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6/21-6/27 ブラインドタッチ練習用日記

6/21

終始こんな話ばかりで恐縮だが、昨日はひどく体重が増えていたのでちょっとヤケクソになってしまって、夜、ナッツを大量に食ってしまった。それでもナッツだから良いのだが、カロリーで言ったらかなりのオーバーカロリーにはなったはずなので、さらに落ち込んでしまった。ちょうど断酒期限も昨日で切れるところだったので酒を飲んでも良かったのだが、これで酒を飲んで体重が更に増えたら目も当てられないのでやめておいたし、きっと自棄酒で酒を解禁するのは良くないので我慢できてよかった。

私は「中田敦彦のYouTube大学」の影響下にある人間で、一度は中田敦彦さんのオンラインサロンに加入したことすらある(入った瞬間に見てはいけないものを見た感じというのがあって、すぐにやめてしまった)。中田さんが数週間前に公開した禁酒の授業以来、ご本人も断酒されていて、そこそこ時期もかぶっているのだが、私の今回の断酒はあんまりそれとは関係がない。中田さんは肌艶も良くなったし睡眠の質が良くなったとかいろいろおっしゃっているが、私の場合は全然そういう実感はなくて、むしろ生産効率は下がっているような気がする。短期記憶とかは結構戻ってきている感じがする。

一方で、別の、昼間からハイカロリーなものを食いながら飲酒する動画をつくっているYouTuberの酒村ゆっけ、さんの「無職ときどきハイボール」という本を読んだ。鳴海さんに激推しされた「三体」を読もうと思ってKindleを開いたらいつの間にかこの本を読み始めていた。

この本は素晴らしい。昼間からガストやくら寿司でたらふく飲む方法など、非常に勉強になる情報が非常にエモーショナルで豊穣な表現を持って描かれる。豊穣な表現といえば、Netflixで配信されている「サクッと揚げたて! フライ天国」も素晴らしい。この番組は、たぶん有名な食い物系YouTuberな男性がアメリカ中の揚げ物を食っては感想を表現していくだけの番組だが、映像もコメントもすごい。映像は、揚げ物のポテンシャルを研究し尽くしたような揚げ物シズルの極北のような映像で、特にフライヤーに投入された揚げ物をハイスピードカメラで撮影している、撮るの大変そうだけどこれ以上に揚げ物の魅力を増幅させる映像って無いのではないかというほどに洗練された揚げ物表現だ。

この番組におけるコメントについてはもっと書くことがあるので、また明日以降書くことにする。

6/22


「サクッと揚げたて! フライ天国」について書こうと思っていたが、そんなことより昨日は長男の中学の卒業式だった。小学校は中学とつながっている学校だったのでちゃんとした卒業式は無くって、ゆえにアメリカの学校の卒業式には初めての参加だった。例年はどうなのか知らないが、会場は学校の中庭で、つまり屋外開催だった。ずっとお世話になってきた学校だし、今や次男も一緒の学校に行っているわけなので、なかなか感慨深かった。長男は最初にやってきた子供なので、何かと初めての経験をもたらしてくれるが、勉学的にはなかなか苦労をするタイプなので、なかなかこの卒業に向けた日々は大変なところがあった。卒業できてよかった。

他の学校はどうなのか知らないが、息子たちの学校は卒業式が終わったからと言って学期が終わるわけではなくて、今日も明日も学校はまだある。今週いっぱい学校に行って夏休みに入る。去年もそうだったが、我が家もそれに合わせて日本に移動したりする予定だ。

「サクッと揚げたて! フライ天国」に話を戻すと、あの主役? の方のコメントスタイルたるや、劇場型どころの話ではなくて、なんかもはや航海日誌みたいなドキュメンタリー仕立てになっている。たとえば、ロブスター揚げたやつとかいろいろおいしそうなものが入っているスペシャルバーガーを食った後に、この人は店主を捕まえて、店主に言い聞かせるかのようにコメントを始める。まるでシバターの「○○、聞け」的な言い聞かせスタイル。そこから始まったコメントが、「まず俺はロブスターからあふれる油の香りに誘われて大海原に船出した。その後出会ったのが、チーズの壁に守られた・・・・トマトだ。」みたいな感じで自分の劇的な食事体験をポエティックにリプライズしていく。大げさとしか言いようがないのだが、ここまでの航海日誌スタイルは日本のグルメ番組的なものではあんまり見たことがなくて、しかし映像という味がしない、視覚でどうにか追体験をしないといけないものについてはわりと合理的なアプローチなのではないかと思わされる。そういう意味では、はからずもそういうコンテンツに立て続けに遭遇しているわけだが、酒村ゆっけ、さんの映像での飲食表現も、これに近い「ありそうでなかった開き直りポエティック航海日誌スタイル」ということになるのかもしれない。

