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レミング(第一部)

 クラスメイトが自殺した。

 藤原というそのクラスメイトは、元々クラスの中ではアウトサイダーみたいな存在だった。アウトサイダーとは言っても、いわゆる「ヤンキー」みたいなタイプではない。どちらかといえば暗くて、湿っぽくて、いつも休み時間には哲学書とか科学本とかを読んでいるような、いわば「オタク」というタイプだ。私は直接藤原と話したことはほとんどない。ただ、藤原が日常的にいじめられている光景は何度も目にしていた。藤原をいじめているのもまた、「ヤンキー」というタイプの人種ではなかった。体育会系の部活に所属し、先輩や後輩や同学年の間でも人気があり、教師や父兄からも一目おかれて評価されているというタイプの人々だ。藤原がなぜいじめられるようになったのかにはいくつかの説があったけれど、私にとってはそのどれもが真実味がないように感じられた。例えば私が耳にしたところでは「藤原がSNSの裏アカウントで公開していたオナニー動画を拡散されたから」だとか、「藤原がマッチングアプリに登録している気持ち悪いアカウントが発見されたから」だとか、「藤原がクラスのグループLINEで特定の個人(体育会系の誰かしら)を名指しで批判したから」だとかいう説が有力視されていたけれど、私はいずれの説においてもソースやエビデンスを確認できなかったし、ほとんどフェイクニュースみたいなものだと思っていた。恐らくは「いじめ」の主犯格であるところの体育会系の誰かしらが適当な説をでっちあげて「いじめ」を正当化しているだけなのだ。

「ニーチェなんて読むんだ」

 私が休憩時間にフリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』を読んでいると、藤原が突然声をかけてきたことがあった。私はびっくりしてしばらく何も返事ができなかった。そもそも他人と話すことに慣れていないし、藤原が誰かとまともに話をしているところなんて見たことがなかったからだ。それに藤原と話しているところを誰かに見られるのも何となく嫌だった。なぜなら、それは私まで「いじめ」のターゲットにされるかもしれないということを意味するからだ。私は何と返事をしようか迷った。

「ウィトゲンシュタインが好き。『論理哲学論考』は読みやすい」

 藤原はそれだけ言ってしまうと、また自分の席に戻っていった。なぜ私に話しかけてきたのかは謎だったが、恐らく他に本を読んでいるような人間がこのクラスには存在していなかったからだろう。授業の合間の休憩時間にわざわざ本を読むような人間は、こと地方の「自称」進学校においては奇人変人の類とされているのだ。そういう意味では私も藤原も「奇人変人」という同じカテゴリーに属していたのだと言えるかもしれない。

 坂本という人物が藤原に対する「いじめ」の主犯格とされている人間だった。坂本は野球部のスター選手で(4番でピッチャー)、親が金持ちで(詳細はわからないが企業経営者という話だった)、カースト最上位の美しくて賢い恋人がいて(松井というチアリーダー部の部長で親は市議会議員)、セックスの経験人数は数えきれないほどで(このエピソードに関してはどこまでが本当でどこまでが嘘なのかがわからない)、とにかくクラスのみならず学校全体の中心人物といったような存在だった。

 坂本はいつもだいたい野球部のチームメイトたちといっしょにいた。それ以外のときはほとんど恋人の松井といちゃついていた。そして暇を見つけては藤原をいじめていた。藤原に対する「いじめ」のディテールを列挙し始めれば、もう際限がなくなってしまうくらいだ。殴る蹴るの暴行、罵詈雑言を浴びせるなどは当たり前として、恐喝して金銭を盗む、コンビニやスーパーなどで万引きをさせる、集団の前でオナニーをさせる、集団の前で排泄をさせる(さらにそれを本人に飲み食いさせる)など、とにかく人間が想像しうる限りのあらゆる残虐行為をしていた。私は坂本が藤原にしていることは「いじめ」なんかではなく「人道に対する罪」でしかないと思っていた。そして坂本などという人間は絶対的な「悪」だと考えていた。ナチス・ドイツのヒトラーやオウム真理教の麻原などと同じ「悪」だ。ヒトラーや麻原がホロコーストや地下鉄サリン事件を起こしたように、坂本もまた集団を洗脳して、特定の個人を決定的に損なっていた。私は直接的に坂本に何かをされたことは一度もないけど、間接的に見ているだけでもそんなことはすぐにわかる。坂本のような「悪」はこの世界のあらゆる場所に偏在しているし、どれだけ根絶させようとしても(絶対に)不可能なのだ。なぜならそのような「悪」は最初はあたかも「善」のような振りをして我々に近づいてくるし、その正体を見抜くのはどれだけ知性や理性のある人間にとっても困難なことだからだ。

 「#レミング」あるいは「#Lemming」というハッシュタグがいまSNS上で流行っていた。レミング(Lemming)とは鼠の亜種のような動物のことだ。この動物には集団自殺をする習性があって、ヨーロッパでは「群れになって海に飛び込む」という伝説が古くから知られてきた(しかし、近年になってレミングのこの習性は全くのでたらめであったことが判明している)。このハッシュタグはレミングのそういった神話的な習性に由来していて、要するに自殺あるいは自傷行為によって連帯しようとするムーヴメントだ。利用しているのはおもにメンタルヘルスに関する疾患を患っている人々で、ある有名なYouTuber(メンタルヘルス系の動画を多数配信している人気YouTuberだった)がこのハッシュタグを作成して拡散した。最終的にこのYouTuberはライブ配信中に首吊り自殺を決行し、メンタルヘルス系の界隈では伝説的存在の一人になった(一部のネットニュース・メディアでも取り上げられた)。現在ではそのYouTuberの自殺はインターネットではよくある事件の一つとして完全に忘れ去られたが、ハッシュタグだけは新型のウイルスのようにしぶとく生き残り続けた。藤原は自分のSNSアカウントでこの「#レミング」「#Lemming」というハッシュタグを日常的に使用していた。中には自傷行為や自殺未遂をほのめかすような投稿もあった。

