人間はなぜ死ななければならないのか

なぜ死ななければいけなのか考えたことがあります。私はこれが鵜呑みにできなかったんです、人間が死ぬことが。人間が死ぬ理由はどこにあるのか。私はこの思いに忠実であるべきだと思いました。死ぬことについて世間の人間はとんでもない考え違いをしているんではなかろうかと考えたんです。家庭を持ったり子供を産んだり仕事をしたり、何のためにそういうことをしているのか。結局みんな死んでいくんです。死んでいるために生きているんです。そうすると人間は何をしているのかということです。この地球もやがて消えてしまうに決まっているんです。人間が一人も住めなくなる時がやってくる。戦争によってそうなるか、気候の変化にそうなるか、それはわかりませんが、とにかく地球上から人間の生活が消えてしまうことが必ずありますよ。そうすると人間の歴史はなんのためにあったのでしょうか。これを現在の学者は真面目に考えていないんです。政治家も宗教家も真面目に考えていないんです。酷いもんですよ、今の指導者というのは。実に無責任ですね。60、70の指導者があと30年くらいで死にますが、死んだ後は勝手にせえという考えでしょう。今の文明の指導者はこんな奴ばっかですよ。実に無責任なもんです。今の文明なんて信じないでいただきたいです。みなさんはそういう悪い世の中に生きている。日本という国柄はいいんですが、人柄が大変悪いですよ。日本人は神という観念を持っていません。靖国神社にお参りにいくというかもしれませんが、あれは政治のデモンストレーションです。日本人は現世の常識を信じすぎているんです。現世の常識は五蘊なんです。人間は与件で生きています。与えられた条件ですね。男であることが与件です。西暦何年に生まれたということが与件です。存在の根底は与えられた条件です。これを被造物というんです。神は天地を司ると言いますが、皆さん方は信じても信じなくても神に司られて生きているわけなんです。知ろうが知るまいがです。みなさんの命は神にあるのです。みなさんは命を与えられているものであって、自分の命を自分で作り出したのではありませんよ。私たちの人生に目的がないと言うのであれば、それは人間の常識に従って考えているんです。大乗仏教には人間の目的は書かれていませんよ。般若心経にも書かれていません。空を悟れとは言っていますが。羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦とは言っています。般若心経は『行け行け頑張れ頑張れ』と言うがどこへいけばいいのやら。それが般若心経には書いてない。悟りはあるが完結が般若心経にはない。そこで宗教ではない聖書を勉強せざるをえないのです。みなさんは人間として何をなさねばならないのか。それを現在の生きている人間の常識に基づいて考えるか、常識で生きている人間を乗り越えてものを考えるか。現在生きている人間だけを考えればこれはくだらないものですよ。常識的に生きている人間は目的なしに生きています。日本人は神を信じない。日本人が信じている神はシャーマニズムの神であって、紙屑みたいな神です。常識で考えないで、ハンニャハラミタで考えませんか。常識を認めない立場に立とうと思いませんか?

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