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7/12-7/27 ブラインドタッチ練習用日記

7/12

昨日も書いたとおり先週は日本帰国に伴う隔離第一週というのもあり、現時点におけるアメリカからの日本入国のロールプレイングゲーム性というか、ユーザーエクスペリエンスについて書いてきた。あと最後の最後で突然相撲について話し出したりしたが、所詮この文章は目的としてはブラインドタッチの練習なので、まあ書くことはなんでも良いのだ。文字を入力することが目的化されているわけで、何かを表現することが目的なわけではない。

そんな中、ずっと東京の自宅で隔離状態にあり、今現在もようやく隔離二週目に入ってあと1週間だ、というタイミングだが、その間何もなかったということでも無くて、ちょこちょこいろんなことがあった気もする。

先週前半は、先々週だったかの日記にも書いたが、ニュージャージーで受験していた英検一級の二次試験の結果が出た。日記に書いていたように感触としては結構グダグダだったけどギリギリどうにかなったかなーというところで、予想通り結構ギリギリ受かっていた。学生の頃とか、英検一級とかどれだけ変態なんだと思っていたもので、自分が英検一級ホルダーになるとはあんまり思っていなかったし、別に今から就職をしたりするわけではないので、そもそも合格しても人に自慢する以外の用途があまりないが、昨年長男が英検二級を受けて合格した際の「いいなー。最近何にも『合格』してないなー。合格したいなー。」という羨ましさは成仏したと言える。自慢用途しかないと書いたし、実際自慢用途しかないので堂々と自慢するが、英検一級と言っても、全受験者の10%くらいしか合格しないもので、その上で結構な人は何回か受けてやっと受かるものらしい。初受験で一発合格するというのはなかなか大変なことではあるらしく、ギリギリではあったがなかなか自己肯定感が上がる。

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しかし明確に良かったのは、英検一級を目指して、一日20分英単語の学習をきちんとやったことで、「英検なんて所詮は試験だよ」という話はあるし実際所詮は試験なんだが、英検一級に出てくるようなちょっと変な英単語を頭に入れて定着させると、映画とかニュースとかの英語を聞いていて明らかに理解の解像度が上がるので、実用的な意味で非常に効果があった感じがする。英語の会議とかでもちょっとボキャブラリーが増え気味になっている感じはある。

そういう意味では所詮は試験なんだが、語学学習のマイルストーンとして試験というのは結構有効で、マイルストーンなくダラダラと学習するよりも、締め切りに向けて戦略的に勉強できる感じというのはあるので、これは今後もやっていこうと思った。というわけで、今度は生まれて初めてTOEICを受けてみようかと思うのと、中国語も秋口にHSKを受けてみることにした。

ちなみに私は以前書いたように、語学学習というのは仕事をオペレーションする上では意味がなくなってくる分野だと明確に思っていて、じゃあなんでやっているのかというと、そこにはまた別の理由があったりもするので、相撲で大きな事件がない限りそれを明日にでも書く。

7/13

相撲で大きな事件があったかというとなかった気がするので上で書いていた話の続きを書く。そんな長い話にはならない気もするが、海外の人と仕事をする、というのは多分2レイヤーがあって、一つは仕事をオペレーションする、というレイヤーだ。これは普通に先方からの要望やこちらから先方にやって欲しいことがはっきりしていて、なんらかの成果をあげるためにすべきことをスムーズにやっていけば良い、というレイヤーだ。これはもう正直なところ意味ベースの会話がスムーズにできれば良いので機械翻訳で全然済む。実際こないだも中国の工場とやりとりをしたが、機械翻訳で問題なく仕事ができた。

2つ目のレイヤーは、仕事をつくる、というレイヤーで、ここはそこそこ人間関係の構築が物を言う。日本人同士の仕事でも多くの場合そうではあるが、人間として信頼できるか、とか、話がわかるか、みたいなところの地盤があってこそ海を超えて言語を超えてでも一緒に仕事をしたくなるというものだ。しかし最近の機械翻訳は本当にすごい。割とそういう、感情ベースのコミュニケーションも多くの場合、機械翻訳で十分だ。テキストベースであれば結構成立してしまう。

DeepLは本当に素晴らしくって、かなりひねったニュアンスを持った表現でも、あまり誤訳せずに適切なニュアンスをもって翻訳してくれる。仕事をする上でも何をする上でも語学学習なんて必要ないのだ。

7/14

で、ここまで書いて、じゃあなんで語学をやるのかみたいなことを一応書いたのだが翌日になって読み返すと、嘘はついてないけどなんだかカッコつけたことを書いてしまっていてことさら公開するようなことではないなと思ったので封印する。まあ、趣味だということだ。

この自慢話と持論めいたものは終わりにして、隔離生活も今日で10日間だ。あと5日で、私たちより後に日本にやってきたバッハ会長のように娑婆に出ることができる。しかしこの10日間でも、アメリカと日本ではいろんな違いというか発見というものがあって、まあ飽きるけど、飽きない部分も割とある。

