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正義はテロリストのものかもしれない

チョー気持ちいい!!
北島康介

※この記事には『ペルソナ5 スクランブル ザ ファントム ストライカーズ』のネタバレが含まれます
(画像引用元)


いやタイトルと引用文の温度差すごいな。

というわけでやりました。P5S。
ペルソナ5の正統な続編ですな。続編にしてその実態はアクションRPG。ペルソナシリーズのナンバリングタイトルでありながら今までのようなコマンドバトルRPGではない。そんなゲーム。
P5Rはやったし、かなり楽しめました。でもP5Sは別に買わなくてもいいかなぁぐらいの温度感だったんですが、思いのほか早いフリープレイ化。ソニーに感謝。
賛否両論だって前評判はうっすら聞いてたし、僕自身「アクションになったからどうなの?」って思ってたところがあるんでそんな期待しないで始めたんですけどね。


クッソ楽しいぞこれ。


起動した後オメガフォースのロゴが出てきたんであれって思ってたんですが、案の定ガッツリ無双ゲーでびっくり。無双ゲーなんてもう10年以上やってないし今更なあって思うのも束の間、原初の記憶に刻まれた快感のスイッチをぶっ叩かれた僕の脳みそは狂ったようにドーパミンを放出。

ズバズバッッ!!
ドギャッ!!!
ボカーン!!!!

これだよこれ!!こういうのでいいんだよ!!!

テキトーに□ボタンと△ボタンを押してけばキャラが派手な動きをして敵を薙ぎ倒していく。本来ゲームってこうだよ。インタラクティビティってこうだったんだよ。小難しい理屈なんて要りません。偉い人にはそれがわからんのです。
思春期になる以前、小学生の頃に知った「楽しい!」がそこにありました。忘れないもんですねぇこういう感覚って。大人になってからやってもしっかり楽しいんだもの。

というわけでP5Sは無双ゲーでございました!
楽しいよ!!今ならPSplus会員は無料でできる!!
みんなもやろう!!じゃあね!!!!






と、いう感じでは終わらないのがこのゲーム。
すいません。上の文章は忘れてください。あ、いや忘れなくてもいいけどどっか意識の隅っこに放り投げといてください。

確かに最初の印象は僕らの知ってる「あの無双ゲー」でした。シンプルでデッカくて大雑把なガッツの剣みたいな。ただそこはペルソナ。そのブランドイメージをそう簡単に変えやしません。

P5Rのバトルにあった特徴、属性やテクニカル、総攻撃、ショータイム、バトンタッチ、先制攻撃、ペルソナの切り替えなど。属性とそこから生まれる弱点とかはRPGの共通概念みたいなものですが、その他の要素はP5特有の要素です。この要素がP5のバトルの核をなしており、これをよく理解しないと苦戦は必至であるという、ある種のシビアさがあのゲームにはありました。強敵を倒すには少なからずパズル的に頭を働かせる必要があり、直感的な反射行動を繰り返しているだけではうまくいかず、物量戦でどうにかなるわけでもない。しっかり考えなければストーリークリアもままならないでしょう。これは非常によく練られたシステムであり、P5Rの魅力の8割がそこにあるといっても過言ではないと僕は考えています。いや、決してシナリオが面白くないとかではなく。

じゃあそれをどうやってアクションに、しかも無双っぽくしようか。
オメガフォースさん。見事にやり遂げてくれました。

通常攻撃は各キャラクターの動作によって行われ、特殊攻撃はそこにペルソナが絡んできます。ペルソナの技が特殊攻撃に割り当てられているんですな。ちなみにスキルはR1ボタンを押せば単体で出すこともできます。
この特殊攻撃がこのゲームの肝です。従来の無双ゲーよろしくコンボのうち特殊攻撃を挟むタイミングによって技(アギとか突撃とかそんなん)が出るんですが、なんとこの技、特殊攻撃として発動した場合SPを消費しないんです!プレイヤーがパレス攻略時、ボス戦時に散々苦しめられたであろうSP不足問題。

