ポール・トーマス・アンダーソンとレディオヘッドのハネムーン

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 ポール・トーマス・アンダーソンとレディオヘッドは2000年代より2010年代の現在に渡って相思相愛の仲にあるーーと言い切ってしまっても決して過言ではないだろう。

 ポール・トーマス・アンダーソンは『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』(2007)、『ザ・マスター』(2012)、『インヒアレント・ヴァイス』(2014)、『ファントム・スレッド』(2017)と近年の映画において、いずれもレディオヘッドのジョニー・グリーンウッドをサウンドトラックに起用。一方のレディオヘッドも『Daydreaming』(2016)のMVを始め、トム・ヨーク+ジョニー・グリーンウッド『The Numbers』(2016)、『Present Tense』(2016)のライブ映像、ジョニー・グリーンウッド『Junun』(2016)のドキュメンタリー映画、Netflixオリジナルの『ANINA』(2019)などにポール・トーマス・アンダーソンを起用している。ポール・トーマス・アンダーソンの映画にしても、レディオヘッドのMVにしても、そのコラボレーションは相互補完的というに留まらない芸術的な効果を生み出している。

 以上のようにポール・トーマス・アンダーソンとレディオヘッド(トム・ヨーク、ジョニー・グリーンウッド)は非常に長きに渡る幸福なハネムーンを送っているまっただ中にあるのだ。

 本稿ではこの中でポール・トーマス・アンダーソンによるレディオヘッド『Daydreaming』のMVとトム・ヨーク『ANIMA』のMVを取り上げ、ポール・トーマス・アンダーソンとレディオヘッドのコラボレーションの必然性を考察していきたいと思う(『Daydreaming』のMVはYouTubeにて、『ANINA』のMVはNetflixにて視聴することが可能)。

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Radiohead『Daydreaming』
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Thom Yorke『ANIMA』

 ポール・トーマス・アンダーソンは『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』、『ザ・マスター』、『インヒアレント・ヴァイス』、『ファントム・スレッド』においては、いずれもアメリカ的な狂気のはての破滅を主題として映画を撮影していたが、レディオヘッド『Daydreaming』やトム・ヨーク『ANIMA』のMVにおいてはあたかもフランツ・カフカや安部公房のような不条理な夢の世界を主題として撮影している。

 『Daydreaming』と『ANIMA』において、主人公であるところのトム・ヨークは夢遊病者のようにあちこちをさまよい歩く。

 『Daydreaming』におけるトム・ヨークは病院、大学、家、コインランドリー、海、山などをつぎつぎと扉を開けながらさまようし、『ANIMA』におけるトム・ヨークは地下鉄の駅構内から謎めいた深層世界へとトリップし、やがて地上に戻ってくることになる。そして、まるで運命づけられたかのように、どちらのMVのラストシーンにおいても眠りにつくことになる。

 ただ、『Daydreaming』ではトム・ヨークは終始一人きりであてもなくさまよい歩いていたのに対し、『ANIMA』では他者との邂逅があるというところは決定的な相違点として挙げられるだろう。

 これは『Daydreaming』が撮影された時期と『ANINA』が撮影された時期のトム・ヨークのプライベートにも関連づけられるかもしれない。実際、『Daydreaming』の時期にはトム・ヨークは20年近く連れ添ったパートナーであったレイチェル・オーウェンとの離婚を経験しており(レイチェル・オーウェンはその後亡くなる)、『ANINA』の時期にはデジェイナ・ロンチオーネ(『ANIMA』にも出演している)との交際を始めている。しかし、そういったゴシップ的なネタは『Daydreaming』『ANINA』の本質ではないだろう。

 一旦の結論を出すとすれば、『Daydreaming』がクローズドだとすれば『ANIMA』はオープンである、という定義付けもできるかもしれない。

 しかし、クローズドであれオープンであれ、トム・ヨークはやはり夢遊病者のようにさまよい、ラストシーンにおいて運命づけられたかのように一人きりで眠ることになるだろう。そして全ては夢か現か、誰にも知ることはできないのである。

 ポール・トーマス・アンダーソンとレディオヘッドがコラボレーションする必然性は、要するに「狂気の増幅」というあたりにあるのではないだろうかと推測する。

 実際、『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』、『ザ・マスター』、『インヒアレント・ヴァイス』、『ファントム・スレッド』においてはジョニー・グリーンウッドのサウンドトラックがアメリカ的な狂気のはてに破滅する人物たちの病を際立たせていたし、『Daydreaming』、『ANIMA』においてはトム・ヨークの狂気が夢遊病者的な歩行という映像において浮き彫りにされていた。

 「狂気の増幅」をこころみたはてにいったい何があるのかはわからない。しかし、それは一種この21世紀の世界の合わせ鏡的なものなのかもしれない。あるいは病的なまでに普及してしまったインターネット社会のメタファーと言ってしまってもいいかもしれない。

 ポール・トーマス・アンダーソンとレディオヘッドはこの誤った「現在」をより正しく描くために、コラボレーションする必要性があったのだ。

thx :)