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0316「ダメ・ゼッタイ」

昨日は、夜来客があって会社からアッパーウエストの方に向かわなくてはいけなかったのだが(というか家がアッパーウエストなのでどのみち帰るから向かうも何もないのだが)、その前に、しばらくニューヨークに来ていたさいとうあきこ氏がリムジンでニューヨーク中を走って回るという会を開催していたので、それに参加してそのまま目的地方面に向かった。助かった。

初めて乗ったリムジンは長かった。が、中は実はそんなに広いわけではなくて、もっと長くても良いのではないかとか思った。車中ではずっとひどい話をしていた。

夜中に帰ってきた。超絶な尿意がこみあげている状況で帰途に着いたのだが、新しい家は、あまり狙ったわけではなく、たまたま条件が良かっただけなのだがはからずも駅から徒歩0分の場所なので、ギリギリ間に合った。尿意というのは気の持ちようであるから、駅に着いたときはまだ電車に乗っている意識でいるべきだし、家の建物のエレベーターに乗ったときにはまだ駅に着いたところだと思わないと、精神が持たず、悲劇を招く。

今回の建物はすごくいい。新しい家は14階なので、ニューヨークに引っ越してから初の高層階だ。14階だが、エレベーターが速いやつなので、あまり高さを感じさせない。しかも3つもあるので、エレベーターの待ち時間が全然ない。これは昨日のような場合非常に重要で、移住して最初に住んだ家などは戦前からある建物だったので、エレベーターが一個しかない上に、くそ遅い。しかもそこそこ高い建物なので、究極に尿意を催しているときに、やっとエレベーターまでたどり着いた。もうすぐだ! と思ったらエレベーターが16階にいてなかなか降りてこないとか、死を覚悟する状況が何回かあった。

しかもその家は部屋の鍵がめちゃくちゃ固くて、開けるのにコツがいる家だった。少し右に回してガチャガチャして一気に左に回さないと開かない、みたいなドアだった。

激烈な尿意のもとではコツもへったくれもないわけで、ひどい悪循環に陥る。超おしっこがしたい。早く家の中に入って、開放したい。しかし、尿意がゆえに、少し右に回してガチャガチャして一気に左に回す、とかそんな面倒な手順をうまく踏めるはずがない。こっちは、総員第1種戦闘配置なのだ。ゴジラが多摩川越えちゃってるのだ。

結果的に、いったん諦めて、尿意を分散させるために家の前の廊下を何往復か走る。そうすると交感神経がビンビン来るので、少し時間を稼げる。そして、鍵に戻り、ガチャガチャと回し始める。何度かトライしているうちに、どんどん副交感神経が盛り上がってくる。つまり、暴力的な尿意が戻ってくる。はやく開放したい。おしっこを執行したい。そして廊下を走る。嫌なやつのことを思い出しながら廊下を走る。攻撃的になると交感神経ビンビン来る。鍵ガチャガチャする。走る。ガチャガチャする。走る。

こういうの書くと、ひろきさんのうんこのエントリと表現手法がかぶるので気が引けるが、走っている間は、エマーソン・レイク・アンド・パーマーの「タルカス」の平清盛バージョンが頭に回っている。

その家に住んでいる間、何度かこの地獄を味わった。何度も廊下を走った。憧れの女子生徒に告白するような気持ちで鍵をガチャガチャした。

ほとんどの場合間に合った。あの子が振り向いてくれた。「努力は夢中に勝てない」。誰かの名言がリプライズする。夢中に取り組んだからこそ、私はたどり着いたのだ、

しかし、二回ほど、副交感神経の軍門に下ってしまった。つまり、廊下でニルヴァーナに至ってしまった。観音様が現出した。

立ちションすればいいじゃん、と思うかもしれないが、ニューヨークは屋外で立ちションすると逮捕される可能性があるのだ。

中にいる家族を呼べばいいじゃん、と思うかもしれないが、家族が起きている時間ならそれはもちろん呼ぶ。しかし、多くの場合私が帰宅する時間に家族は寝ているし、妻とは今後も死ぬまで連れ添うことになるわけで、こんなレベルで一生続く借りをつくるくらいなら観音様が現出した方がマシだ。

一度目。幸いその建物の廊下の床はタイル張りだったので、開放した後に、一生懸命消毒して拭いたら、何も無かったかのようになって、事なきを得た。

二度目は、妻が鍵のところに油をさしてくれて、かなり開けやすくなっていたにもかかわらず、負けてしまった。つまり。諦めが早かったのだ。一度目で、後処理がどうにかなったという成功体験があったから、「あ、これ、後でどうにかなるから行っちゃってもいいかも」と考えなかったとしたら嘘で、2回くらい廊下を走ったところで、心のゴーサインを出してしまった気がする。

つまり、私の脳に「この廊下では漏らしてOK」という回路ができてしまったということだ。その時点で、「ダメだこれは。引っ越そう」と思った。洗濯機がない、とか子供が増えた、とかいろいろな理由はあったが、トドメを刺された。

今の人間社会に、尿を漏らしても良い廊下なんてないのに、他でもない自分の脳がそれを許容してしまった。これは、自分が蝕まれている証左だ。

タバコでも酒でもコカインでも阿片でも、中毒性がある薬物は、脳に一線を越えることを許す回路をつくってしまう。ダメ・ゼッタイ、なのにだ。

一昨日越してきた家の廊下はじゅうたんなので、万が一のことが起こったら大変なことになる。気を引き締めて生きていきたい。