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0212「人類の第4の欲求」

帰ってくるのが結構遅かったので、また抹茶を飲みながらいろいろやっていた。結局眠れなくなって明け方に就寝して起きて抹茶を飲んで作業をする。わりと気持ち悪い。その上に、年末から続いている問題のとどめのような腹立たしい連絡が来て最高に腹を立てつつ、ずっと続いているニューヨークの案件で問題というか進行管理の齟齬が発生して追い詰められ、さらに辛くなった。抹茶の飲み過ぎなのか、単純に疲れているのか、ダイエット中で幸福度が下がっているのか、なかなかしんどい。そして、1を聞いて10を察しなくてはいけないようなコミュニケーションが続いて、期待に応えられなくていちいち落ち込む。そういうのは疲れていようがいまいが向いていない。

昨日も友人に力説してしまったのだが、私はハゲていて、基本的にそれを良かったと思ったことはほとんどないと言っていい。そのうちハゲとしての処世術についてここで書こうと思って、というかもう書いてあるのだがなんか本当に意味がない文章なのでまだ公開していないのだが、それの序章として正月に公開した日記があって、そこにも書いてあるが、これは特に何もいいことがない。

ところが、何年かに一度、まれに「あー、ハゲてて良かったー」という瞬間があって、それは長時間自分の頭皮が日光にさらされて数日経ったくらいのタイミングで発現する。つまり、自分の頭を日光に暴露して、数日後に「収穫期」が訪れる。つまり、ハゲた頭皮を日焼けさせ、その頭皮をはがすことができるタイミング、それがこの「収穫期」であり、ハゲている人間にとって最も幸福な時間だ。

うちの次男はいま4歳、やんちゃではあるが、父や兄より合理性を持った、ちょっとしっかり者のかわいい子に育った。しかし実は私はこの次男が生まれた直後の思い出がちょっとあやふやである。長男のときは、そこがどんな病院だったか、看護師さんがどんな人だったかを結構覚えているのだが、次男のときは、それ以上に、別の思い出に支配されている。

次男が生まれた日は、長男の運動会の4日後、つまり、日焼けした頭皮の「収穫期」真っ只中だったのだ。

収穫期はとにかく気持ちいい。気持ちがいい。頭皮というのは日焼けするとだんだん自分にとって異物化していく。軽いやけどみたいなものなわけであって、自分の皮膚から徐々に剥離していき、その下に新しい頭皮が生まれる。その際に、焼けて乾いた頭皮を通して皮膚呼吸が阻害される感じがする。いつもは空気に触れている頭皮の毛穴がちょっと塞がれたような感じだ。

そして機が熟すと、その乾いた頭皮が、剥がれ始める。正確には、頭を触ったときに、「あれ?」みたいな引っ掛かりを感じる。そして、その引っ掛かりを指でつまんで、「つにゅーーーー」っと慎重に動かしていくと・・・「ぺりぺりぺりぺり!」っと頭皮が綺麗にむける。非ハゲの方々も、肩とか首とかで、日焼けした肌の皮がむける状態は体験したことがあるだろうが、もう全然違う。次元が違う。きれーーーーいにむける。そして、むけたところから「フワーーーー」っと皮膚呼吸が復活する。「あっ・・・・!」、「ピアノの森」で主人公の素晴らしいピアノ演奏を聴いた人々が、目をつぶると森に連れて行かれるようなシーンがあったような気がするが、あんなような感じの状態になる。「あっ。あっ。」どんどんむけていく。そして、むけた頭皮が前頭部(おでこ)に差し掛かるくらいで、頭皮はVの字模様を残して「ジャッ!」と剥がれる。

これはもう最高に気持ちいい。何物にも代えがたい涅槃みたいのがそこにある。食欲・性欲・睡眠欲・「日焼けした頭皮剥がしたい」欲が並列に4つ並んでいても、私は受け入れてしまうと思うし、今もこの文章を書いていて、「あっ・・・・!」みたいになっている。「サウナしきじ」の水風呂を想像するだけで「ととのう」のと同じだ。

次男が生まれた日は、まさにこの収穫期の最中、しかもその数日前の運動会が快晴で炎天下だったゆえに、超豊作だったので、今でも妻に「あの日、あなたは新生児に目もくれず、ずっと頭の皮をむいていた」と糾弾される。そして自分自身も、結構、あのときの豊作体験は忘れられない。

いま、ニューヨークでこの「ハゲ頭皮むき」の追体験ができるようなイベントを開催できないかと思って考え始めている。それについてはまた改めて発表したいと思う。

落ち込んで辛いときだからこそ、良いことを考えて、日記に書いて、気持ちを前向きにアジャストする。これが、「丁寧な暮らし」ということなのだと思う。