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死す

 死につつあった。私は不治の病に蝕まれていて、動くことはおろか、もう喋ることも何もできなくなっていた。でも不思議と気持ちは安らかだった。死ぬというのがどういうことなのか、私は理解しつつあった。そしてそれをあくまで自然なものとして受容しつつあった。ベッドサイドにいる配偶者は黙って私の手を握った。

 それにしても人生というのは何と儚いものだろう、と私は死をひかえた人間がいかにも考えそうなことを考える。私はそれなりの年数をこの世界で生きてきたわけだが、私のやってきたことと言えば、そこそこの大学を卒業して、そこそこの会社で働いて、まずまずの結婚をして、まずまずの子どもを育てたくらいのことだ。いったい私の人生とは何だったのだろう。

 病室の中にはいま私と配偶者しかいなかった。もう死期が近いということで、私はいま特別に個室のベッドで眠っていた。私の身体には何が何やらよくわからない無数の管が接続され、それがまた何が何やらよくわからない大量の機械に接続されていた。恐らく全て私の生命をかろうじて維持するための装置なのだろう。私はもし自分の身体が動くのであれば、そんなものは全て外してさっさと死んでしまいたかった。こんなことをしてまで生きながらえていったい何の意味があるのだ、と私は言いたかった。惰性で半世紀も続いてきた我々の結婚生活と同じだ。我々はさっさと離婚するべきだったのだ。しかし、もはやそれを他人に伝える手段は一つとして残されていなかった。何ということだ。

 配偶者はベッドサイドで私の手を握りながらさめざめと泣いていた。まったくもってしらじらしい。私が病気になる前までは私と一言も口を利かないくらいの関係性だったくせに、いざ私が死ぬというときになると、こうやって泣き始めるのだ。

 一言も口を利かないどころか、配偶者は不倫までしていたのだ。いい歳をして不倫とは本当になさけない。しかもその相手というのがまた究極につまらない人物だった。ろくでもない仕事をし、ろくでもない趣味嗜好を持ち、ろくでもない貞操観念を持った、ろくでもない人物。なぜ配偶者がそんな相手と浮気をしたのか、いまだにわけがわからない。

 配偶者がその人物と知り合ったのは絵画教室でのことだった。絵画教室、と私は思う。配偶者は仕事を定年でリタイアしてからその絵画教室に通い始めた。美術になんて全く興味も関心もなかったくせにだ。本人は「友だちに誘われたから」などと言っていたが、私は始めから異性との出会いが目的で通い始めたのではないかと疑っていた。

 不倫相手のその人物は絵画教室の講師だった。東京の美大を出て、画家として活躍するかたわら(『活躍』というのは配偶者から私が聞いた言葉であって本当に活躍していたかどうかは知らない)、美術教室を開いてもうずっとそこで油絵を教えていた。「印象派の画家に影響を受けた素晴らしい絵を描く」というのが配偶者のふれこみで、私も一度その美術講師の個展に連れられていったことがあった(私は美術になど全く興味も関心もなかったし、そんなところに行きたくもなかったのだったが)。

 個展で展示されていた絵はどれも非常につまらないものだった。「印象派」というのがいったいどんな絵画を意味するのか、私には全くわからなかったが、それでも退屈な作品だということだけはわかった。配偶者はその展覧会に大変感銘を受けたようで、当日在廊していた美術講師とも何分も話しこんでいた。配偶者と美術講師が話している間、私は仕方がないのでおもしろくもない絵をずっと見続けていた。そのとき見ていた絵画は何だかよくわからないぼんやりとしたタッチで描かれた、ぼんやりとした色彩の絵だった。