素晴らしいなと思ったのが、和製アーモンドミルクであるグリコの「アーモンド効果」だ。アーモンドミルクは、普通の無脂肪牛乳と比べてカロリーが1/3だったりするので、プロテインと混ぜたり、ダイエッターの代用牛乳としてはアメリカでは非常にメジャーな存在だ。しかし、アメリカのアーモンドミルクというのはあくまで代用牛乳というもので、大して美味しいものではない。銘柄によっては悪くはないが、まあそんな、好んでこればっかり飲みたい、とかそういうものでもない。ところが「アーモンド効果」は本当に素晴らしい。とてもしっかりとアーモンドの香りがして、代用牛乳などではない、アーモンドミルクという独自の価値を確立している。これならわざわざ「アーモンド効果」を飲みたくなる。牛乳よりもアーモンドミルクを好んで飲みたくなる、そんなアメリカには存在し得ないアーモンドミルクが「アーモンド効果」だ。

一方で、アメリカじゃないとないものというのもまああって、それはWalden farmsのカロリーゼロドレッシングやカロリーゼロシロップなどの、カロリーフリーシリーズだ。これもアメリカンダイエッターの強い味方で、私は毎日のように近所のスーパーで購入して使っていた。カロリーフリー的なものなので身体に良いわけはないのだが、とりあえずカロリーはないので痩せるには良い。日本からこのWalden Farms商品を購入するには輸入ということになるが、AmazonとかよりiHerbでまとめ買いして送料タダにして輸入するのが最安になりそうだ。ということで早速いろいろ購入して輸入してみた。アメリカで買ってきて運べば良かったのだが、重かったのでやめたのだ。

で、このWalden Farmsのストロベリーシロップを前述の「アーモンド効果」に入れて混ぜると、激烈に美味しいアーモンドイチゴミルク的なものができることを発見した。上品なイチゴの香りとアーモンド風味がシナジーを紡ぎ出す感じだ。こんなに素晴らしい飲み物なのに200mlで34kcalだ。これは良い。日米ダイエット飲料夢の競演だ。

今日から大相撲名古屋場所が終盤戦だ。いよいよ今日からドキドキする日々が続く。あと5日もあるのでまだまだわからない。許されるのなら今から名古屋に行きたい。


7/15

隔離11日目。だいぶ飽きてきたと同時に東京のタイムゾーンでの仕事の進め方には慣れてきて、業務がまともに進んでTODOリストが徐々に減ってくるようになってきた。

昨日の大相撲は相当にドキドキした。照ノ富士の相手は御嶽海であり、言わずもがな強敵ではありつつも、実は幕内復帰場所の昨年の7月場所で優勝を決めた千秋楽の一番以来、対戦成績的には圧倒している、というか多分9月場所に立ち合いでいなされた負けた一番以外は左上手を立ち合いからすぐに取ってねじ伏せている。ので、ある種攻略している相手ではあると思うのだが、前述の9月場所に負けた一番が、誰かも言っていたが先場所千秋楽の本割りで貴景勝に負けた際の、立ち合いからの撹乱いなし突き落としパターンに結構似ていて、一つの照ノ富士攻略パターンにはまっていたとも言え、すなわち御嶽海は照ノ富士攻略法を肌感覚で持っている相手ではある。怖い。

が、結果は御嶽海を問題にしない圧勝というか、ここのところの照ノ富士の相撲の中で一番左上手が早かったともいえ、序盤からいまいち自分の相撲で圧倒できずに相手に相撲を取らせつつどうにか勝つ形が多かった今場所の照ノ富士の自分の相撲が完成されてきたような感じにも見える。

場所中は相撲が終わると、元照ノ富士の付き人の駿馬さんや元幕内の若兎馬さんが照ノ富士を応援する応援動画が静かにアップされるのだが、昨日の応援動画の中でも、恐らく元十両の若天狼さんであろうカメラマンの方が「今日の相撲は完成されていた」と言っていた。このチャンネルは、照ノ富士を応援するあまりちょっと他の力士を腐しすぎるきらいがあるのがちょっとアレなのだが、それも愛の表出の形ではあるので、同調しながら毎日見ている。駿馬さんはもちろん、若天狼さんも元々同じ間垣部屋の力士で、照ノ富士が入門した頃に、例の大相撲最大の不祥事がらみで引退している人だ。つまり微妙に部屋での在籍期間もかぶっていたはずで、それもあってこんな愛に満ちた動画を企画して配信できているのだろう。駿馬さんは照ノ富士の前は確か若天狼さんの付き人もやられていたのではなかったか。

今日の取組相手は明生だ。明生というのは照ノ富士にとってとても大事な相手なのだと思う。というのは、この記事を読んだことがあるからだ。

これは、一昨年、照ノ富士が序二段で復帰してから幕下まで上がってきたタイミングでの記事だ。明生は、照ノ富士の同期で、一門も同じだ。復活の過程で胸を出してもらっていたらしい。当時の照ノ富士は明生に「早く近づいて恩返しがしたい」と言っている。そこから番付を上げていく過程で何度か明生とは取っているはずだが、確か負けていないはずだ。

そして何より感慨深かったのが先場所の初日、つまり、照ノ富士が大関に復帰した「大関としての再スタート、最初の大事な一番」、これが明生戦だったのだ。「これはなかなかの恩返しだぞ」と思ったものだ。

そんな中今日の一番。今日勝てば12勝。2敗力士は存在しないので、実は今日勝てば星の上では「準優勝確定」となる。横綱昇進の基準となる「優勝に準ずる成績」の定義はなかなか明確ではないものがあって難しいが、ここまで連続優勝していることを考えると、12勝で止まっても昇進の可能性はあるんじゃないかと思っている。そんな、大事な一番でまた明生だ。これはちょっと運命だろう。どっちも頑張って欲しい。


