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戦争の話なんてしたくないのだ

戦争なんていうものは映画やゲームの中ででも起こっていればいいのであって、現実でおこすなんてどーかしている。だって人が死ぬんだぞ。戦争の話なんてしたくない。シャボン玉でも作っていたい。

となりの国がとなりの国とはじめた戦争をTVで見ながら、泣くでもなく笑うでもなく、小学生みたいな感想を抱きながらただただ戸惑っている。

私の祖父は長崎で被爆した。あっちこっちに癌ができて長い間苦しんで死んだ。私は被爆三世ということになるらしい。私の体の中には第二次世界大戦の余韻が残っているともいえる。

被爆について「2世以降には影響ない」って言う人もいるし「何世代も影響は続く」って言う人もいる。どっちも「ちゃんとした論文」があるらしいし、悪気があって言ってるんじゃないのはわかる。

だけど、どっちの見解(?)も私の不安に寄り添うことなく、心の表面をザラッと舐めて滑り落ちていく。私は微笑んで相槌をうつ。だって相手はちっとも悪くないんだから。

曽祖父は満州で「おなごには聞かせられないような酷いこと」をしたらしい。曽祖父が亡くなった今それが何だったのかはわからない。満州では鬼だったのかもしれないひいじいちゃん。私の頭を撫でてくれた優しいひいじいちゃん。

私は、いやきっと我々は皆生まれながらに、被害者であると同時に加害者なのだ。よその国の戦争について、何を言っても無責任になってしまいそうな気がして何も言いたくない。

例えば今行われている経済制裁にしたって、ABCD包囲網に反発した大日本帝国が真珠湾攻撃をしたことを思いだすとき、良い結果をもたらすという確信はもてない。

ウクライナでは18歳から60歳までの男性は出国を許されず武器を持って戦うという。ロシア兵にとってみれば民間人と戦闘員の区別がつかない対ゲリラ戦が始まるということだ。ウクライナ国家を援助することは、かの国を沖縄戦やベトナム戦争のような泥沼にしてしまうかもしれない。

ロシア国内で反戦デモをする人たちはとても立派だ。だけど彼らは拘束されたあとどうなるんだろう?安全な場所から彼らをエールを送ることは彼らを牢獄や、もっとひどい場所におくることにならないか?

プーチンが悪いというのは簡単だし、どー考えたってプーチンは悪いけど、プーチンが悪いって言ったら誰かが救われるのか?

核武装の議論をすることはいいことか?挑発になってしまわないか?何もわからない。大人になったらもっと色々なことがわかると思っていたのに、何もわからない大人であるところの私は、居心地悪そうに洗濯物を畳んでいる。

日本にできることで高確率で人の命を救えるだろうってことがないわけではない。それは、日本への亡命を希望するウクライナや、シリアや、ウイグルやその他の国の人を受け入れることだ。

日本の難民申請手続きは極めて難しいと言われている。これに関しては日本にいても出来ることがあるかもしれない。

一昨年ぐらいに、近所にハラル食品の店ができた。パキスタンから来た夫婦が営んでいる。珍しいものが沢山あって面白い。私はときどき干しナツメや、カレー味のマトンピラフを買いに行く。

彼らがどういう理由で日本に来たのか、わからない。でも彼らが日本に来たのは911のすこしあとのことで、日本国籍を取得した彼らは、イスラム教徒としての信仰と生活様式を維持しながら、日本で働いて消費し税金を納め選挙に行き、日本人として暮らしている。

世界情勢というのは、先が読めないものだから10年後には私たち家族が中東に亡命することだってあるかもしれない。2人のムスリムを知ってること、カレーピラフの味を知っていることはそのとき心の支えになるだろう。

そして、もしそんなことがなくても、彼らとの交流はとても豊かな体験だと思うのだ。「美味しかった」「このスパイス何につかうの?」「ナツメヤシはとっても体にいいのよ‥」

そんなやりとりが人に寄り添うってことで、その積み重ねが平和とか新しい文化とかを醸造していくんだと思う。

だからウクライナから日本に亡命する人がいたらぜひ近所に引っ越してきてほしいし、次の選挙では難民受け入れに積極的な政党に入れようと思う。

いつの日か異国から来た隣人と、より豊かな交流ができるように英語と世界史勉強しなおそう。そして今このとき目の前の家族や友人と過ごす時間を、自分や書物や自然と向き合う時間を大切にしよう。たぶんそれが、今の私にできること。

さてさて洗濯物を畳みながら国際ニュースを聞きましょう。そして日曜日には子供とシャボン玉でも作ろう。戦争よりシャボン玉のほうがたのしいし、いつか戦闘機の下を逃げまどう日が来たとして、青空を舞うシャボン玉の記憶はきっと希望になるはずだから。





えっいいんですか!?お菓子とか買います!!