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チャーリイ・ゴードンの母は悪人か

「アルジャーノンに花束を」(ダニエル・キイス)を読んだ。

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不朽の名作、泣ける小説、ドラマ化、ユースケ・サンタマリア、ネズミ・・・それくらいのイメージ。
キャッチコピーが「全世界が涙した現代の聖書」。ものすごい文句。全米が泣いたどころじゃない。
私、感動モノっていうのがちょっと苦手で、小説でもドラマでも映画でも、今までできるだけ避けてきた。のだけど、キンドルで面白い小説の第一位になってたから読んでみた。すごいね。1966年の作品だから半世紀以上も前の作品が、令和で面白い小説一位って。
結果、良かった。ただの御涙頂戴の押し売り小説じゃなかった。そりゃそうだ。50年後にも一番面白いって言われるお話がそんな薄っぺらなわけないね。
ダニエルさん、ごめんなさい。すごく面白かったです。
ざっと説明すると、
32歳で6歳児くらいの頭脳しかないチャーリイ・ゴードンが、脳手術を受けて超天才に変貌する。いつも頭が良くなりたいと願っていたチャーリイだったけど、明晰すぎる頭脳を手に入れたことで今まで分からなかった色々なことが見えてくる。さらに知能の発達に心の発達がついていかず周りともギクシャクして・・・
本当の幸せって一体何なんでしょう?
みたいな話。
まぁ色々と考えさせられる部分はあるのだけど、一児の母である私の視点からすると、気になるのがチャーリイの家族。特にお母さんのローズ。それとお父さんのマット。
ローズは、チャーリイが生まれてしばらくは、チャーリイが普通の子と違うことを認識しながらも、それに目を背けて「この子は他の子と同じ」と言いながら、どうにか“正常“になるように苦心する。その後しばらくしてローズは、ずっと抱いていた「こんな子を産んでしまったのは私が出来損ないだから?」という思いを、チャーリイの妹ノーマが生まれて知的障害がないことがわかったことで払拭できて、チャーリイを“正常”にしようとすることを諦める。そしてノーマに悪影響がないように、それだけを考えて生きるようになる。
マットは、「この子がこの状態で生まれたことは、私たちの十字架なんだから、一緒に背負って生きていくしかない。」的なことを言う。
十字架・・・我々の預かり知らない前世の罪の償い、みたいなこと?ちょっと私にはピンとこないけど、キリスト教独特の感性だろうか。ローズが悪いわけでもないし、もちろんチャーリイが悪いわけでもないんだから、できないものを無理にやろうとお金と労力をかけて精神をすり減らすのではなく、今のままのチャーリイを受け入れろ、と言っているのだ。
それはその通りだと思う。ローズもそう思えたらどんなに楽か。
ただ、このマットという人は、口ではもっともらしいことを言ってるけど、結局最後までチャーリイと向き合おうとはしてくれないし、怖くてガタガタ震えている我が子を優しく抱きしめてくれるわけでもない。おまけにローズの息子への打擲を見て見ぬふりしてるんだから、何が一緒に背負うだよ、と言いたくなる。だからなのかチャーリイは、どんなにお仕置きされても、ママに褒められたくて、かしこくなりたいといつも強く願っている。その様子が何ともいじらしくて胸が痛い。
本当に育児ってのは、精神力がいる。昨今、育児ノイローゼで自殺する人も多い。一時期「死なせない育児」っていうフレーズが流行ったのも頷ける。
ローズの振る舞いは決して褒められたものではないが、でもそれを誰が責めることができるだろうか。人ひとり育てるというのはそれほど重いのだ。少なくとも本人にとっては。
チャーリイは優しい子に育った。それって子育ての一つの成功だと私は思う。
まぁ、ローズみたいな親じゃなければ・・と思わないことは決してないけれども・・・。
私はローズを責めることはできない。
もし私が彼女の友人であれば、日頃の愚痴を聞いたり、もっとマットと育児を分担したほうがいいのでは?とか、たまには子供たちを一時保育に預けてストレス発散で出かけた方がいいよ、とか、ローズやマットの両親にも手伝いをお願いできないの?とか、Eテレ面白いよ、巷ではまことお兄さんが人気だけど私はゆういちろうお兄さん派なんだ、とか、たくさん話して支えになりたい。彼女、プライドが高いから弱みを見せたがらないかもしれないけど。そして、マットには口だけじゃなく、もっと子育てにも、ローズの気持ちにも、真っ正面から向き合って欲しかった。
自分が子育て真っ只中であることと、昨今の世の中の子育て事情から、今の私はそんな感想を持った。数年後に読んだらまた変わりそうな気がする。

「アルジャーノンに花束を新版(ダニエル・キイス/小尾芙佐)」 https://www.amazon.co.jp/dp/4150413339/




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