キャラクターに自分をのせる。
漫画やアニメと違い、ストーリー性のないゲームだとそれぞれがこういった性格で〜等とオタクなんかはよくやるアレ。
とあるゲームのキャラ達に無意識のうちに自分を、私が気に入らないと思う性格の人も味方も敵も当てはめていたのに最近気付いて、目からウロコだった。
気付くまで長かった。
別にゲームキャラは平面の世界で声が付いていたとしても実際に私に何かされていないし、されるはずないのに嫌悪感を抱くキャラがいる。
何故だ。
良くわからないままに日々は過ぎ去る。
気付かぬまま自分の事をキャラに背負わせて自分の中でキャラとキャラの関係性をこねくり回していた。
しばらくして1冊の自己啓発本を買った。
そこで所謂降りてきたー!状態が発生。
もうどうして気付いたのか、その時に読んでいたページも憶えていない。
だけどハッキリ解ったのは好きなキャラクターに自分を当てはめていたという事。
それが解るとではこのキャラは?あのキャラは?と紐解いていく。
そして嫌悪感を抱くキャラが私が苦手としている人をも当てはめていたという事に気付く。
この事に気付いた時本当に驚いた。
そこで設定にはあるがゲーム本編には出てこない、いわゆる主人公=自分、という立場にあるキャラを私は作っていた。二次の夢キャラだろうか。
そのキャラにすら求めていたのを当てはめていた。
一等好きなキャラには自分を、そのキャラと関係のあるキャラには自分の苦手とする人格を。
そしてオリキャラにはそのキャラが好きも嫌いもあるけれど、存在することに良し悪しもなく、否定はしないという存在だった。
ただひたすらに在ることを否定しない愛という存在として当てはめていた。
さてそんなこんなでキャラクターに当てはめていた事を知り何が出来たのか。
俯瞰で見る事だ。
自分の事を客観視するというのができた訳だ。
するとどうだ。
うだうだグズグズと悩んでいた事がスルリと解かれる。
ああ、こうだったのか、そうだったのかと気付いたのだ。そしてそれは精神的に自分を解放する行為でもあった。
よく映画やアニメ、漫画などで同調したり感情移入したりで泣いたり笑ったりなどはよくあるのではないだろうか。
それを、そのシーンで泣いたのは何でだろうと考えてみて、もしかしたらそのキャラクターに自分を当てはめていたかも知れない。
無意識のうちにキャラクターに自分をのせる事で自分を解放する行為を私達はしているのではないだろうか。
そしてそれに気付くことが出来たら、もっと解放されるだろう。
意識する。簡単なようで難しい。
だけれども、少しでも出来るようになりたいものである。