 『ある夫婦』というタイトルの絵で、リビングルームのソファらしきところに腰かけている夫婦の像が描かれていた。片方の人物はまっすぐこちらに顔を向けており、片方の人物は顔を伏せていた。恐らくまっすぐこちらに顔を向けている方の人物はテレビを見ており、もう片方の顔を伏せている人物は何かについて苦悩しているという情景なのだろうと私は想像した(正確な解釈は知らないがとにかく私はそのような印象を覚えた)。そして恐らくこの夫婦は家庭内不和に陥っているのだろうという雰囲気があった。

 しかし、と私は思った。だから何だと言うのだ。その絵にはただ二人の人物が不仲になっている様子が描かれているだけだった。そこには明確なテーマ性もなければ、鋭いメッセージ性というものもないという気がした。その絵をずっと見ていても私には何も伝わってこなかった。「つまらない絵を描くつまらない人間だ」というのがそのときの私が美術講師に対して持った印象だった。

 だが、まさかそのときには配偶者と美術講師が不倫をしているなどとは夢にも思わなかった。のちに不倫を告白したとき、配偶者は「あなたと個展にいっしょに行ったときにはもう関係は始まっていた」と言った。私は配偶者の口から真実を聞いたとき、黙っていることしかできなかった。いままでいったい自分は何をしてきたのだ。いままで配偶者とともに人生を送ってきた中で、いったい私はどれだけこの人間のことを知っていたと言えるのだろう。あるいは私は配偶者について何一つ理解していなかったのかもしれない。およそ半世紀ほどの時間をともに過ごしていながら、私は配偶者のことを何もわかっていなかったのだ。そのとき、私が感じたことは以上のようなことだった。

 私はそれから何事もなかったかのように外に出かけたのだった。友人と会う約束をしていたのだ。その友人は会社時代の同僚で、リタイア後は株に手を出して成功し、ひとかどの投資家にまでなっているという人間だった。友人と行きつけの「鯨飲」という居酒屋で酒を飲み、煙草を吸っている間も、配偶者が不倫をしていたという事実は頭から離れなかった。私はまったくのうわの空で友人と会話をしていたので、友人も「いったい今日はどうしたんだ」と言ったくらいだった。「何でもない」と私は言った。「何でもない」と言う以外に何を言えばよかったというのだ。いくら旧友相手とはいえ、「正直に言うと、今日、配偶者から不倫していたということを聞かされたんだ」なんて言えるわけがない。

 私はそれから一週間ほど配偶者と口を利かなかった。配偶者が作った料理にも手をつけなかったし、寝室からソファまで寝具を持ってきて寝床を別々にした。配偶者が話しかけてきても返事をしなかった。当たり前だ。そのうち、配偶者もあきらめて話しかけてこなくなった。私もそれで満足だった。

 しかし、時間が経つにつれて、私はそれだけでは飽き足らなくなってきた。私は復讐したかった。配偶者に復讐したかったのではない。私が憎んでいたのは美術講師の方だった。つまらない絵を描くつまらない人間、と私は思った。

 数日後、私は美術講師が運営する美術教室に電話をかけることにした。インターネットで講師の名前を検索したら、すぐに教室の情報は出てきた。コール音が鳴っている間、携帯電話を持つ私の手はこわばっていた。五回ほどコール音が鳴ってから、「もしもし」と電話の向こうの声が聞こえた。

 私は「美術教室に通いたい」と嘘をついた。美術講師は何の疑いも見せずに私の言葉を信じた。「ご都合のよろしいときに一度見学にでもいらっしゃってください」と美術講師は言った。「今からお伺いします」と私は言った。「今からですか」と美術講師は困ったような反応を見せたが、「今からです」と私は繰り返した。美術講師はしばらく沈黙してから「わかりました」と答えた。私は電話を切った。相変わらずスマートフォンを持つ手はこわばったままだった。私はスーツに着替えて、ネクタイを締めた。仕事をリタイアしてからそんな格好をしたのはひさしぶりのことだった。それから配偶者には一切何も言わずに外出した。配偶者は私が外出する素振りを見せても、黙ってテレビを見ていただけだった。

