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菅政権誕生に見る日本民主主義の大いなる不安(仏ル・モンド)

【仏ル・モンドに掲載された菅政権の誕生を伝える記事です。筆者のフィリップ・ポンス記者は日本滞在年数がおそらく半世紀にもなる、今や長老と言ってよい大の日本通です。ヤクザを取材した著書もありますから、山口県の暴力団と佐藤家のつながりなどもよくご存じなのかも。以下に訳出したのは、記事の前半です】

https://www.lemonde.fr/idees/article/2020/09/25/le-grand-malaise-de-la-democratie-japonaise_6053543_3232.html?fbclid=IwAR1JVK8Z3zUHwvnU9CBATw2gGfuCYAk8Wsj_Y5W1awYVEOPr53VDrnyrJAw

菅義偉政権の発足は、この国の体制の機能低下を示す症候である


 日本の政治には想定外がない。菅義偉の首相就任はそれをよく示している。彼の内閣の顔ぶれは、半分が前政権の閣僚たちであり、防衛相は辞任した前首相の弟で、その前首相は蔭の相談役の座に留まっている。アラブの春に見られたような政権空白すら生む独裁者追放劇は、日本では問題にもならない。
 予め敗北が決まっていた他の2人の候補に菅が勝てたのは、負けるわけにはいかなかったからだ。自民党の大立者たちはそう決めていた。この出来レースによる政権交代は、民主主義の成熟ではなく「指導層の深刻な欠陥」を示していると、ワシントン、スティムソンセンターのタツミ・ユキは評している。
 閉鎖空間での政治的駆け引きによって自民党総裁になった人物が議会によって首相に選ばれるというのは、新しいことではない。しかし、8年続いた安倍晋三の政権のあと、菅氏が指名されたのは、民主主義のプロセスの停滞を物語るものである。
 日本は西欧民主主義諸国に見られたポピュリズムの混乱や社会的分裂とは別の道を歩んでいるが、これは数年前に政治学者ジェラルド・カーティス・コロンビア大学名誉教授が予見していたことである。自民党が単なる与党から支配者政党へと変質していき、野党を弱らせて、責任を逃れ、共謀が助長されているのだ。
 1955年以来、2度(1993〜4および2009〜12)野党に転落した苦渋の時期を除き、政権を維持してきた自民党は,投票に行く日本人たち(有権者の半分)の目には政治的安定を保証するものなのだ。大衆から明瞭な委任を表明されたというより、そんな委任がなかったことによる安定が諦めにつながった。それが菅氏の65%もの支持率を得た理由である。
 2009年から12年にかけて政権の座にあった民主党が無能を証明したことは、変革を支持する国民にとって手痛い失望であった。以来、野党は離反と分裂を重ね、権力争いの圏外に置かれてしまった。自民党は党内民主主義を失った。1960年代から70年代には、社会党に代表される強い野党が対立していて、自民党内にも極右から進歩的なリベラリストまで多様な政治的傾向の政治家たちがいたので、彼らの論争が多数の国民に刺激を与えていた。この「党内民主主義」は、それから年月を経るうちに衰退し、2012年に安倍晋三が政権を取ってからは窒息させられてきたのである。

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https://dot.asahi.com/dot/2020090500035.html?page=1 




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