0912「薄緑の煙」
今日はいろんな意味で無だった。何か書けと言われても相当難しい。仕事はやっていたものの、どうもギアが噛み合わない。時差ボケがまだ治っていない部分もあるのかもしれない。いやたぶんある。総じて言うと調子が悪い。いろんなところに油が入っていない感じがすごいする。
ソーシャルメディアを眺めていると、とても焦る。こうして自分がボーッとしている間にいろんな人がいろんなことをやっている。自分は取り残されてしまっている。困ってしまった。そしてまんまとよく言われるところのソーシャルメディアの害みたいのにやられてしまっている。
昨日は9.11だったが、近くで打ち合わせをしたのもあって、少しだけ足を伸ばしてグラウンド・ゼロまで行った。
言わずとしれた9.11同時多発テロで崩壊したWorld Trade Centerの跡地には、ギアガの大穴のような巨大な穴がモニュメントとして残されており、四方から水が流れ込んでいる。
その穴を囲む石には、テロで亡くなった方々の名前が彫り込まれている。
この彫り込まれた名前の溝に、いろんな花や、家族の写真が挿されている。
厳粛な場所だ。
9.11が発生した頃は、浅草で一人暮らしをしていて、その日は体調を崩して病院に行っていて、病院の待合室で流れるニュースを食い入るように見ていた記憶がある。その後家に帰ってそのままテレビを見ていた。要するにその日は何らかの理由で仕事をしなかったのではなかったかと思う。
前の年の正月に、世田谷一家殺人事件が起こった。
同じ年の春に、住んでいた部屋のごく近所でレッサーパンダの帽子をかぶった男が女子大生を刺殺した。
私にとってはなかなか微妙な時期で、お金も無かったし、将来が全く見えなかった。ハイライトを1日4箱くらい喫っていたし、結構すぐ死ぬんじゃないかと思っていた。その頃、初めて焼き肉というものを食って、感動した。
その頃の映像を思い出そうとすると、薄緑の煙に覆われている。そこからの私は、転がって転がって転がっていまニューヨークで脱力しながら無理して文章を書いている。
あの頃に生きていた普通の人たちが、あの場所であの災厄に遭遇して亡くなった。名前が刻まれた方々の時計は、あの薄緑の煙の時間で止まっている。合掌して家路についた。
私の時間は今日も明日も続いていく。
インスタグラマーになるのはやはり面倒なのでやめた。