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尺度と価値と人間

貴方には大事な人がいるか。貴方にとって大事な人は誰か、なるべく血縁者じゃない人で思い浮かべてみて欲しい。恋人、配偶者、恩師、誰だろうか。それともひとりもいないのか。

ここでは「大事」というのは対象の人物の価値を認識して大切に取り扱いたいという気持ちのことを指すと明示しておく。

貴方にとって大事な人がいたとして話を進めると、その大事な人は過去に、或いは現在進行形で貴方に対して非常に価値のあるものをくれたのだろうと推察される。ものと言っているのは物理的でも心理的でも何でもありの「何か」だ。そしてそれは貴方にとって価値があった。相手にとっては何気なくとも、貴方の価値基準に則ってしまえば。ミュージシャンがまるで貴方のことを歌っているかのように思えたことがあったとしたら、それがここでいう価値あるものに近い感覚だと思ってもらって差し支えない。

つまり、貴方は無意識下で他人の価値を決めているということ。貴方にとって大事な人は、貴方の尺度で決めているのだ。大事な人を失いたくないことも貴方が決めているし、大事だからこそ自分が縛ることは許されないと思っていても、あくまでそれは貴方自身の尺度でしかないのである。価値あるものをくれた人にそれと同じだけの価値を見ているのだ。自分の尺度での価値を。ここで勘違いして欲しくないのが、個人の尺度での価値は相対的でしかないことだ。相対的だということは自分自身をなんらかの尺度で固定してしまっているということだ。こういった相対的な価値というのは非常に脆い。他人がくれた価値ある何かが、トロイの木馬ではない確証などない。つまり人間ひとりの価値観や尺度というのは非常に曖昧模糊な存在であり、いつでもなんらかの刺激で崩壊しうるということだ。

そしてこのような相対的な価値が特定の個人に並列で押し寄せる場合があり、たくさんの人に支持される人がいる。さて、その人の価値はその支持者の数のぶんとても大きいと言えるだろうか。仮にそうだとしたら民主主義的にはまぁそうだろう。経済や社会はそういうものに依存して前進していく。ただ、貴方の大事な人を大事だと思うことに経済や社会的な理由があるだろうか?例えばお金持ちと結婚したいとしたら、お金持ちな人であることが大事なのではなく「自分が」楽してお金を手に入れたいからでは?無論、結婚相手に社会に於ける経済的価値を求める人がいない訳ではないだろうが、極めて稀だろう。

貴方の尺度は貴方にしかない。

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