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言霊少女と非公式wiki

はじめまして

 はじめまして馬の骨です。 

 Twitterではワンダ(毒蝮ワン太夫)と名乗っていますね。読みにくいのでワンダと呼んでもらっています。パンダとかわんたんとか響きが似ていて紛らわしくて、ふつうにワンダユウと呼んで貰えばよかったとちょっと思っています。
 最近はVtuberやそれに類するお話はnoteで書くのが流行なので、僕もちょっとその流れに乗ってみようと思います。ちょっとした思い出話ですが、少しの間お付き合い頂ければ幸いです。
 色々書いてみたら長くなりそうな気配がしたので、とりあえず非公式wikiの事だけでまとめようと思います。

これまでのあらすじ

 いわゆる公開オーディションについては今まで参加(リスナー側の方ね)したことがありませんでした。バーチャル蠱毒と呼ばれたオーディション極については、林檎様の存在は知っていたけれどShowroomというものを知らないレベルで、それ以後のオーディションについては一切知りませんでした。この辺のいきさつを語るだけで記事が一つ出来るので(出来てた)割愛。
 なので、ここまでの事は三行でまとめます。
・そもそもVtuberに興味がなかった
・2019年5月に急に興味を持って、そこから色々(非公式wikiとか)調べて九条家を応援し始めた
・九条家の茘枝様のご友人が参加しているというので見に行ってはまった

 とにかく全く一切まるっきり何も興味がない状況から僕の言霊少女プロジェクトは始まりました。

はじまり


 九条茘枝様の配信を楽しく視聴させて頂いていると、ご友人が言霊少女プロジェクトのオーディションに参加されているという話が上がります。配信を終わらせた後に行ける人は見に行こう、という事でリスナー達でその人のところになだれ込みました。後のソウルトレインです。
 それが与謝野詩歌0023、通称にぃさんとのファーストコンタクトでした。配信三回目だったそうです。
 とても優しくておっとりとした声や口調は、今だから言いますがとても好みで、既に「あっ、好き」ってなってた気がします。内緒ですよ?
 そして声や口調の印象からは想像もつかないトーク力と知識量。あらゆる話題に即位対応。「知っている」だけでなく「自分の感想」を乗せられるという本物の知識を持って全てのリスナーのコメントを拾っていきます。
 なんだこれ。
 楽しい。
 気がついたら深夜だったような記憶がありますが、とにかくこの日の配信が楽しかったのです。楽しすぎたのです。
 もう後は転げ落ちるように沼へずぶずぶとはまっていったのです。

転げ落ちた先で


 毎日欠かさず配信を見に行きました。一分一秒でも見逃すとそこで面白い事が起こるに決まっている、絶対最後まで見てやると思って、終わるまで寝ませんでした。開始時刻が23時からで、平日には三時間を超える事が多かったので26時過ぎに終了していました。仕事の都合で僕は朝5時に起きます。ここからの一ヶ月、平均睡眠時間はそれまでの半分以下になりました。まあ慣れれば何とかなる。個人的なお仕事の都合もあって、何とかなりました。
 途中から、にぃさんが「前日の配信内容を補足する」というツイートを始めました。わかりやすい見出しで、その日に起きたことをまとめるのです。
 これはとても良い手段で、脳内に澱のように沈殿しているおぼろげな記憶が、この見出しによって鮮明な姿で引き上げられるのです。これがないと「なんか楽しかった」で終わってしまうのですが、「九条茘枝リサイタル」という見出しがあるだけで、その時の一連の流れをみんなありありと思い出す事が出来るのです。
 毎日ちゃんとメモをしながら配信している真面目な彼女ならではの地味ながらも凄い戦術で、愚民達はこれのおかげで過去の思い出を語るときに不自然なくらい細かく語ることが出来るのです。これを決勝終盤まで毎日やっていたのだから恐ろしい。途中でこれが紹介されて、他の言霊少女も決勝の辺りで取り入れていきました。
 
 これを見た時に僕は思いました。
 これは非公式wikiで使えるのではないかと。
 ウェブサービスで「atwiki」というものがあり、これは個人で簡単にwikipediaのようなものが作れるものなのですが、これを利用してオーディション極の61人の情報がまとめられており、これを非公式wikiと呼んでいます(汎用性の高い用語ですが、以後非公式wikiという言い方は、オーディション極か言霊少女のどちらかを指します)。オーディション当時のものだけでなく、個人転生をされた方の専用のものがあったり、色々と充実していたので後発だった僕はそれをむさぼるように読みふけったものでした。好きな人の事はもちろん、仲の良かった人だったり、いわゆる2期生の前世だったりする所も読んでいました。
 当時の情報がそこに簡潔に、しかし情熱をもってまとめられていて、これを読むだけでも当時の状況がありありと読み取れるような気がしていました(実際のエモさはそんなものじゃないというのを、後に思い知ります)。

 特に好きだったのは、彼女たちの終わりを知ることが出来た事でした。決勝まで残った人たちは、そこで熾烈な争いがあり、沢山のドラマがあり、そして惜しくも敗れた人たちには、別れがありました。
 今となっては転生というのがちょっと当たり前に近くなり、敗者の悲壮感は大分薄れましたが、当時は(魂の情報が一切開示されないということもあって)「負けたら消える」ものでしたから、その別れの悲壮感は今とは比べものにならなかったでしょう。それぞれのファンが、万感の思いを込めて、しかし努めて冷静に記録していくその様は圧巻です。読むだけで涙が出てきます。

