0816「モブキャラ」

打ち合わせをやって打ち合わせをやって打ち合わせをやって、取引先の飲み会に行って、まあそこそこ週末に持ち越しているが、いったん日本のお盆週を終える。お盆のくせに、壮絶に忙しかった。先週はお休みとはいえ、父と息子とタイに行っていたので、ややゆっくりできるとするならば今日明日かもしれない。

取引先の飲み会はとても楽しかった。7月に日本に来てから、「なるべく人と差しで飲む」ことをコンセプトにしていろんな方の話を聞いてきたが、久々に人数が多い飲み会だったので新鮮だった。学生の頃サークルとかで行っていたような、渋谷の「ちとせ会館」の地下とかで行われていたようなゲロ臭い飲み会なんて随分やっていないなと思う。

初めて一気飲みを強いられたのも、気持ち悪くなるほど飲んだのも、ちとせ会館の地下だった。なんか、いつもちとせ会館の地下の広い空間の一番奥の無骨なエリアでピッチャーのビールを飲んでいたような気がする。ああいう、グダグダな青春ぽい飲み会をずいぶんやっていない。あの頃は頭髪もあったし、良かった。あの頃は、自分がこの世の中の主役なのだと思っていた。

すごい人たちとばかり仕事をしていて、自分と比較してすごく落ち込むとともに、感動してしまう。「なかなかつくれない」ものは見ていて気持ちいい。自分みたいのが週末に休んでて良いのか、とか焦ってしまう。

「このレベルの技術仕様書はなかなかつくれないよね」とか「このレベルのプロトタイプはなかなかつくれないよね」とか「このレベルのファイナンスシートはなかなかつくれないよね」とか。自分がつくったものが「なかなかつくれない」ものとして評価されるのはとても嬉しいことだし、人がつくった「なかなかつくれない」ものを目にするのはとてもエキサイティングなことだ。

私はいろんな場面における自己肯定感がすごい低いくせに、若いうちからハゲ始めたりしてとっくにメインストリームからは外れていたにも関わらず、依然として「なんだかんだ言って自分でやればどうにかなる」とか「なんだかんだ言ってこの世の中の主役は自分なんじゃないか」と思ってきたところがあるが、最近すごい人と仕事をしていると、「ああ自分はモブキャラだったのかも」とか「モブキャラとまでいかなくても、この世界の中では『メガネくん』レベルの脇役なのかも」とか思うことが多い。たぶん、この歳になってやっとそういうことを思えるようになったのだろう。

これが、中年というものなのか。これが、老いというものなのか。よく妻と、「おじいちゃんというのは、いつどういうモチベーションで一人称を『わし』に変更するのだろうか」みたいなことを話すことがあるが、それはもしかしたら今なのではないか。

ニューヨークに帰る前に、ちとせ会館で飲み会をやりたいが、たぶん無理だろう。あの地下空間はまだあるのだろうか。あそこに戻ったら自分は主役に戻れるのだろうか。