揚げ物など、身体に悪そうな食品を中心に扱うと、とにかく画面が茶色くなる。メイラード反応は視覚的にも正義だ。
ブラインドタッチ日記なのに、だんだん日々の打鍵数が減ってきている気がする。

6/23


何しろ調子が悪くって、どのくらい調子が悪いかと言うと、先週のこのブラインドタッチ練習日記を公開するのが億劫な程度に全然心身が動かない。もちろん仕事はちゃんとやらないといけないので必死に作業はするし、打ち合わせに入ったらしっかりコミュニケーションは取るのだが、それ以外の部分で全体的にいろんなものが硬直してしまってしんどい。

何が問題なのかというと、要するに日々の緊張感がすごいというか、慣れてしまっているので大丈夫なような気がしているが、実のところ各々の作業やコミュニケーションに恐怖に近いプレッシャーーを感じていて、ゆえに打ち合わせが始まる前の時間って、大袈裟に言うと死刑台に上る前のようなどろっとした黒い何かで脳内が満たされたりする。プレゼンにしてもブレインストーミングにしても、常に「本番」ではあるので、きっと力士が立ち会いで当たっていく時の感じって、打ち合わせが始まってしゃべり出す瞬間に近いのだろうなあと想像する。

そう考えると、これも相撲と同じような気がするが、プレゼンもブレストも稽古が大事というか、稽古で身につけたものしか出ないというか、照ノ富士構文で言うならば「自分がやってきたことを信じて思い切り当たっていくだけです」みたいなことなのだと思う。私たちの場合はもちろんそういった会議は本当の意味での本番ではなくて、主戦場は手を動かしてものをつくることでもあるのだが、そっちは緊張感と言うよりは無限につくっているものに向き合う自由というのがあるので、緊張感とは違うし、気持ち的には8000倍くらい楽だ。

結局、自分は今やっているコミュニケーションを中心とした仕事には全然向いてないんだろうなあという感覚は常にあって、なんでまあこんなに自分にストレスを継続して与えるような作業をやってるんだろうなあと思う。

そんなわけで総じて調子が悪くて困ってしまう。子供の前で「あー。自分は何のために働いてるんだろう」とか「ドキドキするばかりで楽しいことがない」とか、様々なネガティブを撒き散らしては妻から怒られてしまう。妻も言っていたが、食事を制限したり酒を断ってみたりと、いろんな報酬系を封じてしまっているから鬱屈しているんだろうという話で、たしかに自棄食いしたり酒を飲んだりしないとやってらんない感覚というのはある。じゃあそろそろ酒でも飲もうかな、と言うと、止められてしまうし、実際もう少しやめといたほうがよいんだろうなとも思う。

それにつけても、アメリカから日本のオリンピック絡みのニュースを目にしたりするが、これは、運営している人たちも何やっても批判されて嫌になっちゃうだろうし、仕切っている偉い人たちも評判を落とすわけだし、一般人としてもどうにかしろよと当然思うわけだし、つまり誰も得していない、プロジェクトとしては非常にコンディションが悪いものになってしまっているなあと思う。よく引き合いに出されるが、先の戦争もまさに誰得状態で進んでしまったイベントだったのだろうなあと思う。人種も国籍も関係ないと考えてしまいがちだが、日本人というものはどうしても避けられない概念としてあるんだなあと思う。

6/24


昨日はちょっと記念碑的な日で、何がそんなに記念碑的なのかと言うと、いままさに練習しているブラインドタッチで仕事をするようになった日だった。今までは日課的に数分タイピングサイトで練習をやってだいたい20分くらいかそのくらいでここまでに書き綴ってきたような日記をブラインドタッチで書くという日々で、すなわちそれ以外の仕事でタイピングをする際はかったるいので相変わらずの自分流ガラパゴスタイピングスタイルだったのだが、昨日からは逆にその独自スタイルにかったるさを感じて、ふだんのslackでのやり取りやら何やらもブラインドタッチでやったほうが良いかな、という感覚になり、そうするようにした。

