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鈴木眼鏡とかいうアマチュアとして新人文学賞に応募し続けることの苦々しさと甘ったるさ

 「鈴木眼鏡」というペンネームを持つアマチュアとして、新人文学賞に自分の書いたものを送り始めてからもう一年以上になる。

 一番最初に群像に『日本語は絶滅しました』を応募したときには二十七歳だった。次に新潮に『新世紀探偵』を応募したときには二十八歳だった。そして、いま再び群像に応募した『東京の鱒釣り』の結果を待っている私は二十九歳になっている。もし、このままずっと新人賞にトライし続けることになるのだとしたら、いったい何歳まで続けることになるのだろう。

 ブローティガンは確かこの年齢には作家になっていたはずだ。詩人として活動を始めたのはもっと若いころだったと思う。村上春樹や高橋源一郎だって同じ歳のころにはもう群像新人文学賞を受賞していた。そういうことについて考え始めると、そろそろタイムリミットが迫っているのではないかと気持ちが焦り始める。そもそも新人賞に応募し始めるのが遅すぎたのだ。早い人は大学生くらいのころからもうトライしている。周回遅れもいいところだ。もちろん五十歳近くで作家になったブコウスキーみたいなケースだってあるのだから、一概には言えないにしても、それでも。

 だいたい新人文学賞というのは結果が出るまでにひどく時間がかかる。正確に言うと半年くらいはかかる。群像なら十月に応募した小説の選考結果が翌年の四月(受賞作は五月)に、新潮なら三月に応募した小説の選考結果がその年の九月(受賞作は十月)に出る。コスト・パフォーマンスやタイム・パフォーマンスなんて気にしていたら、とてもじゃないけどやっていられない。

 そして、結果を待っている間のこの半年間が一番きつい。常に意識の天井の片隅に送った原稿の幽霊がへばりついていて「結果はいったいいつ出るんだ」と恨めしげに催促されているような気持ちで過ごすことになる(他のアマチュアの人たちはいったいどういう精神状態でこの時期を過ごしているんだろう?)。

 ほとんどの賞の規定では下限が七十枚以上、上限が二百五十枚以下というくらいに定められていて、私の場合はいつも二百枚から二百五十枚くらいの長さの小説を書いて応募しているのだけれど、そのくらいの長さのものを書くにはだいたい一ヶ月くらいかかる。その後、二週間くらいかけて大枠と細部を推敲して(一章まるごと削除したり追加したり書き直したりすることもある)、ひとまず脱稿ということになる。

 一日あたりの枚数は調子が良いときには二十枚くらい、通常なら十枚、調子が悪いときには一枚にすら満たないときもある。何行かでも書ければまだいい方で、ひどいときには前日までに書いた部分を書き直してそれでおしまいという日もある。これをフルタイムで働きながら、仕事が始まる前か仕事が終わった後に毎日続ける。

一行も書けないとしても毎日原稿に向き合え」というチャンドラーだったかヴォネガットだったかのアドバイスに従って、仕事や家事やその他の雑事でどれだけ疲れていたとしても、ある程度の長さの小説を書いている期間は毎日MacBookを立ち上げ、「進行中の作品」のPagesファイルを開き、昨日までに書いた文章と睨めっこする。ときにはしばらくカーソルの点滅を眺めているだけのときもある。腕を組んだり、脚を動かしたり、ため息をついたりして、いたずらに時間が過ぎていくだけのときもある。しかし、このときには絶対にスマートフォンに手を伸ばしたりしてはいけない。もし手を伸ばすとしても参考文献として脇に置いてある書籍だけにする。でも、ほとんどの場合、小説に意識をフォーカスしているうちに、何となく昨日まで書いてきた文章の温度を思い出して、続きの一行を書き始めることができる。

(ところで一種のライフハックというかおまじないとして、私は書きかけの原稿を切り上げるときには必ず一行改行して、『あ』とだけ書き残しておくことにしている。そうすることで進行中の作品に異物としてひも付いた『あ』が意識の辺縁に引っかかって、翌日原稿を引っ張り出すときの取っかかりとなってくれるからだ)

 振り返ってみると、一番最初に書いた『日本語は絶滅しました』のときは、まず自分にある程度の長さを持った小説を完成させられるかどうか自体がわからなかった。それまでに書いたものといえば、ときどきnoteに投稿していたような短篇とも言えないような断片ばかりだったからだ。でも、クオリティはどうあれ、何とかラストまで書き上げて、群像に送ることができた(結果としてこのときは一次選考で落選したから、誌面にはペンネームも作品名も掲載されなかった)。

 次に書いた『新世紀探偵』のときには、もう「書けないかもしれない」とは思わなかった。『日本語は絶滅しました』を書き上げたときの自信があったからだ。予定通り一ヶ月くらいで仕上げて、新潮に送った(こちらの結果は二次選考通過で、一応誌面にペンネームと作品名が掲載された)。

 三作目の『東京の鱒釣り』を書いたときには、過去に自分が書き上げた二作の中篇小説の手応えが大いに私をはげましてくれた。①東京で学生をやっていたころの自分について書いたオート・フィクション的なパートと②東京に初めて滞在していたころのブローティガンに関する疑似伝記のようなパートを断章形式で交互に書いていくというのは、私としてはひどく大変な作業だったけれど、いままでで一番幸せな時間でもあった(だいたい私は目と耳をぎりぎりまで澄ませて、キーボードを叩いて文章を書いている瞬間にもっとも魂が発熱する人間なのだと思う)。

 「小説」というジャンルについての認識も大きく変わったし、「小説」についてもっと知りたくなって、ボルヘスやナボコフや高橋源一郎や保坂和志といった作家たちが「小説」について語ったことや書いたものにあらためて興味を持つようになった。別に新人文学賞なんてものは例えるなら列車に乗るためのチケットに過ぎないので、決してそこがゴールではないのだけれど(むしろスタートにしか過ぎないのだけれど)今回こそは受賞できたらいいと思う。

 神様!

 ちなみに今年は引き続きnoteに短篇を書いて慣らしながら、『東京ふたりストーリー(仮)』を新潮に、『殺しのライセンス(仮)』を群像に、『3年1組のすべて(仮)』を文學界新人賞に応募するつもりでいる。ひと口に新人賞といっても色々あるのだけれど、基本的には群像、新潮、文學界の三つの賞を中心にして応募していきたいと考えている(あんまりたくさんの賞に浮気しすぎても何となく機会を逃してしまう気がするから)。

 鈴木眼鏡のこれからの活動にも何となくご期待ください。

thx :)