星漢燦爛完走しての雑感(ネタバレあり)

年末年始と成人の日を含む3連休で星漢燦爛を一気見したので、その感想など。

ストーリーとしては面白かった、56話と長いので、家庭やや宮中でのゴタゴタ、陰謀、戦闘等など様々な要素が練り込まれていたが、恋愛に関しては女主が男に頼って生きようなどとはこれっぽっちも思っていない現代女性脳なので、淡白な進行だった。星漢燦爛と同じく2022年のヒット作だった蒼蘭訣と比べると、蒼蘭訣では主人公達がお互いへの想いを自覚する前から、幻想的で豪華なCGを背景に、場面にピッタリのOSTが流れる中、2人が見つめあい、甘々ロマンチック全開だったのだが、星漢燦爛では、女主が全体的に冷静だったこともあり、甘々な場面は少なかった。そもそも歌はほとんど流れなかった。

蒼蘭訣と星漢燦爛で逆だったのは、蒼蘭訣では、男主が普段は長髪を靡かせていて、人間界に行った時だけ髪を冠でまとめ、それがアクセントになっているのだが、星漢燦爛では逆に、男主は普段はきっちりと髪を結っているのが、負傷して寝巻き姿で皇帝に謁見する時や、女主に去られて敗れかぶれになっている時には長髪だったこと。まあ、どちらのドラマも女性視聴者がイケメン男主の様々なお姿を堪能できるよう、配慮しているな、と思った。

中国古装ドラマは昔の少女漫画やタカラヅカと共通点が多いと思う。70年代、現実でも長髪の男性が多かったせいか、漫画もイケメンは長髪長身ばかりだった。タカラヅカも、凛々しい男役が長髪イケメン男性を演じている。特に私みたいに少女漫画とズカに親しんできたおばさんには、中国古装ドラマは親和性が高い。

蒼蘭訣との比較をもう1点。蒼蘭訣では、男主が結構恐ろしいことを口ではいい、事実、情愛欠損した3万年前までは平気で残酷なことをしていたのだろうが、封印を解かれ、情愛を取り戻していく過程では、女主に(同心呪のせいとはいえ)献身的に仕えるし、悪者ではなく、心から民を想う為政者であることもわかる。一方、星漢燦爛では、男主は復讐のために、敵を拷問したり、刺殺したりと、血生臭い、心に闇を抱えた人物である。父(実は父ではなく、父の仇)を殺害した所に女主が駆けつけると、死屍累々の中に血飛沫を浴びた男主がいて、ちょっとしたホラー画面だった。

女主は男主の復讐の行為自体にショックを受けるというより、自分に何も告げずに彼が突っ走ってしまったことに深く傷つくのだが、いや、女主は原作では現代からの転生人なのだそうが、刃向かってきた敵を必要からやっつけるのとちがい、私情から、法を犯して仇を殺戮するような男主の心の闇への恐れを、現代的感性で抱かないのだろうか、とちらっと思った。

中国時代劇の後宮では女のドロドロの戦いがあり、蠱毒発生現場なのだが、このドラマでは皇帝の妻2人はどちらもまともな女性であり、お互いへの複雑な思いはあれども、友好的な関係を保っているのが目新しかった。その立派な母たちから生まれた娘たちやその取り巻きがおバカばかりで女主をイジメ、逆にやり返されているのがあーあ、だった。賢母に賢娘がいるとは限らない。

その嫌な女たちの一人だった何昭君が、自分と弟以外の家族を惨殺される悲劇を経て、人間的に成長したのが印象的だった。楼ヤオは女主との婚約を解消して半ば義務感から何昭君と婚姻するが、最後には身重の妻を心から気遣う彼の姿が見られ、視聴者としてもほっとした。

男主は呉磊。琅琊榜の飛流君が大きくなったなあ、と感慨深い。女主は趙露思。
正直言うと、彼女はきりっとした美人ではあるけど、美女というのとは違うし、このお話の女主は、人目を惹きつける美貌の持ち主という設定みたいなので、別の女優さんを配役した方が良かったのでは、と感じてしまった。では誰がいいか、というと、中国ドラマビギナーの私にはよくわからないのだが。

呉磊と言えば、彼が主演の現代劇がwowowで始まるので、録画予約してある。中国ドラマは現代劇は興味はないのだが、wowowは料金を払っているし、評判もいいみたいなので。脱線ついでに、wowowは、陳情令、山河令、蒼蘭訣等、中国で評判の高かったドラマをそれほど間もおかず放映してくれているのだが、女主が複数のイケメンから愛される、中国版逆ハーレム状態評判ドラマの長相思を衛星劇場に取られてしまったのが痛い。仕方なく、VPNに加入して、楽天Vikiで観始めた。

星漢燦爛の物語の大きなテーマは「愛」であるが、女主と母はお互いを愛していながら、それを上手に表せない。母は女主の個性を無闇に否定して女主のいとこばかり可愛がる。一方、女主も過酷な経験を経て母の心情を段々理解するようになるものに、母娘の亀裂が埋まるのは母が娘に歩み寄った最後の最後であり、関係の修復には何年もかかってしまった。

男主も、初頭から女主を愛するのだが、女主の気持ちも考えずに愛情を押し付けてしまい、女主に反発される。つまり、初めは男主から女主の溺愛(= 立場が上の者が立場の下の者を猫可愛がる一方的な関係)だったのが、終盤で、互いに肩を並べて戦って民を救ってから、信頼とリスペクトを交えた真の愛情となる。星空の下、男主、女主、女主の家族たちが肩を寄せ合って星空を見上げるラストシーンでは、散々拗れた男女、親子問題が解消し、壮大な宇宙の中のちっぽけな、でも、愛おしい人間の営みを際立たせた大団円であった。

昨年、楽しんで観たペンディングトレインが、でも、ラストが、えっ、クジラ?えっ、外国人? 何、関係ない、世界の映像で雑に終わらせてるの?と興醒めしたが、星漢燦爛はタイトルをラストシーンで回収していて、納得できる終わり方だった。

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