0920「生きてるだけでイノベーション」
人間というものは多種多様で、実に白黒つかないものだ。ステレオタイプというのは、そのへんによくいる類型だからステレオタイプと呼ばれるのだが、人間というのは全員違う人で、全く同じ人というのはいないから、ステレオタイプというのはあくまでばっくりと近い属性を持った人を括ってしまっているだけの方便だ。
なんて書くと難しい話になってしまうが、人というのはどうしても他者を類型化して理解したくなるというのはある。「港区女子」とかそういうの。港区女子にもそのセグメンテーションの中でいろいろあるだろう。結局、港区女子といっても全員違う人々なわけであるから、「あの人は港区女子だから」なんて、予めセグメンテーションを設定して接するのは、仕事上必要な場合などを除いてはいろいろ損かもしれない。先入観というやつだ。
ここ数日、ずっとパワープレイしてしまっている曲というのがあって、正直困っている。何なのかというとこれだ。
仲良くさせて頂いている山中さんというプロデューサー・ディレクターさんが最近、株式会社米という会社をつくった。その「社歌」として、山中さんが自分でラップ的なものを展開している。侮ってはいけなくて、トラックは水曜日のカンパネラのケンモチさんらしい。すごい。
私は今まで、日本語でラップ的なものをやる一般人の扱いに困っていた。別に日本語だから悪いというわけではなくて、なんか、「すぐラップしたがる人たち」が苦手だった。そういう人たちって、ラップするときに突然「よしラップするぞ」みたいな感じでモードを無理やり変えるので、相手を構えさせるようなところがある気がする。プロだったらそれは彼岸の領域で「そもそもラップする人」として私達の前にいるので、まあそういうものだと思って相対することができる。
萩本欽一さんって、テレビとかで見てて、すごい周りの共演しているタレントさんに気を遣わせているというか、みんな欽ちゃんの世界観への違和感を見て見ぬ振りしてどうにか巻き込まれて共存しているところがある気がするのだが、「すぐラップしたがる人たち」はちょっと似たようなところがあって、なんか、気を遣わされてしまう。その代表的なものとしては、私にとっては、今井メロさんの「ガンガンズンズングイグイ上昇」だ。
ところが、この、株式会社米の社歌というか、山中さんのラップはちょっと新しい。なんだろう。なんか、「気を遣わせない」、現実世界からシームレスにラップをやり始めている感じというのが新しく、そんなことしたくないのに、なぜかSpotifyで無限ループしてしまう。いつのまにか、ニューヨークの街を歩きながら「株。式。会社米」とかつぶやいている。
社歌が出たのと同じ日に上原ひろみの新譜が出たのでそっちを聴きたいし、本当に勘弁してほしいのだが、どうしても社歌を聴いてしまう。しかし、山中さんの登場は、私の中で「すぐラップしたがる人たち」と人のことを囲ってきたことへの反省を促すことになった。
同じように、大関に復帰も決まり、9月場所を湧かせている関脇貴景勝も、新しいタイプの「あるセグメンテーション」からの例外だ。「無愛想な力士」の系譜というのがあって、古くは北の湖なんかが超無愛想で、その上に強すぎたものだから結構ファンが少なかったというのを聞く。自分の世代だと安芸ノ島がそうで、安芸ノ島は一時期金星上げまくっていた時期、インタビューで常に無愛想だった。この映像の3:20-くらいからだ。これはひどい。見ているとインタビュアーさんが「覚えていますか?」みたいなことを言い始めてかわいそうになってくる。安芸ノ島の場合はもうこれは、ある種、鉄仮面的な塩対応で、子供心に「こえー」と思ったものだ。引退してからの安芸ノ島は突然笑顔でしゃべるようになったりして驚いた。
貴景勝は、そんな無愛想力士の急先鋒として相当に無愛想な対応をしているが、なんかちょっと北の湖や安芸ノ島とは違う。無愛想なのにかわいい。貴景勝の無愛想というのは、鉄仮面的な無愛想ではなくて、怒られてしまうかもしれないが、「犬とか子供がウンコをしている時の表情」みたいな、憎めない無表情なのだ。是非、貴景勝の表情を改めて見て欲しい。これは新しいタイプの無愛想だ。
山中さんにしろ貴景勝にしろ、人間には無限のパターンがある。生きてるだけでイノベーションだなと思う。