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荒野と逃げ水

お腹が満たされた幸運な「わたし」は、ある日突然、自分が荒野に立っていることに気づく。湖に見えたものは逃げ水にすぎない。恋も愛も国家や主義やあらゆる形而上の概念もすべて、幻だった。

「わたし」はアルコールや薬物やセックス、あらゆる娯楽に溺れて視界をぼやかし、虚しさを忘れようとした。それでも虚無から逃れられなくて自ら死を選ぶこともあった。

多くの場合「わたし」は、それでも生きようとする。体や、土や、金や、食べ物なんかの触れるものにフォーカスをあてて、家庭を築いてみたり、環境活動にめざめてみたり、資産運用してみたり、丁寧な暮らしをしてみたり、ミニマリストになってみたり、趣味に打ち込んだり、そうやってうまく等身大の物語を作って生きてゆく。

(あらゆる存在は突き詰めれば現象に還元される。もちろん「わたし」も)

虚しさを知りつつも国家だとか主義だとか信仰だとかの大きな物語をもう一度背負い直してまた歩き出したりすることもある。

あるいは夢を見ることなく、虚無と向き合いながら犀の角のようにただ1人歩き続けることもあるだろう。

そうやって逃げ水を追いかけたり、打ち消したりしながら、それぞれがそれぞれの荒野を渡っていくのだ。賢くて愚かな出来損ないの獣。その全ての旅、全ての蜃気楼、全ての荒野の痕跡も、いつかは太陽に沈む。だったらせめて幸せでいさせてやってくれ!

(焼け跡で君の死体を見つける夢をみた。腹が大きく割れてたから、手を突っ込んで君の魂を探そうとした。それを私だけの宝物にしたいと思った。なのに見る間に君は内臓も手足もぜんぶ揮発して白い骨だけになってしまった)

「わたし」はまた「わたし」の荒野を歩きだす。だって、ほかにどうしようもないじゃないか!





えっいいんですか!?お菓子とか買います!!