、金色の玉を失くしてしまったからですよ」
 相変わらず首を傾げたまま龍はしごく真面目に答えたのだった。

龍は人間が造りだした化け物

 草原には入れ代わり立ち代り様々な生き物達がやって来る。或る者は二匹の取り合せを興味深げに眺め、或る者はまったく無関心で去って行った。
 そして誰の姿も見えなくなった頃、陽は丁度天頂できらきら輝いていた。朝露が乾ききった草原は青臭い匂いで一杯だ。草原のずっと先は草も疎らな土地になり、砂地になり、やがて海へと続いている。
 海岸線をずっと根気良く辿って行くとまたもといた場所に戻って来る。つまりここは大きな大きな島なのだ。島はまるで意志を持っているかのように仲間が増えるたびに拡張し続けている。
 陽が昇る方の海岸は遠浅で波は穏やかだ。陽が沈む方の海岸は断崖絶壁が続き、波も荒々しく、そのせいか空気も冷気を含んでぴんと張り詰めているように感じられる。
 天頂から西に傾き始めた陽は、磁石に吸い寄せられる鉄球みたいに一気に断崖に沈んで行く。
 島の南と北は複雑に入り組んだリアス式海岸になっていて、大小様々の突出した岸壁を抱えている。特に北側は水深があるので、体の大きな海洋生物の溜まり場になっている。
 島の南西寄りには台形の山があり、山の頂上は陥没して湖になっている、透明度が高いので泳いでいる魚の体内まで透けて見えそうな程だ、と湖を見て来た者達が話しているが、残念なことにドードー鳥はまだ一度もこの神秘的な湖を見ていない。
 それと言うのも、多分もとは火山であっただろうこの山も、今はすっかり森林に覆われていて、足に自信がないと到底登っては行けない高さだ。
 山頂まで無理ならば途中まででも良い、大小様々の沼や池があってそこに住む変わった生き物達を見ることが出来る、と聞かされても彼の脚力では覚束ない。でこぼこの山道の枯れ枝を跨ぎ、潅木の下を掻い潜って行くのは大仕事だ。
 竜の棲家はこの山の北斜面に点在する沼の中では最大の沼だった。
 北、と聞くとなぜかドードー鳥は寒くて暗い場所を想像してしまう。空を覆い隠す程の巨木が地球の静脈のような根を広げ、昼なお暗く静まりかえっている光景が浮かぶ。
 たまに聞えて来るのは姿を見せぬ怪しい鳥の陰気な呟きだけで、沼の面は濃緑色にどんより沈んで眠っているかのよう。そんな沼の底では泡さえも水面に達しないうちに消えてしまうだろう。
 実際には陽も射すし、可愛らしい小鳥達が沢山住んでいて、特に朝と晩には賑やかな囀りを聞かせてくれるのだが、寒いのは確かに寒い、と龍は言った。
 今迄仲間外れにされていた龍はしおしおと棲家に戻り、重い溜息と共に沼に滑り込む。水の冷たさが体の芯まで滲みて来て、ぞくぞくと震えが来る程だ。 お陰で彼は年中関節痛や頭痛に悩まされていた。
「可哀相に、ちっとも知らなかった……」
 ドードー鳥は心の底から同情していた。
 そう言われてみると龍の体はふやけていて、鱗だって腐った瓦みたいに今にもずり落ちそうだった。緑色の気味悪い粉はやはり黴だったのだ。
 龍が水に潜ってばかりいてはふやけるのも当然だ。それもこれも人間がいい加減に想像したせいで、龍だって本当は明るく乾燥した所に行きたい時がある。
 時々岩の上で体を乾かし、ぼんやりと昼寝を楽しみたいと思う。しかし龍はいつも深い沼の底に潜んでいなければならないのだ。ああしろ、こうしろと言われて自分では何一つ自由にならないとしたら悲しいに決まっている。