 僕はこの公式オーディションの非公式wikiを、ネットの遺跡と呼びました。第三者の余計な手が極力入らない生の情報が閉じ込められたものだったので、博物館や資料館と呼ぶのは違和感がありました。しかし作られた時からこれは後年に残るものであるという想定で、つまり最初から「遺跡として」作られているのです
 リアルタイムで語られなくなった頃に、ふとその存在を知った人が調べるのに最も適した情報の集積地。当時、伝説の最中にいた人たちが、その情熱を傾けてまとめた限りなく生に近い熱い情報の釜。蓋をあければ止めどなく流れてくるもの。
 ネットの歴史を語る上で、特にVtuberを語る上で避けて通るべきではないはずのこの公開オーディションの事がこうして詳細にまとめられているのは、後に大きな意味を持つのではないかと思います。
 担当した人によって若干の情報の偏りがあったり、少し(視線の違いによる)記述の矛盾があったりするかもしれませんが、真実はひとつじゃないのでそれでいいと思います。むしろ神話を編纂しているような感じがして面白いです。主観でまとめられていく多神教の神話はそれぞれの神の側の記述によって若干の矛盾が生じる事がありますが、それに近いものを感じました。
 まあそこまでいくと大げさですけれど。
 
 そんな非公式wiki、もしかしたら、にぃさんの非公式wikiとかが作られるかもしれないと、この時思いました。そうなったら、当時の配信内容を今のうちにまとめておけばさくっと移植して彼女の事を遺せるかもしれない。そう思って、「補足」というずるい言い方をして、見出しの内容を簡潔にまとめていったのです。簡潔に、と言いつつも見出し一つに1ツイート使っていました。
 勝手にやった事だったのですが、にぃさんにちょっと褒められて調子に乗って、そこから毎日続けることになります。お世辞だろうが褒められれば嬉しいものです。それが好きな人からなら、尚のこと。
 
 夏休みの宿題をギリギリまでやらないような、気が乗らない仕事を指摘されるまで放置しておくようなダメ人間が、1000文字前後の文章を毎日まとめていくなんて出来るとは思わなかったのですが、決勝の最終日まで欠かさず続ける事が(Twitterに載せずに直接wikiに書き込む日もあったにせよ)出来ました。
 自分でも驚いています。この一ヶ月の、自分の人生における最優先事項が、多分これだったと思います。毎日配信を録画して、自分なりに出来事を簡潔にまとめたメモを打ちながら視聴し、必要があれば録画データを使って発言を確認したりして、何とか形にしていきました。よわよわPCでしたから、録画の負荷に耐えられずに音声が止まる事がなんどもあり、録画そのものを失敗してしまったり画質設定に四苦八苦したりもしましたがまあそんな事はどうでもいいですね。

他力本願、叶う

 そしてスタートダッシュが終わる頃に、本当に非公式wikiが立ち上がりました。なんと参加者全員分のwikiです。そして作った人が思った以上に身近にいました。もっと言えばオーディション極の非公式wikiを立ち上げた人でもありました。
 想間ミレイさん。にぃさんを応援する人の中で間違いなくMVPと言える人。そんな人が愚民(当時のにぃさんリスナーの呼称)にいたなんて。なんという偶然。強い運命は偶然を必然にまで引き上げ、そして引き寄せていきます。にぃさんにはそれだけの力があったのだと思います。
 
 後に、非公式wikiを今回立ち上げるきっかけになったのが、にぃさんの(前述した)毎日の配信振り返りツイートと、僕が勝手にやってた補足であるという事を御本人から教えて頂きました。なんというウロボロスの円環。卵が先か鶏が先か。答え:ヒヨコ

 立ち上げて頂いた以上は全力で充実させていかなければなりません。こちとらスタートダッシュ五日目から毎日まとめ続けているのです。
 ミレイさんに編集アカウントを作って頂き、他のatwikiの記述を見ながら見よう見まねでそれまでの出来事をまとめていきます。
 文章移植すればあっという間に終了だと思ったのですが、Twitterの文章量制限で書けなかった部分や、説明不足だった所を追記していくのでそこまであっという間でもありませんでした。それでも楽しかったので時間を見ては他の部分を作っていったり、表現方法を変えていったりして、毎日wikiいじりを続けていました。途中でブログみたいだと揶揄された事で冷静さを欠いていたと反省して出来るだけ客観的に書くように注意するようにしたりもしました(注意するだけでどっちにしろ主観はにじみ出るのは折り込み済みです)。
 他の言霊少女には負けないくらいに情報の濃いものが出来ました。立ち上がる前から予期して、いや期待して用意しておいた甲斐がありました。自分で立ち上げろやという意見についてはさようでございますねとしか言えませんが、餅は餅屋というじゃありませんか。

 という訳でそこから決勝が終わるまで、もっと言えば最終審査の日でもまだちまちまいじっていますね。書いている段階では最終審査が終わったかどうかもわかりません。その辺の話はまた別なエントリにしようと思います。

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