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出会っているからには

音楽が好きで、色々なミュージシャンの音楽に出会っているからには、その分、お別れしているものもあるのだな、と最近思うようになりました。
お別れの理由は、解散や引退と言った、ミュージシャン側の事情によるものもありますが、活動を継続している場合、どうしてだろう?と思ったときに、聴き手である自分が、「忘れている」という要素が大きいのかな?と思いました。音楽を聴ける時間も限られているし、投資できる金額も限られているからです。その中で好きなものをもっと深く聴きたいし、自分にとって新しいものも聴いて知りたい、取捨選択を迫られる中で、手のひらからこぼれてしまう、ただそれだけなのだと思います。

先月から、サブスクのお試しができるということで、半年間使ってみることにしました。本当に便利ですね。買わなくても借りなくても無制限に聴けますから。でも、はっと気がついたのです。その曲が好きかどうか、良いかどうか、判断に必要な時間が短くなっている・・・と。「あまり好きじゃないな」と思ったら、すぐに飛ばせるし、曲数も膨大だから、二度と聴かないのもザラだと思うのです。つまり、噛みしめれば噛みしめるほどハマる、「するめ楽曲」たちに出会いにくくなっているんだろうなあということ。

私が音楽を聴き始めた頃は、インターネットもサブスクもありませんでしたから、テレビや雑誌やラジオなどで情報を得て、お小遣いを握りしめてCDを買いに行ってました。月に1枚アルバムを買えるほどのお小遣いをもらっていなかったので、CDを買うというのが、とても貴重な行為でした。だから大事に聴きました。好きではないと思っても、何度も何度も繰り返し聴いて、慣れて、それで好きになったものもたくさんあります。きっと今の世代は、そういう経験ってしていないだろうし、YouTubeやサブスクがいくらでも新しい出会いを用意してくれるから、聴きたくないなと思ったらそれで終わりでも、何の躊躇もないんだろうな・・・とサブスクを使ってみて思いました。だって簡単ですもの。手に入れるために出かける必要すらありませんから。

そうなると、作り手にも変化が出てきて、イントロが短くなる、ギターソロがなくなる、このあたりは最近良く言われていることです。また、一瞬だけ切り取られた場合にも映えがよくなるよう、キャッチーに全振りしたりとか、あらゆる工夫がなされることでしょう。時代は変わっていくものですね。でも、便利になったことで、理解が深まっていないし、関係が浅くなっていってるような気がします。

サブスクの発展により、令和の新曲も昔の曲も、出会ってない人にとっては、フラットに新曲になるわけで、現在進行系のミュージシャンだけが比較対象ではなく、音楽全部が比較対象になっているようにも思います。

また、インターネットの時代においても、20年くらい前では、Wikipediaも存在していないし、確かにあの頃は、作品の背景とか作った人のこととかほとんど知らないまま、作品だけにどっぷり浸かっていたように思います。今からWikipediaを調べて、逆に「そうだったんだー」と答え合わせをしているような感じです。

そう考えると、今の時代は便利すぎて、なおかつ、ミュージシャンの活動が地方でもしやすくなったこともあり、音楽の母数が増え、もしかしたら、聴き手の方が迷子になっている、あるいは、探し当てるのが面倒な行為になっているのかも知れません。

何を言いたいのかがさっぱり分からなくなりましたが、自分は自分の好きを追求しながら、出会いを大切に好きなものを大切に音楽を聴いていきたいと思います。また好きになった何かや、思い出した何かはここに記して行く所存です。

本日もお読みくださり、ありがとうございました。

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