[Tumblrからの移行記事]恩師、故・丸山雄一郎先生に捧ぐ

こちらの記事は以前Tumblrに掲載していましたが、noteに移行しました。
(初出:2018年8月6日)

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中学時代に大変お世話になった、文字通りの「恩師」である丸山雄一郎先生が昨年お亡くなりになったことを知りました。
親子の会話で「そういえば丸山先生どうしてるんだろうね」と話題に上がり、先生のことだからFacebookでもやっていそうだな、と検索してみたところ、とあるブログの追悼記事に辿り着いたのです。

西多摩で生まれ育った私は、西多摩のとある公立中学校に入学しました。
友達がいなかったわけでも、授業が楽しくなかったわけでもないのですが、どうやら私は「生まれつきのはみ出し者」であるらしく、正直なところ、居心地は良くなかったのです。

その中学校には「生徒は全員部活動に参加する」という決まりがありました。
入学したての私は純粋に興味のある部に入ってみましたが、そこは私が最も苦手としているタイプの人間関係に満ちた場所でした。
そして見事に1年生の途中でフェイドアウトし、事実上の退部となり、しばらくは校内に存在し得ないはずの“帰宅部”所属と化しました。
ちょうどその頃、とあるバンドと出会って音楽に目覚めた私は、授業が終わったら帰宅してアニメを観て音楽を聴く、という現在の私とあまり変わらない生活をするようになっていきました。
一方、学校の居心地は、ますます悪くなりました。

2年生に進級してすぐ。
決まりは決まりなんだろうけど、それでももう部活動には入りたくない、このまま非実在“帰宅部”のままでいい、と考えていた私に丸山先生が声をかけてくださいました。
「自然科学部においでよ」

丸山先生の担当科目は理科でした。
その中学校には他にも若手の理科の先生がいらっしゃいましたが、丸山先生は事実上の“理科室の主”でした。
放課後、丸山先生から自然科学部についての説明を受けました。
必要な時だけ部としての活動をすること。
普段は特に何もないので、何をしていてもいいこと。
帰ってもいいし、理科準備室で遊んでいてもいい、ということ。
それならやっていけそうだ、と、私は入部を決めました。
そのうち、部員が私を入れて3人になりました。
全員が入学後にどこかではみ出したり躓いたりした女子生徒でした。

丸山先生はかなり個性的な方でした。
常に瞳がギラギラと輝いていました。
常に満面の笑みが浮かんでいました。
授業の進め方も、テストの問題も、全てが破天荒でした。
ある時のテストは「102点満点」でした。
実験や観察をたくさんやらせてくださいました。
突然のオヤジギャグや生徒との愉快なやりとりで、教室には笑いが絶えませんでした。
授業参観に来た私の母はちゃっかり生徒に混ざってレポートを提出したのですが、普通に受理されきっちり採点された後「がんばりましょう」のスタンプ付きで戻ってきました。
丸山先生の理科の授業は、本当に楽しく刺激的でした。

自然科学部員限定で解放された理科準備室には、当時はまだあまり普及していなかったパソコンが数台並んでいました。
まだ「Mac」と呼ばれるようになる前のMacintoshでした。
「好きに使っていいよ。インターネットも繋がってるから」
当時の田舎の中学生には「パソコン」も「インターネット」も名前こそ知ってはいても縁遠いものでした。
私たち自然科学部員はおそるおそるMacintoshの電源を入れ、ドキドキしながらBBSやチャットに書き込みをしました。
それが私のパソコンデビュー、そしてインターネットデビューでした。

自宅でパソコンとインターネットの話をしたところ、母が「そんなに良いものなら、うちにもパソコンを買おう」と言い出しました。
早速、丸山先生にアドバイスを乞うたところ
「ここにあるのはMacintoshだけど、家で買うならWindowsが良い」
とのご指示があり、仰る通りにWindows 98のデスクトップPCを購入しました。
その勢いで日本商工会議所で行われていた日本語文書処理技能検定(ワープロ検定)を受験し、現役中学生にして2級に合格しました。

丸山先生の予告通り、時々は自然科学部としての活動もありました。
ある時は、どこかのお役所の河川の調査に協力するとのことで、地元の河原でひたすら石をひっくり返して虫を集めました。
ある時は、遠足の下見と称して上野動物園に行きました。
ある時は、「(入学できるかわからないから)二度と来れないかもしれないぞ(笑)」と笑い合いながら東大のキャンパスを散歩したりしました。

楽しく、時々真面目に、自然科学部員としての時を過ごしていると、あれだけ感じていた居心地の悪さもすっかり消えていました。

本当に、大好きな先生でした。

卒業してからしばらくは年賀状のやりとりをしていたのですが、こうして少々疎遠になっていたところで訃報を目にすることとなってしまいました。
ご病気が発覚してすぐにお亡くなりになったそうです。
まだ60代だったのに。早すぎます。

丸山先生、
もし先生がいなければ、もし自然科学部に入っていなければ、私は中学生生活を楽しめなかったと思います。
もしかしたら不登校になっていたかもしれません。
あの時私を拾って自然科学部に入れてくださって、ありがとうございました。
はみ出し者がはみ出し者のまま生きていけることを教えてくださって、ありがとうございました。
その後の人生も、そこそこ楽しくやっています。

丸山先生、
私にパソコンとインターネットを教えてくださってありがとうございました。
あの時Windowsを薦めてくださってありがとうございました。
おかげでお仕事にも趣味にも困らないスキルを身につけることができました。
OSは、XPまではWindowsだったのですが、その後Macに戻してしまいました。
原点回帰のようなものでしょうか……。

丸山先生、
私、文章を書くお仕事をしています。
いつか自分の本を持ってご自宅にお伺いしたいと思っていたのですが……。
先生のところまで届くようにたくさん書いてたくさん発表しますので、
時々読んでみてくださいね。

丸山先生、
東大には入れませんでしたし、算数はできるようにならなかったですし、高校の物理とか科学とか難しいところは全然ダメなままですが、先生のおかげで未だに理科そのものは大好きです。

丸山先生、
言いたいことはまだまだありますが……
今日のところはこのあたりで。
あ、母がよろしくと申しておりました。母も相変わらず元気です。

これからも、がんばります。
本当に、ありがとうございました。
ゆっくりお休みください。

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