 今度はドードー鳥が質問をする番だ。さっきのお返しではないが、龍の本音を聞きたかった。
「じゃあ、君はきっと人間を恨んでいるんだろうね。君がもっと楽しく生きて行けるように人間なら想像出来た筈なのに、ちっともしてくれなかった。自分の夢が自分達を押し殺してしまうのが怖かったんだ。自分達以上の力を持たせたくなかったんだ」
 恨んでいる、と答えるのを期待したのは浅ましい思いのせいだったのだろうか。自分で口にするのは憚られても、他の者が言ってくれるのを待つ気持が見え隠れしていたのは事実だった。
 それは知らぬ間に体中の羽毛が逆立ってしまう程の暗い情念だ。必死に誤魔化しておかないと辺り一面にあふれ出し、海に流れ出た重油の中でもがき苦しむ鳥のように自分自身をも醜く黒く窒息させてしまう感情だ。
 ドードー鳥は息を詰めて答えを待った。そして、そうですね、と龍は答えた。
「あなたの言う通りですよ、ドードー鳥さん。人間は勝手で卑怯な生き物です。勝手に作り出しておきながらインチキな神様だと言ったり、悪の化身だと言ってみたり。怪物だなんて言って、ただの命知らずで力だけが自慢の乱暴者に殺させて拍手喝采しているのです。そしてとどのつまりは文明とか文化が出て来ればあっさりお払い箱です。私達龍族は人間の暇潰しの玩具に過ぎなかったのでしょうか。いい加減にしてくれ、と言ったら言った私が不遜なのでしょうか……」
 激して来た感情を抑えようとする為か、龍は言葉を切った。
 ドードー鳥はごくりと唾を飲み込んだ。龍だって人間に腹を立てている。それが嬉しかった。
「でもドードー鳥さん、私は所詮人間が作り出した化け物です。彼等の都合でどうなろうと我慢しろと言われれば我慢し、諦めなくてはならないのかも知れません。いいえ、慰めてくれなくてもいいのですよ、その辺は私自身が一番良く知っているのですから」
 竜の金色の目が潤んでいた。もうずっと考え続けていた事、結局は諦めた事だった。今更蒸し返しても悲しくなるだけだ。しかし諦めてはいけない事もある。
「消えてなくなれと言われれば消えもします。でも人間はしてはいけない事をしているのです。それはあなた達を殺してしまった事です。人間と同じ空気、同じ大地から生まれて来たあなた達を私と同じ様に扱った事です。人間が作ったのではないものを殺す権利なんてない筈ではありませんか」
 龍はしばらく物思いに沈んでいた。なぜ人間は人間同士で差別をつけたがり、生き物同士差別をつけたがるのか、自分より下と思ったものにはなぜ残酷にしかなれないのか、考えたが分らなかった。
 分らないからこそ神様にも悪魔にも成りきれなかったのだ。人間を恨む事も出来なかった。とどのつまりは中途半端。

「ねえ、ドードー鳥さん、私はここにいる皆が大好きです。皆を苦しめ悲しませる人間は本当に酷いやつだと思います。でも……でも、御免なさい。あなた達にどう思われても、私は心の底では人間を恨んでいないらしいのです」
 龍は消え入るような声で言うと、自分をまじまじと見詰めているドードー鳥の目を避けて下を向いた。金色の目の中でドードー鳥の思いもよらぬ程の複雑な感情が交錯していた。
 人間によって殺された者達に済まない、という思いと、人間を恨むにはあまりにも近過ぎた彼等の種族の苦悩だった。
 クアッガが言った通り、もともと立場が違っていた。龍とドードー鳥はまるで違っている。龍はあくまで想像上の生き物だ。
 がっかりしたのは確かだった。なあんだ、やっぱり、と恨めしくなる。しかしドードー鳥は自分でも意外ながら龍を責める気にはなれなかった、
 人間に作られた彼が人間を恨める筈がないではないか。人間は残虐でいやなやつだ。それでもまだ未練があるなんて、とちょっぴり可笑しくなった。そう、考えていた通り、龍はいいやつなのだ。心の優しい友達ほど素敵なものはない。ドードー鳥は何も言わずにそっと龍の前足に触れた。そしてこの日から草原の片隅で楽しげに語り合う仲の良い一組が出来上がった。