7/16

先週のこのブラインドタッチ日記を公開するのを忘れていたので今日公開しなければいけない。

昨日書いていた照ノ富士と明生は、照ノ富士が強い相撲できめ倒しで勝った。三場所で36勝なので星勘定的には横綱昇進でも大丈夫な数字にはなりつつあるが、実は、現理事長の北勝海以来、「14勝以上の成績を収めたことがない大関の横綱昇進」というのはなくって、その北勝海でも横綱昇進後には14勝しているわけなので、横綱というのは14勝以上できなくてはいけない存在であるというのはある気がする。パッと、大鵬あたりからの記憶を辿る限りでも14勝以上したことがない横綱というのは思いつかない。

それでいうと照ノ富士はここまで最高でも13勝までしか上げたことがなく、横綱昇進に向けて何かケチをつけられるとするともはやその辺になってくる。私は今場所の照ノ富士はかなりの確率で白鵬には勝てるとは思っているが、明日の高安がいつもながら正念場だ。今日の正代に勝てばどのみち14勝クリアの可能性は高いだろう。今日負けてしまうとなかなか大変。そういう意味では連日ながらドキドキする取組になる。この後半戦は、毎日のように何かをアンロックしていくような展開になる。

自分の隔離期間と名古屋場所の期間が完全にかぶっているので、今日が隔離13日目となる。ゆえに明後日が隔離千秋楽だ。隔離明け後どう生活を送るかなんていうことも考えなくてはいけない。いけないが、結構現場とかをはじめとした予定が詰まっていて、そんなにゆっくりともしていられなそうな感じではある。本当は明治神宮の新横綱の奉納土俵入りを見に行きたいのだが、それは難しいような気もする。

昨日は祝い事があったので、隔離ながら義理の母にケーキを買ってきてもらって、その上で大量のたこ焼きをデリバリーしてもらって食った。30個超のたこ焼きを食ったにもかかわらず、体重が増えなかった。もしかしたらいよいよ太りにくい身体というものを手に入れつつあるのかもしれない。

しかし、私たちより後に日本にやってきたバッハ会長は広島に行くだのなんだの日本観光を謳歌しているというのに我が家は祝い事のケーキも買いに行くことができない。これはなかなかヘイトが溜まるやつだ。日本のテレビを見ていると、聖火ランナーをおためごかしに称揚したり、あるいは感染者の増加にガクブルしてみたり、私と同じようにバッハ会長に腹を立てたり、なかなかアンビバレントな感じだ。なんというか、滑稽に感じてしまうほどアンビバレントだ。竹中直人の「笑いながら怒る男」みたいな感じだ。

先週末から「おかえりモネ」を消化し始めていたり、大河ドラマも移動のゴタゴタで三週分くらい貯めていたり、「三体」の続きを読めてなかったり、時間が足りないが、平日はもう全然無理だ。物理的にも忙しいし、精神的にも忙しいのであんまりコンテンツを丁寧に摂取する気にはならない。


7/17

よくわからなくなってくるのだが、東京にやってきたのが7/4なので、今日でそこから起算して14日目ということになる。ということは明日には出歩いても構わないのだろうか。あるいは次の日から起算して14日間だったか、よく覚えていないがもういい加減嫌にはなってきた。隔離が明けてもどうせ緊急事態だし、暑いし、そんなに色々出かける場所なんてないんだが、人間、同じ風景を目にし続けていると膿んでいくということなのだろう。ニューヨークでも大概外に出てはならない生活が続いていたのでまあ割とヘトヘトになってしまったり、酒量がやたら増えたり、バランスを崩したところも結構あった。まあそんな中バッハ会長は広島で広島焼を食っているのだろう。許せん。

梅雨は明けたのだろうか。東京にやってきた頃は梅雨梅雨した空気だったが、屋外では日本の夏が始まっているように感じる。なんだかそれに惹かれて、一日中ベランダで蚊取り線香を焚いて仕事をしてみた。ミンミンゼミの鳴き声も聞こえ始めた。そういうわかりやすいセミがいないアメリカ育ちの子供たちが「本物のセミだ!」なんて言って盛り上がっていた。

照ノ富士はとても大事な13日目、正代にうまい相撲を取られたところ、それでも落ち着いて勝利した。これは本当に価値のある勝利だ。横綱昇進を内定させるというだけではなく、ここで内定させたことで、横綱昇進を賭ける一番が天敵である高安戦、あるいは横綱白鵬戦になるという重い展開を避けることができたからだ。これで、高安にも白鵬にも思いっきりぶつかっていける、ということになるだろう。相撲というのは細かくフォローしていくとこの辺の機微が土俵で繰り広げられるから面白い。

何はともあれ、照ノ富士にとって、恐らく今場所最も重要な一番が昨日の一番で、今後の横綱人生を占う上で最も重要な一番が今日の高安戦。そして、照ノ富士の力士人生の中で最も重要な一番が、千秋楽の白鵬戦、ということになるだろう。折角ゆっくりしたい週末なのに、多分ずっとドキドキしっぱなしだ。

いつも時間を計りながらこの文章を書いていて、タイピングの基礎練と合わせてきっかり30分経ったら文章を締めるようにしているのだが、今日は何かちょっと考えてしまったのか文章量が少ない。

