イエスキリストに肉の思いはなかった

神がイエスを十字架につけることによって、すべての人の中にある自我意識と現象意識を完全に消してしまったんですよ。イエスには肉の思いがなかったんです。悪魔から見たら、イエスが肉の思いで生きているように思えたんです。悪魔から見たら。そこで、イエスを殺したら私が勝つんだと悪魔は考えた。ところが、イエスには肉の思いはなかったので、悪魔がイエスを十字架につけたというのは、自分の思い(悪魔の思い)で十字架につけて、悪魔を否定することになりました。悪魔自身を十字架につけてしまったということ。これに悪魔は気がついて後から地団駄踏んで悔しがっていますよ。悪魔の思いが十字架につけて滅ぼされてしまった。とんでもないことを悪魔はしたことに後から気づいたんですね。でも、後の祭りですね。完全に悪魔は負けました。勝ったのは神の処置であり、イエスキリストです。

8:1こういうわけで、今やキリスト・イエスにある者は罪に定められることがない。 8:2なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の法則は、罪と死との法則からあなたを解放したからである。 8:3律法が肉により無力になっているためになし得なかった事を、神はなし遂げて下さった。すなわち、御子を、罪の肉の様で罪のためにつかわし、肉において罪を罰せられたのである。 8:4これは律法の要求が、肉によらず霊によって歩くわたしたちにおいて、満たされるためである。 8:5なぜなら、肉に従う者は肉のことを思い、霊に従う者は霊のことを思うからである。 8:6肉の思いは死であるが、霊の思いは、いのちと平安とである。 8:7なぜなら、肉の思いは神に敵するからである。すなわち、それは神の律法に従わず、否、従い得ないのである。 8:8また、肉にある者は、神を喜ばせることができない。 8:9しかし、神の御霊があなたがたの内に宿っているなら、あなたがたは肉におるのではなく、霊におるのである。もし、キリストの霊を持たない人がいるなら、その人はキリストのものではない。 8:10もし、キリストがあなたがたの内におられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、霊は義のゆえに生きているのである。 8:11もし、イエスを死人の中からよみがえらせたかたの御霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリスト・イエスを死人の中からよみがえらせたかたは、あなたがたの内に宿っている御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも、生かしてくださるであろう。

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