属性攻撃をしなければ弱点が突けない。
属性攻撃をすればSPが足らない。

そんなオサレポエム的マインドを抱えながら月末の苦学生よろしくSP運用をしていた時代はもう今は昔。
適当なタイミングで△ボタンを押せば出るんだ、属性攻撃が!なんてストレスフリー!!
タイミングが難しければそこはしっかりSPを使って発動させればいいのです。スバラシイ。

さてそうして弱点を突いたらお約束、バトンタッチだったり総攻撃に移ります。
敵のダウンゲージを削り切れば総攻撃が発動でき、周りの敵を巻き込みながら大ダメージを与えることができます。今作の場合多ければ10体以上巻き込む事になるので爽快感は抜群。派手でオシャレな演出も健在。
ダウンゲージに一定量のダメージを与えるとバトンタッチが可能になります。バトンタッチを行うと別のキャラクターに操作が移り、何かしらの追撃を敵に加えることができます。そしてその直後はショータイムを発動するためのゲージが上昇しやすくなります。強化すれば総攻撃以上の威力を持つショータイム、利用しない手はないんでできるだけバトンは回しまくることに。必然的に色んなキャラを操作しながら戦う構造になってて良いです。

ボスや一部の強敵戦になるとこの辺りの操作に流れが出てきます。特殊攻撃で弱点を突いたりテクニカルをとったりしてダウンゲージを削りつつ、バトンタッチでショータイムゲージを稼いでいく。ダウンゲージを削り切ったら総攻撃。ショータイムゲージが溜まったらタイミングを見計らってショータイム発動。
削り→ショータイム・総攻撃の流れが分断されたり偏ったりすることなく連鎖的に発動していくのは実にペルソナ的であり、そこに生まれるアクションの快感は無双的でもあります。

言語化するとゲームデザインが素晴らしいって話で済んじゃうんですが、ボス戦とかで敵の弱点をつけるキャラが2人以上いないとかなりキツい、みたいな「こっち側の体験」の部分もペルソナ的に仕上げられてるのでこれはもう脱帽ですね。
コマンドRPG→アクションって意味では「FF7リメイク」なんかも感動的に素晴らしかった(僕はあのゲームはアクティブ・タイム・バトルをうまくアクションに落とし込んでるって頻繁に力説するんだけどいまいち共感を得られない)んですが、それに勝るとも劣らない。いや、複雑さを鑑みればこっちの方がすごいんじゃないかってくらい上手く出来ていると思います。

そうそう、ステージの変化もいいですね。今作は前作と違って拠点が東京固定ではなく、全国各地をキャンピングカーで回るシステムになってます。これによって閉塞感が無くなるというか、同じステージをうろうろしているという感覚が薄れて話に躍動感が出ています。ペルソナ特有のギャルゲー的要素を(ほぼ)完全に廃したことでこういう大きな変化をつけれるようになったんじゃないすかね。これは鶏が先か卵が先か的な話になりますが。
この設定に合わせたのかそういう思想で作ったのかはわかりませんが、あらゆる行動の設定上の制約を無くしたのも良い点。ほとんどの買い物は通販でできたり、ジェイルから帰還しても日数の経過みたいなペナルティがなかったりが楽でいい。P5Rだったらそういうゲームなんだからそれも計算に入れて楽しむ、って遊び方が成立したんですが、爽快感に振り切ったアクションに対してその辺の制約をそのままにしとくとゲーム全体の印象をごちゃつかせちゃいますからね。いらねえもんはいらねえんだって思い切りの良さがいい方向に働いていると思います。


とまぁ、褒めちぎっておりますが…。
問題児。
シナリオ。
これはねぇ…。僕よくわかんなくなっちゃった。

基本的な流れはP5Rを踏襲しています。八つの枢要罪を模したボスを撃破していき、悪の心に染まった人間を改心させて回る。最終的には権力者と神を撃破して反逆の物語の完結、的なね。まぁ水戸黄門的な勧善懲悪のジュブナイルものですな。
前作P5Rでは主人公が警察に捕まっているところから始まり、その謎を主軸に、認知世界や集合的無意識をキーワードとしてストーリーが進展していきました。今作はそういったひねりは弱く、謎と敵を追って各地を転々としながら個人間のドラマが挟まれる、というとてもシンプルな物語構造になってます。
それでね、問題はそのドラマの部分にあるのです。