 美術教室は都市部のビルの中にあった。私はスマートフォンで検索した情報にもとづいて、そのビルまでたどり着いたのだった。エレベーターに乗り、教室のある階まで行った。受付らしきスペースはどこにもなかったが、私がやって来てすぐに一人の人物が顔を出した。「ここで講師を務めている者です」と言って、美術講師は自分の名前を名乗った。私も一応自分の名前を名乗った。美術講師は私の名字を聞いても何の反応も見せなかった。私はそれから教室の中に案内された。

「どこでうちの教室のことを知ったんでしょう」と美術講師は世間話をするような調子で聞いた。

「配偶者が通っていたんです」と私は言った。

「なるほど」

「そうです。配偶者が通っていたんです」と私はもう一度言った。

「もしかして」と美術講師は配偶者の名前を出した。

「その通りです」

 それから我々はどちらも黙りこんだ。お互いがお互いを牽制し合っているような雰囲気があった。しばらくの沈黙の後で、美術講師は口を開いた。

「場所を変えましょう」

「わかりました」と私は言った。

 *

 我々はそれから近くの「見張り塔」というバーに移動した。我々はカウンター席に座った。私がウィスキーのロックを注文すると、美術講師もやはり同じようにウィスキーのロックを注文した。カウンターの向こう側から酒が出てくると、美術講師は「失礼」と言って煙草を吸い始めた。私も煙草を吸った。二人とも一本ずつ吸ったところで、ようやくお互いにひとごこちがついたようだった。

「あなたの目的は何です」と美術講師は聞いた。

「わかりません」と私は答えた。「もしかしたら私はあなたと話がしたかっただけかもしれません」

「それはどういう種類の話題なんでしょう」

「もちろん美術についての話題ではありません」

「もちろん」

 店内には他にひと組しか客がいなかった。若いカップルだった。カップルは遠くの席で何やら楽しそうに話をしていた。ときどき笑い声が上がった。私は話を続けた。

「配偶者からあなたの話を聞きました」

「私の話」

「配偶者とあなたが不倫していたという話です」

「確かにあなたの配偶者と私は不倫をしていました」

 美術講師は正直に事実を認めた。私はそんなにすぐに相手が真実を話し始めるとは思っていなかったので、意表をつかれてしまった。

「しかし、正確に言えば、それは不倫と言えるようなものではありませんでした。我々の間には肉体関係はありませんでした。そこにあったのはただ、人間存在における深い部分での精神の交流のようなものだったのです」

 私は美術講師が何を言っているのか全くわからなかった。

「何を言っているのかわかりません」

「もちろん私が何を言っているのか、あなたには理解しがたいと思います。私はあなたに理解をしてほしいなどとは思っていません。ただ、主観を極力排除した厳然たる客観的事実をあなたに伝えたいと考えているだけです」

 美術講師の話している言葉はあまりにも抽象的すぎて理解できなかった。私がもとめていたのはもっと具体的な言葉だった。

「話が抽象的すぎます。もっと具体的に話してください」

「この世界には抽象的な言葉でしか語ることのできない真実があるのです。あなたのもとめる具体性などというのは、言ってみればまやかしのようなものに過ぎません」

「私が聞きたいことは配偶者とあなたがどういう関係性で、何をしていたのかというそれだけのことです」

「ですから、先ほども申し上げたように我々の間にはセックスなどの肉体関係はありませんでした。これは神に誓って真実です。我々の間にあったものはただの精神的な交流です。これ以上あなたにご説明できることはありません」

 私は美術講師のその言葉を聞くと、一気にウィスキーを飲み干した。これ以上、話をしていても時間のむだだった。この美術講師は頭がいかれているのだ、と私は思った。私は黙って二人分の勘定を支払った。美術講師もそのまま黙ってウィスキーのグラスを揺らしていた。私はスツールから立ち上がり、美術講師を一人後に残してバーを出た。

