日本の平和に感謝しろだと?
パリ郊外の売春地帯でのトランスジェンダーのひとたちの状況を取材したTBSの番組がある。
https://www.facebook.com/brutjapan/videos/353415462602081
Brut.Japan Documentaries 第3弾 【ブローニュの森 性労働者たちの日常】
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何人ものひとがコメントするなかにひとり、コメントにいちいち「これを見て日本はいかに平和かを知って感謝してください」というコメントをつけている男がいる。明白ないやがらせだ。
いったい、日本がフランスの一部の場所よりましだと、感謝すべきなのだろうか?
感謝しなければならないとすれば、不満は言えないことになる。そんなのでいいか?
日本にもDVはいくらでもあり、女性の給与の低さは目立ち、貧困の子どもは増えているというのに。
断言していいが、そんなことを言う者にかぎって、ほんのわずかな収入の多寡をひとと比べて僻んだり、よその男が美人を連れて歩いてるとやっかんだりするのだ。
ひとの不幸に同情する心の働きを損なわれた人間は基本的に不幸だろう。そういう人間が誰かと共感するのは、ほかの誰か別のひとへの悪意においてだろうから。
それとちがって、批判的な見方をするひとというのは、特定の人物に対する悪意があるからするのではない。特定の人物の行為がなくなれば、もうその人物に関心はないからだ。また、自分がその人物に対してしている批判が的外れであれば、撤回するだろうから。そのひとにとってだいじなのは、自分の言っていることが正しいかどうかで、まちがったことをしたり言ったりしている人間を攻撃できるかどうかではないからだ。
悪意に耽り、悪意において共感しあうひとというのは、悪意の対象とする人物の人格を否定することが大事なので、その理由などは問わないから、主張は粗雑で鈍感であり、かつ、自分の非難が間違っていることを認めようとはしない。
そういう人間にいい暇つぶしを提供したのが小泉内閣、そしてそれをアルバイトとして組織化したのがアベ政権だった。ネトウヨである。菅政権はアベ政権を文字通り継承している。
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