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終わりを待つ


キラキラオタクが世に蔓延して
私のような生き方がオタク、何にハマっても地の底を這いずり回る人間には「推し活」はできないんだなと実感。

好きなバンドはファン内でちょこちょこ燃えるようになった。元から中高生に刺さりやすい感じではあったけど、だるいのはコロナ禍入り中高年ファンだ。
どこから入ったのかまじでわからんな。配信ライブもやってなかったし、単純にYouTubeの MVや、ライブ映像からか?

今から愚痴を書くが、分かる人には分かると思うし、意見が違ったらそっと携帯を投げてください。

休止前から好きで脱退を経験したファンとそれ以外は分かり合えないと思う。結局あれを経験した人間は一度彼らに突き放されてような気持ちを味わったし(「ような」であって、実際の感じ方はそれぞれだと思う)ただその後の言葉の尽くし方・対応の仕方は誠実というに足りたものではないと思う。流石に幼稚園児ではないので大人の事情的なもので脱退理由やその後について語れないことがあるのも仕方ないと思う。でも、「どこにも行き用のない思いを、生々しく汚い愚かで可愛い人間は愛すべき尊いものだとを伝える」貴方の言葉で、もっと尽くしてくれたのであればわたしが救われたとも思ってしまう。これはエゴです。私のエゴ。たかが文字列で泣くことなんてないと思ってた、12.30からの気持ち。あの日からあなたたちの音楽をしばらく聴けなくなった人間のちっぽけな傲慢な願い。Utopiaのライブは本当は行くかどうか迷った。ぴあアリーナMMも行きたいけど、行きたくなかった。7月には聞けるようになってたけど、聴けなかった。結局落ちたので近くの映画館で見た。あの日は3人のあなたたちを好きになった。この人たちも寂しいんだなと、思った。まだ好きだなと思ったと同時に何か別のものを好きになったような気もした。感情がよく分からなくてバス停で泣いた気がする。そんなあの日がYouTubeでコメンタリーとして出るのは複雑だった。ファンの中で荒れてた気がする。公式に噛み付いていた人がいた。単純に元気だなと思った。一個人がただ口調を荒く引用リツイートして、何がが変わると思っている無鉄砲さがなんとも羨ましくも感じた。それだけの無鉄砲さや正義感があれば、彼らの音楽なんて聴かなくとも生きていけそうだと思った。パブサしただけでも分かる、さまざまな気持ちから来る複雑なツイートを読み取りもせず、感情論を強い口調でネットの海に流し、代替案すら提示せず余計な対立構造を煽るような、他人の意見に耳を貸さず人の感情を大雑把にしか捉えることのできないのは、なんだかかわいそうだった。羨ましいけど、こんな人間になるなら私は、人の感情にも自分の感情にも敏感で傷つく方がよっぽどマシに思えた。私は彼らの音楽を泣きながら聴くことが多かった気がする。泣いている時に聴き始めるのか、聴いてたら泣くのか分からないけど。私は自分が何か欠けていると思っていて、その至らなさや元々ないのに覚える喪失感からかれらの音楽を聴いていた気がする。救いだった。そんなこと書くと宗教じみてて怖いなと思う。そして自分がよっぽど愚かな人間にも思える。まあ愚かであるな。

そもそも音楽を聞いている人間が同一の考えである必要はないと思う。あなたたちの音楽は道徳的で心に寄り添ってくれる要素が大きい分、人間の奉仕欲求的なものを刺激するんだろうか。やけに学級委員気質を見かける。しかも何がタチが悪いってなんでも一般化や対立構造を生み出す。だるすぎる。
学級委員ならちゃんとクラスの人間の意見を正確に汲み取れよ。休止前、休止中、活動再開後でファンを区分するんじゃなくて、Utopiaのライブへの考え方、想いの持ち方だけではなく、彼らをアイドル視することへの考え方だって人によって様々だし、長期会員への待遇でも意見も言う人もいる。自分が物申したいところだけを切り取って誰かを批判することで自分の意見が正しいと表明するのはやめろ。ただ同じ音楽を聞いているだけの人間が分かり合えるはずないだろ。同じファンネームを背負っていたって、生まれ育った環境も考えも何もかもちがうのにどうして統合できると思うのか不思議だ。彼らに救われた分誰かにも施してあげたいと思うのかな。自分も特別な人だと思えて啓蒙してやろうと思うのかな。私もお前もただ音楽を聞いているだけの人間だ。自分の価値になるのは自分が作ったもの、起こしたことでしか成さないだろ。

私の中にも、自分と違うものを徹底的に叩くことで承認されたい欲求が強くて困るな。自分はあたかも何もかもわかっているづらしたい自分がいて困る。この愚かな人間の言葉がどこにも届きませんように。

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