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今年最大、いや人生最大のチャレンジ

まっすん!2023年最後にあたり、自分を振り返る事ができるこんな素敵な企画に誘ってくれてありがとう!
でもnoteも始めての私はむちゃくちゃ不安。
とにかく書いてみます!


私は今年2月から焼津市の市議会議員を務めています。
なので今年最大、いや人生最大のチャレンジは2月5日に行われた市議会議員選挙でした。
皆さんから
 「なぜ市議会議員になろうと思ったの?」
 「周りから押されたの?」
 「地盤はあったの?」と聞かれます。
今でこそ幸運にも当選できて、議員になっていますが、いわゆる地盤も看板もありませんでした。
そんな私がなぜ人生最大のチャレンジをしようと思ったのか、よかったら読んでください。

悔いなく生きよう

50歳前後になったころから、同世代で急に病気になったり、亡くなる方などを見て、「あ、家族と自分の為に 悔いなく生きなきゃダメなんだ」と、かなり強く思うようになりました。

また自分の周りの方で、子育てを終えてから絵描きさんになったり、サラリーマンをやめてコーヒーを極めて喫茶店を始められたり、そんな「悔いのない生き方をされている方」にも影響を受けました。

妻も55歳を過ぎてから、60歳以降に別の仕事ができないか、資格を取得する為に大学当時のように勉強していて、新たなことにチャレンジしていたことも、大きな刺激になりました。

仕事より前に「悔いなく生きる」ことの第一番目にしたこと。
それはバイク。50歳を過ぎて大学時代以来のリターンライダーとなり、大型免許も取得して、今もたまに好きだったバイクに乗っています。


愛車は2008年 TRIUMPH BONNEVILLE T100

定年後はシニア雇用・・・

今年4月に60歳になった私は、55歳くらいまでは、60歳になったら退職して自由に暮らせばいいやと考えていました。
でも昔自分が考えていた60歳と、体力も気力も全く違う!(感覚があまりにも若い)
ネットを見ても「毎日趣味に生きることも、1か月もしないうちに飽きてしまう」と書いてあります。

やはり働こう・・・と考えましたが、勤めていた会社は60歳の誕生日の月に一旦定年退職し、65歳まではシニア雇用で働ける環境にあり、数年前から先輩たちがシニアで働き始めていました。
先輩たちは
 「こんなに給料下がって同じ仕事か」とか
 「俺たちの時はこうやって成功した」など
後輩の上司に話す声が聞こえてきて・・・
やはりシニア雇用はやめておこう、でも仕事は何をすれば・・・

仕事としての市議会議員って

漠然と考え出したのが57歳ころ。いくつか考えた選択肢は
 ・退職金を原資に起業する・・私にはそんな勇気が無い
 ・初心に帰って就職活動・・それなら慣れた職場でシニア雇用されればいい

そんな時に出会ったのが、当時台湾のデジタル大臣だったオードリータン氏
の「デジタルとAIの未来を語る」という本。
コロナ初期にマスク在庫マップアプリを開発し、感染拡大防止に貢献された方です。
その本には
 「軽度の認知症の人にやさしい街が最も良いのではないか」
 「デジタルが高齢者に使いにくいのなら使いやすいように改良すれば良い」
 「どうすれば各世代が一緒に政策を作っていくことができるか」
など考えが示されていました。

これまで携わってきたITや企業に対する課題解決のスキルが地方自治に活かせるのではないか、と考えはじめました。
また時を同じくして、過去の選挙手法にとらわれないで、主婦やサラリーマンが独自の選挙活動で当選される、市議会議員の事例を複数ネットで見かけました。
自分も独自の活動で市議会議員を目指せるのではないかと考えはじめ、ネットや本で市議会議員の仕事を調べるうちに、

「あ、市議会議員ってなかなか良い仕事かも」と感じ始めます。

それまで当たり前に民間企業に所属し、所属する企業の収益を上げる事にまい進してきました。
教員や医療従事者、介護従事者の皆さんは仕事を普通にしているだけで、大きく社会貢献し、お仕事の意義も大きいと感じていました。
新たな仕事をするなら、仕事として報酬が与えられ、なおかつ社会貢献につながる仕事。
私にとって市議会議員の仕事は、そんな風に魅力的に映りました。

