驚きや刺激は笑いに繋がるのか(ボツネタ

マジシャンや大道芸をする方々は非常に魅力的で観客を惹きつけます。すごい、どうやっているのかな、という刺激を与えてくれます。いつしかも似た様なことを書きましたが、私はそれらのタネを知りたくはありません。知ることになんの価値があるのかいまいち分からないし知らずにいるほうが格別に世界は面白いと思っています。ではそれらの驚きや刺激は笑いになるのでしょうか、すなわちお笑いとしても成立するのでしょうか。(今回は見ている我々が驚いたりするという意味で話を進めます。ドッキリのように演者が驚くというタイプのものではありません。)
マジックや大道芸をネタの中に入れる芸人さんも少なくありません。ただ、そのマジックや大道芸が何に使われているのかによって芸の印象は変わってきます。それらが笑いになるにはマジックや大道芸が"道具"として使われているという傾向があります。そうでないとマジックや大道芸に目を奪われてしまい本来見てほしいものが入ってこないからです。
Ex1)が〜まるちょば
彼らのネタ(?)は大道芸が基本にあるのに驚くという思考よりも前に面白いという思考に切り替わります。これは意外と不思議なもので彼らは披露するものに凄さをトッピングしているというよ2人の掛け合いから面白いを導き出しているのです。もはや驚きと面白いは違う軸にいて共存することはないのかもしれません。
Ex2)「うるうびと」 小林賢太郎
小林さんのネタはよくマジックが登場しますがそれらは一瞬なことが多いと思われます。特に「うるうびと」では初めから中盤まで幾つかマジックが使われています。トランプを出す、ボールを出すなどがありますが個人的にはそれらをマジックとして捉えるというよりは自然に物が出てきたように見えるため違和感を感じることなくネタが進む気がしています。そのため小林さんの作品に出てくるマジックは笑わせるためではなく舞台から無駄を省くためにある気もします。観客は彼のマジックに対して凄い、カッコイイという感想を残すことが多いのではないでしょうか。笑いのフリにすら使わず、驚くのに観客が受け入れてしまうというか。
ここでひとつ思うのは、人はどうなってるの?と興味を持つと次のことまで気になって見ようとすることが多いということ。つまり何かしら初めに見ている人が驚いたり、うぉおと刺激を受けたら、その人は最後まで演者に視線を向けて以後イリュージョン要素がなくなっても作品に夢中になるはず!ということです。この点では驚きや刺激は本当に見せたいものへの興味を促す作用をしていますね。

なんだかうまくまとまらないですが、驚きの中に笑いがあると言うよりも驚きという道具が間接的に笑いを引き立てていると言うべきでしょうか。お笑いは"緊張と緩和"ですし相性は良いと思います。

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