しかしそろそろ考えたことをブラインドタッチするという練習も大体できてきたので、日記じゃなくてちゃんとしたまとまった文章を書く練習に移っても良いのかもしれない。

昨日は少し酒を飲んだ。栗焼酎はアメリカではなかなか手に入らない。


7/18

調べたところ、隔離というのは到着した翌日から14日間ということらしく、つまり今日はまだ外に出てはいけないらしい。つまり今日が隔離千秋楽ということになる。まあどうせちょこちょこ仕事してみたり大相撲を見ているわけなので問題ないと言えば問題ない。隔離も千秋楽なら大相撲名古屋場所も千秋楽だ。

昨日の照ノ富士と高安の取り組みは、照ノ富士にとって今後の横綱人生を占う上で最も重要な一番と書いた。それ以前に先場所の髙安戦はとても重要な一戦。先場所の取組は、照ノ富士が高安という(白鳳以外では)最後の壁を攻略できるのか、しうるのか、ということを確認する一番だった。結果として照ノ富士が勝利したが、相撲の内容というか勢いで言うと高安優勢の一番ではあった。世の中的にも「先場所も照ノ富士危なかった」というムードがあった。しかし、先場所とその前の春場所で敗れた一番とではかなり内容が違ったと私は思っていて、先場所の一番は、低く当たって横から責められて照ノ富士の上体を起こしに行くという高安側の照ノ富士攻略の定石パターンを、自分も低く当たって身体を起こさない、というソリューションによって封じた一番だった。それを徹底できたから土俵際残ることができたし、そういう意味で一見高安優勢ではあった一番も、意外ときっちり照ノ富士の勝利だったよなあと考えていた。

じゃあなぜ昨日の一番が今後の横綱人生を占う上で最も重要なのかというと、まず、先場所構築した高安攻略法が再度通じるのか、あるいは進化するのか、ということを確認できる一番であったということと、こういった形で随時出現する難しい相手に対する照ノ富士の対応力というのが本物なのかどうかというのは、苦手中の苦手である高安に二場所連続勝利してこそ証明できると考えたからだ。

これから綱を張って場所を重ねていくと、新しい難敵が出現していく。それも相撲の面白さだ。たとえば、今場所幕下優勝を決めた北青鵬なんかは、「スーパー貴ノ浪」みたいな相撲を取る、今の幕内には存在しなかったタイプの力士だし、すっかり低迷しているが琴勝峰なんかもこれから化けていくことになるのだろう。そういう新しい相手に随時対応して壁になる、それが横綱の役割というものだし、それができるのが横綱という資格だ。ゆえに、横綱という地位に必要な「心技体」という言葉は深くって、そこまでできて「心技体」なんだろうと、既に30年以上相撲を見続けてしまった私は思う。そして、照ノ富士は昨日の相撲でその課題を考えうるベストな形でクリアした。そして、星の上でも横綱昇進に文句を言わせない状況をつくった。

そして今日は、照ノ富士の力士人生の中で最も重要な一番だ。ここで突然大胆な予想をしてしまうことになるかもしれないが、恐らく、今日の取組が、照ノ富士と白鵬の最後の一番になる。照ノ富士にとっては、平成29年春場所の14日目、琴奨菊をはたき込んで「モンゴルに帰れ」と言われた日からの長い物語の最終回が、今日の取組だ。今日の夕方までは死ねない。

7/19

今日から隔離が明けて娑婆に出れるので、いろいろと予定が入っている。2週間というのは長いものだ。すっかりそれなりに東京での生活に慣れてしまった感もある。この2週間は日本でしか手に入らないカロリーゼロゼリーやカロリーゼロわらびもちばっかり食って生きてきたような気がする。その間、折に触れて、義母が買ってきてくれたコロッケを食ったり祝い事でたこ焼きをめっちゃ食ったりとか、ダイエッターとして許されないことを何回かしたので、その影響もあって体重的にはプラマイゼロだ。この2週間の間に、一瞬過去最低体重を記録する瞬間もあったが、もう標準体重まであと3キロを切っているので、そうそう簡単には痩せない。

昨日の白鵬・照ノ富士戦について触れないわけにはいかないだろう。が、実は、照ノ富士については序二段での復帰の場所以来、たまに日記に書いていて、特に2019年当時に書いていた日記記事には毎場所書いていた気がするが、その後はまとまった記事を書いていなかった。照ノ富士が「復活」したら書こうと思っていた。で、昨年の7月場所の幕尻優勝なんかのときも、今年の連続優勝のときも、まだ復活じゃないだろうというか、照ノ富士は横綱になると思っていたので、そこまで待ってみようと思っていた。なので私は照ノ富士について別途記事を書かなくてはいけないのだ。

何はともあれ、中2になる直前の3月場所、千代の富士時代末期の大相撲に何故か魅せられて、以来30年以上、距離の取り方の変化はあったが大相撲を見続けてきたファンとして、生まれて初めて「推しが横綱昇進する」という、相撲ファンをやっていてもなかなか得られないカタルシスをこの歳で得ることができたのは、相撲ファンやってて良かった、ということにもなるのだろう。

昨日の一番は残念でしかなかったし、私は白鵬が現役続行的なコメントを残している今であっても、昨日の一番は最後の白鵬・照ノ富士戦だったんじゃないかと思っている。そのあたりは、月刊相撲の山口記者と同じ予感がしている。