もともと僕前作の時点で「改心」って言葉にやや引っ掛かりを感じていましてね。自分達にしかない能力で他人の精神や思想を変質させる、っていう洗脳まがいのことをあたかも良いことのように言ってるから。いや実際物語の中においてはそれはほとんど良い結果しか生んでいないし、改心させる側の怪盗団が倫理の権化みたいな連中だし主人公が被害者サイドだしでまあしゃーないって程度の納得がありました。一応自己批評的な描写もあったような気もするし。覚えてないや。
この辺はディレクターとプロデューサーを務めた橋野桂氏の思想も含まれているんでしょう。ヨコオタロウ曰く、彼はゲーム作りを通して世界を良くしたいと考えているとか。であれば毅然として正義を掲げる怪盗団にも納得がいこうというものです。

なんですが…今作における怪盗団の言動はちょっと異常です。行き過ぎている。
途中まではなんとも思わなかったのですが、特に近衛とぶつかる終盤に差し掛かるあたりからなんだかおかしな方向に転がっていきます。それまでもジェイルに囚われた王たちを最終的にお前は間違っているって説得して終わるって流れではありました。実際彼らは、各々歪んだ人格になるトラウマを抱えていた部分はあったにせよ、EMMAの力に酔って暴走していたのは確かなんで、まあそこはいいでしょう。けれど近衛は暴走ではなく、自分の思想と理屈に従って行動する、イデオロギーのある人間でした。世界は間違っている。そして自分はそれを正す力がある。ならば世界を変革しよう。それが彼の行動原理でした。手段は独裁に等しくはありますが、彼は正常な判断力を失っているわけでも認知が歪んでいるわけでもない比較的まともな人間でした。
そんな近衛が言います。
「怪盗団よ。人々を改心させるお前たちと私で何が違う?」
それに対して怪盗団はなんて答えたか?
何も答えないんです。
いや、実際は何か言ってはいます。お前のやることは独裁だー、とか、人間は変われるー、とか。でもそんなのって正論以前の単なる倫理感でしょう?んなこた誰だってわかってるんですよ。分かりきったことを言葉にしたところでそんなのは何も言っていないに等しいんです。
ていうかそもそも会話として成り立っていなかったりするんですよ。近衛が社会に対する思想を話してるのに対して怪盗団は「でもそれってお前が抱えてるトラウマに起因したコンプレックスを押し付けてるだけやんけ」みたいなこと(意訳)を言うんですよ。
なんなんだこいつらは。
それでも俺は人間を信じるぜ!って言うよくいる主人公の方がよっぽど会話できてるよ。マクロな視点とミクロな視点でまるで話が噛み合ってないのがものすごく気持ちが悪い。もう!
とか思いながら近衛を倒したら近衛も近衛で「そうだよね独裁は良くないよね心って大事僕が間違ってた!」みたいな(意訳)ことを言い出すし。どうしたお前。あれか、改心されたんか。
どこ行ったんだよさっき語ってた熱いイデオロギーは!
もう一回立ち上がってちゃんと議論しようぜ!
俺にも見せてくれよみんながスマホを覗き込んで暮らす美しく気怠いディストピアをよォ!
んもう!!

みたいな。
何もかもが不完全燃焼のまま、僕に怪盗団に対する不信感だけ植え付けて話は進みます。

心がないと自虐的に宣う一ノ瀬。それゆえ彼女はEMMAによる管理こそが人類にとっての幸せであると結論づけます。彼女がひろげた大風呂敷も、またもや怪盗団お得意の個人の体験レベルの話に還元されてしまいます。結局お前は寂しかっただけなんだよ、と。いやまあこの人の場合近衛と違ってマジで寂しかっただけ感があるんでそれはいいや別に。いいんだけど、怪盗団、この辺から薄っぺらい綺麗事しか言わないんで段々と不気味になってきます。キャラクターの人格すら感じられなくなるほど。しかも言ってることが大体強者の論理です。おいおい。
不信感から気味の悪さへの変遷を感じつつ、ラスボス戦へ。