私は岐阜の生まれで大学から42年間、静岡で生活しています。
結婚して焼津市に暮らし始めて34年。
よそ者の私を近所の皆さんは暖かく迎え入れてくださり、地域のスポーツ祭、体育行事へ誘ってくださいました。
そんな縁で体育委員を長く務めたり、地域の青年団(中老会と呼ぶようです)に入れていただき、夏祭りやお神輿、餅つき大会を地域の皆さんと長く続けることができました。
よそ者の私を、なんの隔てもなく暖かく迎えていただいた焼津の皆さんの為に何か役に立ちたい。
市議会議員としてなら、ひょっとしたら恩返しできるかもしれない。
そんな思いもむくむくと沸いてきました。

餅つき大会では「手返し」担当

もう一つは・・・「もう忖度したくない」
組織の中にいて必ず感じてきた「忖度」。
収益を上げるため、生産性を上げるため、顧客満足度を上げるために、自分なりの判断してきたつもりでしたが、時に「会社の考え」、「上司の考え」に「忖度」せざるを得ない場面がいくつかありました。
組織なので当然ですが、気がついちゃったんです。
「市議会議員は市民に忖度するだけでいいんだ」と。
もとよりお世話になった焼津の人たちの役に立ちたいのが大きな動機なので、市民に忖度する事に何の抵抗もありません。
※そんな思いなので、政治団体には全く所属せず、支援も受けない完全な「無所属」です。

定年後は静かに穏やかに過ごしたい妻・・・

そんな背景と動機で自分の中だけで
「よし、次の市議会議員選挙に出馬しよう!」と決めますが、最大の難関が・・
大学時代に出会った焼津生まれの妻とはもう42年来の仲。結婚して34年。
「定年後の相談だけど・・市議会議員・・」と話し始め、説明をする間もなく一切をシャットアウト。
当然です。焼津に生まれ、焼津市内で働く彼女には多くの知人、友人があり、選挙に当選するなんの根拠も持たない私の話を聞きたいわけがありません。
また妻は私と違い、極端に目立つ事が嫌い。定年後は静かに穏やかに暮らしたいと思っていたはずです。

結局は27歳になった双子の息子たちを交えた家族会議で「今まで何年もサラリーマンやってきたんだから、人生の後半くらいやりたいことやれば」という、いかにも男の子らしいあっさりした声に押されて、なんとかチャレンジスタートしたのが2022年9月。

初めての政治活動と選挙戦

(選挙期間中以外は政治活動と呼びます)

2022年10月にお友達4人と後援会を立ち上げ、県や市の選挙管理委員会に届を出し、後援会事務所看板を立て、ご近所を回ること正月を挟んで4ヶ月弱。

実は前回2019年の焼津市議会議員選挙は21人の議員定数に出馬が21人で、無投票でした。選挙戦が激しくならないといいなあって、年末に立候補者向け説明会に行ったら、なんと28人来ててびっくり。

一つだけ後悔したこと。
「選挙を真剣に考えておけば良かった」
とにかく知らないことばかりで、地元の方や選挙をよく知る方には怒られてばかり。

それでも年明けには事務所開き(集会)をやり、自宅の庭に小さなコンテナハウスを運び入れて選挙事務所も構えました。

2023年1月29日(日)公示
結局26名が出馬して2月5日(日)の投票日まで突っ走る事になります。
選挙カーのドライバーもうぐいす嬢も、お弁当だけで友達に協力いただき、事務所には近所のおばあちゃん達が毎日応援に来てくれて、思えばなんともアットホームな選挙戦でした。
近所のクリーニング店やスーパーの前での立会演説も、同じおばあちゃんが毎日聞いてくれるので、「昨日よりうまくなったよ」って褒めてもらう事が最大のモチベーションでした。

息子たちも選挙カーの運転と応援のお願いに

選挙活動最終日(投票前日の土曜日)夜の「マイク納め」では地元の公園で皆さんに感謝をお伝えし、あとは祈るのみ。

2月5日(日)投票日
投票日当日は、文化祭の翌日のように「みんなとやり切った」という気持ちの良い疲労感があり、意外にも清々しい気持ちでいられました。

そして夜の開票。
8時頃開票所である焼津体育館に行ったら、選挙慣れした別陣営のおじさん
に、「候補者来るやついないよ」と笑われたました。
後援会長と刻一刻開票が進むのを待つのも、えもいわれぬ緊張感です。
夜10時頃、ひょっとしたらいけるんじゃないか、と判断した自宅につめていただいた支援者の方から、戻ってこいと言われ慌てて戻り、日付が変わるころ、最終1551票をいただき16番目で初当選となりました。
義理の妹が準備してくれていた当選のお花を受け取ったのは、自宅のリビングです。
夜中にもかかわらず、ご支援いただいた中老会の皆さん、手伝ってくれた友達のみんなと家族に囲まれ、苦労に報いる事ができて本当に良かったと、ほっとした瞬間でした。