ただ、たぶんこれが漫画作品だったら、この漫画は白鵬と照ノ富士が昨日の一番で立ち会い立った瞬間に終わるような気がして、作者(誰だ?)は取組を描かないような気がする。そこで切れて、「そして10年後・・・」となるような気がする。そのくらい、昨日の一番は、私の大相撲にとって「最終回」だった。最終回が終わってしまって、心にぽっかりと穴が空いてしまった感じがする。今日から何を支えに働けば良いのか。何を支えに生活をすれば良いのか。

最近、綿棒で耳の奥を耳かきすると、本場の豚骨ラーメンの匂いがすることがわかって、豚骨気分を味わうために耳かきばかりしている。窓の外はすっかり日本の夏だ。会社の屋上で燻製をやる生活がまた始まる。

7/20

それでもまだ一昨日の相撲の話を書くのだけど、昨日の時点までは、尊敬する横尾誠さんの論評に納得して、あの一番に込められた白鵬のメッセージ云々という考え方をしていたが、優勝後のサンデースポーツから一夜明け会見に至るまでの白鵬の言動を見るにつけ、一つの強い思いが去来してしまった。

それは何なのかと言うと、少なくともメディアから見え隠れする白鵬というか、ムンフバト・ダヴァジャルガルさんのキャラクターがはっきり言って嫌いであるということと、その性格が表出している白鵬の相撲のスタイルというものを受け付けないということだ。おまけに昨日は、私が大好きな茂木健一郎尊師のありがたい、アート思考礼賛、そうじゃない旧人類はうんこ的な、お前が一番うんこじゃねえか的ないつものやつが発動しててさらにイラッとしてしまった。ドナルド・トランプのTwitterが停止を食らった際には周囲のアメリカ人と同様、もうアレにいちいちイライラしなくて良いと喜んだものだが、茂木先生のTwitterというか発言がなくなってくれたらトランプのときと同じかそれ以上QOLが上がるだろう。別にフォローしてないしわざわざ見に行っているわけではなく、内容なんてちまたのクソリプと何ら変わらないというのに、メディアが取り上げるのだ。トランプと同様目に入ってしまう。そんな茂木尊師も白鵬の取り口は多様性の表出だとかなんとかそれっぽいことを言って礼賛しているが、これは単純な好き嫌いの問題だ。多様性関係ない。

なんで大相撲が好きなのかというと、相撲道という考え方というか美学を基軸に行動して戦う力士というものがかっこいいからだ。こんなの相撲に限った話ではなくて、よく比較されるプロレスにしたってそうだ。プロレスには受けの美学みたいなものがあるし、パフォーマーとしてのかっこよさがほとばしっている選手はたくさんいる。かっこよかったり愛せたりするからプロレスを見たくなる。音楽だってそうだ。その人の在り方が音に表出する。かっこいいものは聴く。どうでも良いものは聴かない。聴きたくないものは聴かない。

白鵬の相撲は、見ていても楽しくない。わざわざ過処分時間を使って観たいようなものではないのだ。単純に自分が好きになった相撲とは違うからだ。ベイビーフェイスとヒールみたいな話ではなくって、単純に元気を奪われる、できれば観たくないもの。


7/21

それでいうと照ノ富士と稀勢の里が優勝を争った稀勢の里新横綱の場所は、私もご多聞に漏れず稀勢の里を応援していた。客席からも稀勢の里コールが起こるほどの状況で、今では信じられないことかもしれないが、照ノ富士は客席のブーイングの対象だった。

同じ場所の14日目、大関陥落直後の場所で10勝5敗以上の成績での一場所大関復帰に向けてギリギリのところで戦っていた琴奨菊の再昇進の望みを断つ6敗目を、立ち合いからの変化で、しっかりと勝負することなく与えてしまった相撲は、多くの相撲ファンの顰蹙を買ったもので、その翌日が稀勢の里との決戦日。照ノ富士は「モンゴルに帰れ」などという酷い野次を飛ばされることにもなった。これは国際問題にすらなった。しかし私とて、この時の照ノ富士のような相撲は観たくないし、積極的に観る気もしなかった。

私は、たまたまその後の照ノ富士をかなり追いかけて休場して番付を落としていく間も注目をしていたのでその後の復活劇を全てリアルタイムで観るという僥倖に預かったところがあるが、じゃあその間幕内の相撲にどれだけ注目していたかというと、まあ追ってはいたがそこまで細かく楽しんではいなかったのだ。それは何でかというと、やはり白鵬という、大相撲の終わりを感じさせてしまう第一人者が幅を利かす世界に強い興味を持てなかったからだ。

2020年の大相撲は、この数年で一番面白かったと思う。それはなぜかというと、白鵬がいなかったからだ。圧倒的な第一人者がいなかったから、ではなくて、彼がいないことで自分がリスペクトする勝負の世界が、レベルは低いのかもしれないが戻ってきたからだ。白鵬がいない土俵は、楽しかった。

今場所は、結局13日目までは面白かったが、いや、正確には14日目の照ノ富士・高安戦までは良かったが、白鵬と正代の一番から白鵬がいた頃のつらい大相撲がドロっと戻ってきてしまった感じがした。あの立ち会いとあの脳震盪狙いの卑怯なパンチで、いろんなものが失われたのだと思う。

白鵬の相撲が嫌いなら観なければ良いのだが、白鵬が厄介なのは、それでも彼が大相撲の第一人者であることにある。素敵な戦いを繰り広げている他の力士にとって最終的に避けて通れないのが白鵬という存在だ。だから、他の力士を応援していると観たくなくても目に入ってきてしまう。千代翔馬とかとはわけが違うのだ。観たくなくても目に入ってくる、自分のQOLを下げる存在としては、ドナルド・トランプや茂木健一郎と同じだ。白鵬は、私の好きな大相撲を何か別のものにしてしまう存在だから、困るのだ。