 無言電話が私のスマートフォンにかかってきたのは、それから一週間ほど経ってからのことだった。その電話がかかってきたとき、私はリビングのソファで新聞を読んでいた。時刻はまだ朝だった。配偶者はそのとき家を空けていて、私は一人だった(配偶者は地域のボランティアか何かに参加するとか言って出かけて行ったのだった)。

 非通知の番号からの電話だったので、最初は電話を無視した。しばらくして電話のコール音は止んだ。しかし、間隔を空けずに再び電話はかかってきた。また非通知の番号からの着信だった。

「もしもし」と私は仕方なく電話に出た。

 しかし、相手は黙ったままだった。物音すら聞こえなかった。しばらく待ってみたが、それでも相手は何も言わなかった。

「もしもし」と私はもう一度言った。

 相手は何も言わずに電話を切った。突然断ち切られた通話は私に一種のショックをもたらした。何なのだ、と私は片手に持ったスマートフォンを見ながら思った。しばらく私はそのままの状態で考えを巡らせていた。もしかしたら単なる間違い電話かもしれない。あるいは無差別にいたずら電話をかけている頭のおかしい人物の仕業かもしれない。しかし、私はすぐに気をとり直して、新聞のチェックを再開した。間違い電話かいたずら電話かは知らないが、何にせよ私には関係のないことだ。

 私はそれからすぐに無言電話のことは忘れてしまった。

 夜になっても配偶者は帰ってこなかった。一応連絡をしてみたが、いつまで経っても返信はなかった。結婚生活を続けてきて、そんな事態は初めてのことだった。「ボランティアに出かけてくる」と確かに配偶者は言ったのだ。たとえば、ボランティアの後に友人と食事なんかをしていたとしても、いくらなんでも帰りが遅すぎる。

 私はしばらく悩んだ。まさか何かの事故や事件に巻きこまれたということはないだろうが、それでも一応警察に連絡をした方がいいかもしれない。

 しかし、しばらくして私は考え直した。恐らく配偶者はここ二週間ほどの私の態度に耐えかねて、家を出て行ったのだろう。どこに滞在しているのかは知らないが、出て行きたいのなら出て行かせておけばいい。

 私はソファから立ち上がるとラジオのスイッチをつけた。そして、つまみを回して適当なチャンネルに合わせた。どうやらクラシック音楽の専門チャンネルのようで、シンフォニーらしき壮大な音楽が流れていた。私はしばらくソファに座って、何をするともなくそのシンフォニーを聴いていた。しかし、やがてクラシック音楽が耳ざわりになってきて、ラジオのスイッチを切った。特に私はクラシック音楽に詳しいというわけでもないし、正直に行って別に何かを聴きたいという気分でもなかったのだ。

 私はソファに座り直した。そして、スマートフォンの連絡先から例の投資家の友人に電話をかけた。

「いまから飲みに行こう」と私は言った。

「実は私もいま誘おうと思っていたところだったんだ」と友人は言った。

 我々は一時間後に「鯨飲」で落ち合うことになった。

 「鯨飲」で酒を飲み、煙草を吸いながら、私は友人に一部始終を話した。配偶者が美術講師と不倫関係にあったこと。私が美術講師に会いに行ったこと。今日、無言電話がかかってきたこと。そして、配偶者が帰ってこないこと。友人は私の打ち明け話を聞いて、しばらく腕組みをして何かを考えているようだった。それから、口を開いた。

「正直なところを言っていいかい」

「もちろん」

「話をまとめて推測する限り、お前の配偶者はいまその美術講師といっしょにいると思う」

「私も正直そう考えていた」

「電話をかけてきたのは恐らくその美術講師とやらだろう。お前の配偶者との間のことについて、何かしら話があったんだ。しかし、上手く話をすることができなかった。だから無言で電話を切ってしまったんだと思う」

