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0702「『嫌だ』の転回点」

美術館の常設展示で、開館時間外の夜のうちに作業しなければいけないものが出たので、深夜まで待ってプログラムの差し替え作業をやる。急ぎでつくったBASSDRUMのウェブサイトのリニューアル版を公開しつつ、まだ載せられていない実績の整理とかをしていたら朝になった。子供が夏休みで送迎が無いので、少し寝坊できて助かる。

昨日申請した次男のパスポートを取りに役所に来たが、できると言っていた時間ぴったりに行ったら案の定できていない。こういうときに、時間をちゃんと守りたくなる日本人気質は損だ。

できるまで待つしかなく、作業ができる場所もなかったので、作業が止まる。すべき作業がPCと向き合ってやりたい作業ばかりだったので、困った。仕方なく、話題になっていた「ザ・ノンフィクション」の坂口杏里さんの回をYouTubeで観た。お母さんが大女優だった坂口さんがホストに金を使いすぎて芸能界を引退して、AV女優だったり風俗嬢に転身しながら、自殺未遂などもして、借金を返す、という状況を描いたドキュメンタリーだ。アメリカの役所で見るものでもない気もするが、こういう番組は好きなので全部観た。あんまり特別な感想はなくって、これは坂口杏里さんに限らず、わりと色んな人たちがはまってしまっている穴だなと思った。

人間っていうのは、空転してしまうことがある。嫌なものに嫌だと言っていると、ある日、その「嫌だ」を受け止めてもらえなくなることがある。自分にも経験はある。「嫌だ」と拒否権を発動すればするほど、それが他者に受理されれば受理されるほど、そこまでに貯金した実績とか名声とか、そういったものが目減りして最終的にはゼロになる。ゼロになってしまうと、その人の「嫌だ」は、取り合う価値のないものになってしまう。

私も「嫌だ」「嫌だ」でやってきてしまっているところがあるので、そういう瞬間が来て、相手にされなくなってしまうことがあるのがよくわかる。ところが、「嫌だ」を通すことでつくれるものもあるし、言えることもあったりする。「成功」している人というのは、拒否権の行使と非行使のバランスが良いよな、と思う。相手にされなくなるギリギリのところで、「嫌だ」をやめる。それ以上「嫌だ」すると人が離れるギリギリの瞬間で転回するような人が、良いものをつくり続けられるような気がする。

そこで転回せずに、「嫌だ」を続けた後、誰もいなくなってから転回することになると、ものすごい荒涼とした道のりを歩まなくてはならなくなったりする。坂口さんは、後年、またタレントとしてブレイクするような気がするが、ギリギリのところで大変なコースに入ってしまったのだろう。

自分も気をつけるべきなのか、そんなことを気にしないのが酔狂としての生き方なのか、人間には自分の人生を空転させる権利があるのかどうかはよく知らないが、「嫌」なものは少ないほうが人生お得だよなと思う。