龍と金色の玉


 その日は波も穏やかで、海は自分がシロップになってしまったのだ、と思い込んでいるかのように物ぐさな欠伸をしていた。ドードー鳥は七日掛かりでやっと海辺まで辿り着いたところだった。
 出掛けた時は惚れ惚れするくらいの晴天で足取りも軽く、ダチョウとはいかなくてもクイナぐらいに健脚になったかな、と自惚れながら旅程も捗ったのだが、二日目は難儀だった。
 前日の晴天が嘘みたいな荒れ模様で、横殴りの雨がひどくて行く手を遮った。そして三日目はまた良い天気で、七日目の昼過ぎになってやっと海の見える所までやって来た。
 ベタ凪の海は濃緑色の苔の絨毯みたいで、ミズスマシと一緒に歩いて渡れそうだ。
 ドードー鳥はほっと一息ついて海を眺めた。龍はどうしているかしら、と心配になる。クアッガに難癖をつけられて困ってやしないか、と心配だ。クアッガときたら結構しつこい。未だに龍に対してはつんけんした態度をとっている。
 それなら一緒に来れば良かったのだろうが、ちょっと事情がある。龍に泳ぎを教わる事になったのだが、ドードー鳥には先約があった。龍が仲間に入るずっと前にオオウミガラスとは泳ぎを教えて貰う約束があった。
 話のついでに龍の耳に入り、それでは是非私が、と龍。せっかくそう言ってくれるのなら、とドードー鳥も乗り気になったものの、オオウミガラスに了解を得なくてはいけない。
 という訳でドードー鳥は海辺までやって来た。
 運良く彼は海から上がって羽繕いをしていた。
 もしクアッガのように本家争いをするならこのオオウミガラスこそ本家だ。彼は北極海の海鳥で、もともとはペンギンと呼ばれていた。南極にいた海鳥は彼に似ていた為に同じ様にペンギンと呼ばれ出したので、ペンギンとはそもそもオオウミガラスの名称だった。
 しかし名称などはこの元気一杯の鳥にとって何の関心もない些事であったから、クアッガのようにいきり立ったりはしない。
 滑りやすい波打ち際の岩の上を危なっかしい足取りでやって来るドードー鳥の姿を認めたオオウミガラスは一瞬困惑の表情を浮かべた。
 もしドードー鳥が足元ばかりに気を取られずに彼を見ていたなら、少なからず傷ついたに違いなかった。本当に泳ぐつもりでいるのか、困ったな、とオオウミガラスの目は語っていた。
 確かに泳ぎを教えて欲しいと頼まれてウンと言ったが、まさか本気だとは思わなかったからその時は安請け合いしてしまった。
 大体、まともに取り合うものなんていないだろう。海に適応したもの達は流線形の体つきをしているものだが、ドードー鳥はお世辞にもスマートとは言えない。
 突き出た太鼓腹に大きな頭、嘴も大きくて先が鉤状に曲がっている。翼は雛のように短く貧弱で、足には水掻きがないから、どう考えたって沈んでしまうに決まっている。
 友達が海の底に沈んだまま二度と浮かび上がって来ないとしたら、これはもう大問題だ。しかし、と彼はどこでドードー鳥の為に別の考え方をしてみた。なにしろドードー鳥は長年の友達なのだから少しぐらい前向きに考えてやりたい。
 水鳥でも海獣でも子供の頃は泳ぎが下手だ。生まれたての頃は水が恐ろしい。自分が泳げるなんて思ってもみないものなのだ。親と同じ様になるには多少の練習を必要とする。
 ドードー鳥だって練習すればどうにか格好がついてくるかも知れない。生き物は浮くように出来ている。
 それに、これは大切な事だが、今迄彼の種族の中で泳いでみようと考えたのは多分彼が始めての筈で、意欲こそ成功の鍵、それだけでも泳げるドードー鳥への第一歩を踏み出したことになりはしないだろうか。
「よう、来たね」、とオオウミガラスが声を掛けた。
「やっぱり泳ぐつもりかい?」
「うん、泳ぎたいんだ」
 無邪気な返事だ。泳ぎを習いに来たくせに波の飛沫に濡れないようによろよろしている姿が可笑しい。
「でもね、御免よ」
「いきなり御免なんて、何がさ?」
「君には済まないけど、龍が教えてくれるって言うものだから、断りを言いに来たんだよ」
 ドードー鳥は手前勝手な申し出に赤面していた。オオウミガラスが待っていてくれたと信じていたのだ。
 ところがオオウミガラスにしてみればほっと一安心。
「龍が教えてくれるって? そうか、龍なら体も大きいし、海水も淡水も自由だからいいかも知れないな。俺? 俺に申し訳ないなんて、そんなこと考えなくたっていいよ」
 恐縮するドードー鳥を波の飛沫の掛からぬ場所に案内した。オオウミガラスと違ってドードー鳥は海が恐ろしい。
「龍はいいよな、俺と違って海だけじゃないしな。川でもいいし、池でもいい。水気のある所ならどこでも生きていけるっていうじゃないか。そのうえ必要とあれば水気まで呼び出せるんだぜ」
 オオウミガラスは海を眺めながら目を細めた。
 龍はいいよな、と言いながら決して羨ましがっていない。自分に与えられた海だけで充分満足している。でもドードー鳥には羨ましげに聞えたのか、龍は龍で結構辛いらしいよ、と返事が返って来た。

