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2020年3月|3月のプロポーズ|西川火尖

彼女に求婚しようと決めたとき、すぐに思いついたのは花束を一緒に贈ろうということだった。いつかのデートで私が「花などもらう奴の気がしれないね。枯らす他ないし、飾るのが手間だ」と言ったら、彼女は「贈ったことのない人のセリフだね」と笑った。彼女は続けて「私に贈ってよ。すごく喜ぶから」と言った。

花を贈ったことがない。これは確かにその通りで、25年生きてきて、花屋で花を買ったことは一度もなかった。機会も必要も無かったし、仮にあってもそんな気取ったことは恥ずかしくてできなかった。その辺に生えていて、1週間も持たずに価値を失うものが贈り物として成り立つことにむしろ呆れていたし、本当に貰って嬉しいのかというところから疑っていた。とはいえしかし、昔、私の母親はこういった。「もしお前が花を買うとき、必ず活きのいい長持ちする花を頼むんだよ。そうでなければ、枯れかけの花を買わされてしまうからね」母に何があったかは知らないが、花屋とはそこまで悪辣なのかという思いによって、私はそのことを忘れなかった。そう、花を買う気構えはすでにできていたのだ。
なにより、彼女が喜ぶというのなら初めて買ってみようと思ったのだ。

それからしばらく経ったある日、彼女がお気に入りの職人の作ったアクセサリーを確かめに三越に行きたいというので、銀座まで一緒にいくことになった。私は銀座にも三越にも気後れしてしまうのだが、アクセサリー売場にはブライダル関連の商品もあるだろうから、なんとなく結婚を意識するのではないかという皮算用も働き、もう今日、結婚を切り出そうと思った。となれば、花である。
私は金券ショップに地下鉄の切符を買いに行くと告げ、別行動に移った。花屋の良し悪しは全く分からないが、いかにもというお洒落な花屋は気後れするので避け、イオン1階のエスカレーター下スペースの目立たない花売り場で見繕うことにした。地味で冴えないところなどに親近感を感じた。それにしてもこの花屋、花ばかりで何を買っていいか全くわからない。私はしばらく逡巡し、恐る恐る「1500円くらいで、長持ちする花束をください」と店員に声をかけた。店員は私を一瞥し、何か察したように頷き、手早く用意し始めた。私は私の勝負を後押ししてくれるような心強さを感じながらも、気恥ずかしさで背中に大汗をかき、すぐにでもこの場から逃げ出したかった。
途中、彼女からメールが来て、いまどこにいるのかと問われたが、店が混んでいると答えてやり過ごした。
用意された花束は、1500円という相場がどれくらいか分からない私には判断がつかなかったが、ひとまず花束と呼べる代物が出来上がったことに安堵した。それを駅のコインロッカーに隠して、改札で待つ彼女と合流した。

デート中、途中まで上機嫌だった彼女はしかし、ほどなくして体調を崩しベンチに腰掛けた。私もアクセサリー酔いというか、目が疲れたので一緒に休んだ。しばらく休んで少し落ち着いたためもう帰ることにした。
駅についても、少し休むというので「ミウィ橋本」のベンチで一緒に休んだ。さすがに少し様子がおかしいので聞くと、彼女は「今日は色々見れたしそれは満足したけど、この人は私に何一つ興味を持たないんじゃないか、本当にずっと一緒にいてくれる人なのかなとか考えてしまった」と言った。このごろの二人は確かに何となく結婚を意識していて、お互いにそれを感じていたのだ。だから自分もプロポーズに動いたのだった。しかし今日はサプライズを悟られたくなくて、確かにそっけなかった。それが裏目にでるとは思いもしなかった。
私は「ちょっと待ってて」と言い残してコインロッカーにダッシュした。急いで300円をいれて、花束の入った袋を取り出して駆け戻った。
そして彼女の前でぎりぎりまで中身が分からないように気を付け、ばっと花束を取り出した。言葉は自然ととてもシンプルなやつが出た。彼女は、予想外のことに驚き、本当に驚いて、花束を受け取ると「うれしい」と言ったあと「ありがとう」といい「でもこれは仏花だ」といい、もう一度確かめ「本当に仏花だ。何で?」といい、そしてプロポーズを受け入れた。
私は信じられない気持ちでいっぱいだった。
任せろ。みたいな感じで頷いた花屋も信じられなかったし、何より自分が信じられなかった。よく見たらまじで白と黄色の菊の花だった。
その後、仏花は彼女によって食卓に飾られ、ものすごく長持ちし、次の年に私達は入籍した。

昔、スピカで4年前の3月に連載していた綿菓子日記のボツネタです。3月つながりで初めて文章化しました。菊の花は長持ちするみたいですね。つまり花屋さんは依頼通りの仕事をした。
2020年3月は気が滅入ることばかりあったので、あまりそれらとは関係ないことを書きました。

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