何もしなかった人

 何もしなかった人がいた。

 *

 何もしなかった人は人生において何もしなかった。しかし、何もしなかった人が完全に何もしなかったかというと、もちろんそんなことはない。何もしなかった人だって生まれ、育ち、学び、働いた。食事をして、眠って、排泄して、マスターベーションをした。でもそれだけのことだ。それ以外のことはほとんど何もしていないにひとしかった。何もしなかった人は酒を飲まないし、煙草も吸わなかった。小説は読まないし、映画も観なかった。音楽も聴かないし、美術も鑑賞しなかった。友人は一人もいないし、恋人ができたことは一度もなかった。何もしなかった人は一回もセックスをしたことがなかった。いつもポルノを観ながらマスターベーションをするだけだった。100パーセント完璧に孤独だった。

 何もしなかった人は平日は毎日朝9時から夜6時まで働いた。何もしなかった人は仕事ができなかった。だから簡単な仕事しか任されなかった。定時に出勤して定時に退勤すれば、誰からも何も言われなかった。

 休日にはどこにも出かけなかった。ただ家でひたすら眠っていた。平日に働くだけで疲れきってしまって、休日に出かけるだけの体力も気力も残らなかったからだ。出かけるとしても近所を歩くくらいのものだった。

 そして平日になればまた働いた。月火水木金。朝9時から夜6時まで8時間。そしてまた休日になれば休んだ。土日。そしてまた平日。そしてまた休日。平日。休日。平日。休日。平日。休日。平日。休日。平日。休日。何もしなかった人はこのサイクルが死ぬまで続くのだと思うと、いつも生きるのが恐ろしくなった。しかし、死ぬのもまた怖かった。生き続けていたらどうなるのかはだいたい予想ができるけれど、死んでしまったらどうなるのかは全く想像できなかったからだ。

 動物は死んでしまったらどうなるのだろう、とたまに何もしなかった人は考えた。完全な無になるのだろうか。そもそも「無」とは何なのだろうか。100パーセント完璧に意識がなくなってしまうのならまだましだけれど、たとえば一面真っ黒かあるいは一面真っ白な空間で、ただひたすら何もできずに意識だけがあるような状態になるのだとしたらもう最悪だ。生きるにしても死ぬにしても地獄だった。

 何もしなかった人はある日突然仕事を辞めた。死ぬまで平日と休日を繰り返すことが本当に嫌になってしまったのだ。今月の給料までは入るが、来月からはもう1円の給料も入らない。しかし、もう何もしなかった人にとっては何もかもどうでもよかった。何もしなかった人は病院に行った。病気だと診断された。2週間分の薬をもらった。医者は何か言った。何もしなかった人は何も言わなかった。

 何もしなかった人はマンションに帰ると、キッチンでミネラルウォーターを用意した。2週間分の薬を流し込んだ。そしてベッドにもぐりこんだ。

 何もしなかった人は起きた。いつの間にか眠ってしまっていたようだった。頭痛がひどかった。吐き気もひどかった。何もしなかった人はトイレに行って吐いた。吐くものが何もなくなるまで吐いた。洗面所に行って顔を洗った。リビングに行って頭痛薬と胃薬も飲んだ。それからまたベッドにもぐりこんで何時間も眠った。

 何もしなかった人は新しい仕事を見つけた。また平日に5日働いて、休日に2日休む生活が始まった。新しい職場でも仕事ができない人間だと言われて叱られた。休日にはマンションで眠るか、近所を散歩して過ごした。週に5日、月火水木金の朝9時から夜6時まで働く。週に2日、土日に休む。そしてそのサイクルを死ぬまで永遠に繰り返して生き続ける。何もしなかった人はすでに自分は「無」になっているのかもしれないと思った。

 何もしなかった人は何もしなかった。

 

thx :)