「金色の玉だって? へえ……」
 一部始終を聞き終えたオオウミガラスは首を傾げた。
「龍だってもともとは想像から生まれたんだろう? だったら金色の玉だって同じじゃないのか。そんな物で失った力が戻るのかな」
「さあ、僕は良く分からないけど。何でも龍と金色の玉は摩訶不思議な関係にあるんだって」
 ドードー鳥は人間界に於けるポパイとホウレンソウの法則についてなど知らないから例えようがなく、鉤状の嘴をしばらくぱくぱくしていたが、諦めた。
「いやはや、何だか妙な話だな。それと言うのもクアッガのやつが珍しく折れて、あいつを仲間に入れてやったせいだけど」
「仲間に入れてやったんじゃなくてね、見て見ぬ振りをするに吝かでない、ってことらしいよ」
 ドードー鳥が真面目な顔で言い返したものだから、オオウミガラスは思わず笑い声を挙げた。いかにもクアッガが言いそうな言葉で可笑しかったのだ。
 自分の体面とか正論に腐心していると言葉の方はどんどん長くなる。蛇のように長くなって、終いにはどこまでが胴でどこまでが尻尾か分らなくなる。そうなると正論も時としては独断になる。
 クアッガの言う事は一見正論で実は独断である場合が多い。その根っ子は簡単で、自分がシマウマより正統であるという自負から来ているのだ、とオオウミガラスは考えている。
「あいつは単純なくせして持って回った言い方をするものね」
 今度は咽喉の奥でくっと笑った。
「それでもって、今度は龍の体色をとやかく言っているんだって? 大人気ないやつだね。そりゃあ確かに派手派手の長いやつがくねっているのは妙なもんだけどさ。でもまあ、その内あいつだって龍と上手くやって行ける様になるだろうよ。なにしろあいつと来たら、シマウマの方が亜流なんだって皆に聞かせたくてうずうずしてるんだものね。俺なんかもう耳にたこだぜ」
 今度はドードー鳥が苦笑する番だった。物に拘わらぬオオウミガラスにからすればクアッガは随分子供じみて見えるだろう。地球上からいなくなってしまったのに、今更どちらが正統かもないだろう、と思っている。
 事実、そんな事は人間の学者に任せておけばいいことだ。そして、えてして学者というやつは、エルデイ島にいた最後の二羽のオオウミガラスに賞金を掛けて殺させ、得々としているような輩なのだ。この輩に分類上の地位を与えられても嬉しくない。
 しかし誰だって存在理由が必要だ。絶滅した後ではなお更だ。生きている時には意識しなかった相手に関心を持つのは死んだ者の悲しい抵抗だ。ドードー鳥はクアッガの気持も分るような気がする。
 海は驚く程のったりして見えるのに、波打ち際には荒い波が寄せていた。この海はオオウミガラスが生きていた頃の海と同じなのだろうか。
 それとももっと古く、恐竜とやらが地上をのし歩いていた頃の海ではないだろうか。島の外は今どうなっているのだろう。ドードー鳥は素朴な疑問をぶつけてみた。
「そんな……、いつ頃の海か何て、考えたこともないよ。あんたっておかしな事を考えるね」
 洒落た燕尾服の羽繕いを始めたていたオオウミガラスは右の翼に差し込んでいた頭を上げた。陸生の者は時として海を思索の対象にするが、彼にとって海は生活の場で、考えるより行動する場所なのだ。

