背伸びは真上に向かってやれ
結果はご覧の通り、Radiohead の Hail to the Thief 。これが最初ではなかろうか。何せ私が中学生、つまり20年近く前の話だ。正確に覚えているわけがない。もしかしたら POLYSICS の National P だったかも知れないが、そんなことを考えていても何も書けないのでもう Radiohead だということにする。
まず Radiohead をご存知であろう鋭い皆様は既に解っておられるとは思われるが、ただでさえ Radiohead だというのに、あまつさえこのアルバムだ。それをこの凡愚な中学生が理解に及ぶことはそうそう無いであろうことは火を見るよりも明らかであり、当然中に入っていた歌詞の和訳や誰ぞのコメントも含めて、実際に理解どころか解釈をすることすらできなかった。少ない少ないおこづかいを背伸びしたがためによくわからないものに使ってしまった、と凹んだものである。
無論買うに至った理由はある。が、これもまた中学生らしいというか、単純な理由である。私の敬愛する漫画家が Radiohead を好むという情報をどこからか仕入れたのだ。当時私は絵を描くことが好きで、暇なときは絵を描いて過ごすことが多かった。そして私は音楽が絵に幾らか影響を与えると考えていた。ここで思考が短絡し「このミュージシャンの曲を聴くときっと魅力的な絵が描けるようになるだろう!」と思ってしまったのである。それで当時ニューアルバムであるところの Hail to the Thief を買うに至ったわけであるが、聴けども聴けども私には全く良さがわからなかった。だが不快な訳でもなかったので取り敢えず再生し、絵を描くときは日常的にこのアルバムを聴くようになっていたと思う。
そのまま何一つ理解できることなく、いつしかそのアルバムを聴くことはなくなり、未熟な中身とは裏腹に身体ばかり大人になっていった。人並みに恋をしたり挫折したり頑張ったり頑張らなかったりはしたが。田舎の出身であるため、電車に乗る機会はそうなかったはずなのだが、「その瞬間」はどこに行くのか帰りなのか今では思い出せない走る電車に乗っていた。車窓から何の変哲もない景色を感慨もなくぼんやり眺めていた。イヤホンからはシャッフルで様々な曲が流れていた。そんなありふれた時間の中で「 A Wolf at the Door 」が流れ出した。あのアルバムの最後の曲、聴き慣れた音。
なぜそうなったのかは分からないが、その瞬間に世界がグレースケールになった。音楽だけが色を持っており、イヤホンから全てが流れ込んできた。何故か「そういうことだったのか!」という感覚になり、いろいろな感情が溢れ出した。中学生の時には微塵もわからなかったし、今は全てがわかるとも言えないが、その時初めて音楽の価値を感じられたように思える。
そのタイミングから Hail to the Thief は私が聴く音楽で常連となった。今理解できないことも、何らかの経験を介していつかわかるかも知れない。理解したくてもできないかも知れない。思索だけでは辿り着けない場所もある。そういう感覚を感じたのは、後にも先にもその時くらいだ。時間こそかかれども、背伸びすれば届くものもある。だから誰かが馬鹿らしいと言っても、そんなもんなのだと私は知っている。
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