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私の「聞こえなさ」について


バイクの教習所奮闘記の途中ですが、
私の耳がどんな風に「聞こえない」のかを
ちょっと書いておこうと思います。

私の耳は、大学病院での精密検査では特に異常はなく
(CTもMRIも撮ってもらいました)医師が言うには
「生まれつきでしょう」とのことでした。

具体的には、低音が聞こえないのです。
聴力検査の時って、最初は小さい音がだんだんと大きく
なってきて、聞こえたところでボタンを押す…という
形が一般的だと思うのですが。
でも私の場合は、低音がいくら大きくなったところで
全く聞こえません。
ヘッドホンの音が出る部分が振動する程の大きな音に
なっていて、その振動を皮膚で感じることは出来ても、
音自体はちっとも聞こえず・・・なんとも絶望的な
気分になりました(´-`)

私の場合どんな不具合が出るのかというと、話し手の
声の質や喋り方・イントネーションなどによっては、
何を言っているのか全く聞き取れない場合があります。
耳が遠いのとはちょっと違って、大きければ聞こえる
というようなことでもなく・・・
音はそれなりに聞こえてはいるものの解読不能で、
まるで外国語を聞いているかのごとく、さっぱり意味が
わからない・・・なんて場合もあります。
(毎回全てがそうという訳ではないのだけれど)

単音で、「あ」とか「ま」とか「さ」とか発されたのを
正しく聞き取れるかどうかというテストを受けた時は
さんざんな結果だったようで・・・
「語音明瞭度50%以下」(実際には30〜35%程度)
というレベル分け(?)で、聴覚障害者に認定して頂きました。

相手がマスクをしていたり、あちらを向いて喋っていたり
ガサガサと買い物袋などを触りながら話していたりする
場合にも、ほとんど聞き取れなくなってしまいます。
独り言のように口の中でボソっと話されたりするのも
すこぶる苦手です・・・
夫が「うん」と言った時に、私には全く聞こえていなくて
何度も同じ質問をしてしまったり・・・
言いながら首を縦に振るなどの補助的な動作がなければ、
本当に使えないやつです(。・_・)


私が「聞こえづらい」ということを相手に伝えて、
相手が意識して話してくれた時にはおおむね大丈夫な
場合が多い。
そういう際に「会話、出来てますね(^^)」と、教習所の
先生やハローワークの職員さんに言われたのだけど、
それはその人が意識してくれているからこそ、可能に
なっているというだけなので(´-`)
意識しないで会話されると、たぶん半分も判っていない
かもしれない・・・

そんな状態で、何十年もよく生きて来たなと我ながら
呆れてしまいます。
ちゃんと聞こえていないのに、「そうですね」と相槌を
打ったり判っていないのに周りの人のリアクションに合
わせて一緒に笑ったり、、、そんなこともしてました。
昔やっていたSNSの mixi で、コミュニティを検索して
「聞こえていないのに相槌を打ってしまう」という様な
グループを見つけて、私だけじゃあなかったのね…と
少しホッとしてみたり(何の解決にもなりませんが)。

前後の言葉や流れから、相手の言っている内容を推測し
会話を成立させるという術も、自然とやっておりました。
しかし時々全く予想が外れて、とんちんかんなことを
言ってしまう場合もありがちで(´-`)
そのせいで、「あの人は天然だ」と誤解されてしまって
いたのだろうなとも思います。

聞こえないからといって何度も聞き返すのが、とても
申し訳なく感じてしまうんです。
聞き返して判るようになるのなら聞いた甲斐もあるけれ
ど、何度言ってもらっても判らない場合が多く、その時
に漂う空気のマズさといったら・・・
そんなこんなで、聞こえないことが申し訳なくて、聞き
返すことを途中で諦め、判ったフリをしてしまうという
パターンを繰り返してゆく内に、それが「いつものこと」
となり、普通に生きていくための術になってしまってた。

考えてみれば、何度も聞き返したら相手に嫌われると
思ってしまっていたのだろうな。
実は電話の時に「何度も同じことを言うの面倒くさい
からもう電話したくない」と言われたことがあって、
それがプチトラウマになってしまってるのもあります。
でもだからといって、聞こえているフリをしても何の
解決にもならないし、そんな状態では本当の意味での
「仲良し」には、成れっこなかったのですよね。
今思えば、「面倒くさい」とその人が言ったからといって
嫌われた訳では無かったのかも。
面倒くさいと言われて、嫌いになったのは私のほう
だったのかも・・・

話が少しそれちゃいましたが、、、判ったフリをして
しまうことについて・・・3ヶ月ほど前から一緒に
暮らし始めた夫に先日指摘されました。
毎日一緒に居るのにそんな会話を続けていたら、お互い
違和感やストレスが大きくなってしまうのは当然ですね。
「気付いてくれたこと・言ってくれたこと」に感謝し、
これからは、耳のことだけでなく今までの生き方自体を
見つめ直し本気で改めてゆかないといけない。
でないと、本当の幸せを知ることは難しいんだろうなと、
最近になってひしひしと感じております。
出来るのかどうか不安なのですが、少しずつでも進めて
ゆけたらそれで良いと信じよう(´-`)


私の聴覚障害は、ある程度は会話が成立してしまうので、
相手の人にしてみれば判りづらいのだろうな。
自分から具体的に相手に伝えてゆくという事には、
最近になってやっと慣れることが出来てきたようなので、
今後も勇気を出して伝えていこう・・・

これを読まれたかたは、「色んな人が居るんだなあ」
程度に思って頂けたら幸いです(^^)


有料になっている写真は、自分でも特に気に入っているものを選んでおりますので、もしも気が向かれましたら覗いてみて下さい(^^)