 友人の推測を聞いて、私は今日自分に起きた出来事の全てがつながったような気がした。無言電話。配偶者の家出。言われてみればその通りだ。友人は「でも」と言って話を続けた。

「もちろんこれは私の独断と偏見にもとづく推測に過ぎない。もしかしたらお前の配偶者は一人でどこかのビジネスホテルに泊まっているだけかもしれない。前にも話したことがあるかもしれないが、私も一度配偶者とひどい喧嘩をしたときがあって、そのとき同じ目に遭ったことがあるんだ。そのとき配偶者は近所のビジネスホテルに一週間も滞在していた。私は警察に失踪届を出そうと思ったくらいだった。でもお前と同じように『出て行きたいなら出て行かせておけばいい』と思って、何もしなかった。そして、配偶者は一週間後に何事もなかったかのように帰ってきた。だからお前もそんなに心配することはないだろう」

 それから我々は「鯨飲」で一時間ほど話し合った。話題はいつものように会社員時代の思い出話へと移っていった。友人と話しているうちに私の不安はどこかへ行ってしまった。なるようになるだろう、と私は「鯨飲」から帰る電車の中で思った。

 明け方になって、私は目を覚ました。相変わらず私はリビングのソファで眠っていたのだが、眠るときに暗くしたはずなのにいつの間にか部屋が明るくなっていた。そして誰かしら人間のいる気配があった。私は起き上がった。リビングのドアの前に配偶者が立っていた。一瞬、夢の続きでも見ているのかと思ったが、それはまぎれもない現実だった。

「死ぬつもりだった」と配偶者は言った。

 私は黙って配偶者の言葉の続きを待った。しばらくしてから配偶者は話を続けた。

「あの人といっしょに死ぬつもりだった。私たちは車で海辺まで行った。そのまま車ごと海に飛び込む予定だった。私たちはぎりぎりのところまで行った。でも、直前になって私たちは怖くなった。『死んだところでどうなる』とあの人は言った。『それでも私たちは生きていくしかないんだ』。そして私はいまあの人の運転する車でここに帰ってきた。それがあなたに説明できることの全て。これ以上話すことは何もない」

 配偶者はそれだけ言ってしまうと、リビングから出て行った。私は何が何だかわけがわからなかった。いったいぜんたい何がどうなってるんだ、と私は思った。しかし、やがて私は理解しようとすることを諦めた。全てはもう済んでしまったのだ。無事に配偶者は家に帰ってきたし、これ以上考えを巡らしても仕方ない。そして、私は再びソファに身体を横たえた。眠りはすぐにやって来た。

 死につつある私にとって、もう配偶者と美術講師との間の出来事は人生の中のささやかなエピソードに過ぎないものになっている。その出来事があってから、私と配偶者とは何だかんだで最低限のレベルまでには関係を修復し、今日まで何とか結婚生活を送ってきた。美術講師のことは話題にすら上がらなかった。あるいは美術講師の話題を巧妙に避けるようにして我々は暮らしてきた。なぜ死ぬ間際になってその美術講師のことを思い出したのか、自分でもよくわからなかった。

この世界には抽象的な言葉でしか語ることのできない真実があるのです」と美術講師は言った。「あなたのもとめる具体性などというのは、言ってみればまやかしのようなものに過ぎません

それがあなたに説明できることの全て」と配偶者も言った。「これ以上話すことは何もない

 まやかし、と私は思った。考えてみれば私の人生そのものがまやかしのようなものだったのかもしれない。あるいは単なるまぼろしのようなものだったのだ。そして私はもうすぐ死ぬことになるだろう。配偶者のことについても、美術講師のことについても、自分の人生についても何一つ説明されないまま。何一つ理解できないまま。

 翌朝になって、私は啓示のごとき一瞬の光を見た。それは一瞬のことだった。「ああ」と私は言った。そして、つぎの瞬間には永遠の闇へと呑み込まれていった。

thx :)