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0811「チョコレイトの答え」

タイの旅を終えて東京に向かっている。もうしばらく東京で仕事をして、ニューヨークに戻る。

20年ぶりのタイで、いろいろ印象に残ることがあった。変わっていたことと変わっていないことというのがあった。変わっていないことの1つは、国王がめっちゃ尊敬されていることだ。尊敬なのか、尊重なのか。どこのお店にもほぼ間違いなく国王の写真が飾ってある。街の汚い食堂とかにも飾ってある。招き猫とか神棚に近い感覚なのか、いや、日本における神棚などより高い頻度で飾られている。

変わったことの1つは、その国王が代替わりしていたということだ。とはいえ、先代のラーマ9世プミポン国王が亡くなったのが二年前とかなので、代替わりは最近なはずだが、馴染み深いメガネ国王だったプミポン国王の肖像の多くが、その息子のラーマ10世ワチラロンコン国王の肖像に差し替えられていた。

これは結構意外だった。というのは先代のプミポン国王という人物は、在位70年、ほとんどのタイ国民がプミポン国王以外の国王を経験していないレベルのスーパー国王であり、第二次世界大戦後の激動の時代を生き抜いたタイ王国そのもののような人だったからだ。実際、過去タイに行ったときにその尊敬されっぷりは実体験していたし、実際、尊敬されてもおかしくない行いをしてきた人に見えた。そんな偉大な先代だったからもっと先代を引きずっているのかと思っていたが、結構いろんなものが当代のワチラロンコン国王の肖像になっていた。

こういうのに対して日本はいろいろ複雑だ。戦前の、軍主導になる前の日本は、そんなにものすごい天皇万歳みたいなことではなかったとも聞くが、そうなってから戦中にかけては天皇天皇だった、というのは、直接見てないけどいろいろなところで描写されているのでそう理解している。

私が小学6年の正月に昭和天皇は崩御したが、当時の少年の感覚でいうと、たまに相撲を見にくるメガネの老齢の男性だったし、その人物がいかに尊崇すべき人物か、なんていうことは教育されなかった。

しかし、歳を重ねて近代史を学ぶと、あのメガネの高齢男性が、二・二六に満州事変、そしてなんと言っても太平洋戦争そのものに「かなりコミット」していた、良くも悪くも歴史上の超重要人物だったということは間違いのないことだ。自分自身の政治的な見解は書かないが、どんなお店や家でも拝まれうるほど、戦後の天皇というのはシンプルな存在ではなかったのだろうというのは理解できる。

で、プミポン国王が国の象徴としてしっかり尊崇されてきたのはその影響力を考えても、そういうことなのかなと思うが、当代のワチラロンコン国王は、結構ファンキーな経歴を持った人で、三回離婚してたり、パーティーで当時の嫁を裸で踊らせたり、タンクトップに刺青ペイントに半ケツの格好で公衆の面前に現れたり、日本に来るときに愛人を連れて行こうとして怒られたり、日本で移動中にトイレが我慢できなくて、料金所のトイレを借りたり、そういうエピソードの枚挙に暇がなく、お父さんのプミポン国王が退位しなかったのも、この息子に王位を譲るのが不安だったから、という説もあったらしい。

しかし、そんなワチラロンコン国王、どっこい当代の国王として、かなり尊崇されているように見える。タイ王国には不敬罪が存在するから、もはや国王の行状に言及もできないということもあるらしいが、駅からも店からも、プミポン国王の肖像は徐々に消え、ワチラロンコン国王の肖像が取って代わっているように見えたし、全部プミポン国王の肖像だったタイの紙幣も、ワチラロンコンバージョンが出てきていて、かなりワチラロンコンになっている。タイ国王というのは、そういう意味で、タイ王国を代表するキャラクターなので、そういう意味ではワチラロンコン国王は立派に孫悟飯の役割を果たしているようにも見える。

で、ここでなぜか思い出したのは、以前、コンテンツ会社のチョコレイトの栗林さんがセミナーをやっていたときにバズっていた「チョコレイトの答え」で、そこで言われていた、「人格」がないと人気がついてこない、みたいな話だ。それはインフルエンサーとコンテンツを作る、みたいなことに結びつく話だったが、プミポン国王にしろ、ワチラロンコン国王にしろ、国というものを人格に委託して国民とコミュケーションしているのだな、と思った。

そう考えると、日本の天皇制も「国民の象徴」なのだから、アイデアとしては「チョコレイトの答え」状態だったはずだが、タイ王国ほどに国というブランドと密ではないように思えるのは、もしかしたら、、、と思ったが、怒られそうなのでやめる。こんな日記のせいで怖い人に怒られるのは嫌なので、聞きたい人は直接聞いてください。

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