最後の戦い。打ち倒す対象は大衆のネガイを学習し、進化し、便宜上神と呼べるほどの存在になったEMMAです。EMMAは近衛や一ノ瀬と違い、思想を持ちません。群衆としての人間を人工知能という立場から検証した時、そこに見えてくるのは人々の従属したいという欲求でした。判断・選択というカロリーの要る行動を避け、AIというツールを利用してその結果だけを外注する。選択は不要となり、そこに自由意志はない。これは現代に対する批評性でもありますが、この状況から結論を先鋭化させ、欲求すらも奪い支配することこそが人類を導くことだ、とEMMAは言います。
それに対する怪盗団。彼ら的には心って大事なものだそうなんで(この辺はソフィアの件があるから説得力がある)そうはいかんと対立するんですがね。人類は事実として隷属を望んでいるんだからそうしてあげよう、と言うEMMAに対して彼らは言います。
「お前は間違っている!」
そしてEMMAを打ち倒した後。
「世界を救ったぞ!」
いやもうね。怖くなっちゃった。近衛、一ノ瀬に対しては独善的な変革を許さないっていう考えとして認められなくもなかったです。そこにある程度の正義や現代倫理に対する盲目はありますが、でもまあそういう奴らだってことで片付きます。でもEMMAは単なる大衆が持ってる欲求の権化です。それに対して「間違ってる」と言い放ち、それを打ち倒して「救った」ってもうそんなのテロリストの言い草じゃないですか。
前作ではそれに対して自己批評をし、怪盗としての美学に置き換えていました。同じような行動をしていてもそこに彼らの客観性を感じたのです。しかし、今回は怪盗団全員が自分を正義と信じて疑わないような姿勢。そう、疑わない。自分の正義を信じ込み、それを他人や社会に強制する。それはもはや狂信と呼べるような代物です。客観性や自己批判の精神のない、凝り固まった価値観です。事実として最終的に彼らのやったことは彼らが否定した近衛のやろうとしたことに等しい。もはや彼らの信仰の対象は正義でも倫理でもなく自分自身であるかのように見えます。キャラクターに対してそれは言い過ぎだけど。

ここまでくるともう思考停止で登場人物に正義を語らせたって程度の話ではないのでは、と思えてきます。ひょっとしたら橋野氏がそうであるように、世界をもっと良くしなければ的な思想が製作陣の中にあったのでは、とさえ思える。
現代の人々はテクノロジーによって思考を止め、それを望んでいる節さえある。それはだめだ。僕らは人間として、人間らしさを失わないために、考えることを、選ぶことはやめてはダメなんだ。僕らは「正しさ」を知っている。実行せずとも知っているはずだ。だからそこに向かわなければいけない。そうしない奴らは怠惰な奴らだ。どんな理由があろうと、向上心がなければいけないんだ。
そんな「こころ」のKみたいな思想で作ったんじゃないか、と。だとしたら随分寛容じゃないですね。倫理を振りかざす割に。
いや、実際どうかは分かりません。でもそうだとしたら、このシナリオは僕らが想像するよりもずっと激しい代物なんじゃないでしょうか。
そこまで考えてないって言われたら、まあその時はその時です。おいおいもうちょっと頑張ってくれよ、で終わればいいですからね。うーん、でもどうだろ。人間の「ゆらぎ」に関する言及とかその他細々したところから判断するとそれは流石に侮りすぎな気もしますが。



はい、随分語りました。語りすぎました。半分は僕の妄想が入っていると思ってください。多分、そんな考える必要のある作品ではないです。
本質はシナリオじゃなくてゲーム性の方にありますからね。ズバズバ斬ってドカドカペルソナ使って楽し〜〜〜!で十分なんです。
であるからして、総評。
楽しいゲームでございました!

でも、もし。
もし僕の言ったような思想が込められているのであれば。

パレスの王のように認知が歪んでいるのは、

一体、誰

なんだ


ろう



か。







それでは。

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