こうなると後は速いと思っていて、仕事でのタイピング量みたいなものは毎日それなりにあるわけなのでそれをブラインドタッチで行うということはすなわち、「現場で使いながらうまくなる」ということでもある。そうするとそのうち、今みたいにわざわざ30分なりの練習時間を取る必要もなくなる。

まだ課題はあって、基本的に練習を日本語のローマ字タイピングで行っているので、英語の文章を書いたり、プログラミングをしたりする場合、結構使うキーのバランスが変わるので遅くなるということだ。たとえば、QとかLとか、そのへんのキーは日本語の入力だとあんまり使わない。Qなんかは中国語のピンイン入力なんかでも結構よく使うし、日本語はQをあんまり使わない言葉なのだということは言える。

Hello, I'm Qanta Shimizu. I'm a tech director based in New York.

これだけでも、ちょっとまだ流れるようには入力することができない。せっかく中国語も勉強しているので、試しにピンインもやってみる。

你好。我是请水幹太。我住在纽约做技术总监。

そもそもスペルがわからなくなってしまうのでちょっと時間がかかってしまう。もしかしたらもうちょいしたらプログラミングで練習をしたりとかしたほうが良いのかもしれない。

日本でやっていた「アタック25」が打ち切りになるらしい。これは自分にとってとても残念で、ニューヨーク移住直前の2013年に予選に出れる通知をもらっていたのに郵便受けをチェックして無くて出れなかったということがあり、いつか出たいと思っていたのだ。今はああいうストレート・アヘッドなクイズ番組がないので、他にあんまり選択肢がない。クイズ出たい的な話はまたあした書くような気がする。


6/25

今日はニューヨークの公立学校の一年の締めくくり、最後の日だ。日本で言うところの3月の卒業シーズンが今に当たる。この一年は、学年が始まった9月は、学校側が対面授業の準備に手間取ってなかなか学校が始まらず、リモートラーニングが1ヶ月位続いてようやく学校が開いたと思ったら、リモートと対面のミックスで週半分登校みたいな感じになり、大統領選の後にはコロナの第3波なりがやってきて学校はまた閉まってしまった。

年末になって対面が再開して、やがて小学校以下は毎日対面授業が可能になったが、中学生は結局今に至るまで半分がリモートで半分が対面という状態。教育のみならずニューヨークという街においては本当に苦しく、混乱に満ちた状態が続いてきた感があるし、そして、やっと、ついに、フルオープンにこぎつけたのがつい昨日一昨日の話だ。けど、ヴィレッジヴァンガードでは月曜のビッグバンドライブも復活してないし、フランク・シナトラも通っていたというイーストヴィレッジのロシア風呂屋も再開していない。フルオープンが始まった、というのが今のニューヨークで、今のニューヨークは未だ満身創痍だ。やっとベクトルが上向いた、ということではある。

何しろ、学校も一区切り、来週は私たちは日本に行ってしまうが独立記念日ウィークにもなる。きっと、なかなか前向きな7月4日になるんだろうなと思う。

昨日は、ブラインドタッチのほうが楽になってきたと書いたが、実際のところは、ぱっきりブラインドタッチが圧倒的に楽になったと言うよりはまだ移行期なので、たまに元のオレオレガラパゴスタイピングに戻ってしまうことがある。ニューヨークが七転八倒していたこの一年、私が獲得したのは、この、「変化というものは日々少しずつ発生する」という感覚で、いわゆるコツコツ何かをやるということの対価というか、いつどのように成果が出始めるのかの感覚への解像度が上がった感じがする。

これはこの生活に入らずに雑に生き急いでいたら得られなかった感覚で、恐らく私はこの緊急事態でポジティブな意味で結構人生変わったんだろうとも思う。

来週は日本に帰るのだが、ニューヨーク州からの入国者の3日間ホテル隔離は数日前に撤廃されたので、14日間日本の自宅で隔離されていれば済む。これは助かった。3日間ホテルに缶詰めで、しかもそんなにでかい部屋がないからうちのような5人家族は2部屋に分けられるという話もあったので戦々恐々としていた。

