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こうのとり

 こうのとりで働き始めて数年になる。正式名称は「株式会社こうのとり」。従業員の身分で言うのも何だけれど、世間的には有名企業と言ってさしつかえないと思う。

 私は大学を卒業して、新卒でこうのとりに就職した。ものごころついたときから実家にこうのとりの製品があったし、一人暮らしを始めてからもこうのとりの製品にはとてもお世話になった。美術大学に行ったのも、卒業後にこうのとりでデザインの仕事をしたかったからだ。

 ただ、こうのとりに入社したまではよかったものの、希望通りのデザイン部には配属されず、現在はカスタマーサポート部で仕事をしている。「新入社員は必ず通る道だから」と人事部には言われたけれど、何年経っても転属の話はない。会社側は私という人間にはデザインの仕事は不向きだと考えているのだろう。

 さすがに仕事自体にはもう慣れてきた。上司や同僚との関係性についてもつかず離れずのちょうどいい距離を保つことができていると自負している。もちろん仕事をしている間は適度にコミュニケーションを取るけれど、プライベートにおいては一切連絡を取らない(そもそも誰ひとりとして連絡先を知らない)。社内のイベントにも一度も参加したことがない。正直、職場になじめていないという自覚はあるけれど、直接的にも間接的にも利害はないし、コミュニケーションの多寡が給料に影響するわけでもないので、特に気にしたことはない。

 でも、なぜだかさいきんひどく疲れている。夜はなかなか眠ることができないし、朝も起きたい時間の何時間も前に起きてしまう。特に何かがあったというわけではないのだけれど、一回医者に行った方がいいのかもしれない。

「それでは本日も一日よろしくおねがいします」

 毎日、始業時には社内全体で朝礼がある。その後で各部署のオフィスへ行って仕事が始まる。

 カスタマーサポート部の仕事はその名前の通りカスタマーをサポートすることだ。カスタマーとは専用のアプリケーションを使って、電話機能かメッセージ機能でやりとりをする。オペレーターのほとんどは派遣雇用かアルバイト雇用だけれど、正社員雇用の私のような人間は全体を管理するマネージャーという立場にある。通常のオペレーターでは対応しきれないような案件が発生した場合、マネージャーが代わって対応をするわけだ。

「オン・オフの仕方がわからない(オン・オフは基本的に非常時または緊急時のみご利用いただく機能となっておりますので通常時はオン・オフの必要はございません)」

「コミュニケーションがうまくできない(自動学習機能を内蔵しておりますのでご利用いただくうちに円滑なコミュニケーションをしていただけるようになります)」

「オーダーと顔が違う(調整機能を内蔵しておりますのでご利用いただくうちに調整が行われるかと存じますが手動での調整も可能です)」

「オーダーと性格が違う(調整機能を内蔵しておりますのでご利用いただくうちに調整が行われるかと存じますが手動での調整も可能です)」

「食事は可能か(不可能です)」

「セックスは可能か(可能です)」

 エトセトラ、エトセトラ。

 もちろんクーリング・オフになるケースもある。こうのとりでは基本的に購入から1ヶ月以内であれば無償で返品を受け付けている。返品された商品はこうのとりの自社工場に送られる。基本的にはリセットされた上でレンタル用にリユースされる個体が多いが、中にはオーダーがあまりに特殊でレンタル用にリユースするわけにもいかず、スクラップにされる個体も少なくないと聞く。

 新入社員研修の一環で、こうのとりの自社工場に一度だけ見学に行ったことがある。こうのとりは秘密主義で有名な企業で、社内から自社工場に至るまで、一般の人びとはおろかメディアへの公開すら一切行っていない。だから工場を見学できるというのは非常に貴重な機会だったのだ。

 しかし、それ以来私は一度も工場へ行っていない。その後も何度か社内研修で工場へ行く機会はあったのだけれど、体調不良等様々な理由を付けて避け続けている。

 もう、二度と、工場には行きたくない。

「それでは本日も一日おつかれさまでした」

 毎日、終業時にも夕礼がある。こうのとりではワーク・ライフ・バランスを何よりも重視しており、基本的には残業が禁止されている。そのため、社員は全員9時ちょうどに出勤して、18時ちょうどに退勤する。

 従業員出入り口を通って退勤するときに警備員に会釈される。私も会釈を返す。この警備員は出勤するときにも会釈をしてくれる。一日のうちでコミュニケーションらしいコミュニケーションをするのはこのときだけだ。私は今日も業務上必要なことがら以外、一言も喋らなかった。

 また明日も私はここで働くだろう。また来週もここで働くだろう。来月もここで働くだろう。来年もここで働くだろう。10年後も、20年後も、30年後も、40年後も、50年後も。1世紀経っても働いているかもしれない。

thx :)