適当なヤツ
誰のことか?
無論、私のことである。
noteの存在をすっかり忘れて、ふわふわと生きてしまっていた。
先程、知り合いがXにnoteを貼り付けていたので記事を読んでいた。ふと画面を見てみたら、右上に通知マークがどでんと居座り何かを伝えている。
確認すると、3月末までにnoteを書けば4ヶ月連続投稿ですよ! と意味不明の焦燥感をなすりつけようとしてきているではないか。
もちろん、そんなもの狙っていない。
しかし、いい機会なので何か書いてみようと思った。
最近私は、Xにおいて徹頭徹尾ふざけてやろうというキャンペーンを張っている。
またくだらんことを始めたなと思う人もいるかもしれないが、一応私なりに意義を持って行動しているつもりだ。
Xではいさかいが多い。
私は本気で嫌気がさしている。
だから、くだらんポストを一つでも多く流し込んで、闘争に溺れた弱い人心を浄化してやろうという魂胆なのだ。
当たり前だが、実効性があるなどとは思っていない。アンチテーゼのポーズをとっているだけだ。
私の心の中など、知っててくれても知らなくてもどちらでもいい。結果として楽しい気分にお互いなれればいい。
どうでもいいことを急に始めたり止めたり、自分でも持続性、一貫性に欠けると思っている。
それは一言で言えば、私が適当なヤツであるからなのだ。
やりたいと思ったらやるし、なんか違うなと思ったら止める。
結構ハッキリしてるんだけど、 周りからみれば風見鶏に映るようで、適当なヤツとのそしりを受け続けて二十余年。
さて、こんな記事に意味があるんだろうか?
適当気ままに書くとオチがつかないのが玉に瑕だ。
ところで表紙の絵は、
なんの関係もない。
もちろん、なんの関係もなさそうなイラストを選んだからだ。
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