もうちょいしたら日本でしかお取り寄せできないいろんな食べ物を注文して、帰る頃には届くようにしなくてはいけない。隔離が明けたら会社の屋上で燻製もできる。

6/26

昨日は学校が一年の最終日だったので、担任の先生に挨拶したりとか、なんやかんやいろいろあった。長男は中学を卒業した。彼はなかなかの多動キャラなので常に先生から注意を受けていたし、私も何度も先生からメールをもらって怒られたりした。そんなこんなで、アメリカの学校というのはそれなりにシビアだし、卒業できるのかなあ、と気をもんでいたがどうにか卒業できた。とてもよかった。

学校が終わった後は、アジアンヘイトも落ち着いてきたのかなというところで、超久しぶりに地下鉄に乗って子供を3人連れて、お誘いいただいていた、ウォール街らへんでやっているMOMENT FACTORYのプロジェクションマッピング興行に行ってきた。これは本当に素晴らしくて、しかもわかりやすかった。MOMENT FACTORYといえばモントリオールで、モントリオールと言えばシルク・ドゥ・ソレイユなわけだが、この、「とっつきやすくて、しかし文学性があって、実装が繊細で、記憶に残る」感じってモントリオールという街の文化なんだろうか。空港でトランジットしたことしか無いけど、モントリオール行ってみたいなと思った。

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プロジェクションマッピングだけではなく、人の動きに連動して映像が変化するコーナーがあったり、インタラクティブな要素も多少あったのだが、職業病でセンサーを確認したりし始めてしまう。で、普通にkinectが置いてあるのを発見して見ていたら、あろうことか娘が寄ってきてkinectを思い切り蹴ってしまった。

さすがというか、細かいキャリブレーションが必要にはならない構成ではあったのでたぶん展示にそんな影響はなかったようなのだが、思わず「ぎゃあー」と叫んでしまった。

妻を置いて子供を3人連れて遠くに出かけるなんて超久しぶりのことで、緊張していたのか、娘は私の手を握って離さなかった。終わってからアイスを食べたいと言うのでアイスを買って食べさせていたら、でかすぎて食いきれなくて泣いちゃったり、と思えば、長男が久しぶりにシュラスコを食べに行きたいと言い始めたのでミッドタウンに移動して食事をしたり、次男は久しぶりの地下鉄に盛り上がっていたり、どうにも、全員可愛くてニヤニヤしてしまう。


6/27

昨日は、ニューヨークもフルオープンなことだし、久しぶりに友人家族というか、いつもお世話になっているエキソニモの皆さまと遊びに行くことになった。エキソニモの千房さんは、かなり古代からお仕事をご一緒させて頂いていて(2006年のBIG SHADOWのときにイメソのオフィスに来て頂いて、本名が平仮名であることについていろいろお聞きした記憶がある)、その縁だけではなく、そうこうしているうちに同じ街に移住して、家族全体で仲良くさせて頂いている。コロナ禍の中にあってもたまにオンラインで人狼やったりとか、とかく閉じがち、引きこもりがちな我が家にとってはとても重要な世の中との結節点でもある。現代を代表するメディアアーティストの皆さんを捕まえて結節点もないものだが、小さい頃から、たまに家族ぐるみで仲の良い人たちというものは1つ2つあるもので、自分にとっては父の友人だった詩人の若井信栄さんがそういう存在だった。たまーに若井さんの家に行ったり、若井さん一家が我が家に来たりして、一緒に旅行に行くようなこともあった。家族が違えば、違う価値観や文化があるわけで、幼少期の私にとってはそれはそれは、とても大事な影響を受けたと思う。子どもたちにとってはエキソニモの皆さまがそういう存在なのだろうし、大げさに言えば3人の子どもたちは三者三様でいつもと違う文化を楽しんでいるように見えた。千房さんは長男がいつも語っているオリジナルストーリーをとても真剣に聞いてくれるし、そこに家族内ではない別の評価や提案が加わることによって、なにか別のスイッチが入ったようにも見えた。

何はともあれ、昨日遊びに行ったのは、ニューヨークの新名所であるリトル・アイランドだ。ハドソン川沿いに建設された、奇矯な構造体の上にできた公園島みたいなもので、最近、このニューヨーク再開のタイミングに合わせてオープンしてとても話題だ。

一度妻にリトル・アイランド行こうよ、と言ったら苦虫を噛むような顔をされて嫌がられたものだが、友人家族に誘われると二つ返事でいいですよとなる。それもまた、他の家族とインタラクトすることで価値観のバランスが変わるということなのか。やはり、こうやっていろんな人としゃべって価値観のバランスを刺激するのは重要だなあと思った。

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