存在

 存在している。私という存在が存在している。存在について書くことは決して簡単ではなく、むしろ困難なことではあるけれども、私はいまから私が存在しているということについて、できるだけ明確かつ平明な文体で書いていきたいと思う。

 たとえば、私はいつから存在していたのかというところから話を始めるとする。もちろんそれは私が生まれたときからだろうという人がいるだろうが、そもそも「私」という存在が生まれた瞬間というのはいつなのだろう。父の精子が母の卵子に着床した瞬間か、それとも私という人間がおぼろげながらも胎内で形づくられてきた瞬間か、あるいは産道を通ってこの世界に生まれて産声を上げた瞬間か、いずれの場合でもありえるし、いずれの場合でもないという気がする。

 あるいは小説を読んでいるときや映画を観ているときはどうだろう。もちろん当然の前提として、まず私という存在があり、フィクションとしての小説や映画という存在があるわけだが、誰しも経験したことがあるように、フィクションを読んだり観たりしているうちに、だんだんとフィクションの主人公と自分とを重ね合わせてしまう瞬間というものがある。言ってみれば実在の存在である私と、虚構の存在であるキャラクターとが、二重の存在になっている状態だと言えるのではないだろうか。そのとき、「私」という存在にどのような影響が発生しているのかという問題は、「存在」という定義について考え直す上で非常に興味深い問いを含んでいるように思う。

 と、ここまで書いてきて早くも私はこの詩を書くこころみに飽きてきてしまった。私にはどうやらこのような散文詩のスタイルはフィットしていないらしい。存在がどうだの、存在とは何だの、そんな話は哲学のフィールドで論じることであって、詩でこころみる主題ではないということだ。

 それでは、おやすみなさい。

thx :)