緊急事態宣言を受け公演中止を視野に入れて思うこと
こんにちはQoiQoiの吉次匠生です。
今回は今年の3月に公演を予定している演劇作品「scrap and ...?」の公演が緊急事態宣言により、中止になる可能性が出てきたのでそのことについて思いを書いていきます。
中止になる可能性がある理由としては三つあります。
一つ目は出演者に体調不良が出て、稽古ができない現状がある。
二つ目は緊急事態宣言により今まで借りてた稽古場が借りられなくなっている現状があることです。
三つ目は単純に緊急事態宣言が出ている時点で演劇という興行は果たして世間の人に求められているのか? と純粋に思うからです。どれだけ感染予防対策をしても、責任は取れないし自分たちが悪者になりつつある風潮の中、純粋に作品のことだけを考えて前に進めるのか? という不安もあります。
僕も大橋もなんとか公演ができるように、出演者とコミュニケーションを取ったり、稽古場を探し回ったりと努力はしてますが、現状なんとも言え無くなってきています。
言い訳かもしれませんが、最近ノートの記事の内容が少し薄くなっているのも、公演を開催するために頭を使わなければならないからです。
想い、お金、時間
次の公演「scrap and ...?」は構想から含めると2年以上の月日を費やしてきました。
その間、作品のテーマとなる被災地に何度も足を運びお話を伺ったり、劇場や出演者、関係者の方々と様々な交渉したりと文字通り自分の人生の時間を全てここに注ぎ【命を削って】向き合ってきました。
そして前回の第一回の緊急事態宣言の時も延期せざるを得ない状況に追い込まれ、それでもなんとか作品を世に届けたいと思いここまで走ってきました。
もし公演が中止されたら、今までの時間やお金を全て失います。またお金に関しても延期を判断した分コストをかけて制作してきたので、ここからさらに延期という判断は厳しい状態です。
個人的な損失ではありますが、心身にくるダメージは想像しただけで計り知れないものがあります。
しかし、お金と時間は失ってもまだいいものだと思います。
僕の中で1番辛いのは、取材に行って快く話してくれた人の想いや出演者が作品を愛してくれていること、また僕らに「頑張って」と期待を寄せてくれた人の想いを実現させてあげられないことです。
ぜひなんとしてでも本番を迎えたいという気持ちと、出演者やお客様への安全を第一に考えなければいけないという気持ちが毎日戦っています。
本当の子供の可愛さなんてその親にしかわからない。
公演中止の可能性があることをなん人かの知り合いに相談しました。
すると
「今はこういう時代だからね」「演劇業界は大変だし仕方ないよね。でも辛いのはわかるよ」「もしこの公演がダメでも私は匠生を応援してるし、次回作を期待してるよ」「もしダメでもここで止まってたって仕方ないから、切り替えてやるしかないんじゃない?」
など様々な声をかけていただきました。
良かれと思い、不安で落ち込んでいる自分に対しポジティブな言葉や前向きな言葉をかけてくれる人が多かった気がします。
しかし、僕はもしこの公演が開催できなければ立ち直れなく、最悪演劇を辞めてしまう可能性があるとすら思っています。
今まで10年以上演劇に携わってきて、本当の意味で演劇からは離れられないとは思いますが、そのくらい目の前が真っ暗になると思います。
「scrap and ...?」は僕に取って子供のような存在でした。
子供を産んだことがないし育てたことがないから違うと否定されるかもしれませんが、公演の中止は20歳まで一生懸命育て成人式直前でその息子の首をじわじわと絞め殺したり、来月出産予定にもかかわらず自分のお腹を殴り娘を流産させてしまう感覚に近いかもしれません。
いわば人殺しに近い感覚です。
誰もそんなことしたくないけど、やむ終えず自分の子供を殺してしまった。
はたしてそんな状況になった時に新しい子供を産もうとなるのでしょうか? もう2度と子育てはできないと僕は思います。
確かに、虐待や病気で命を落としてしまう子供はこの世の中にいます。でも、命を落としてしまった子の中の1人と、自分の子が命を落とすことは全く別物だと思うのです。
演劇業界だけにとどまらず、飲食店など倒産してしまう店や破産してしまう人は少なくありません。でもその中のイベントが中止になった1人と、自分のイベントを中止にする1人では感覚が全然違うなと思います。そのイベントにかけてきた想い(子供を育ててきた)はその人にしかわからず、その価値はその人にしかわかりません。
また、子供と演劇を一緒に考えるのもどうかとは思いますが、作品に対してどのような価値観で過ごしてきたのかもその人にしかわからないでしょう。
言葉は時に刃に
僕はそう言ったそれぞれの価値観を持っている人に対して、社会の状況や平均値で言葉を投げかけることは危険だと今回思いました。
話は少しそれますが、大規模なイベントやオリンピックなどは医療体制が逼迫するこの世の中では、僕もやるべきではないと思います。
しかしそれでも、そのイベントに全力をかけてきた人々や、記録を1秒でも伸ばすために毎日トレーニングをしてきたアスリートのことを思うと、どう声をかけていいかいまだにわからないことがあります。
確かにイベントはコロナが終わればいくらでもできるようになるし、記録はオリンピック以外でも出すことはできます。
しかしそう言う簡単な言葉や考えで片付けられるほど、生半可な気持ちで携わっているプロはいないのではないでしょうか?
仕方なかった人に対してこそ、仕方なかったねと言わないようにしなければなと思います。
皆様も知り合いが、緊急事態宣言やコロナの影響で活動できなくなっていたり、その活動が制限されていたり、またそうせざるを得ない状況になりそうになっていたりした時に、少しかけてあげる言葉を気にしてみてください。
大変で辛い状況は日本だけじゃなく世界中の人間が同じですが、その中で失ったものの価値や大切さは人それぞれ違うかもしれません。
僕らも最後の最後まで何か可能性はつながらないか? と思い公演に向けて頑張るので、応援の程よろしくお願いします。
QoiQoi吉次匠生
QoiQoiプロフィール
2018年2月9日に大橋悠太と吉次匠生によって結成されたアートユニット。 当初はano(アノ)として活動していたが、2020年10月1日より団体名を改めQoiQoi(コイコイ)として新たな活動を始めている。
また、「想像力を創造する」を信念に演劇、映像、インスタレーションなどさざまな分野を飛び越え作品制作を行う。団体名のQoiQoiもquality of imaginationが由来である。 また、社会問題から個人の体験まで幅広い事象を可視化し、常に観客に「当事者性」を提示する作品作りが特徴である。
このnoteでは作品制作のことを中心に、被災地のことや原発のこと、その他考えたことなど、読んでくれている方へなるべく為になるような記事や僕らをより知っていただける記事を書いていくことを目指しています。
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