2月22日、議員バッチを受け取り、2月24日には議場で初めての議会に参加しました。
2月定例会の後、議会は6月、9月、11月と開催され、初参加の2月定例から毎回欠かさず一般質問に立たせていただいています。
※11月定例の一般質問では「焼津PORTERSについて」焼津市に対して質問させていただきました。
近日中に動画配信されますので、どうぞご覧ください。

これからのチャレンジ

市議会議員としてまだ10か月です。
1年のクールはおおむね理解できましたが、同時に自分自身でできることとできない事(無所属であるが故のハードル)も理解できてきました。
本当のチャレンジはこれからです。

私はあくまで「市民の幸福度」が向上する事だけを自身の活動成果として考えます。そのためには何ができるのか。

1 市民(企業を含め)の皆さんの声に耳を傾ける
2 どこの課題があるのか、課題を解決する真の要因は何か調査する
3 課題を解決するためには、どこに働きかけるべきなのか考え行動する

上記をふまえて
市の担当課に直接アクションすること、
 一般質問で焼津市に質す事、
 所属している常任委員会で追及する事、
 市議会に働きかけて議会全体で取り上げるべきこと
など、課題解決に向けた具体的なアクションをしていきます。
※無所属の私には簡単ではないハードルがいくつもありますが、「忖度」したくないので、知恵を絞ります。

もう一つ焼津の市議会議員としてやるべきことがあります
市民に対して市政を分かりやすく説明したり、市民の声を聴く活動をしていく事。
これは「焼津市議会基本条例」第5条(市民と議会の関係)に規定されている事です。

焼津市議会議員の一人として、私も実践しています

1 市政報告会の開催
市議会で討議されている事、焼津市で起こっている事をお話ししています
2 タウンミーティングの開催
あらかじめテーマを決めて市民の皆さんから直接ご意見を伺います

今年5月には市政報告会を地元の公民館などで2回開催し、8月には焼津PORTERSでタウンミーティングを開催し、多くの市民の方に参加いただきました。
2024年も回数を増やして開催する予定です。

タウンミーティングin焼津PORTERS

「どこでもタウンミーティング」はじめます


それでも、議員が企画する市政報告会やタウンミーティング、皆さん気軽に参加しにくいですよね。
そこで、「どこでもタウンミーティング」のご提案です。
お友達や仲間が集まったとき、
 「子育てでこんなこと困ってるよね」
 「地域にこんな問題あるよね」
 「お年寄りの関係でこんな問題あるね」
そんな話題が上がる時があると思います。そんなときは、藤岡を呼んでください!
皆さんが集まった場所、そこがタウンミーティング会場です。
どんな問題や課題でも、漠然とした不安でもかまいません。
どこでも駆けつけるので、藤岡にご連絡くださいね。お待ちしています!

最後に・・・若者の政治参加を考えたい

選挙の全てにおいて、投票率の低下、特に若い世代の低下が問題視されています。
当たり前ですよね。市議会の仕組みもちゃんと説明されていない、議員が普段どんな活動をしているかも公にしない。ましてやご自身の考えが市政に反映できるなんて思っている方はほぼ皆無でしょう。
市政に参加している当事者である市議会議員として、若者に関心を寄せてもらい、政治参加や理解を深めたいと考えています。
まだ企画は固まっていませんが、市議会ってなんだ、市政と自分の関り、自分の声の届け方、仕事としての市議会議員などなど、いろんなテーマで皆さんと議論できればいいなあって考えています。
どなたか良いアイディアお持ちの方は、藤岡まで。
「the vote yaizu」なんて企画にしたいかな・・・
 ※the voteで「投票」だけじゃなく「参政権」の意味で

長々お読みいただいてありがとうございます!
話したいことが、いっぱいありすぎて長文でごめんなさい。
もう少しくだけた感じにしたかったんですが、読んでくださる皆さんにどうしてもお伝えしたい気持ちが先行してしまって・・・

これからの焼津市内で藤岡をみかけたら、どんどん声をかけてくださいね!
では皆様よいクリスマスを。

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