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0810「2 minutes」

昨日書いたように20年ぶりにタイに来ているが、今回は父がいたりするのでバックパッカースタイルというわけには行かず、カオサン通りのどうでもいい安宿とかではなく、宿泊客が全員アメックスのプラチナを持ってそうな感じのこまっしゃくれた場所に宿泊している。

それが理由なのかわからないが、困ったことがあって、それは自分の「不寛容」だ。

20年前は、バックパッカーだったので、いろんな場所に、「不自由」を求めに出かけていたところがある。金をかけずに放浪する旅は、不自由の中に頭から突っ込んでいくような営みであるともいえて、そんな「不自由」を求めてタイにやってきた人が、トゥクトゥクの運転手に行き先や金額をだまされそうになったり、注文した食い物が全然来なかったりすることに文句を言うのは野暮というものだ。タクシー代をちょろまかされるのも、鉄道が1時間近く遅れるのも、そういった不便な体験そのものが旅なわけだから、そもそもそういうものなのだ。

「旅」というのはそういうものだ。

ところが20年経って、宿泊客が全員アメックスのプラチナを持ってそうな感じの場所に宿泊していると、いつの間にか意識が「旅」から「旅行」になってしまっていたりする。

昨日も、行き先を壮大に間違えたタクシーの運転手に腹を立ててしまったし、父が頼んだマンゴージュースが全然来なかったりすることに怒りを覚えたりしてしまった。チャオプラヤ川の渡し船も、ものすごい勢いで遅れる。この感じは初日からずっとで、「いつになったら来るの?」とか「いつ着くの?」とかタイの人たちに聞くと、必ず「2 minutes、2 minutes」と言って、すぐに来ることを強調するが、大抵の場合10分くらいはかかる。一度「10 minutes」と言われて嫌な予感がしたが、予想通り30分くらいかかった。

しかし、この「2 minutes」攻撃を楽しんでこそ、「旅」なのであって、後からこの旅のことを思い出して笑い話になるのはこういう「不自由」な体験なのだから、そこはとやかく言うものではない。しかし、意識が「旅行」に入ってしまうとそういうものに対して腹を立ててしまったりするようになる。「マイペンライ」の国であるタイなどにわざわざやって来て不寛容になったってどう考えても仕方がないのに。そんなのは、ハワイまで出かけて「暑い!」などとキレるようなものだ。

年を食うと、気づかないうちに、「旅」が「旅行」になってしまうことがある。そして、生きるということは「旅行」ではなく、どちらかというと「旅」なのだから、「旅」をすべきなのだ。