 そして、藤原はついに本当に(本当に)死んでしまったのだった。

 藤原の自殺配信が始まったのは週末の深夜だった。私は藤原のアカウントをフォローしていたし、投稿があったり配信がされたりしたときにはすぐに通知が来るように設定をしていた。だから藤原が自殺配信を始めたときにはすぐにスマートフォンに通知が来た。

「もしもし、マイクテスト、マイクテスト。ワン、ツー、ワン、ツー。聞こえますか、聞こえますか」

 藤原の配信はいつも動画配信だった(音声配信のみということもまれにあった)。基本的に顔をあえて隠すようなこともしなかった。藤原はその日の配信でもいつもと同じような格好で世界中に顔を公開していた(ザ・スミスのTシャツにハーフパンツ)。藤原はひと通りマイクテストを終えると、音楽を流し始めた。ザ・スミスの『ザ・クイーン・イズ・デッド』というアルバムの一曲目だ(私もザ・スミスのファンだったからすぐにわかった)。「Life is very long, when you’re lonely(君が孤独なとき人生というものは果てしなく長い)」とモリッシーが歌っている曲。

「サロです。こんばんは」

 サロというのは藤原のアカウントの名前だ(イタリアの町の名前に由来していると以前サロ=藤原自身が配信で話していた)。

「みなさん、もう夜も遅いのに見に来てくれてありがとう」

 確かにサロの配信には深夜にも関わらず10人ほどの視聴者が集まっていた。コメントも続々と付き始めている。

「私、今日こそ自殺しようと思っていて」

 サロはこの間からいつも同じことを言っていた。そして自傷行為や自殺未遂を繰り返していた。

「色々考えたんですけどやっぱりカッターナイフで手首を切るのがいちばんいいかなって思ってます」

 サロはそう言って腕をカメラに向けた。無数の傷跡があった。坂本たちにやられた「根性焼き」の痕と思われるものもあった。

「『13の理由』ってドラマでも見たんですけど、手首を切るのに最適な場所ってやっぱりバスルームなんですよね」

 サロはカッターナイフを手にとって移動し始めた。カメラが揺れる。サロ=藤原の顔を下から見上げるようなアングル。サロがひそひそと何かを囁くが何を言ってるのかまでは聞き取れない。

「バスルームに着きました。お湯を溜めます」

 サロの自宅のバスルームが映る。コントロールパネルのスイッチが押されて湯が出てくる音がする。湯が溜まるまでの間、サロはザ・スミスの音楽に合わせて歌を歌っている。

「親はいつも通り今日もどちらもいません」

 サロの両親はもう離婚寸前の状態でほとんど家庭内別居に近い形態で生活をしているらしかった(サロが以前に配信で言っていた)。父親も母親も家庭の外に愛人を作って不倫をしていてめったに自宅には戻ってこないという話だ(これもサロが以前に配信で言っていた)。

「クソどもが」

 カッターナイフを出したりしまったりする音。

「本当に死ねばいいのに」

 またカッターナイフを出したりしまったりする音。

「どうして私の方が死なないといけないんだろう」

 サロはそう言ってしばらく沈黙する。モリッシーの声と浴槽に湯が注がれる音だけがバスルームに響く。やがて「お風呂が湧きました」という機械音声が流れる。「お風呂が湧きました」と機械音声は繰り返す。

「それではいまから自殺していきたいと思います」

 サロはYouTuber風にそう言って微笑む。サロは服を着たまま風呂に浸かる。スマートフォンを浴槽の縁に置く(ここから先は真っ暗な画面で進行する)。

「温かい」

 そしてサロは恐らく右手で持ったカッターナイフを左の手首に当てる。「ああ、痛い」という声が聞こえる。その後「痛い」と何度も繰り返し言う。時折「ああ」とか「うう」とかいう声も聞こえる。

「みんな、怖いよ」

 サロは恐らくそこで一度カッターナイフを持った手を止める。呼吸が荒くなっているのがわかる。

「でも、安心する」

 そしてもう一度リストカットが始まる(サロが再び苦しそうに声を上げだしたことでわかる)。コメント欄がヒートアップし始める。

「サロさん、大丈夫ですか?」

「大丈夫じゃなさそう」

「死なないで」

「生きてたらいいことあるよ」

「サロさん、LINEしよう」

「サロさん」

「ひといきにやれ」

「まだ死なないんですか?」

「死ね」

「さっさと死ね」

 つぎの瞬間、サロは笑ってるのか泣いてるのかわからないような声を出す。言葉にならない言葉が聞こえる。そして「ごめんね、ありがとう」と言う。それからしばらくの沈黙がある。コメントだけが次々と投稿されていく。「やばい」「まずい」「もしかして本当に自殺した?」「本当に死んだ?」「警察か救急に連絡した方がいいんじゃない?」「誰か通報して!」。しかし、配信はタイムオーバーになって自動的に終了する。後には「ご視聴ありがとうございました」のメッセージだけが残る。

 それがサロ=藤原の最後の配信だった。

thx :)