だから、この数日間すっかり悩まされてしまったが、今はっきりと思うのは、これ以上白鵬が第一人者として君臨する大相撲はつらいということだ。


7/22

なので結局、復帰後の照ノ富士に惹かれて改めて高解像度で相撲を観るようになって、久々に大相撲の奥深さや力士のかっこよさというものに向き合うことになったものの、それは主に白鵬がいない土俵に対するものだった。しかし、どうしたって、圧倒的な第一人者が示す相撲というものが脳震盪狙いの打撃であったり、相手との当たりを避ける姑息な立ち合いだったりすると、梯子を外されたような気分になってしまう。

昨日は照ノ富士が本当に横綱に昇進した。白鵬のオレオレ不知火型ではなくって、シュッとした不知火型を観たい。

隔離が終わっているので、現場にも出ているしオフィスにも出社している。昨晩立ち寄った飯屋は、店員さんが中国人の方だったので、中国語で話かけてみたら、何だかとても盛り上がった。ニューヨークにもチャイナタウンがあるが、このご時世ではなかなか行けないので、リアルな中国語を使用する機会はなかなかない。コロナが終息して大阪に行った際は、西成の中国人スナックのようなところで中国語を話したい。

発音がとても良いと言われてすごくうれしかった。いつもお世話になっている内モンゴル自治区のS先生のお蔭だ。先生は内モンゴルのエレンホトという街に住んでいて、前の先生がオンライン中国語教師を引退されてからなので、もうかれこれ9ヶ月くらいの付き合いだ。ニューヨークと内モンゴルを繋いで中国語を勉強するのだから、すごい時代になったものだと思ったものだが、私はいつか先生に実際に会うことなんてあるんだろうか。

毎日30分近く授業を受けているわけで、家族と同僚以外だと一番頻繁に(オンラインだが)顔を合わせている方ではあるし、先生は雑談をしないできっちり時間通りに授業を初めて時間通りに終わる人なので(そのきっちりした感じがまたすごく良い)、あんまり先生のことを知っているわけではないが、今のところ、自分の中国語の師匠として、とても自分にとって大事な存在ではある。S先生がお休みの時に別の先生に習ったこともあるが、他の先生だと、どうにも上手くなる感じがしない。

なのにきっと、私は内モンゴルに住んでいる先生に実際にお会いすることはない。

というか、今週に入って一年近くぶりにオフィスに行ったら、初めて実際に会う同僚なんかもいるのだ。オンラインでは毎日顔を合わせて仕事をしてきたのに、はじめましてだ。そしてその時、「はじめまして。痩せましたねー」というすごくハイコンテクストな会話も発生する。

こうなると、「はじめまして」の概念というものもよくわからなくなってくる。

今日もこれからS先生の授業だ。


7/23

なんかタイピングが上手くなっている感じがしない。毎日日課としてこの日記も含めた練習をしているが、頭打ち感とまではいかないまでも、成長曲線が緩慢になってきている感じがする。夏だし、いろんなものに対するモチベーションが無い。

私の東京における住居はとあるオリンピック会場の近所というか、わりと隣だ。五輪向けに改修されたどでかい夜間競技用のライトが見える。ゆえに、家の周りには警察の人たちがやたらと巡回している。朝も夜も巡回している。その警察官の人たちの制服には、兵庫県警とか鳥取県警とか、地方の警察の名前が入っていて、地方から警察官が動員されていることが見て取れる。

それはまあ、何か喉の奥に小骨が引っかかった感じがするが、別に良いんだけど、この巨大な競技会場をつくるために何年も工事をして、結局無観客で使わないでオリンピックが終わったらまた改装するみたいな話もあるので、なんでこんな壮絶に無駄なことになってしまったのだろうと思う。

体育会系の大学生なんかは、ボランティアで半強制的に駆り出されているという話も自分に近いところで聞く。彼らのワクチン接種はオリンピック期間中なんだそうだ。で、もう練習というかリハーサルの段階で複数人熱中症で倒れる人も出てきているらしい。

私は比較的オリンピックを観るタイプの人だった。毎回、何やかや観戦してしまうし、日本人なので日本選手を応援してしまう。しかし、やはりどうしても今回のオリンピックは周りに犠牲が多すぎて、複雑な思いしかない。そんなのはみんな同じだろうけど、隔離が明けて5日でしかないのに、すっかり日本を覆っている虚無感とどうでもいい感に巻き込まれている。痛いことになってしまった。

昨日はNHKで「いだてん」の総集編の再放送をやっていたらしい。あのドラマは本当に素晴らしいもので、全員観るべきだと思うが、ある種、オリンピックというイベントやスポーツと政治というものに真っ直ぐ向き合っている話なので、ある意味今のこの状態に対する鋭い突っ込みとして機能してしまう。「いだてん」は確かにオリンピックをテーマにした話だが、「いだてん」が放送されていると聞いて、これ今放送しては一番いけないというか、逆に言うと今だからいろんな人の共感を生んでしまう内容なんじゃないかと思った。