「物知りのステラーカイギュウなら知っているかも知れないな。前に聞いた話じゃ、ずっと昔の海には龍よりももっと変な生き物がうようよしていたらしいぜ。今はそんなやつにお目に掛からないから、昔とは違っているのかな。中身が変わっても容器は変わらないのかも知れないしな。良く分からないよ」
 同じ質問をドードー鳥にしたらどんな答えが返って来るだろうか、と思いながら言った。ドードー鳥の住む陸だっていつ頃の陸か分らないだろう。
「でも、俺が生きていた頃となら比較出来るぜ。海は深くて広くて塩辛い。昔と同じだ。荒れる時も、今日みたいに穏やかな時もある。月と共に満ちたり引いたりする。そういう海は百年の間でも変わっちゃいないさ。でも何て言うのかな、そういう海は以前と同じでも、中身は随分変わっているようだよ」
 ドードー鳥は海の中身という意味が分らないから、これでは疑問が一つ増えたことになる。
「いや、そんな気がするだけで、本当は自分で確かめた訳じゃないからね、ステラーカイギュウの話じゃ海が変わってきているらしいんだ」
 オオウミガラスはドードー鳥の反応を覗いながら付け加えた。
 ではスタラーカイギュウはなぜ変っていると言うのだろうか。それはつまり彼が時々島の外の世界を見聞きして来るからだ。
 島の北側にはこの島を巡る潮流とは別の流れがあり、外界へと通じているらしい。島から抜け出せる潮流があるなんて、初耳だった。
 ステラーカイギュウより先輩なのにこんな話を聞くのは初めてだ。元来黒っぽい色をしているモーリシャス島産のドードー鳥はレユニオン島のホワイト・ドードーになってしまったように一瞬色を失ってよろめいた。
 もしオオウミガラスが慌てて支えてくれなかったら海に転がり落ちて、手っ取り早く泳げるかどうかの結論が出ていただろう。
 オオウミガラスは興奮しているドードー鳥をもっと海から離れた所まで引っ張って行って座らせてやった。
「なんだよう、どうしたのさ」
 海から離れたので少し苛立って言った。
 ドードー鳥に怒っているのではなかった。海から離れるといつも不安で苛々して来るのだ。
 もう決して頭を殴られたり食われたりはしないと分っていても、今でも不意に棍棒が頭の上に降って来そうな気がする。
「島の外に行けるなんて、知らなかったからだよ」
 オオウミガラスを相手に文句を言っても始まらないのだが、今迄全くの部外者扱いされていたのが悲しくて、突っけんどんな口調になった。
「なんだ、そんなことか。俺はまた、あんたが気分でも悪くなったのかと思って心配したんだぜ」
 そんなこと、と言われてまた少しむっとしたが、オオウミガラスがまだ一度も島の外に行っていない、と聞いて機嫌が直った。
「ステラーカイギュウが外に行くのは仲間を捜したいからさ。人間の話ではあいつの仲間もとっくに死んでいる筈なんだけど、何でもシベリヤ沿岸で群れを見掛けたという情報もあるそうなんだ。あいつは、ほら、あんたも知っての通り、仲間が殺されるとわっと集って来て助け出そうとするくらい仲間思いだから、どんなあやふやな目撃談でも確かめずにはいられないのさ。でも、目撃談と言っても数十年前の話だけどね」
「それで仲間は見つかったの?」
 ドードー鳥はわくわくしながら尋ねた。二百年以上も前に絶滅した筈の仲間がまだ生きているとしたら素晴らしい。しかしオオウミガラスの答えは冷たかった。
「とんでもない、見つかるもんか。この島は人間達に絶滅させられた者達が棲む島だぜ。ステラーカイギュウがまだ生きているなら、なんだってあいつがここにいるのさ」
 実際そうに違いないが、随分冷たい返事だ。いっそ意地悪と言って良い程だ。オオウミガラスは焼餅を焼いているのではないか、とドードー鳥は思った。
 ステラーカイギュウは冷たい潮流に乗り、かつての故郷である北極海に辿り着く。波に漂いながら仲間の姿を捜し求める。
 船が通れば近くまで行き、身を隠しながら人間の言葉に耳をたてる。どこかでステラーカイギュウを見掛けた、と話している声が聞えやしないかと必死で聞き耳を立てる。
 小さな島影が見えれば仲間ではないかと思い、波が煌けば仲間かと思う。クジラの群れさえ仲間の姿に見える。しかし夢はほんの束の間だ。彼は望みのない現実を思い知らされる。そして代わりに目に入るのは少しずつ変って行く海だ。
「あいつは俺と同じでもともとは冷たい海が好きなんだけど、たまに赤道付近まで足を伸ばしてみるらしいぜ。生きている時にはそんな方まで行く気にならなかったのに、おかしなもので、二百数十年も経つと行ける様になる、なんて笑っていたけど、生きている時に出来なかった事が自由に出来るようになるのは、やっぱり死んでいる証拠さ」
 合理主義精神のオオウミガラスが決め付けた。
 彼の意見では、どうやら生き物達は死んでからの方が自由を獲得するようで、だからあんただって泳げるようになるかも知れないぜ、とついでに励ましてくれたが、あまり嬉しくない励まし方だ。

