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30年を経て『河殤』を振り返る(11)

前回


③「重评《河殇》」の主たる内容である5編の論稿は、当時の浙江省における相応の知識人、とりわけ中国共産党王朝の経典に関わる人材が執筆していた模様である。

このあと、付録一、二として以下2つの資料が続いている。

付録一《河殇》解说词评注

付録二《河殇》论争情况综述

付録一は、実に興味深い内容である。

シナリオを全文掲載し、ひと段落ごとに事細かに【評】を書き込んでいるのである。さながら李善注や朱熹注の如くに注釈を施しているのだ。

例えば第1回夢を追う(原題:尋夢)に以下台詞がある。

今世紀初頭、陳天華という中国青年が当時まさに暗黒の中にあった祖国に絶望し、日本で海に身を投げ自殺した。当時、何人の中国人が彼を理解できたであろうか。
今日、私たちが陳天華を思い出すとき、彼の深い絶望を推測できるような気がする。それはまさに文明の衰退に対する弱々しい溜息であったかもしれない。
中国の古い文明がもたらした運命を振り返り、検討することを私達はもはや避けてはならない。   (①「河殤―中華文明の悲壮な衰退と困難な再建―」弘文社より)

これに対する【評】が以下である。

为了证明“文明衰落了”,《河殇》拉来一个陈天华蹈海做依据。陈天华自杀原因果然如此吗?
1905年,日本政府颁布《取缔清韩留学生规则》。中国留学生群起抗议,但在行动方式上意见不一。陈天华出于激愤,抱着牺牲自己振奋人民的信念,毅然蹈海。此事只要看看他留下的《绝命辞》就可明白。他的自杀,对国内外的革命群从起了很大的激励作用。可见,当时的许多人是理解他的。而《河殇》把“深刻的绝望”、“微弱的叹息”强加给陈天华,倒是不可理解的了。
自杀,一般地说是不可取的,但也要作具体分析。有的革命者自杀,是在当时的条件下向反动势力斗争、抗议、决裂的一种方式。陈天华就是这样。否则,八女投江、狼牙山五壮士跳崖等等,岂不是也要被说成是什么“绝望”、“叹息”吗?

要約すれば、『河殤』を以下のように批判しているのだ。

●陳天華自殺の理由は、日本の文部省が清朝等の要請に基づき発布した「清韓日本留学生取締規則」への抗議である。
●自ら犠牲となって、人民に奮起を促した。
●これは遺書である《絶命辞》にも明らかである。
●革命家の自殺は、反動勢力に対する闘争・抗議の方法の一種だ。
●どうして「深い絶望」・「弱々しい溜息」などと言えようか。

ただし、『「清韓日本留学生取締規則」に対する抗議方法がまとまらないことに義憤を覚え、人民に奮起を促した』とも書いてあり、微妙な配慮も感じられる。

おそらく、革命経典の世界においては、革命烈士が「深い絶望」や「弱々しい溜息」を持つことは許されないのであろう。

いずれにせよ、歴史に対して様々な分析角度を試みることを絶対許さないのが、中国共産党王朝における経典の世界であることは確かである。

一方で、シナリオ部分を②「河殤(電視片集解説詞)」と突合してみたが、欠落や改竄は見られない。この点も興味深い。経典の世界は本当に大変だ。

この付録一の執筆者は、赵世培となっている。

この人物も百度検索してみた結果、《浙江近代史》を共著で1982に発刊した杭州大学歴史学部の趙世培教授ではないかと推測する。これが正しければ、やはり中国共産党王朝の経典に関わる人材が執筆したと言えるのだ。

(*)写真は2004年9月の雁蕩山


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