北の富士コラムじゃないけど、こうなると食い物くらいにしか興味がない。うなぎ食って便秘している話とかはしない。


7/24

昨日はどうしても怒りを抑えられない出来事があって、ひどい形で怒りを表出させてしまってとてもつらい日だった。怒りなんていうものは表出してもなんの得にもならない感情なので、昨日1日で負ったダメージというのは血液中にドロっと沈澱するし、生きている意味を考えたくなってしまう。とてもつらい。

どうにもうまく世の中と折り合いをつけて行けないので、また心療内科にでも行こうかなと思いはじめている。世の中のいろんなものは、ちょっと嫌な予感がしたら考えはじめた方がよくて、今ちゃんとケアしておかないとそのうちまた壊れてしまうような気がする。何はともあれ、一人である時間が少なすぎたこの一年超の総決算としての負債が一気に来てしまっている感じもする。別にそれだけが理由ではないけれど、自分の発達障害的な気質がそれとは全く無関係なわけではないわけで、であるがゆえの逃げ場のなさと孤独感で心や頭がいっぱいになる。

そんな中、話題になっている小山田圭吾さんのQuick Japanの「いじめ紀行」の全文を読んだ。私自身、どちらかといえばいじめられっ子であり、小学校や中学校あたりには嫌な思い出しかない。レベルの問題はあるが、どうしてもいじめられっ子側に共感してしまう部分はある。結局そこに描かれているのは私よりも重度、と言って良いであろう発達障害・学習障害の子たちが追い詰められて図書室に逃げて相撲を取る姿だ。小山田さんに限った話ではないし、ここに描かれているのは小山田さんが直接手を下した行動だけではなさそうだけれども、自分の子供が同じようないじめを受けていることを知ったら私は恐らく加害者を殺しに行ってしまうような気がする。

雨穴さんの「変な家」を一気に読んだ。流れとしてちょっと納得できないところもあったが(推測でしかない会話がベースで進むので)、すごく怖かった。昨日とかに公開されていた雨穴さんの新しい記事も素晴らしかった。

そういえば昨日はオリンピックの開会式だったのか。職業柄見た方が良いのかもと思ったが、あまり観る気がしなくって寝てしまった。東京オリンピックの開会式の日はひどい日だった、とリンクして記憶されることもないほど、自分の中での開会式の存在が小さいので、昨日はただのひどい日だった。

7/25

そういえば先週のこのブラインドタッチ練習日記を公開していないなということに気づいたが、そもそもこの文章を公開することにそんなに意味はないんじゃないかと思ったりもする。

テレビをつけるとオリンピックをやっているので、試しに、自分はこの状況下のオリンピック競技を楽しんでみることができるのだろうか、自国の選手を積極的に応援できるのだろうか、ということをやってみたが、全くそういう気持ちにはならなかった。

昨日は外で食事をする機会もあったりして、結構な量を食ったので、案の定体重は増えた。やはりこの国ではカロリーコントロールが難しい。なかなかうまく身体の状態をキープできない。ここのところ、ダイエットの終わり方をどうするかという問題についてとても考えているが、これは本当に難しい問題だ。どういう状態をどのようにキープするのが最適解なのか、どこにも書いていない。

去年の3月に新型コロナウィルスに感染した際も、かなり早い段階だったこともあって、「いかにしてウィルスに感染せずに生活するか」みたいな情報が溢れていて、「人はどういうプロセスをもってこのウィルスから回復するのか」という情報が全く出回っていなかった。当たり前だが、世の中には、より多くの人を対象とした情報がより多く流布している。

そんな経緯で書いた記事がこちら。

世の中にはこれから痩せたい人がものすごい量いて、既に痩せることができた人というのはそのうちの数%にも満たない。多分。ゆえに、痩せたあとに人間がどのように振る舞うのが良いのかという情報が全然発信されないのだ。

このまま放っておくとリバウンドしてしまうような気もするし、このまま節制生活を続けると気が狂ってしまうような気もする。実際、今のような食事制限を続けることによるストレスレベルというのはとても高い。引くことも進むこともできない。

オリンピックの開会式を後追いで見たが、予想していた通り、以前ここにも書いたように、日本という国は業務フロー的に現場というかあえて言うと「末端」とされる人たちの仕事のクオリティがとても高い、ゆえに枝葉の部分のクオリティはとてもしっかりしていて、しかし全体の構成や構造は相当にぼんやりしてしまっていると思った。久々に母国に帰ってきたが、この国は徹頭徹尾これだ。開会式を取り仕切っていた方が「ダイバーシティ&インクルージョン」などと言っているインタビューを目にしたが、ダイバーシティとは、いろんなものが接続せずに放置された状態ではないのだし、本当に都合の良い言葉だなと思う。

あと、たぶんだけど、海外でちゃんと仕事をしたことがある人があんまりいないんだろうなと思った。どうしても、日本人が日本人の想像で思い描いた海外からの日本の見え方、みたいな、存在しないものがそこに展開されていたような感じがする。

7/26

またこの日記を公開するのを忘れた、というかそういう暇が無かった。今日は二週分公開するような気がする。

昨日は上野の東京国立博物館に行って仕事がらみで観ておかないといけないものを観に行った。素晴らしいものを観れてとてもよかった。何の下調べもせずに向かってしまったが、入り口に着いたところで、東京国立博物館は入場に事前予約が必要だということがわかって絶望したが、「当日券もありますよー」と言われて救済された。しかし、それだと事前予約する人なんていないのではないかとも思ったし、例えはあれだが、「密室で給仕していたらたまたま恋愛関係に・・・」あるいは「パチンコ屋と全く関係のない組織がたまたまパチンコ屋の隣で景品を買うお店を開いていた」みたいな脱法ロジックに似たようなものを感じた。