 オオウミガラスはそろそろ海に戻りたかった。陸に上がるのは主に夏の営巣期で、他の時には波間に浮かんだまま眠るほどの彼だから、陸にいるのは苦手なのだ。なにしろ陸では嫌な思い出がある。
「海がどう変ったのか詳しく聞きたかったら直接ステラーカイギュウに聞きなよ。俺が話してやっても又聞きだからね」
 言いながらゆっくりと海に向かって歩き出した。急に会話を打ち切られたドードー鳥は訳が分らずにあわてて後を追った。
「ねえ、もう帰ってしまうの? まだ聞きたいことがあるのに。教えてよ、君は島の外に行ってみたいと思ったことはないの?」
「いや、一度もないな。俺の海は俺と一緒に死んだんだ。俺も、俺のいる所もここ以外にはない。それに、また殴り殺されるのは御免だしな」
 後ろ向きのままオオウミガラスが答えた。そしてまだ何か言ったようだったがドードー鳥には聞えなかった。ドボンと海に飛び込む音がした。
 気性のいいさっぱりした鳥で、別れの時もいつもこうしてあっさりさっぱりしている。慣れない内は怒って行ってしまったのかと思うが、怒ってなんかいない証拠に突然また海面に浮上して別れの合図を送ってくれる。


(3)へ続く


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