その後は、鈴本演芸場に行こうかなあとかも思ったが(主任が一之輔だったらしい)、昨日が寝不足だったので寝てしまう可能性を感じて、錦糸町のサウナに寄った。去年は行かなかったような気がするので2年ぶりくらいかもしれない。人が多かった。いわゆるサウナブームだが、相変わらず、しゃべるなという貼り紙を目の前にしてずっとしゃべっている若者がいる。サウナブームは良いのだが、ちょこちょこ発生する会話若者たちがつらい。

しかし、フィンランドでサウナに行くと実は全員サウナ室でしゃべっていたりする。それが気にならないのはたぶん私がフィンランド語を全くわからないからなのだが、フィンランド人はあれで集中できるのだろうか。いや、日本人がそうしがちなように集中してととのうという行為があまり文化になっていない気もするので、たぶんそれはそれで良い文化なのだろう。

その後は子供たちが実家に立ち寄っていたので実家で夕飯を食うことになって、実家に寄った。両親が屈託なくオリンピックを観戦していて、人間っていうのは因果なものだなあと思った。兄弟で金メダルだの何だの、生で見ていてすごいなあと思うのだが、全く楽しめないし、楽しもうとも思えない。長年やってきた店を閉めざるを得なかった友人もいるし、ライブ・コンサートが無くなったことで苦しんでいる仲間たちもたくさんいる。どうしても、これが、これだけ多くの犠牲を払ってまで観たいものだったのかということを考えてしまう。

家の近所のオリンピック会場には、恐らくアメリカのテレビの放送時間などを慮ってかなり遅い時間まで煌々とスタンドの明かりが灯っていて、万国旗がはためいている。巨大なスタンドは、この数日間の刹那的なお祭りのためだけにつくられて、近隣住民の憩いの場は奪われた。で、笑ってしまうことにその巨大なスタンドには観客すらいない。

総じて、笑ってしまうような愚行だと思うし、そんなことをやっている国を1年ぶりに歩いていると、そこかしこで「SDGs」みたいな言葉が踊っている。すげえなこれ、と思う。この国にやってきて3週間。身を置いているとどんどん頭がバグっていく。


7/27

結局昨日も日記を公開するのを忘れた。日記を書くことはルーティーンに入っているものの、日記を公開することはルーティーンに入っていないので、一日忙しくしていると忘れてしまう。しかし本来日記なんてものは公開するようなものでもないわけで、そんなものを公開するようになったのはインターネットが登場して承認欲求的なあれが刺激されたからなわけで、別にこんなん公開しなくても良いかなーと思えるということは、私の承認欲求もかわいくなったものだなと思う。

長谷川さんは昨年の後半にBASSDRUMにジョインしたテクニカルディレクターだが、同じ団体の人としてほぼ毎日会話しているくせにほとんど実際に会ったことが無かった。結果的に、先日東京のオフィスでお会いした際は「はじめまして! 痩せましたねー」という、ハイコンテクストな会話が繰り広げられた。昨日は長谷川さんとオフィスで一緒だったのでいろいろとお話ができてよかった。私も久々に屋上で燻製をやった。相変わらず6Pチーズは燻製すると全然違う食い物になる。

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今日は、もう10年以上失効していて、「もう一回教習所行かなきゃダメ」ということになっていた日本の免許証を取り戻しに府中の試験場にやってきた。ニューヨーク州の運転免許があれば、いろいろ条件があるものの、日本の運転免許を取り戻すことができるのだ。

普通の免許申請の窓口とは違う、外国免許用の窓口に並ぶ。私以外の方々はみんな外国人だ。窓口では、係の人がそんな日本の免許が欲しい外国人の方々が、自国でどういう運転試験を受けて免許を取得したのかを説明しなくてはいけないらしく、日本語で頑張って説明している。通訳を入れてよいのかわからないが、とにかく日本語でがんばっていた。

ここでおぞましいものを見た。

府中運転試験場の係の人が、恐らくミャンマーの方なのだが、日本語で自国の運転免許試験のプロセスをうまく説明できなくて苦労しているのに対して、信じられないような高圧的な態度で恫喝していたのだ。

「そんな説明で通るほど日本の免許甘くないんだよ!」とか、「言ってることがさっきとぜんぜん違うからわかんないよ!」とか。

数秒聞くだけではらわたが煮えくり返る思いだった。このミャンマーの方は、一生懸命慣れない日本語で説明しようとしている。が、慣れないのでうまく伝わらないのなんて当然だ。むしろ、たどたどしくても日本語で何か表現できている、説明しようとしているだけで尊敬に値する。日本語は難しいのだ。

言葉がネイティブのようにしゃべれないことでの差別なんて、アメリカ生活の中で散々受けてきて、悲しい思いもしたことがある。しかし、それはその人が劣っていて見下して良い存在であることには絶対にならないし、知らない場所で新しいことをしようとしているぶん、むしろリスペクトを得ても良いチャレンジャーではないか。

聞いていて腹が立ってきたので、自分の免許の切り替えに影響が出るかもしれないけど、抗議というか注意しようと思って歩き出したところで、その係のランゲージハラスメント野郎が離れていってしまった。

怒りが収まらないのでここで告発しておく。

みんなにも読んでほしいですか?

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